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オスマン朝・オスマン帝国(04)

1 :世界@名無史さん:2010/12/30(木) 23:24:40 0
■オスマン・トルコの歴史■
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1293690693/ ←仮板
オスマン朝・オスマン帝国(03)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1234609506/
オスマン朝・オスマン帝国(02)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1160847288/
オスマン朝
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1008047030/


2 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 01:30:03 0
>>1よ、ありがとう!!

オスマン史を知るのに良い文献を紹介しよう。

・永田雄三編『西アジア史U―イラン・トルコ』(新版世界各国史9) 山川出版社、2002年
・佐藤次高編『西アジア史T―アラブ』(新版世界各国史8) 山川出版社、2002年
・柴宜弘編『バルカン史』(新版世界各国史18) 山川出版社、1998年
・鈴木董『オスマン帝国―イスラム世界の「柔らかい専制」』 講談社、1992年
・鈴木董『オスマン帝国の解体―文化世界と国民国家』 筑摩書房、2000年
・鈴木董『オスマン帝国の権力とエリート』 東京大学出版会、1993年
・鈴木董『オスマン帝国とイスラム世界』 東京大学出版会、1997年
・鈴木董『イスラムの家からバベルの塔へ―オスマン帝国における諸民族の統合と共存』 リブロポート、1993年
・新井政美『トルコ近現代史―イスラム国家から国民国家へ』 みすず書房、2001年
・新井政美『オスマンvs.ヨーロッパ』(講談社選書メチエ) 講談社、2002年
・新井政美『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』 青土社、2009年
・永田雄三・羽田正『成熟のイスラーム社会』(世界の歴史15) 中央公論社、1998年
・永田雄三・加藤博『西アジア』(地域からの世界史8) 朝日新聞社、1993年
・林佳世子『オスマン帝国の時代』(世界史リブレット19) 山川出版社、1997年
・林佳世子『オスマン帝国500年の平和』(興亡の世界史10) 講談社、2008年
・『イスラーム・環インド洋世界 16-18世紀』(岩波講座世界歴史14) 岩波書店、2000年
・『イスラーム世界とアフリカ 18世紀末―20世紀初』(岩波講座世界歴史21) 岩波書店、1998年
・歴史学研究会編『世界史史料2 南アジア・イスラーム世界・アフリカ : 18世紀まで』 岩波書店、2009年
・歴史学研究会編『世界史史料8 帝国主義と各地の抵抗T』 岩波書店、2009年

3 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 02:49:20 0
>>2
続き

・大塚和夫他編『岩波イスラーム辞典』 岩波書店、2002年
・日本イスラム協会編『新イスラム事典』 平凡社、2002年
・伊東孝之他監修『新訂増補 東欧を知る事典』 平凡社、2001年
・三浦徹・東長靖・黒木英充編
 『イスラーム研究ハンドブック』(講座イスラーム世界別巻) 栄光教育文化研究所、1995年
・小杉泰・林佳世子・東長靖編
 『イスラーム世界研究マニュアル』 名古屋大学出版会、2008年
・羽田正・三浦徹編『イスラム都市研究―歴史と展望』 東京大学出版会、1991年

4 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 08:28:21 O
日本の学会はオスマン過大評価

5 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 09:25:49 0
>>1
乙でございます

>>2
インドの奴隷王朝とか、もっともマイナーな分野にも目を向けてほしいな。


6 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/31(金) 09:44:20 0
>>1乙です。

>>4
別にそんな事ないと思うけどなぁ。妥当な評価でしょ。

>>5
インドのデリー・スルタン朝は日本語文献が少ないね。
そういえばムガル帝国は建国にオスマン帝国が少しだけ、
関わってるね。と言っても、バーブルがインド征服のための、
武器(主に火器)をオスマン帝国から取り入れたというだけだけど。

7 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 10:26:15 O
スレイマン以後の糞っぷりは酷い

8 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/31(金) 10:35:27 0
>>7
確かにスレイマン後のスルタンは暗君ばかりが続くけど、
官僚はソコルル・メフメト・パシャやキョプリュリュ家など、
優秀な人物がその後も出てるよ。それに、スルタンだって、
アフメト3世やマフムト2世など、スレイマン1世以後でも、
それなりに優秀なスルタンは結構いるよ。目立たないけど。

9 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 11:40:59 0
マフムト2世は啓蒙専制君主のオスマン版だったな。

イエニチェリの廃止、西欧化された新式軍隊の設置、大宰相府の分割、
大蔵卿(デフテルダル)を西欧式の大蔵大臣に変える、ヨーロッパ常駐の
大使館の復活、初等教育を義務化する試みなどを行っている。

10 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/31(金) 11:48:23 0
>>9
近代オスマン帝国の国家体制はマフムト2世の時代から始まるからね。
この時にオスマン帝国は前近代的な体制から近代的な体制へと変わった。
まぁ、ギリシャ独立戦争やムハンマド・アリーとかの問題もあったけどね。

11 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 14:29:39 O
マフムトとピョートルの落差がひどいな
やはり日本じゃ過大評価だよ

12 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 14:33:14 O
>>7
やはりレパント以後は停滞明らかだよな
第二次ウィーンまでヨーロッパより強勢だったなんて言ってるのは世界で相手にされない日本学会だけ

13 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/31(金) 14:37:03 0
>>11
ピョートル1世がチートなだけだと思う。彼の先見の明は凄まじかったからね。
ていうか、時代が違うからそう簡単には比べられないでしょ。マフムト2世の、
政策も全般的に成功してるし。特に、長い間できなかったイェニチェリの廃止を、
実現できたのは普通に優秀だった証でしょ。エジプト問題は微妙だったけど。

14 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/31(金) 14:41:07 0
>>12
アラン・パーマーの「オスマン帝国衰亡史」でも第2次ウィーン包囲から、
始まってたし、普通に日本以外の国でもそういう認識でしょ。そもそも、
レパントの海戦は戦闘そのものは確かにオスマン帝国の負けだけど、
その後キプロスやチュニジアを奪えてるから、一概に負けとも言えないよ。

15 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 15:49:56 0
いやさすがに負けでしょ


16 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/31(金) 16:06:05 0
>>15
だから、戦闘そのもの自体は確かに負けだけど、結果的に、
勝者のはずであるスペインもヴェネツィアも得するどころか、
むしろ損してるからね。そもそも、この戦争のきっかけは、
ヴェネツィアが、キプロスを奪われた事がきっかけだから、
そこだけみればヴェネツィアはオスマン帝国からキプロスを、
奪還できてないので手放しに勝ったと誉められるものでもない。
当時のヨーロッパ諸国は、まだ戦争での勝利を実質的な利益に、
することが出来なかったという事。正直、オスマン帝国にとっては、
せいぜい西地中海の制海権を失った事ぐらいしか損失はないよ。
それだって、オスマン帝国はソコルルの指導ですぐに艦隊を再建してるし、
スペインからチュニジアも奪いとってるから、地中海への影響力が完全に、
なくなってしまったという訳でもないし。キプロスも結局そのままだったしね。

17 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 17:03:01 0
>>西地中海の制海権を失った事ぐらいしか損失
いやだからこれじゃん
まぁそれ以前に地中海自体影響力低下してるけどね


18 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/31(金) 17:08:44 0
>>17
まぁ、確かにこの事自体は損失だけど、そもそもオスマン帝国は、
西地中海進出にそんなに熱心でなかったし、そのすぐ後ろの文で、
完全に影響力を失ったわけではないとフォローしてるでしょ。それと、
レヴァント貿易は大航海時代以降もそれなりに利益をあげてたから、
地中海そのものの影響力も従来言われてる程には低下してないよ。

19 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 17:40:09 0
いや俺が言ってるのは損失大したことないから負けじゃないってのはおかしいってこと
だいたい一回の戦いで国が崩壊したり、領土が大幅に削減されることの方がマレ
長期戦争でオーストリアはハンガリー奪回に失敗したけど国力が大幅に減退してないし
スペインはプレヴェザ後も戦力維持(まぁプレヴェザの戦闘自体、一部が戦っただけでどっちもほとんど損害ないけど)
アルマダの敗北後も余裕で戦力で維持してる
だからといって敗北は覆らない


20 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/31(金) 18:15:48 0
>>19
いや、まぁ確かに負けは負けだけど当初の目的である、
キプロスの奪還自体は果たせてないからなぁ。むしろ、
損失云々よりもそっちなんだけどね。向こうが勝ったと、
言えるか微妙という根拠は。まぁ、それでも戦闘そのものが、
負けならば負けなんだと言われればそれまでだけど。

21 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 19:10:11 0
贔屓目に見て、レパント以後はオーストリアと互角、スペインに対しては劣勢だな
イングランドはそのスペインと互角に戦ったし
そもそもレパントがオスマンにとって衝撃的大敗だったのに領土を奪われなかったのは
スペインが難敵イングランドと戦っていた性で、オスマンが強かったわけではない
やはりヨーロッパと比べて衰退傾向は明らかだよ

22 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 19:11:33 0
>>13
マフムト2世とムハンマドアリーを比べてみ?
まあ、国家元首としてマフムト2世とアレクサンドル2世を比べても、大差があるけどな

23 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/31(金) 19:34:26 0
>>21
スペインはレパント以後オスマン帝国とはほとんど戦ってないから、
劣勢かどうかはそう簡単に判断できないと思うけどね。そもそも、
レパントの海戦の後、オスマン帝国は領土を奪われなかったどころか、
スペインから領土(チュニジア)を奪ってるんだけど。キョプリュリュとかも、
いるし、ヨーロッパに劣勢になったのは第2次ウィーン包囲からでしょ。

>>22
ムハンマド・アリーには戦争では押され気味だったけど、
政治家としては大差ないでしょ。むしろ、外交政策では、
マフムト2世のほうが成功してるし。(エジプト事件の結果)
アレクサンドル2世はあまり詳しく知らないから、マフムト2世と、
比べて具体的にどこら辺で大差あるのか詳しく教えてくれ。

24 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 19:42:09 0
もう優劣に関してはロシアVSオスマンスレでおなかいっぱい

25 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/31(金) 19:51:26 0
>>24
あそこ今IFスレみたいな感じになってるけどね。それで、
アレクサンドル2世についてほんの軽く調べたけど、別にそんなに、
大差があるとは思えないなぁ。ロシアとオスマンという国単位での、
優劣比べなら分かるけど、個人としての力量にそんなに差が、
あるようには見えない。彼の改革も賛否両論が結構あるし。

26 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 20:11:08 0
>イングランドはそのスペインと互角に戦ったし

海の上では砲撃主体の戦法が先進的だったので互角以上に戦えたが
陸軍は・・・

27 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 20:49:24 0
年末にこんばんは。
趣味でオスマン朝について調べてたまたま辿り着きました。
2chで調べるなんて思いもしなかったのですが
このスレの前スレ(03)とても楽しく読ませて頂きました。特に前半部分。

しかし後半部分は酷かったですね。
ブローデルも知らない、噛みつきたがりが歴史学の話をしたいからでなく
延々自分の無知を認めたくないが故だけに噛みつき続ける滑稽な様は
痛々しいだけでなく前半の知に満ちたやりとりを木っ端微塵にしてしまっていて残念でした。
ああいうのは詭弁だと喝破してやれば終わったと思うのですが、まだ彼はいるのかな?
年末くらい大人しく反省してくれればいいのですが。

いえそんな話ではありませんでした。
役に立つ話をありがとうございました。皆様、良いお年を。

28 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/31(金) 22:19:23 0
>>27
ブローデルの「地中海」の新しいほうは、結構オスマン帝国に、
ついても詳しく載ってたね。基本的に、オスマン帝国スレは、
結構な良スレだったと思うけどね。後半部の争いってどんなのだっけ?

29 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 23:22:43 0
いろいろあったんだよw
アンガスの統計資料を電波扱い
ブローデルやウォーラステインもトンデモ学者発言
中世偏見スレにも出没してたし、ずっと前のアラブスレでもオスマンの火器技術はペルシャ起源とか言い出したり
その時は白人に都合のいい史料は全て白人による捏造とか主張してたな
とにかく熱狂的なアンチ西欧でいると荒れるんだよね



30 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/01(土) 00:01:44 0
>>29
あ〜、何かそんなのあったね。その時はまだROMってたからなぁ。

31 :世界@名無史さん:2011/01/01(土) 11:11:36 O
キョプリュフも過大評価だよ
三十年戦争で衰微したオーストリアに大敗なんで、キョプリュフ時代にどれだけ停滞してたんだよ
あと、マフムトを高評価してるが、ムハンマドアリーと比べると指導力の欠けた凡君だろ

32 :世界@名無史さん:2011/01/01(土) 11:34:23 O
>>31
キョプリュリュ家は、第2次ウィーン包囲で失敗するまでは、普通に優秀だったでしょ。
それと、ムハンマド・アリーは内政は確かに優秀だけど、外交ではマフムト2世に、
負けてたでしょ。エジプト事件の結果が、それを示してるよ。

33 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/01(土) 11:39:33 O
>>32は僕ね。名前書くの忘れちゃった。

34 :世界@名無史さん:2011/01/01(土) 15:05:21 0
>>32
エジプトがオスマン帝国から正式に、名実ともに独立するのは、第一次世界大戦の1914年だしな。
それまでエジプトはオスマン帝国の影響が及ぶ「特別州」であり続けた。
1938年にイギリス・オスマン通商条約が結ばれると、その影響はただちにエジプトにも及び、
ムハンマド・アリーの経済基盤に打撃を与えた。
林佳世子『オスマン帝国500年の平和』(講談社、2008年)では、
「オスマン帝国がこの時期にイギリスと通商条約を結んだのは、
 戦争状態にあったエジプトへの打撃を期待してのことだったとみられる。
 オスマン帝国もヨーロッパ諸国に倣い、外交と経済政策を関連させる術を
 身につけつつあった。」(pp348-349)とある。

35 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/01(土) 15:16:34 O
>>34
ムハンマド・アリーも個人としては優秀な人物だったんだけどね。
結局、エジプトの近代政策化が中途半端に終わってしまったのは、
所詮オスマン帝国領で、独立国ではなかったせいでもあるね。

36 :世界@名無史さん:2011/01/01(土) 15:56:32 O
結局ムスリム全体が怠惰になったのがオスマンの衰退につながった要因だと思う

いくらタンズィマートを推進したって下の民が何をすべきか自覚してなきゃどうしようもない

37 :世界@名無史さん:2011/01/01(土) 16:05:12 0
レパントの海戦は、西欧ではオスマン帝国衰退のプロセスの出発点として
語られることが多いが、実際には海軍史において、ガレー船時代の終わりと
カリヨンを主力とする帆船時代の幕開けを告げるものだった。

レパントの勝利で西欧諸国がいちはやくカリヨンへとモデルチェンジを
はかったのに対し、オスマン帝国は17世紀中葉までガレー船にこだわりつづけた。


38 :世界@名無史さん:2011/01/01(土) 16:40:52 0
オツガイうぜー 

39 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/01(土) 17:14:24 O
>>37
スウェーデンやロシアでも、ガレー船は結構遅くまで使われてたね。

40 :世界@名無史さん:2011/01/02(日) 01:00:22 O
>>39
西欧諸国じゃない

41 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/02(日) 07:16:27 O
いや、それはそうだけど、単に他でも遅くまで使われてたねってだけの話だよ。

42 :世界@名無史さん:2011/01/02(日) 08:22:15 0
人には厳しく、自分にはクソ甘いオツガイであった。

43 :世界@名無史さん:2011/01/02(日) 10:36:44 0
>>32
イギリスの靴ナメがうまいのがなんでそんなに高評価なんだよ
完全に半植民地化が進んで、どうにもならなくなったじゃないか
直接対決で何度もムハンマドアリーに負けてるのは
マフムトの近代化が失敗したからだろ。
だからイギリスの犬にならざるを得なくなった。

キョプリュフはアウラングゼーブと似てるな
何度も戦闘で大敗しているのに領土拡張に固執したのは失敗だ
その後の急激な衰退を招いて、ナポレオン時に自国領の戦争なのに何もできなかったのも
プラッシーでなにも出来なかったムガルとかぶる
キョプリュフ時代にヨーロッパと決定的な差がついたといってもよい
過大評価はできんよ

44 :世界@名無史さん:2011/01/02(日) 11:13:35 0
確かに外政は失敗だね
ただ内政の混乱を回復したのは確かだし
混乱したままだったらもっとはやく西欧勢にやられただろう


45 :世界@名無史さん:2011/01/02(日) 15:52:20 0
>>29
>とにかく熱狂的なアンチ西欧でいると荒れるんだよね

「熱狂的なアンチ西欧」の奴なんて、2chじゃ珍しいと思うが。
むしろ、>>7>>11>>17>>19>>21>>22>>31>>36>>43のような
「熱狂的な西欧礼賛」の奴や、「西欧の文物こそ最高と位置づけ、それに近ければ偉い」
とする奴らが2chにおける圧倒的な多数派だ。

こいつらの「熱狂的な西欧礼賛」ぶりには、目に余るものがある。

46 :世界@名無史さん:2011/01/02(日) 16:30:08 0
おっ、いらしたか

47 :世界@名無史さん:2011/01/02(日) 16:32:26 0
ちなみに29書いた俺は44も書いたんだがなw


48 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/02(日) 17:37:19 0
>>43
イギリスの靴ナメと言うけど、近代オスマン帝国はそのおかげで、
生き延びれたんだしなぁ。既に弱体化しきってたオスマン帝国の、
延命に役立ったのは事実でしょ。実際、エジプト事件は明らかに、
エジプトのほうが損失大きかったからね。(オスマン帝国も損したけど)
まぁ、直接対決の結果を見ると、確かに軍事はムハンマド・アリーよりも、
劣ってたかも知れない。それでも、イェニチェリの廃止は凄いと思うけど。

それと、キョプリュリュは1人の人物じゃないからね。カラ・ムスタファ・パシャは、
確かにアウラングゼーブと似てるかも知れないけど、キョプリュリュ・アフメト・
パシャなんかは普通に優秀な政治家だったと思うよ。一口にキョプリュリュと、
言っても分けて考えるべきでしょ。僕も第2次ウィーン包囲でオスマン帝国の、
衰退が決定的になった事は認めてるんだし。まぁ、カラ・ムスタフア・パシャも、
別に無能だった訳ではないと思うけど。それと、何度も戦闘で大敗してるって、
言うけど第2次ウィーン包囲までのキョプリュリュ時代のオスマン帝国はそんなに、
大きな負けはなかったと思うよ。(まぁ、大勝もなかったけど)何の事を言ってるの?

49 :世界@名無史さん:2011/01/02(日) 18:07:12 0
オスマンがクソなのはオスマン自身の自己責任だろう西欧礼賛とか全く関係がない。

50 :世界@名無史さん:2011/01/02(日) 18:28:52 0
【イスラエル】イスラエル沖に巨大ガス田[2010/12/30]

イスラエル沖合の海底で巨大なガス田の存在が確認され、
その場所が、イスラエルとの海上の境界線が確定していない隣国レバノンに近いことから、
今後、資源を巡って両国の間で緊張が高まることが懸念されています。

巨大ガス田は、イスラエル北部のハイファからおよそ130キロ沖合にある、リバイアサン鉱区で確認されました。
このガス田を調査した、アメリカの石油採掘会社、ノーブル・エナジー社は、29日、天然ガスの推定埋蔵量は、
巨大ガス田と分類される基準の5倍近い16兆立方フィートにも上ると発表しました。

この会社の幹部は「このガス田の発見で、イスラエルは天然ガスの輸出国になる可能性がある」と述べ、
海底から天然ガスの採掘を進めていく考えを示しました。
ただ、このガス田は、イスラエルの隣国でありながら国交のないレバノンに近く、
両国の間では海上の境界線も確定していません。
レバノン政府は早くも、天然ガスの層はレバノンの領海に延びている可能性があるなどと反発しており、
巨大ガス田を巡って両国の緊張が高まることが懸念されています。

ソース NHKニュース 12月30日 9時0分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20101230/k10013140381000.html



さあ、クソラエルがアラブ人大虐殺またするんだろうな。

51 :世界@名無史さん:2011/01/02(日) 18:32:19 0
http://markethack.net/archives/51671951.html

次にイスラエル政府の資源開発に関連する経験の浅さや貪欲さも露呈しています。

イスラエルは建国当初から「我が国は資源に乏しい」という先入観があったため、地下資源の採掘権に関する法律も1950年代に作られたいい加減な法律に依拠しています。

もとより自分で石油や天然ガスを探索するノウハウや余裕は無いわけですから外国企業にとって極めて有利な採掘権の賦与を規定していました。そうしなければ誰も鉱区に興味を示してくれないからです。

ノーブル・エナジーはそういうインセンティブがあったのでリスクを冒してイスラエル沖の油田開発に乗り出したのです。

これを見たメジャーの石油会社はノーブルを冷笑していました。

エクソンやシェブロンなどのメジャーな石油会社は既にサウジアラビアをはじめとするアラブ諸国と長年に渡ってビジネスをしてきたので、イスラエルで石油開発をするとアラブ諸国の機嫌を損ねるわけです。

これに対してノーブル・エナジーは米国国内、メキシコ湾、西アフリカなどを中心に展開している企業でアラブ世界とは縁がありません。だから既存客を怒らせるリスクが無かったのです。

しかしイスラエル沖で天然ガスが発見されて以来、イスラエル政府は採掘権や法人税に関する法律を改正しようと画策しています。

52 :世界@名無史さん:2011/01/02(日) 19:30:32 O
なんかスレイマン以後のオスマンはほんと学んでて吐き気がしたよ

膨大な犠牲に見合うだけの崇高さを何も作れなかった歴史と言うか

53 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/02(日) 19:47:24 0
>>52
何かあなたはさっきから変にオスマン帝国が嫌いみたいだけど、オスマン帝国は、
スレイマン1世後も第2次ウィーン包囲で大敗するまでは勢力を拡大してるし、
それ以降だっていくつかの戦いでは勝ち戦もある。(最盛期ほどじゃないけど)
完全に衰退しきってヨーロッパ諸国から重病人呼ばわれされる程になるのは、
ナポレオン戦争以降だよ。まぁ、それ以後の歴史だってそれはそれで個人的には、
学びがいがあるんだけど。オスマン帝国が過大評価されてるって事はないでしょ。

54 :世界@名無史さん:2011/01/02(日) 20:10:39 0
過大評価厨も過小評価厨もいらね

55 :世界@名無史さん:2011/01/02(日) 20:11:48 0
とはいうものの、日本人の国民性は中庸を好む。戦後のサヨク史観の悪影響だな。
ロシアやイギリスなんかは自国の歴史マンセーしかしてねえぞ。

56 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/02(日) 20:23:44 0
>>55
ナショナリズムの強い国だと、自然と歴史観もそうなるね。
僕が前に読んだトルコの歴史教科書は自国マンセーという、
程ではないけど、結構そういう傾向が強かった覚えがある。
と言っても、割りと古いのだったから今はどうか知らないけど。

57 :世界@名無史さん:2011/01/02(日) 20:32:13 0
オツガイも言及しているけど、トルコは中国の万里の長城まで自民族の建造物と教えているそうだ。
2chでみただけだから本当かどうかわからないが、得てして自国の歴史は誇大妄想かと思うぐらい
大仰に教えるのが世界の実態。

だからといって日本人が真似しようとは思わないが、日本人が好む中庸、中立、平等な視点というのは
日本人が大好きな世界の人々とやらはどこの国もほとんどやらないんだよね。

宗教でもなんでもそうだけど、その辺が結構世界と日本とのギャップ大。

日本人は一般に和の精神を尊び、妥協点を探るけど、他所の国ではそうじゃない日本以上にシビアな
領土問題や宗教観、民族問題、歴史問題がいろいろとカオスになっているから、強く主張して
一歩相手がひいたら一歩踏み込む交渉スタイルが普通。

だから日本人風の歴史観というのは全然世界の国々の主張と合わない。
で、合わないの当たり前。民族や立場の数だけ歴史観がバラバラなんだから。

オスマントルコで言うと、例の虐殺や寛容・非寛容などなどこのスレでも意見がわかれるようだが、
合わないの当たり前。当事者同士で別々のパラレルワールドいっているんだもん。

日本人以外は歴史学って自民族の主張の補完としかおもってない人がおおい。
だからトンデモがすごく多いし、嘘を見抜くというのが難しいし、嘘でも認めないんだよね。


58 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/02(日) 20:40:56 0
>>57
>日本人以外は歴史学って自民族の主張の補完としかおもってない人がおおい。
オスマン帝国からは少し話が逸れるけど、羽田正が前に、
アゼルバイジャンの学者がサファヴィー朝はトルコ人の、
王朝だとやたら強調してきて困ったみたいな事を書いてたなぁ。
歴史学とナショナリズムはなかなか切り離しにくいんだろうね。
特にオスマン帝国のあった地域はナショナリズムの強い国が多いし。

59 :世界@名無史さん:2011/01/02(日) 20:58:45 0
ヴァヒデッティン皇帝陛下万歳。
帝政派知識人アリ・ケマル万歳。
ムスタファ・ケマル・パシャは逆賊です。

60 :世界@名無史さん:2011/01/02(日) 21:02:05 O
>>53
ああ、正直に言って嫌いなんだよ
普通歴史を学んでるだけでどこかの国を嫌いになったりはしないけど後期のオスマン・トルコにはなぜか嫌いになってしまった

学び甲斐があることは否定しないし、むしろ自分にとってそういう特別な嫌悪感があるぶんよく学ぶべきだとは思ってるけど
軍事力の優劣とか世界史的な影響力とか以前に何かね…人間を粗雑に扱い過ぎというか

自分は狡猾な政略の手段とかに感心してワクワクするほうなんだけど
オスマンの権力争いを学んでても何かそういう悦びが湧いてこないんだよな…
ひたすらうんざりする

61 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/02(日) 21:10:01 0
>>60
まぁ、あなたが個人的にオスマン帝国が嫌いなのは勝手だけど、
だから「日本では過大評価だ」と言うのはおかしいでしょ。主観的な、
感情と、実際の優劣や評価は分けて考えるべきだと思うけど。まぁ、
これ以上はオスマン帝国と関係なくなるからあまり深く言わないけど。
個人的には、権力争いは古今東西学んでて面白いんだけどね。

62 :世界@名無史さん:2011/01/02(日) 21:47:44 0
>>52>>60
こんなこと書いたらまた荒れるだろうけど、漏れは現在のアラブ諸国も
好きになれないんだよなあ。

建設的な要素がほとんどないから。

63 :世界@名無史さん:2011/01/02(日) 23:07:50 O
>>61
あーえーと誤解させて悪いがそれは別人
日本の学会と世界の研究を比較できるほどには精通してないな

64 :世界@名無史さん:2011/01/02(日) 23:45:36 0
>>12
>世界で相手にされない日本学会だけ

今では、英語、トルコ語などで論文を書いて世界的に評価されている
日本人のオスマン史研究者はけっこういるぞ。

65 :世界@名無史さん:2011/01/03(月) 01:41:14 0
被引用数のデータ見れば一目瞭然じゃないの?

66 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/03(月) 07:40:55 0
>>62
あ〜、そうなの。勘違いしてたよ、ごめん。まぁ、僕も、
日本のオスマン史研究家が海外でどれくらいの評価を、
受けてるのかは良く知らないんだけどね。

67 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/03(月) 07:43:39 0
>>66
悪い。アンカミス。>>62じゃなくて>>63だ。

68 :世界@名無史さん:2011/01/03(月) 23:39:05 0
>>8
スレイマン1世以後にも、アフメト3世、セリム3世、マフムト2世、
アブデュルハミト2世のような有能なスルタンはいるし、
官僚機構の発展によって、優れた官僚が出たことを忘れてはいかんだろう。

著名な思想家のナームク・ケマル、画家で考古学者のオスマン・ハムディ・ベイ
のような文化人のほとんどが官僚層に属していたしな。

69 :世界@名無史さん:2011/01/04(火) 01:01:25 0
>>37
オスマンだけじゃなくてヴェネツィアもガレー軍船に拘ったし、地中海じゃガレー船
のほうが有用だったからなんだけどな。フランスも結構後々までガレー船は活用してる。

第一、レパントの海戦でも西欧の主力はガレー船だ。ガレオン船の過渡期みたいなガ
レー船と帆船の折衷型で火力重視のガレアス(ガレアッツァ)は数隻しか参加していな
いし、砲門数も大分少ない。
カリヨンって、ガレオンの間違いか他国語だと思うんだが、ガレオンのような大型帆
船と言えるものは、補給艦で戦闘に直接関わってないはずだが。

ガレオンから戦列艦のような砲撃が基本の戦術スタイルに西欧が移行していくのは、
アルマダの海戦以降のはずで、オスマンとの関連低いんだが。

70 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/04(火) 08:13:11 0
>>68
>官僚機構の発展によって、優れた官僚が出たことを忘れてはいかんだろう。
スレイマン1世以後、しばらくの間は無能なスルタンばかりが一時期続いてたのに、
帝国が勢力を落とす事がなかったのはスレイマン1世の時代に優れた官僚機構が、
すでに出来上がってたため、スルタンが無能でも官僚たちがカバーできたからだしね。

71 :世界@名無史さん:2011/01/04(火) 08:30:20 0
制度さえしっかりしていれば、むしろ君主が無能な方が国は上手く回るのかもしれん

72 :世界@名無史さん:2011/01/04(火) 10:45:32 0
官僚機構が発展した弊害もあると思うけどね
現代経営学では大企業病というのがあって
企業の規模が拡大すると官僚化が進み組織が硬直化、保守化して創造性が失われる
さらにセクション化が進みそれぞれの部門で派閥争いがおこる、
規模が拡大するとそういった現象がおきやすくなるという
実際オスマン後期に近代化を進めようとしても抵抗勢力が多くてなかなかうまくいかなかったり
軍事技術の改革もイニチェリの反対にあったり、そこら辺にも関連があるのでは個人的に思う
16世紀前半までの隆盛期は官僚化はあまり進んでなかったし、かなり柔軟に動けたよね
ただ官僚化が進むと組織が安定するメリットはあるし、一長一短だけどね


73 :世界@名無史さん:2011/01/04(火) 11:11:44 0
ちなみに現代企業ではセクション化を解消するために
水平ネットワーク作ったり部門横断の事業を行ったりしてる
日本の行政も縦割り行政って批判されてたよね
横のつながりがない、だからダブった無駄な事業をおこなったりしたりする

74 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/04(火) 16:58:10 0
>>72
まぁ、確かにそういう面はあるね。官僚機構の発達は、
逆にスルタンが自由に動きにくいという欠点もあるからね。
特にイェニチェリの肥大化は後期オスマン帝国にとっては、
改革の上での障害以外の何ものでもなかったしね。

75 :世界@名無史さん:2011/01/04(火) 22:38:13 0
>>74
中央集権化を目指したタンズィマート期には、官僚の数が増加している。
この傾向はアブデュルハミト2世期にも続くが、官僚の養成のために
新式の学校が帝国じゅうに普及するというメリットもあった。

76 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/05(水) 05:53:19 0
>>75
まぁ、アーヤーンみたいな地方有力者が台頭するよりは、
官僚を増やしたほうが、中央集権化は進むからね。

77 :世界@名無史さん:2011/01/06(木) 10:48:14 0
http://www.geocities.jp/whis_shosin/bizan.html

まあ、みんな時々はこれを見ようや。世界史上最もインパクトのある1日。
この興奮がオスマン帝国の原点だろう。

78 :世界@名無史さん:2011/01/06(木) 22:06:42 0
正統カリフ時代からの悲願だからなあ
いまだにイスラム圏だというのもスゴイ話だわ

79 :世界@名無史さん:2011/01/07(金) 17:16:19 0
でもエルサレムはイスラム教徒の宿敵ユダヤ人が簒奪したままだけどね。 イスラム教徒らはぐぬぬと行っていると思う。

80 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/08(土) 08:13:07 0
>>79
ユダヤ人がイスラム教徒の宿敵になったのはここ最近の話で、
歴史的にはオスマン帝国はむしろ親ユダヤと言っても良いと思う。
現在のトルコ共和国もイスラエルとは仲良いし、現在の状況が、
決して、昔からずっと不変のものだったという訳でもないからね。

81 :世界@名無史さん:2011/01/08(土) 08:55:32 0
最近といってもユダヤ人の移民自体はドレフュス事件頃からだからかれこれ1世紀以上の歴史はあるだろ。
通貨、ムハンマド自体もユダヤ人を攻撃しているだろ。

↓wikiより

また、627年5月には同じくムハンマドの暗殺やイスラームへ改宗したマディーナのアラブ人の謀殺を行うなど、対
立が続いていたユダヤ教徒のナディール族とも戦闘になり、その集落を包囲陥落し彼らも追放となった。627年3月、
ムハンマドはハンダクの戦いでマッカ軍の総攻撃を撃退し勝利した。その後ハンダクの戦いで敵対的中立を保っていた
ユダヤ教徒のクライザ族を討伐するためサアド・ブン・ムアーズ・アル=アウシーに軍の全権を委ねて派遣した。
624年5月1日に、15日間の包囲攻撃のすえクライザ族は全面降伏したが、サアドは成人男性全員を処刑し、
女性や子供は捕虜として全員奴隷身分に下し、その財産は全て没収してムスリムへ分配するという厳しい処断を行った。
この時虐殺された戦士層の人数は1000人にのぼったと伝えられる。ムハンマドは「まさしく汝は神(アッラー)と神の使徒
(ムハンマド自身)の意に適う判決を行った」とこのきわめて残虐な非人道的行為を全面的に支持したという[8]。
続くハイバル遠征でナディール族が全面降伏した結果、ファダク、ワーディー・アル=クラー、タイマーの各ユダヤ教徒系の
アラブ諸部族は相次いでムハンマドに服従する事になった[9]。



82 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/08(土) 09:08:52 0
>>81
ドレフュス事件の頃はまだパレスチナ問題は本格化してないし、
そんなに移民が多いとは思えないけどね。問題の本格化は、
世界大戦後くらいからじゃないの?後、クライザ族の虐殺など、
ムスリムとユダヤ人が常に仲良かった訳でもない事くらいは、
僕だって知ってる。ただ、パレスチナ問題なんかで良く聞かれる、
「ユダヤ人とイスラム教徒は長い間対立し続けてきた宿敵なんだ」、
みたいな論調は明らかに誤りだからね。常に敵対し続けてきた訳ではないし。

83 :世界@名無史さん:2011/01/08(土) 09:17:36 0
イギリスの2枚舌外交が対立の顕在化となってはいるけれども、ユダヤ人の侵入自体は以前から軋轢あったよ。
ただ当時パレスチナという地域はアラブ人自体も結構人住んでない
ではどうして軋轢がおこるかというとアラブ人自体も移民してきたの大勢いたからな。
コロンブスの卵じゃないが、現地民からユダヤ人が土地を買い取り、沼沢地を灌漑し、開梱したら水はけがよくなり、
存外に良い土地になってきたそこに地元のアラブ人人口も増える。ユダヤ人移民者も増える。
そのマッチポンプだわな。

>「ユダヤ人とイスラム教徒は長い間対立し続けてきた宿敵なんだ」、
おれはそんなことはいってない。対立自体はムハンマドの時代にもあったと言及しているだけ。

ただ、対立が激化するにつれて当事者同士が「そういう風に喧伝し、刷り込まれている」ということはありえるだろう。
ハマスやユダヤ人のコンサバティブな連中はガチでそう信じているの多いだろうしな。

84 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/08(土) 09:27:24 0
>>83
>おれはそんなことはいってない。対立自体はムハンマドの時代にもあったと言及しているだけ。
いや、あなた(>>81>>83)じゃなくて>>79のレスが、そのように読めるから、
僕は>>80でそれに対して反論しただけなんだけどね。後、ユダヤ移民との、
軋轢は確かに前からあったかも知れないけど、その時はまだ現在ほどには、
問題が深刻化してなかったと思うけどね。良くある移民との軋轢って感じかな?

85 :世界@名無史さん:2011/01/08(土) 09:41:31 0
ぐぬぬとかいってるのニュー速民だろうからスルーしておけ。

86 :世界@名無史さん:2011/01/08(土) 13:44:41 0
レコンキスタでイベリア半島から追放されたユダヤ教徒を受け入れたのは
モロッコでありオスマン帝国だったからな
モロッコにはいまだにユダヤ人の集落がありムスリムと共存している

トルコがイスラエルと同盟関係なのも全然おかしな話じゃないよ

中東イスラーム圏のユダヤ教徒はそれを知っているだろうけど
欧州やロシアからの移民してきたユダヤ教徒はそういうこと知らないんじゃないかな

87 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/08(土) 14:18:59 0
>>86
現在のトルコがイスラエルと仲良い理由の1つとしてアラブ反乱などのせいで、
アラブ民族主義者に対して共感しにくいからというのがあるけどどうなんだろう?

88 :世界@名無史さん:2011/01/08(土) 14:26:11 0
>>87
まあその通りでしょうね
まあ今のアラブ諸国と同盟してもなんのメリットもないからねw

89 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/08(土) 14:42:23 0
>>88
革命後ずっと西側陣営に属してきたトルコにとって、
アラブ諸国と同盟する意味は確かにないからね。
まぁ、最近はそれなりに交流を深めてるみたいだけど。

90 :世界@名無史さん:2011/01/08(土) 14:45:38 0
オイルマネーで湾岸諸国が金持ちになってきたし
イスラム圏は多産で人口増加傾向で市場が大きくなっているからねえ

信仰とかそんなもんじゃなくて結局は利益でうごくんですわな

91 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/08(土) 14:57:02 0
>>90
まぁ、それは程度の差こそあれ古今東西どこも変わらないけどね。

92 :世界@名無史さん:2011/01/08(土) 15:48:04 0
>>84
なに言ってんだ?
第4次中東戦争以降もパレスチナに国軍を送り込んで
アラブ人の住居を強制撤去して立ち退かせてるの知らんのか?
1976年の時点と比べても、アラブ人居住地の面積は70%も減少してんだけど

93 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/08(土) 15:56:50 0
>>92
第4次中東戦争以降ってドレフュス事件の頃と全然違うじゃん。
その時の移民じゃまだ問題は今ほど深刻化してなかったでしょ。

94 :世界@名無史さん:2011/01/08(土) 15:56:51 0
最初はユダヤ人がテロやってたんだよな
今はそれがイスラエル国軍になっちゃったけど


95 :世界@名無史さん:2011/01/08(土) 15:57:55 0
エツェル
ハガナー
しらべろよ

96 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/08(土) 16:05:16 0
>>95
どっちもドレフュス事件よりも創設年は後じゃん。
何を言いたいのかさっぱり分からないんだけど。

97 :世界@名無史さん:2011/01/09(日) 16:03:07 0
カラ・ムスタファ哀れなり

98 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 17:00:17 0
>>97
彼の最期はわりと悲惨だね。まぁ、自業自得と言えなくもないけど。
でも、もし第2次ウィーン包囲の失敗後すぐに彼を殺さずに生かしてたら、
その後の大トルコ戦争によるヨーロッパへの大幅な領土割譲をしないで、
済んだかも知れない。まぁ、あくまでIFによる推測にすぎないんだけど。

99 :世界@名無史さん:2011/01/09(日) 18:57:48 0
功を焦り過ぎた嫌いはあるけど、
決して暗愚の将軍ではない。


100 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 19:04:47 0
>>99
うん、僕もそう思う。彼がもしあの後も生きてたら第2次ウィーン包囲における、
損害も最小限に留められたかも知れない。もしかしたらカルロヴィッツ条約も、
存在しなかったかもね。まぁ、所詮はIFだから何とでも言えるんだけど。

101 :世界@名無史さん:2011/01/09(日) 19:09:46 0
>>100
ただ歴史的には、この時期のオスマン帝国は衰退期に入っているから、
ムスタファでも挽回は不可能だったろう。
オーストリーにはオイゲンのような名将もいたし。
むしろ1529年の時にあっさり撤退した方が後世悔いが残るところだ。
あの当時はいつでも落とせるという自信があったのだろうが。

102 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 19:18:41 0
>>101
いや、むしろ歴史的にこの時期のオスマン帝国はキョプリュリュ時代で、
むしろ再興期だったよ。当時のオスマン帝国は最大領土を獲得してたし。
挽回は不可能でも、大幅な領土割譲には至らなかったかも知れないね。
1529年の第1次ウィーン包囲が成功したらというIFはそれ以上に後世に、
影響を与えただろうけど、個人的には大きすぎるから予想しにくいなぁ。

103 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 19:22:05 0
>>102
最初の一文で「むしろ」を2度言ってしまってたorz

104 :世界@名無史さん:2011/01/09(日) 19:29:31 0
>>102
トルコ側は再興期でも、欧州は近世から近代に入る時期だからね。
欧州を攻めるのなら17世紀前半までが良かったと思うよ。
「後悔先に立たず」だがね。

105 :世界@名無史さん:2011/01/09(日) 19:31:42 0
>>104
近代は18世紀前半以降20世紀前半まで

106 :世界@名無史さん:2011/01/09(日) 19:36:29 0
>>105
最初はそう考えたが、
イギリスではピューリタン革命・名誉革命が起こっている。
近代への橋渡しの時期と考えて良いと思うが。


107 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 19:38:04 0
>>104
まぁ、確かにカラ・ムスタファ・パシャは下手に領土的野心の下で、
領土拡張するよりは、それ以前のキョプリュリュ家みたいに内政に、
力を入れたほうがよかったかも知れないね。もうヨーロッパを攻めても、
以前ほどの成功は見込めないだろうし。功名心にはやりすぎたね。

108 :世界@名無史さん:2011/01/09(日) 19:39:45 0
>>106
ただの内紛だろ、意味が分からん

109 :世界@名無史さん:2011/01/09(日) 19:43:16 0
16世紀後半から17世紀前半も欧州とやりまくってるけどな
地味で結果のでない戦役ばっかだけど

110 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 19:47:40 0
>>109
その時代はもろにキョプリュリュ時代だしね。キョプリュリュ家の、
功績は基本的に内政面のほうが大きいけど、外交面での功績も、
いくつか見られる。先述したけど最大領土を迎えたのもこの時だし。

111 :世界@名無史さん:2011/01/10(月) 07:22:07 0
さて、それでは今日の謎の答えに入ってゆきましょう。カラ・ムスタファがウィーンをなかなか攻め落とさなかったワケは、どうやら上に述べた戦利品争奪戦と関係があったようです。
当時のオスマントルコの規則によると、敵地を力づくで破って勝ったときは、
戦闘に参加した兵士たちが3日間もそこで略奪をし放題となっていました。しかし、もし相手が占領される前に町の明渡しを申し出てきたときは、

最高司令官がその町にあるお宝をどうするか決められたんだそうですよ。

帝都ウィーンともなれば、そこにある金銀財宝は計り知れません。そして、その財宝をカラ・ムスタファが自軍の兵士たちに邪魔されずごっそりいただこうと思えば、
ウィーンにはどうしても「玉砕」じゃなく「降伏」をしてもらわなくてはならなりませんでした。

http://www.onyx.dti.ne.jp/~sissi/erz-113.htm

112 :世界@名無史さん:2011/01/10(月) 08:16:18 0
まあ、1529年も1683年も小氷期だから、
現在よりは寒いというのは理解出来る。

113 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/10(月) 11:33:54 0
>>111
つまり、このサイトによれば、カラ・ムスタファ・パシャは戦利品という、
目先の利益にとらわれすぎたため第2次ウィーン包囲は失敗したのか。
まぁ、確かに彼は少し野心に走りすぎた面があるのは否めないなぁ。

114 :世界@名無史さん:2011/01/10(月) 12:38:23 0
メフメト4世がいちばん無能だと思うわ
あの状況で指揮官殺したら混乱するのは眼に見えている

115 :世界@名無史さん:2011/01/10(月) 12:42:49 0
>>75-76
>まぁ、アーヤーンみたいな地方有力者が台頭するよりは、
>官僚を増やしたほうが、中央集権化は進むからね。

アーヤーンの側も、中央政府にかなわないと見るや、
子弟をイスタンブルの官立学校に入学させて、
オスマン官僚となる道を歩ませている。
それによって、アーヤーンは自己の地位を保全しようとした。

Olivier Bouque, "All the Sultan's Pashas: Ottoman civil officials and the Imperial State(1839-1909)"
  『International Journal of Turkish Studies』vol.14, 2008
永田雄三「オスマン帝国における近代教育の導入:文官養成校(ミュルキエ)の教師と学生たちの動向を中心に」
  『駿台史学』111号、2001年

116 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/10(月) 12:45:06 0
>>114
まぁ、当時のメフメト4世はほとんど政治にノータッチだったからね。
カラ・ムスタファの処刑だって、彼自身の意向っていう訳でもないし。
それはそれで、無能なスルタンだって言われても仕方ないけどね。

117 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/10(月) 12:56:31 0
>>115
マフムト2世の時にアーヤーンのほとんどを簡単に中央の統制下に置けたのも、
結局はアーヤーンの権力基盤が基本的には中央政府の官職(&徴税請負権)に、
よるものだったからだしね。だから、彼も容易に中央集権化を行なうことが出来た。

118 :世界@名無史さん:2011/01/10(月) 14:56:07 0
>>111
なんか言い訳がましいな、その説が正しいなら
今までほぼ全ての占領地を司令官は降服狙いで戦ってたきたはず
それなのになぜウィーンは落とせなかったかということになって結局疑問は残るだろ
第二次包囲の頃のウィーンは第一次の頃と比較してはるかに堅固に要塞化されててそんな簡単にぬけるわけない
直前の60年代、70年代のオーストリア、ポーランド、ロシアとの一連の戦闘でも勝ててない状況で
オスマンの軍事的優位性がほとんどなくなり、装備も旧式な状態なのに無理な遠征したムスタファがアホなだけ


119 :世界@名無史さん:2011/01/10(月) 15:31:35 0
軍事的優位はかなり失われてたけど、兵装の更新は当然してるだろ。

120 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/10(月) 15:36:23 0
>>119
オスマン帝国はオーストリアとの長期戦争の時に、
今までの旧式の軍備を、変えようとしてたしね。

121 : ◆axCVsGomao :2011/01/10(月) 16:35:02 0
スーダン南部に資源あったら独立したとしても
紛争つづくんじゃないの

122 :世界@名無史さん:2011/01/10(月) 18:19:46 0
>>121
誤爆?

123 : ◆axCVsGomao :2011/01/10(月) 19:08:19 0
>>122
誤爆。

124 :世界@名無史さん:2011/01/11(火) 10:42:24 0
オスマン人はオスマン1世の子孫でなければならない。

125 :世界@名無史さん:2011/01/11(火) 12:00:43 0
>>124
なんで?

126 :世界@名無史さん:2011/01/12(水) 18:17:00 0
age

127 :世界@名無史さん:2011/01/15(土) 18:13:55 0
age

128 :世界@名無史さん:2011/01/15(土) 19:28:17 0
最近、過疎っているな。

スレの話題、質を保つためにも、
和文や欧文で書かれた専門家のまともな研究文献に基いて議論をするようにしないと。
大学、研究機関に所属している方には、
オスマン史に関する和文・欧文の文献を頑張って紹介してもらいたい。
このスレでの議論に参加する人には、>>2-3で紹介されている文献を
いくつか読んで基礎知識を身につけてもらいたい。

129 :世界@名無史さん:2011/01/15(土) 19:40:11 0
オスマン好きは多くないし、西欧厨もビビッて近付かない
ギリシャ厨は複雑な心境、まあ過疎るわな

130 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/15(土) 19:58:14 0
>>129
僕はオスマン厨でなおかつギリシャ(というかビザンツ)、
好きだったりするけどこういうタイプは少ないのかな?

131 :世界@名無史さん:2011/01/16(日) 22:12:47 0
1727年にボンヌヴァルというフランスの軍人がトルコに亡命して
イスラムに改宗して死ぬまで20年間トルコで過ごしてオスマン・トルコ
の砲兵隊の近代化に尽力してそのおかげでオスマン・トルコ軍は一時かなり
強化されて、幾つかの局地的勝利を得て、ベオグラードを奪還したりしている。


132 :世界@名無史さん:2011/01/16(日) 22:18:02 0
ポーランドは1621年に2倍以上のトルコ兵を打ち破る程
かなりの強力な陸軍をもってた


133 :世界@名無史さん:2011/01/16(日) 22:27:05 0
またポーランドキチか

134 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/16(日) 22:28:03 0
>>131
1727年というと西欧かぶれの傾向が強かったアフメト3世の時代だしね。
この頃からオスマン帝国が後に行なう事になる西欧化が萌芽していた。

>>132
この頃のポーランドはかなりの強国だったからね。後の、
第2次ウィーン包囲でもポーランドの活躍は大きかったし。

135 :世界@名無史さん:2011/01/18(火) 14:41:28 0
単なる歴史好きの一般人が論文よむにはどうすればいいのか?
とりあえず金がないのでネットでなんかねえの

136 :世界@名無史さん:2011/01/18(火) 15:08:20 P
学生なら結構無料で見れたようなCiniiで

137 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/18(火) 16:42:00 0
>>135
ネットで公開してるのもあるし、大きめの図書館とかだと置いてあったりするよ。

138 :世界@名無史さん:2011/01/18(火) 16:56:52 0
Ciniiって一般人がみようとしたらどうすればいいの ここで質問すべきではないかもしれないが、
一般人だと論文読もうにも手段がないしな 1万以上かかるなら諦めるわ。
趣味でやっていて研究とかではないんで。

139 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/18(火) 17:24:12 0
>>138
スレチだからsageるけど普通に金払えば読めたと思うよ。無料なのも結構あるし。

140 :世界@名無史さん:2011/01/22(土) 21:18:47 0
オスマン・トルコに代表されるイスラム帝国の偉大さは世界地図を見れば明らか
統治地域のほとんどが現在砂漠になってるから、アフリカなんかきれいに北側だけが砂漠地帯w

141 : ◆axCVsGomao :2011/01/23(日) 07:50:58 0
オスマンが征服した当時のカイロは穀倉地帯でもあるし
交易の重要拠点でもあった

142 :世界@名無史さん:2011/01/23(日) 08:13:06 0
今でもカイロは穀倉地帯で交易の重要拠点だろw

143 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/23(日) 08:15:56 0
>>140
オスマン帝国領の北アフリカは領有してたの北のほうの地中海沿岸だけでしょ。
それより南は砂漠地帯だから持っててもあまり意味ないし。アラビア半島も同じ。
それにオスマン帝国の中心はアナトリアとバルカン半島だから砂漠地帯じゃない。
エジプトも>>141の言うようにナイル河畔は豊な穀倉地域だし砂漠だらけではないよ。

144 :世界@名無史さん:2011/02/06(日) 18:41:05 0
>>143
【世界史板】オツガイ◆EAbyJft1LY
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/tubo/1296106237/

145 :世界@名無史さん:2011/02/06(日) 21:13:12 0
知識の無い低質がぐぬぬのあまり個人攻撃スレ立てちゃったのかw

146 :世界@名無史さん:2011/02/07(月) 00:13:22 0
スペインやポルトガルが、中南米やインドに進出しようとしていたころ、
なぜオスマンは真似て同じことをしなかったのですか。
地中海から大西洋に出られたし、インドは地続きだしペルシャ湾から出れば
航路も短く圧倒的に有利だったと思うのですが。

147 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/07(月) 06:15:26 0
>>146
単純に興味がなかったからじゃないの?すでに地中海の制海権を握ってたから、
新たな交易ルートを開拓する必要性がなかったんだと思う。まぁ、オスマン帝国だって、
紅海にやってきたポルトガルを追い払うぐらいのことはしてるんだけど。

148 : ◆axCVsGomao :2011/02/07(月) 06:45:36 0
オスマンは東西交易でウハウハだし
地中海交易の要所もおさえてるから大西洋進出する必要が全く無かった

149 : ◆axCVsGomao :2011/02/07(月) 06:51:58 0
イベリア半島の後ウマイヤ朝が存続していたら
新大陸発見したのはイスラム勢力だったかもしれん

グラナダ陥落は象徴的な出来事だった

150 :世界@名無史さん:2011/02/07(月) 14:05:44 0
大西洋進出なんて当時じゃほとんどバクチだからな


151 :世界@名無史さん:2011/02/07(月) 14:19:34 0
>>148
グラナダ陥落は新大陸発見の年じゃなかったっけ
その後でも別にモロッコなら大西洋進出も地理的に可能だし
グラナダ陥落の半世紀前にはポルトガルが既にアゾレス諸島に到達してた
イスラム勢力がイベリアに存続したとしても
少なくとも16世紀には大西洋に進出するシナリオは難しいな

152 :世界@名無史さん:2011/02/07(月) 14:36:52 0
イスラムには大航海時代みたいな冒険フィーバーがなかったからな
イスラムのネットワークにしても基本的に商人が既存の交易路をつなげて拡大しましたって感じだし

153 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/07(月) 16:48:57 0
>>152
イスラムにとっては初期の大征服が大航海時代みたいな冒険フィーバーだったのかも。
田舎者のアラブ人があれだけの先進地域を短期間で征服できたのだから。16世紀の、
オスマン帝国などが出来たころはそこまでの冒険をしなくても地中海で事足りたからね。

154 :世界@名無史さん:2011/02/07(月) 16:51:30 0
オスマンの中心から大西洋とインド洋は遠いってのもあるな

155 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/07(月) 16:59:41 0
>>154
それもあるね。イスタンブルから大西洋やインド洋に行くのは遠すぎる。
同じイスラーム圏でもオマーンなんかはかなりインド洋に進出してた訳だし。

156 :世界@名無史さん:2011/02/07(月) 17:02:51 O
大航海時代、オスマン帝国は新大陸の存在を認識してたのか?

157 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/07(月) 17:11:53 0
>>156
さすがに新大陸があったことくらいは分かってたと思うけど。
スペインなどの西欧諸国との交流は普通にあった訳だし。

158 : ◆axCVsGomao :2011/02/07(月) 20:37:51 0
東南アジアとインドまでの交易を独占していたわけで
わざわざ大西洋に進出する必要性がないし
喜望峰周りの海路で行く必要もないわけで

159 :世界@名無史さん:2011/02/07(月) 20:41:23 0
>>156
セリム1世時代の海軍提督、ピーリー・レイスの地図には新大陸がちゃんとあるぜ

160 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/07(月) 20:49:23 0
>>159
あぁ、そういえばピーリー・レイスの地図があったね。忘れてたよ。
確か、現存するアメリカ大陸の載ってる最古の地図なんだっけ?

161 :世界@名無史さん:2011/02/07(月) 21:03:41 0
>>158
けどモロッコは言い訳できんな

162 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/07(月) 21:10:40 0
>>161
サアド朝モロッコはあれはあれでソンガイ帝国を征服したことによりサハラ交易で、
潤ったから良いんじゃないかな?ていうか、ポルトガルやスペインやオスマンに、
周りを囲まれた状態の当時のモロッコに外洋に出ろというほうが無茶な気もする。

163 :世界@名無史さん:2011/02/07(月) 21:45:06 0
>>161
モロッコは乾燥地域で、スペインやポルトガルみたいに森林資源豊富じゃないんですよ

164 :世界@名無史さん:2011/02/07(月) 21:57:08 0
スペインは荒地だらけだけどな

165 :世界@名無史さん:2011/02/07(月) 22:02:24 0
>>164
スペインで荒地だらけになるならモロッコは全土が人の住めない砂地だよ

166 :世界@名無史さん:2011/02/07(月) 22:04:48 0
ていうかスペインもポルトガルも乾燥地域
それに森林資源が豊富じゃないアルジェにも大艦隊はあったよ
どうしても足りないなら西アフリカ産の金で船を購入すればいいだけ
>>165
なにげにモロッコバカにしてね


167 :世界@名無史さん:2011/02/07(月) 22:53:40 0
スペインとポルトガルが乾燥地域ならモロッコは水分が一切存在しない神秘の土地だろ
実際は全土で降水の乏しいモロッコと違ってモンターニャやバルセロナの森林資源豊かな都市で船舶建造してるし
アルジェの艦隊は現地建造じゃなくオスマン本土からの回送でしょ

168 :世界@名無史さん:2011/02/08(火) 00:27:50 0
オスマンはアルジェにもともといた海賊を艦船や人員まるごと配下にしただけ
モロッコはポルトガルとは敵対、スペインとは友好、オスマンとはやや距離おいた外交だからね
スペインかオスマンや造船業が盛んなネーデルラントから船を購入することが可能だよ
当時の商業・産業は国際化が進んでたから自分で作らなくてもよそで買えば済む
アルジェの海賊もどうせヨーロッパで船供給してたんじゃないか




169 :世界@名無史さん:2011/02/08(火) 01:09:20 0
バルバロッサは何度かスレイマンから艦船供給されてるよ

170 :世界@名無史さん:2011/02/08(火) 01:28:31 0
けど少なくとも初期の頃はオスマンからの供給がなくても艦船を保有していたことは確かだよ

171 :世界@名無史さん:2011/02/08(火) 01:30:35 0
それに外洋に出るのにそんな大艦隊なんていらんし

172 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/08(火) 06:24:00 0
>>169
彼は海賊出身とは言えオスマン海軍の提督になってるんだから例外じゃないか。
オスマン帝国が征服する前(ザイヤーン朝)からアルジェには海賊がいた訳だし。

173 : ◆axCVsGomao :2011/02/08(火) 08:00:48 0
モロッコはブラックアフリカと交易していたから
大西洋に進出する意味があまりないから

174 : ◆axCVsGomao :2011/02/08(火) 08:01:34 0
初期イスラム帝国ならば勢いで大西洋まで行ったかもしれんけど

175 : ◆axCVsGomao :2011/02/08(火) 08:04:40 0
ブラックアフリカ インド 中国 東南アジアと交易路をすべて
イスラムが抑えていたわけですよ

ブラックアフリカは南下しても蛮族の地だからわざわざ植民しようと思わんかっただろうし
インドや中国は豊かな国なんだから交易は東を目指すだろう
わざわざ大西洋いくメリットが全く無い


176 :世界@名無史さん:2011/02/08(火) 09:23:43 0
>>163 >165
話そらしてみっともないなコイツw

177 :世界@名無史さん:2011/02/08(火) 12:01:46 0
はぁ?ポルトガもブラック・アフリカに植民なんかしていないよ
交易拠点作ってるだけじゃん
しかもそれで結果的に莫大な利益上げてるわけだし
イスラム信者のイスラム擁護がひどすぎw
>>ブラックアフリカ インド 中国 東南アジアと交易路をすべて
>>イスラムが抑えていたわけですよ
これも言いすぎもっと拡大する余地があった
じゃなきゃ西欧勢がアフリカやアジアに進出はしない


178 :世界@名無史さん:2011/02/08(火) 12:23:58 0
実際モロッコは大航海時代以前の中世にカナリア諸島やマデイラ諸島に進出するチャンスはいくらでもあった
それをしなかったのは未知の産物を発見して市場を新たに開拓・拡大するって発想がとぼしかったんだよ
ようするに既存の市場しか見てなかったんじゃないのかな
マデイラとればサトウキビでウハウハだったのにな


179 :世界@名無史さん:2011/02/08(火) 16:38:45 P
モロッコは森林資源が乏しいから、じゃぶじゃぶ木材使って船造れないんですよ

180 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/08(火) 17:38:23 0
>>178
スペインやポルトガルが進出する前のカナリア諸島やマデイラ諸島には、
ベルベル人が普通にやって来てたと思うけど。新大陸発見前のそんなに、
大西洋の重要性が大きくなかった時代のモロッコにとって、そんなところを、
ちゃんと実効支配する必要ないだろうし。サハラ交易だけで満足だったと思う。

181 :世界@名無史さん:2011/02/08(火) 18:43:03 0
そこで満足したから駄目だったんだな


182 :世界@名無史さん:2011/02/08(火) 19:15:26 0
オスマンの衰退ぶりに笑い止まらねえwwww
こんな国は滅んで当然 オスマン帝国大っ嫌いだ


183 :世界@名無史さん:2011/02/08(火) 19:55:20 0
もうとっくに滅んでますけど

184 :世界@名無史さん:2011/02/19(土) 13:43:47 0
age

185 :世界@名無史さん:2011/02/25(金) 05:04:37.92 O
かつては強大だったオスマンが衰退して惨めに滅亡したように、
今の日本も同じ時期に差し掛かっていると思うとすごく哀しい
中国韓国は何となく見下していたけれどホントに追い抜かれるだろ
ポーランドの如く米中露韓に分割されて滅ぶんじゃなかろうか
死にたい

186 : ◆axCVsGomao :2011/02/25(金) 06:56:58.03 0
オスマン衰退の決定打は交易路を欧州におさえられたこと
欧州が新大陸を発見できずに喜望峰も見つけられなかったら
いまだにイスラム圏が圧倒的優位だった

日本は極東アジアが経済発展したらいずれはこうなる運命だったでしょ


187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 15:14:25.85 0
>>186
>オスマン衰退の決定打は交易路を欧州におさえられたこと

ユーラシアの東西を通る交易路は西欧におさえられたかもしれんが、
黒海、カフカースなどの南北の交易路は、長い間オスマン帝国がおさえていただろう。

坂本勉「中東イスラーム世界の国際商人」『岩波講座世界歴史15』(岩波書店、1999年)
などを参照せよ。

南北の交易路の重要性については、オスマン帝国史研究者ハリル・イナルジクも
『An Economic and Social History of the Ottoman Empire 1300-1914』
(Cambridge, 1994)で指摘している。
永田雄三「イナルジク」尾形勇ほか編『20世紀の歴史家たち(4) 世界編 下』
(刀水書房、2001年)を参照。

188 : ◆axCVsGomao :2011/02/25(金) 15:19:34.59 0
インドや東南アジアや中国の産品を
高値で欧州に売りつけるのがイスラム商人の儲けだったわけで

189 :世界@名無史さん:2011/02/25(金) 15:22:25.25 0
>>186
21世紀どころか、この500年の間に新大陸が未だ発見されないとか、喜望峰に到達していないなんてタラレバ話して空しくならんの。
遅れてきたロシア世界ですら、大西洋方面には関われなかったが、アラスカはおろか、ロサンゼルスまで砦作っているんだぜ。
その気になれば旧大陸側からでもアクセスできたず。広東までアラブ商人が進出していながらもできなかったのはやる気がなかったから。
大体、胡椒や丁子貿易しにマルーク諸島までヨーロッパ勢力が進出している時点でもうかなりヤバイ雰囲気しているんだが、トルコも
ムガルも何もしてねーし 現地のイスラム勢力に手を貸してやれよw


190 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/25(金) 16:59:03.72 0
個人的にオスマン帝国が衰退したと言うよりは西欧世界が東西交易などによって、
発展しすぎたから相対的にみてオスマン帝国が衰退したと言った方が良いと思う。
まぁ、国内の官僚たちの腐敗などある程度はオスマン帝国自身の衰退もあるけど。
交易による経済的衰退も一因ではあるけど、それだけじゃオーストリアやロシアなど、
特に海外に進出してない国家にまで軍事力で負けた理由が説明つかないからね。

>>189
別にイスラーム国家だって全然一枚岩じゃないよ。当時のオスマン帝国にとって、
わざわざマルーク諸島まで行ってヨーロッパ勢力と戦うメリットなんか全くないし。

191 :世界@名無史さん:2011/02/25(金) 17:03:40.55 0
何度も既出だが、モロッコ方面から進出しようとおもえばできた やらなかったオスマンの自業自得

192 :世界@名無史さん:2011/02/25(金) 17:08:45.37 0
スペインがフィリピンに進出していたとき、すでに南方ではモロ族(つーても雑多な民族の総称でモロ族というのはムーア人(色が黒い異教徒程度の区分でしか無い))がイスラム化されていた。
勇猛で近代になっても屈服させられなかったが、海洋進出の発想がなかった。 そういう発想がもしあれば中国あたりからどんどん文明発展させてフィリピン統一 マザランやスペインの侵入に
刺激受けて新大陸進出という目もあるいはあったかもしれんがなー どこもそんな発想ナッシング 
むしろヨーロッパ人の征服欲・探検欲・コンキスタドールやイタルゴの展開があの時代でははやすぎたわな。 

193 :世界@名無史さん:2011/02/25(金) 17:09:26.78 0
>>190
誰も一枚岩なんていってない。お前嫌われているよ気づけよ。 

194 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/25(金) 17:17:15.66 0
>>191-192
オスマン帝国以外にもムガル帝国や清だって海外進出はしてないからね。むしろ、
西欧があんなに早く海外進出したことのほうが異常だと個人的には思う。だからこそ、
オスマン帝国の衰退と言うよりは西欧の発展と言ったほうが実態に合ってる気がする。
まぁ、オスマン帝国は海外進出する必要がもともと大してなかったというのもあるしね。

>>193
だって>>189のレスを読む限り同じイスラーム国だから、オスマン帝国やムガル帝国は、
マルーク諸島のムスリムたちを助けるべきだと言ってるように読めるんだもの。だから、
別にイスラームだって一枚岩じゃなく、特にメリットがない限りは助けないでしょと言った。

195 :世界@名無史さん:2011/02/25(金) 17:43:23.69 0
政治的意図があったとはいえ、レコンキスタ運動がキリスト教圏でやられたような行動を
イスラム世界では放置していたからな。マラッカ海峡の欧米の侵略なんか何世紀も
かけて20世紀になってようやくオランダが制圧したというのにイスラム国家の大半は知らん顔
していた。

オスマンのウィーン包囲持もキリスト教圏は団結して対処したが、イスラム系国家はそういう
ことをほとんどしない。近代になって欧米のあいつぐ侵食・支配下の遠因はそういう体質が
積みかさななってのことだ。 交易益がイスラム諸国家の生命線なら地中海の制海権同様に
注意深く権益を維持すべきであった。

196 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/25(金) 18:08:38.31 0
>>195
ウィーン包囲の時だってフランスなんかはオスマン寄りだったけどね。イスラーム圏も、
キリスト教圏も決して一枚岩ではないよ。同じ宗教の者同士が団結して戦うというのは、
聞こえは良いけど現実的ではないでしょ。西欧諸国だってお互いに戦争し合いながら、
発展していった面もあるんだし。具体的に考えても、当時のオスマン帝国がわざわざ、
遠く(マラッカ海峡など)まで兵を率いて、ヨーロッパを追い出すなんて有り得ないしね。
あまりにもコストがかかりすぎる上に、大してメリットはないから。交易圏の確保だったら、
紅海とイスタンブルと東地中海さえ持ってたら最悪平気だし。オスマン帝国はオランダや、
ポルトガルみたいに決して交易中心の国という訳でもないからね。レヴァント交易などで、
儲けてたとは言え、基本的には自国領からの税収が国家の主な収入だし。

197 :世界@名無史さん:2011/02/25(金) 20:10:40.63 0
>>195
ウィーン包囲の頃のフランスは西欧のキリスト教国よりオスマンべったりなんだけど

198 :世界@名無史さん:2011/02/25(金) 22:10:23.85 0
>>196
俺ムガル帝国もあげているんだけど無視ですか。
オスマンだけ挙げている理由は何?自説に有利だから?
俺は別段宗派・宗教ごとの大義を説いてなどいないんだが。
オスマンが衰退しないようにするにはどうしたらいいかというIFに対して
一つの解決案を提示しただけ あんたの独演会など聞いては居ない。

>>197
ポーランドやドイツ系の援軍がトルコに対抗してきたけどね。
そもそも、ブルボン家はハプスブルク家が異教徒に包囲されているって?w
ざまあwwwwwww みたいな魂胆があったしな。
だからと言って別段オスマンに援軍送ったわけで無し、両方消耗してろって感じだろ


199 :世界@名無史さん:2011/02/25(金) 22:22:03.28 0
フランスは毎度とは言わんがオスマン軍に資金や物資援助したりしてるけど

200 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/25(金) 22:25:51.04 0
>>198
ここオスマンスレだからムガル帝国はスレチになるし、そもそも僕自身が、
ムガル帝国についてはあまり詳しくないし。で、衰退しないためのIFとして、
その解決策は(ムガル帝国はともかく)少なくともオスマン帝国に関しては、
あまりにも無茶だと思うよ。その理由は、さっきから何度か述べてることの、
繰り返しになるからもう言わないけど。ムガル帝国はどうだか知らないけど。

201 :世界@名無史さん:2011/02/25(金) 23:51:04.62 0
世界史板は【学問・文系】に分類されているんだから、
「もし○○だったら」というif話はするな。

また、書き込むときには、専門家が書いたまともな文献を典拠として示せ。

202 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/26(土) 10:12:34.13 O
>>201
確かに、IF話は板違いだね。そもそも、その前提であるオスマン帝国の遠征云々の話自体がおかしいしね。
まぁ、IF話に出典とかある訳ないし。話題を変えたほうがいいかな。

203 :世界@名無史さん:2011/02/26(土) 19:10:14.74 0
スレイマン以後のスペインやサファビー朝への敗北はオスマン帝国の衰退だろう
ホティン、サンゴタール以後のヨーロッパへの連戦連敗は欧州の発展によるな
18世紀にロシアに連敗したのはキョプリュフ時代の失政とピョートルじゃ改革の差だな

決定的だったのが政治、軍事でなく、技術科学面で全く生み出すものがなかったこと
イスラムとシャーリアを捨てない限りは衰勢は覆せなかったんだろうと思ふ

204 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/26(土) 20:15:35.32 0
>>203
スレイマン1世死後(特に16世紀末から17世紀前半まで)はオスマン帝国の国内情勢が、
不安定だったから、この時の劣勢は確かにオスマン帝国自体の衰退と言えるだろうね。
まぁ、とは言え当時のオスマン帝国はまだまだヨーロッパの強国の1つではあったから、
この時点での衰退は決定的な原因とは言えないかな。その後、キョプリュリュ時代になり、
少し立て直してるし。17世紀後半(特に第2次ウィーン包囲)からの劣勢はまさに西欧の、
急速な発展が原因と言える。これ以降、ヨーロッパ諸国のオスマン帝国に対する優位が、
決定的になったから、このことがオスマン帝国の衰退の決定的な原因と言えるだろうね。
その後のロシアに対する連敗も重病人化も基本的には西欧の急速な発展が原因だし。

>決定的だったのが政治、軍事でなく、技術科学面で全く生み出すものがなかったこと
>イスラムとシャーリアを捨てない限りは衰勢は覆せなかったんだろうと思ふ
科学面においてオスマン帝国が目立たないのは認めるけど、その原因をイスラームや、
シャリーアに求めるのは違うと思う。もし、それらが原因だとすると、イスラーム科学が、
中世において発展した理由が説明つかないし。個人的にイスラーム科学衰退の原因は、
前に世界史なんでも質問スレで言われてた神秘主義の影響にあると思ってるんだけど。

205 :世界@名無史さん:2011/02/26(土) 20:43:39.81 0
>>204
>神秘主義の影響にあると
ここ物凄く興味あるんで、詳細希望

206 : ◆axCVsGomao :2011/02/26(土) 21:47:34.94 0
モンゴルと十字軍とティムールが都市を破壊しまくったから
技術者や学者や学術書がなくなったのも大きい
ティムールなんてシリアの技術者をサマルカンドまで連れ去ったんだろ


207 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/26(土) 22:49:57.58 0
>>205
中世後期辺りからイスラーム圏ではガザーリーなんかに代表されるように、
スーフィズムが一般化してくる。それまでのイスラーム科学は神学とかと、
結構密接に関りながら発展した面があるから、そういう神学的及び哲学的な、
やりとりがスーフィズムの流行によって衰退していったことが主な原因だと思う。

>>206
まぁ、それも一因ではあると思うけどモンゴルだって天文学とかは、
保護してたから、あまり衰退の大きな原因とは言えない気がする。

208 :世界@名無史さん:2011/02/27(日) 08:32:28.77 O
イスラム科学もラテン語訳しか現代に残ってないものも多い
シャーリアじゃ神学以外が蔑まれるからオスマンは学問では不毛、必然的にレパント以後より欧州に勝てなくなった

209 : ◆axCVsGomao :2011/02/27(日) 08:47:21.16 0
イスラム帝国初期は新しいものをどんどん取り入れる気風があったから
神学以外が蔑まれるってことはなかったんだろうけどね


210 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/27(日) 08:49:41.39 0
>>208
イスラーム科学でラテン語しか残ってないものが多いのは、モンゴルが、
バグダードを征服した時に原典の多くが失われたからだと思うんだけど。
シャリーアに原因を求めると中世におけるイスラーム科学繁栄の理由が、
説明つかないから違うんじゃないかな。それに、イスラーム科学は結構、
神学とかと結びついて発展した面もあるんだから、その意見はいささか、
的外れだと思うよ。むしろスーフィズムの流行によって、そういった風潮が、
廃れていったことのほうが原因としては大きい。それならば、中世における、
イスラーム科学の発展の理由も説明つくし。それと、レパントの海戦以後も、
オスマン帝国は何度かヨーロッパに勝ってるから、まだ衰退は決定的とは、
言えないよ。国内の情勢が一時的に不安定だったけど、キョプリュリュ家が、
すぐに立て直したし。第2次ウィーン包囲が境目だと考えるべきだと思うよ。

211 : ◆axCVsGomao :2011/02/27(日) 08:57:01.40 0
バグダードやハッラーンはじめとした科学が盛んな都市が破壊されたからな
その後も十字軍がきて科学どころじゃなかったし
その後はトルコ系が政権を奪ってしまったけど
トルコ系が中東を支配してから科学が衰退した感じもしないでもない

212 : ◆axCVsGomao :2011/02/27(日) 09:01:42.78 0
アイユーブ朝の頃までは明らかにイスラム圏のほうが科学はすすんでいた
アルカーミルとフリードリヒの逸話にもあるように
神聖ローマ皇帝がアラビア語の刺繍がはいった服きてスルタンと文通してたんだからな

トルコ系は尚武の気風が強すぎて科学を軽視したってことはないのだろうか


213 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/27(日) 09:03:30.02 0
>>211
イスラーム圏へのトルコ系の進出とスーフィズムの流行した時期も重なってるしね。
その代わりトルコ系はイスラーム建築においてはそれなりに大きな影響を与えたけど。


214 : ◆axCVsGomao :2011/02/27(日) 09:06:24.19 0
トルコ系がイスラーム建築に影響なんてあたえてないでしょ?
オスマン建築なんてのはローマの影響だし それ以外はペルシアの影響だし

215 :世界@名無史さん:2011/02/27(日) 09:07:51.65 0
遊牧文化だから、テント暮らしを最上とするんかな?

216 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/27(日) 09:08:46.55 0
>>212
誰か(永田雄三氏だったと思うけど)がイスラーム文化におけるトルコ人とアラブ人の、
関係はローマ人とギリシャ人の関係に似てると言ってた気がする。学問や思想面では、
アラブ人(ギリシャ人)が優れてて、それらを後からやって来たトルコ人(ローマ人)が、
建築などの実用的方向で発展させたという事らしい。オスマン建築は優れてるの多いしね。

217 : ◆axCVsGomao :2011/02/27(日) 09:08:47.90 0
イスラム世界からカリフが消えたことで神学的にも混乱が生じて
本来科学の研究に使われる労力が神学研究に使われたのかもしれない

モンゴルの襲来は神の罰だとか、そういうことを延々と研究してたのかも


218 : ◆axCVsGomao :2011/02/27(日) 09:10:16.52 0
>>215
ティムールもテント暮らししてたからねえ

イスタンブールのトプカプ宮殿も広大なオスマン帝国の宮殿としては
かなりあっさりしている印象ある

219 : ◆axCVsGomao :2011/02/27(日) 09:11:48.77 0
オスマン建築はコンスタンティノープルを征服したことで
東ローマの建築文化を取り入れることができただけであって
トルコ系遊牧文化の影響ってほとんど無いと思うんだけど
アヤソフィアの真似だからなアレは

220 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/27(日) 09:12:50.10 0
>>214
影響と言うよりは、トルコ系は建築方面の発展に関しては結構力を入れてたという意味。
ティムール帝国やサファヴィー朝やオスマン帝国などトルコ系の王朝はどれもこれも、
建築に関しては結構優れたのが多い。科学よりもそっちに興味があったんじゃないかな。

221 : ◆axCVsGomao :2011/02/27(日) 09:13:44.58 0
紫禁城 ベルサイユ宮殿 ルーブル美術館(フランスのかつての王宮)
トプカプ宮殿と生で見たことあるけど
実際住むならトプカプ宮殿がいいなあと思うね

222 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/27(日) 09:15:55.39 0
>>218
その一方でティムールはサマルカンドの建築をかなり発展させてるけどね。
建築におけるトルコ系文化の影響は薄いかも知れないけど、トルコ系は、
建築の発展などに対して、パトロン的立場にいたんじゃないかなと思う。

223 : ◆axCVsGomao :2011/02/27(日) 09:18:09.11 0
サマルカンドの建築物なんてのは
中東の技術者を連れ去ってつくったもんだろ

はっきりいってトルコ系政権がつくった建築物って繊細さがかけているんだよな
アルハンブラ宮殿のほうが建築物のレベルとしては上だと思うけどね

224 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/27(日) 09:24:41.09 0
>>223
だから、トルコ系はそのように中東の技術者を集めて建築物を作らせるぐらい、
建築の発展には興味あったんだよね。科学とは違って。ミマール・スィナンなど、
有名な建築家もいるしね。繊細さに欠ける気がするのはやはり遊牧民だからかな。

225 : ◆axCVsGomao :2011/02/27(日) 09:25:48.63 0
オスマン建築のドーム型のモスクは素晴らしいと思うけどね
アヤソフィアの真似だけど

226 : ◆axCVsGomao :2011/02/27(日) 09:27:11.95 0
アルハンブラ宮殿は都市文化に浸ったアラブ人の文化って感じが伝わってくるんだよね


227 :世界@名無史さん:2011/02/27(日) 09:41:54.35 0
冶金技術もオスマンの方が進んでたよね
マスケットもアナトリア起源だし、火器や大砲の生産と利用も同じく進んでた

228 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/27(日) 10:12:06.69 0
>>227
そうなんだよね。>>216でも言ったようにトルコ人たちは学問や思想なんかよりも、
建築や火器などの実用的な面における発展のほうが興味あったという事なんだろう。

229 :世界@名無史さん:2011/02/27(日) 10:49:28.21 0
http://www.balkanalysis.com/2005/08/27/guns-for-the-sultan/
これ読むと大量のヨーロッパ人技師を雇ってたみたいだな
特にトルコ語は鉱山関係の語彙はドイツ語とギリシャ語が多いとか

230 :世界@名無史さん:2011/02/27(日) 11:03:16.49 0
>>227
>>マスケットもアナトリア起源だし
ソースは?海外WIKIだと1440年代からハンガリーから取り入れたとあるぞ
ソース元はNicolle, David (1995). The Janissaries. Osprey. pp. 21fだって


231 : ◆axCVsGomao :2011/02/27(日) 15:21:09.51 0
神器譜(しんきふ)
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%A5%9E%E5%99%A8%E8%AD%9C/

 豊臣秀吉(とよとみひでよし)の朝鮮出兵において、日本軍の鉄砲に悩まされた中国軍を援助するため、
趙士禎(ちょうしてい)が著した中国の鉄砲解説書。彼は?密銃(ろみつ)銃(オスマン・トルコの銃)を第一等に推し、
次に西洋銃(ポルトガル銃)をあげており、?密銃についてもっとも詳しく説明している。なお本書は、藤井宏(ひろし)の説によれば、
1598年から1603年以降にかけて四度にわたって成立し、四度目のものが国立公文書館所蔵の五巻本『神器譜』であり、清水正徳(まさのり)校、
1808年(文化5)刊の和刻本はこのほぼ忠実な翻刻本であるとのことである。

232 :世界@名無史さん:2011/02/27(日) 15:42:59.38 0
それ起源じゃないし
後ポルトガルがアジアにもっていったのは猟銃

233 :世界@名無史さん:2011/02/27(日) 15:47:50.53 0
つか確かその時期オスマンはオーストリア軍の装備の影響を受けて
装備を新式に一新してるんだよね


234 :世界@名無史さん:2011/02/27(日) 20:44:09.46 0
カラ・ムスタファ哀れなり。

235 :世界@名無史さん:2011/02/27(日) 21:16:19.85 0
>>230>>232
そのソースが腐ってるだけだろ
神器譜には、マスケットの鳥銃は最初西洋銃を西南地方で某将軍が手に入れ
後に魯密番銃を朶思麻から譲り受けたとあるが、マスケットの起源は魯密だとしてる

ポルトガル人がアジアに持って来たのが猟銃、という事実は無い
あんな馬鹿デカい猟銃があってたまるかw

236 : ◆axCVsGomao :2011/02/27(日) 21:46:30.98 0
オスマンの銃といってもつくってるのは
欧州の技術者なのかもしれないけどね

237 :世界@名無史さん:2011/02/27(日) 22:22:09.87 0
西欧の銃といってもつくってるのはオスマンの技術者なのかもしれないけどね
ハンガリーは欧州の中で東部に位置してるしね
火器も火砲も東方伝来だから新機軸に触れるのも早かっただろう

238 :世界@名無史さん:2011/02/27(日) 22:39:23.16 0
オスマンにとっては、露土戦争でロシアにクリム・ハン国の宗主権を奪われた
というのはかなりショックだったのかな。


239 :世界@名無史さん:2011/02/27(日) 22:39:56.11 0
うそつけ、だいたい16世紀の中国人が正確な情報わかるわけないだろ
それに13世紀に火器がヨーロッパに火器が東方から入ってきた時点ではハンドキャノンといって原始的な火器だ
マスケットとは言わない、マスケットの最初の使用例はフス戦争だ






240 :世界@名無史さん:2011/02/28(月) 00:04:51.65 0
>>239
火砲と銅火銃の誕生はどちらも南宋末元初、火縄を使わず不便ではあっても原始的とは到底言えない
フス戦争で使われたのは、239が言う所のより原始的な火器でマスケットじゃない

241 :世界@名無史さん:2011/02/28(月) 00:12:56.34 0
マスケットはハンドキャノンも含めるらしいから相当広い意味だ
火縄銃に限定していうと上の通り英語版WIKIで1440年代にハンガリーからってのがある
ソース元は日本語でデイビッド・ニコル「オスマン帝国の軍隊」だね
日本語版WIKIはアナトリア起源とあるけどソースなし

242 :世界@名無史さん:2011/02/28(月) 01:08:39.72 0
火銃よりも性能で劣り登場年代でも遅いハンドガンとやらを
マスケットの最初の使用例と断言する時点でお察し
>>241
見当たらんなあ、1475年ってのはあるけどあくまで欧州での初見としか書かれてない

243 :世界@名無史さん:2011/02/28(月) 01:34:17.50 0
よく読めよ
The Janissary corps of the Ottoman army adopted matchlock arms from Hungary gradually from the 1440s onwards
The matchlock appeared in Europe in the mid-15th century, although the idea of the serpentine appears some 40 years previously in an Austrian manuscript
1400年ぐらいにいわゆる火縄銃の形状に似たものがオーストリアで出てきたってこと
1475年にはじめて火縄銃のメカニズムのイラストが確認できるってこと、
まぁ起源どうこうより西洋勢が火器技術で先いっててオスマンが参考にしてたのは確かだ
guns for sultanではウルバンも当然だが、16世紀にはスペインの亡命ユダヤ人やモスリコ達がスペインの火器技術をもたらして
セリム1世が喜んだと書いてあるし、「オスマン軍の軍隊」では1602年にオスマン将校が火器の充実したオーストリア軍との苦戦で
騎兵の無力さを嘆いてる、それをきっかけに新装備を導入してイニチェリの火力を強化・主力化、イニチェリの社会的地位の上昇などなど



244 :世界@名無史さん:2011/02/28(月) 01:35:39.43 0
それとマスケットに関しては後で調べて整理し直したんだよ
お前もマスケット=火縄銃と勘違いしてただろ、それにつられた

245 :世界@名無史さん:2011/02/28(月) 02:27:49.61 0
>>243
いや、おまえこそよく読めよ
火縄銃の形状に似たものでいいなら明初に既にあるから、撃発機構は無いけどな
1475年にしてようやく図が確認できるだけで実物は出てない
火砲もティムール軍は攻城用の物を使用してるのに対して、西欧では15世紀中頃にやっと野戦用小火砲
火器の技術はアナトリアや中央アジア経由で欧州東部を経て西欧に伝わったものだし
そもそも16世紀後半の段階でイェニチェリの火器に押されてるのがスペイン勢

246 :世界@名無史さん:2011/02/28(月) 02:38:56.01 0
またソースなしか
じゃオスマンの図はいつ出てくるんだよ


247 :世界@名無史さん:2011/02/28(月) 02:40:35.05 0
>>火器の技術はアナトリアや中央アジア経由で欧州東部を経て西欧に伝わったものだし
だからそれは13世紀の話、時期がずれてるって
>>そもそも16世紀後半の段階でイェニチェリの火器に押されてるのがスペイン勢
レバントで負けましたね


248 :世界@名無史さん:2011/02/28(月) 03:42:54.95 0
訳間違ってた、火縄銃に形状が似てるんじゃなくて
サーペタイン方式は最初の火縄銃そのものだな、それがオーストリアの書籍に1400年ぐらいにのってるとある
サーペタイン=蛇だから、長細い形状かと思ったが全然違ったね
http://arms.cybrary.jp/db/fire/gun/serpentinelockgun.html


249 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/28(月) 05:49:19.48 0
>>238
クリミア・ハン国はイスラーム圏でなおかつトルコ系の国家だったからね。今まで、
喪失してた領土は主にキリスト教圏だったから、オスマン帝国にとってはかなり、
悔しいことだったんだと思う。このころから瀕死の重病人と呼ばれるようになったし。

250 :世界@名無史さん:2011/03/05(土) 01:40:22.52 0
wikipediaのオスマン大宰相の記事が増えたらいいなー

251 :世界@名無史さん:2011/03/07(月) 01:39:04.27 0
数年前にクリミアのバフチサライにあるハンサライ(クリミア・ハンの宮殿)に
行ってきたことがあるけど、なんか規模も外観も幼稚園みたいでしょぼかったな。

玉座の間ががらんとした大広間になっていて、端っこに金色の長椅子があった。
「座るな」って書いてあるのに次々に座って記念写真を撮るルースキーども。。。

252 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/07(月) 05:16:19.97 0
>>251
へ〜。僕は行ったことないんだけど意外としょぼいのか。まぁ、長い間ロシアを、
悩ませた国とは言え、所詮はオスマン帝国の属国で大国ではなかったからね。
そんなに豪華な宮殿という訳でもないのかな。遊牧民的要素の強い国家だし。

253 :世界@名無史さん:2011/03/07(月) 14:15:18.63 0
04って大学入試問題の過去問みたいでワロタww

254 :世界@名無史さん:2011/03/07(月) 14:15:23.28 0
04って大学入試問題の過去問みたいでワロタww

255 :世界@名無史さん:2011/03/07(月) 23:31:06.05 0
>>252
ただ宮殿のうしろにあるチュフト・カレっていう岩山は凄かった
石灰岩の崖が延々続いていて、二つの尾根の間が大峡谷みたいになってる

山頂まで登ってみたら、6世紀とか13世紀に建てられた洞窟修道院の遺跡があった
クリミアのハンたちもチュフト・カレを武田の要害山みたいに使っていたらしい

あと、シンフェロポリからバフチサライに行く電車のなかでクリミア・タタールのおばさんと話した
バトゥを誇りに思っているらしい

256 :世界@名無史さん:2011/03/08(火) 00:01:32.93 0
>>252
というか、旧敵国だったから、維持や復元を真面目にやってないということじゃないかな
ソ連時代、属国状態のモンゴルでジンギスカンが、
まだ独立していなかったがウズベキでチムールがタブーだったのと同じ理由と思う。

257 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/08(火) 04:28:19.05 0
>>255
へ〜、チェフト・カレのほうはすごかったのか。要塞みたいなものだしね。
やはり、ロシア内にいるタタール人にとってバトゥは尊敬の対象なんだ。

>>256
なるほど、確かにそっちのほうがありそうだなぁ。ロシアにとってクリミア・ハン国は、
長い間その攻撃に悩まされた敵国だった訳だし。維持や修復に不熱心だったのかな。

258 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/08(火) 04:29:42.74 0
>>257
誤字訂正。
×チェフト・カレ
○チュフト・カレ

259 :世界@名無史さん:2011/03/08(火) 07:02:05.10 0
チンギスやバトゥやティムールや匈奴の扱い見る限り
ソ連やロシアに維持修復する気なんて皆無でしょ

260 :世界@名無史さん:2011/03/08(火) 08:27:28.30 O
クリミアについてはボスポラスやビザンツの文化遺産をしっかりやってほしい
ロシアの平原で少年少女を狩ってイスタンブールで売り払ってた連中はどうでもよい

261 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/08(火) 12:22:15.88 0
>>259
まぁね。でも、現在のクリミア半島はロシアじゃなくてウクライナ領なんだよね。
ウクライナもロシアと同じようにタタールを敵対民族みたいに思ってるのかな?

262 :世界@名無史さん:2011/03/08(火) 17:54:21.80 0
>>251>>255
バフチサライのクリム・ハンの宮殿は廃墟となったが、
ノヴォロシア総督ミハイル・セミョーノヴィッチ・ヴォロンツォフが
発掘調査を行った。

花田智之
「M.S.ヴォロンツォフ研究の視角と展望(1)」『北大法学論集』57巻2号 2006年
を見よ。

263 :エビちゃん親衛隊:2011/03/08(火) 21:58:16.86 0
>>261
なんでイスラム教のトルコがイスラエルと同盟関係にあったのかというと、
突厥つながりなんでしょうね。それがイラク戦争で切れた。
トルコ人はウイグル人とも突厥つながりを感じている。
イスラエルはトルコが反発した場合、突厥つながりなどは簡単に捨てられる。
最近パレスチナにはロシア正教会を建てる入植者が増えてきた。
つまり、ユダヤ化したハザールじゃなくてロシア人そのものが入植してきていると言うことだ。
もはや世界情勢は訳が分からんようになってきた。頭が混乱する。
ところで最近、ロシアの平原で奴隷狩りやった商人の出撃拠点だった
世界遺産の街が水没しかかっているようだ。
今の米英仏スイスの支配層の元々の生業はスラブ(=奴隷狩り)らしいもんな。
スラブの正教徒がパレスチナに移住するとは面白い。ロスケもアホやなー
旧ソ連圏のチェチェンでやめときゃいいのに、わざわざ危険なアラブにまで首突っ込むとはなー
チェチェン紛争にも火に油を注ぐようなもんだ!
大金持ちはスラブ人のアラブ侵略をスイスの山奥で見物する事にするのか。
どんな結果になるんだろう。じろじろ
しかし、欧米の連中も分割するのが好きだよな〜。オスマン帝国を今の国境に分割するだでもう十分だろう?
これ以上分裂させてどうすんだよ。
コソボみたいなちっこい国を世界にいっぱい作りまくる気かよ!オイ!

264 :世界@名無史さん:2011/03/08(火) 22:02:27.40 0
正教徒がパレスチナ・・・
オツガイはこんなの知ってた!?

265 :世界@名無史さん:2011/03/08(火) 22:13:47.94 0
常識じゃん、ロシアのユダヤ人が正教徒貧民をパレスチナへ送って
国軍がアラブ人居住地を不法強制占拠、そこに入植地建設してるのなんて

266 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/09(水) 04:56:49.58 0
>>263
トルコとイスラエルの仲の良さの理由を突厥に求めるというのは新鮮だなぁ。
オスマン帝国時代にトルコは国内のユダヤ人を保護してたし、歴史的にも、
そんなに仲悪くないんだよね、トルコとユダヤの関係って。中東戦争自体が、
そもそもトルコにとっては関係ない出来事だし、アラブの反乱とかのせいで、
汎アラブ主義には好意的感情をもってなかっただろうから、それらの事柄も、
トルコとイスラエルが仲良かった理由として挙げられるかな。まぁ、最近は、
そうでもないみたいだけど、それは単に現首相の意向という感じもするし。

267 :世界@名無史さん:2011/03/09(水) 15:05:12.52 0
ハザール以来1000年の縁なんだね

268 :世界@名無史さん:2011/03/09(水) 20:01:48.69 0
うさんくさい

269 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/09(水) 22:33:53.64 0
>>268
ハザール人が現在のユダヤ人の子孫というのは若干うさんくさい感じがするね。
まぁ、僕自身はそんなに詳しい訳でもないんで断言は控えるけど。まぁトルコが、
ハザール人で突厥つながりだからということを意識してるとしてもそれは確実に、
近代以降だろうね。オスマン帝国時代にユダヤ人を保護したりしたのはまた別の、
理由(スペインとの対抗や国内経済の発展など)だと思う。ただ、どっちにしても、
オスマン帝国時代からユダヤは決して仲の悪い存在ではなかったのは確かだね。

270 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/09(水) 23:23:18.98 0
>>269
誤字訂正。
誤)ハザール人が現在のユダヤ人の子孫
正)ハザール人が現在のユダヤ人の先祖

271 :世界@名無史さん:2011/03/10(木) 18:45:56.77 0
>>251-270
オスマン帝国とロシアの交流の一コマとしては、
プーシキンの「1829年の遠征時のエルズルム紀行」があるよな。

272 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/11(金) 07:48:25.90 0
>>271
プーシキンって血統的にもオスマン帝国と関係があるよね。曾祖父の、
ガンニバルはオスマン帝国から連れてこられた黒人だったからね。

273 :世界@名無史さん:2011/03/12(土) 22:48:49.62 0
>>262>>271-272
ミハイル・セミョーノヴィッチ・ヴォロンツォフはノヴォロシア総督時代に
プーシキンを保護したことでも知られている。

・Удовик В.А.,Кацик В.О
『М.С.Воронцов и А.С.Пушкин
 (M.S.ヴォロンツォフとA.S.プーシキン)』1997
・花田智之
「M.S.ヴォロンツォフ研究の視角と展望(1)」『北大法学論集』57巻2号 2006年


274 :世界@名無史さん:2011/03/17(木) 16:44:50.39 0
>>256
いやもともとそんなもんじゃないのトルコ系は。
というのは前にNHKの特集でトプカピ宮殿のスルタンの寝室が映ってたんだけど
見事にがらんどうのような広い空間にヨーロッパ風の天蓋付ベッドがちょこんと置いてあるだけだったんだよ。
内部は彩色されるらしいけど家具らしいものもほとんどなく殺風景そのものだったよ。
トルコ政府が管理してるものだけにわざと手を抜いているとはかんがえにくいから。
宮殿建築に対して生活空間としてのこだわりがあまりないのかもね。



275 :世界@名無史さん:2011/03/17(木) 17:30:44.63 0
トルコ政府が管理してるものだけにわざと手を抜いている可能性大有りだと思うけど

276 :世界@名無史さん:2011/03/17(木) 17:33:44.41 0
>>271-273
ロシア文学には、ロシアとオスマン帝国の関係を取り扱った作品がけっこうあるよな。

プーシキン『1829年の遠征時のエルズルム紀行』
プーシキン『バフチサライの泉』
トルストイ『アンナ・カレーニナ』
トルストイ『ハジ・ムラート』など。

277 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/17(木) 19:22:52.47 0
>>274
トプカプ宮殿をショボイと思う人は結構いるね。僕自身はそれなりに優れてると、
思うんだけど、まぁそれはただ単に僕がオスマン贔屓だからだけかも知れないし。
ただ、実際にトルコに行って、見た時の感想としてはあまりショボイ印象はなかった。
あくまで僕個人の感想だけど。トルコ系は建築物のパトロン的存在になることは、
あっても、生活空間の場としての建築そのものに対する関心は低いのかもね。

>>275
トルコ政府は歴史遺産の保全に無関心だと良く言われてるからね。いくつかの、
遺跡は現在もいまだに管理が行き届かずに放置されたままの状態らしいしね。

278 :世界@名無史さん:2011/03/17(木) 21:33:29.11 0
俺もトプカプは「しょぼい」とは思わなかった。
あれだけの帝国の王宮にしては質素とは思うけど。
まあもともと遊牧民起源だからねえ。モンゴルなんかと同様、
住居や宗教関連以外の施設に豪華さや精巧さなどを
求めない傾向があったのかもしれない。

>>277
特にグレコ・ローマン以降の遺跡ね…
でも最近はビザンツがらみとかの保全に力入れてきてるみたいよ。
去年の秋に行った時、キュチュック・アヤソフィア(ハギオス・セルギオス・カイ・バッコス聖堂)周辺がえらいきれいになってたし、
ゼイレク・ジャミイ(クリスト・パントクラトール修道院)も補修・整備工事中だった。
ビザンツ建築好きの俺としては好ましい傾向だと思ったw

279 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/17(木) 21:58:08.05 0
>>277
キュチュク・アヤソフィア周辺は確かにきれいだったね。前がどうだったか知らないので、
行った時は取り立てて感じることはなかったけど。ゼイレク・ジャミィへは行ってないから、
補修工事中だとは知らなかったなぁ。僕が去年の夏に行った時は、ハギア・ソフィアが、
補修工事中だったのが印象に残ってる。最近は、トルコ国内でもビザンツ帝国のことを、
自国史の一環として積極的に位置づけようという動きもあるみたいだし、ビザンツ関連の、
遺跡の保全には力を入れてきてるのかな。まぁそれ以外の遺跡はどうだか知らないけど。
オスマン関連のはそもそも現在も使われてるのが多いため遺跡になってるもの自体が、
少ないのだと林佳代子氏が言ってたから、それも少しは関係してるのかも知れないけどね。

280 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/17(木) 21:58:51.49 0
>>279
アンカミスorz
>>277じゃなくて>>278だ。

281 :世界@名無史さん:2011/03/19(土) 00:14:18.92 0
>>276
カフカース出身で、青年トルコ人運動に関係したジャーナリスト、
ミザンジュ・ムラトはハジ・ムラートの息子である。

永田雄三
「オスマン帝国における近代教育の導入:
 文官養成校(ミュルキエ)の教師と学生たちの動向を中心に」
『駿台史学』第111号 2001年

282 : ◆axCVsGomao :2011/03/19(土) 11:04:57.95 0
トプカプ宮殿は実際にみたけどショボイといえばショボイ
生活しやすさを重視した感じがするね
紫禁城とは対極

283 :世界@名無史さん:2011/04/05(火) 11:11:26.66 0
age

284 :世界@名無史さん:2011/04/28(木) 21:35:49.28 0
>>249>>255
ロシアに併合された後のクリミアには、ロシア皇帝が夏を過ごした離宮
リヴァディヤ宮殿が築かれた。

クリミアは1783年にロシアに併合されるが、
オスマン帝国側は長らくクリミアへの主権を主張し続けており、
ロシア皇帝が毎年夏にリヴァディヤ宮殿に訪れるたびに
「彼らを歓迎するための」使節を送っていたそうだ。

Selim Deringil
「The Ottoman Empire and Russian Muslims: brothers or rivals?」
『Central Asian Survey』13(3) 1994

285 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/28(木) 22:41:49.70 0
>>284
やはりそれだけオスマン帝国にとってクリミア・ハン国が、
重要だったっていう事だね。ロシア帝国によってとられた、
領土はいくつかあるけど、イスラーム圏でトルコ系のため、
より特別だったのだろう。ちなみにそれはトルコ共和国に、
変わってからも同じで、僕が読んだトルコの歴史教科書も、
クリミア・ハン国喪失の重要性を強調してた(まぁ結構古い、
教科書だったから現在もそうなのかは確かではないけど)。

286 :記憶喪失した男:2011/04/30(土) 07:39:26.99 0 ?2BP(791)
オスマン帝国最盛期の王「スレイマン一世」で小説書いた。
http://ssstory.net/ssstory/story_day/index.php?search_data=20110430073032227&page_num=1&anthology_name=&poetname=&count=99
世界史最高の名君は「スレイマン一世」で、世界史最大の名場面は「第一次ウィーン包囲」だと思う。

287 :世界@名無史さん:2011/04/30(土) 07:44:34.94 0
第一次ウィーン包囲は非常によくある陳腐な局地戦の1つ。

288 :記憶喪失した男:2011/04/30(土) 07:59:40.55 0 ?2BP(791)
>>287
小説読んだの?
世界史上初めて、世界征服を企んだ神聖ローマ帝国を誅したスレイマン一世の話だよ。

289 :記憶喪失した男:2011/04/30(土) 08:05:57.41 0 ?2BP(791)
>>287
第一次ウィーン包囲とは、世界を征服できると思ったスペイン皇帝のあやまちを
訂正しに行ったスレイマン一世の諫言だよ。

290 :記憶喪失した男:2011/04/30(土) 08:08:33.07 0 ?2BP(791)
小説は原稿用紙4枚ほどの超短編です。

291 :世界@名無史さん:2011/04/30(土) 08:09:01.75 0
>>288
>>287は小説の感想じゃないんだろ

ところで、ウィーン包囲が西欧に衝撃を与えたというが、実態はどれくらいの影響だったんだろうか
東欧世界で対オスマンで再編されたから影響は大きかったんだろうけれど
西欧で具体的な動きが見えないような

292 :記憶喪失した男:2011/04/30(土) 08:14:02.49 0 ?2BP(791)
>>291
影響は小さいだろうね。
結果として、神聖ローマ帝国は守りきったからね。
ヨーロッパをいろんな小さな国に分けて考える人が多いけど、
あそこは要は、ひとつの神聖ローマ帝国なんだよ。
神聖ローマ帝国から独立しているイギリスを除いて、ウィーンが陥落したら、
ヨーロッパは全部、オスマン帝国領になってただろうね。
でも、ならなかった。
歴史にもしが許されるなら、ウィーンが陥落していたら、
世界史はまるでちがうものだっただろうよ。
トルコ人が世界に植民地をつくっただろうね。

293 :記憶喪失した男:2011/04/30(土) 08:22:55.55 0 ?2BP(791)
小説全部のっけてやるよ。

「スレイマン一世」 作 へげぞ

 1494年、スレイマン一世はオスマン帝国で生まれた。元気な男の子で、
二十九歳の父親セリム一世も、我が子の誕生を喜んだ。スレイマン一世は、
父が兄弟たちを次々と殺すのを見ていた。また、かつてモンゴル帝国の侵攻を撃退し、
世界最強といわれたエジプトのマムルーク朝を父セリム一世が征服するのを見ていた。
スレイマン一世は、血気盛んな武人として育った。
 スレイマン一世が生まれた1494年、ヨーロッパでは大航海時代が始まっていた。
1494年に、スペインとポルトガルは世界をニ分割して統治する条約(トリデシリャス条約)を結んでおり、
スペインとポルトガルは世界を征服できるつもりでいた。
 1519年、スペインを出港したマゼラン艦隊は、1522年、
船長フアン・セルバスティアン・エルカーノに率いられ、トニリダート号は、
世界を一周してスペインに帰還した。人類史上初の世界一周であり、
大地が丸い地球であることが確認された偉業であった。
 スレイマン一世も、それに驚愕していた。大地が丸いなど、信じられない。
しかし、スレイマン一世を激怒させたのは、スペインが世界を征服しようとしていることである。

294 :記憶喪失した男:2011/04/30(土) 08:23:21.17 0 ?2BP(791)
 1520年、スレイマン一世は父の跡を継ぎ、オスマン帝国第十代スルタンになっていた。
世界は丸かった。それをスペインは証明した。しかし、だからといって、
スペインに世界支配などさせない。
 激怒したスレイマン一世は、1529年、
スペインの本国である神聖ローマ帝国の首都ウィーンを包囲した。
神聖ローマ帝国の皇帝、ハプスブルク家のカール五世を見に行った。
 これを第一次ウィーン包囲と呼び、世界をニ分割する条約を結んだ神聖ローマ帝国よりも、
イスラムのオスマン帝国の方が軍事力で強かったことを意味する。
大航海時代のヨーロッパは決して、軍事力で世界最強ではなかった。
 スレイマン一世はカール五世に会い、詰問した。
「世界を征服するとは何ごとか! 貴様の善悪を計りに来たわ」
 カール五世は怯えながらも答えていった。
「大地は丸かったのです。それを知れば、人は狂う。我が帝国の進軍も、大地を祝福せんがためです」
 スレイマン一世は、それを聞いて、ウィーン包囲を解いて、軍を引いた。
「確かに大地が丸ければ、人は狂う。神聖ローマ帝国は善なり」
 こうして、神聖ローマ帝国は無事、滅びることなく残り、五十年後には、太陽の沈まぬ帝国といわれた。

295 :世界@名無史さん:2011/04/30(土) 08:26:25.65 0
>>286
小説の感想

最高の名君と持ち上げているのに
血の巡りが悪そうな人物に描かれていて、少し疑問符が……
SSだから単純化させる必要はあったんだろうけど
あの情報量から「世界史最高の名君」の「世界史最大の名場面」と読み取るのはキツイ

まあ、大航海時代がオスマン帝国に与えた影響について勉強したくなったのと
思い入れが強いと暴走してしまって、逆に何が素晴らしいのか他人に伝えるのが難しいということが分かったので良かったです

296 :世界@名無史さん:2011/04/30(土) 08:44:20.31 0
シュレイマンは後継者選びを間違えた・・・

297 :世界@名無史さん:2011/04/30(土) 08:50:09.32 0
フランス王国も神聖ローマ皇帝王国と何の関係も無いし
スペイン王国も結局、神聖〜を分離したし
神聖〜そのものもオーストリアの大部分とハンガリア、モラビアを征服され大分縮小
1つの神聖〜とか意味不明だな

298 :世界@名無史さん:2011/04/30(土) 09:18:26.76 0
かつてフランスやイタリア北部もフランク王国であり、
カール大帝が最初に教皇から皇帝に戴冠されたわけだが、
そうなると後の神聖ローマ皇帝も理念的には全西欧の君主に対して、
上位者としてふるまうことができたの?

あくまで理念上は、皇帝が全西欧の世俗的最高権威者でいいの?

299 :記憶喪失した男:2011/04/30(土) 09:20:59.80 0 ?2BP(791)
>>298 いいんでない?
おれはいいと思ってるよ。
今のところ、否定材料はない。
否定材料は誤差の範囲だ。

300 :世界@名無史さん:2011/04/30(土) 09:26:27.13 0
フランク王国の東西分割と教皇国やその付随国の誕生によって
中世中期には否定されてるよ

301 :世界@名無史さん:2011/04/30(土) 10:04:17.28 0
何か妙だと思ったら
神聖ローマ皇帝=ハプスブルク家としているから妙に感じるんだな

皇帝位は理念上では王権より上位にあるが
ウィーン包囲の時点では、ヨーロッパを一つの神聖ローマ帝国と見るよりも
ハプスブルク家やヴァロワ家、テューダー家などの各君主家の並立と見た方が実情に即している
イタリア戦争から、神聖ローマ皇帝の普遍性は低下していくからなー

302 :世界@名無史さん:2011/04/30(土) 12:07:35.36 0
十字軍時代なら、皇帝>>>英仏その他の国王でOK?

303 :世界@名無史さん:2011/04/30(土) 12:27:41.93 0
>>302
十字軍時代なら教皇vs皇帝の方が重要
その他の国王でも教皇のお墨付きがあれば、皇帝と互角に戦えた

304 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/30(土) 15:06:28.14 0
>>291
第一次ウィーン包囲でのヨーロッパへの直接的な影響は何よりも、
ハプスブルク家に恐怖心を植え付けたことが大きいと思う。前に、
読んだ河野淳氏の「ハプスブルクとオスマン帝国」という本によれば、
ハプスブルク家の対オスマン政策がハプスブルク帝国の政治の、
基礎(情報戦略などによる実証的な政治)を作ることになったらしいし。

>>293-294
確かイスラーム圏ではすでに地球球体説は受け入れられてた気がするよ。
ソースは何かと訊かれたら学校の授業としか言いようがないんだけど・・・・。
まぁ、でも全体的には面白かった。カール5世のキャラがイメージと違うけど。

>>296
確かにセリム2世はお世辞にも有能とは言えないスルタンだったね。でも、
スレイマン1世は治世後期に官僚機構をかなり整備したためたとえ無能な、
スルタンが続いても官僚たちがそれをサポートすることでオスマン帝国を、
支えることに成功したと林佳代子氏は言ってるね。実際、セリム2世の時も、
オスマン帝国屈指の名宰相であるソココルル・メフメト・パシャが支えたし。
それにしてもスレイマン1世がバヤズィトを見殺しにしたのが良く分からない。
ムスタファが殺されたのは、ロクセラーナの子じゃなかったからだろうけど、
バヤズィトの場合は何故だろう?セリムよりはまだマシな気がするんだけど。

305 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/30(土) 15:08:44.93 0
>>304誤字訂正
×林佳代子氏
○林佳世子氏

306 :世界@名無史さん:2011/04/30(土) 15:54:29.02 0
原発事故は韓直人が政治パフォーマンスで余計な時に行ったから
処理が遅れて爆発したんだ。

管 直人のこの世界的犯罪を誤魔化そうと必死だなw民主党とマスゴミの
在日のクズ共がw

原発の爆発の
管 直人の責任はどうとらせるよ?全く朝鮮人ってロクなことしやしねえ





307 :世界@名無史さん:2011/04/30(土) 19:43:16.92 0
誰がやっても変化が無いってことは、別の集団が本体ってことですよ

308 :世界@名無史さん:2011/05/01(日) 20:14:36.40 0
>>249>>251>>255>>257>>261-262>>284-285
クリミアとオスマン帝国との関係で言えば、
クリム・タタールの貴族出身でオスマン帝国にも留学した
イスマイル・ガスプラル(ガスプリンスキー)も挙げておかないとな。

309 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/05/01(日) 22:07:11.27 0
>>308
イスマイル・ガスプリンスキーは、かなり世俗的で現実主義的な、
民族主義者だったね。まぁそれでもロシアからは疎まれてたけど。
汎トルコ主義はオスマン帝国・ロシア帝国共に大きな影響だった。

310 :世界@名無史さん:2011/05/02(月) 20:59:47.40 0
>>308-309
ガスプラルは「新方式」(ウスーリ・ジャディード)に基づくマドラサを創立したり、
新聞『翻訳者(テルジュマン)』紙を発行するなどしてジャディード運動の先鞭をつけた。
ガスプラルが、トルコ系諸民族の「言語・思想・行動における統一」のために、
『翻訳者』紙を通じて普及させようとした「ボスポラスから中国国境まで」理解可能な
共通トルコ語はオスマン語を基礎にしていた。

311 :世界@名無史さん:2011/06/09(木) 00:29:41.05 0
>>1
兄弟殺し・幽閉の掟だけはいくない。
とどのつまり、スルタンもハーレムの奴隷だった。


312 :世界@名無史さん:2011/06/09(木) 01:50:52.70 0
>>311
兄弟殺しについては、17世紀以降行われなくなり、
オスマン王家の最年長の男子がスルタン位を継承するパターンが出来上がる。
1876年に発布されたオスマン帝国憲法第3条には、
「オスマンの至高なるスルタン位はイスラームの偉大なるカリフ位を有し、
 古来の方法に従ってオスマン家の最年長男子に帰する。」
とある。

また、>>304にもあるように、
オスマン帝国に限らずどの国においても、
政策の立案から施行に至る過程の大部分を実際に担ったのは官僚である。
君主によるワンマン運営ばかりを絶対的なものとみなすな。

林佳世子『オスマン帝国500年の平和』(興亡の世界史10) 講談社 2008年。
大河原知樹・秋葉淳・藤波伸嘉訳「オスマン帝国憲法」
 粕谷元編『トルコにおける議会制の展開―オスマン帝国からトルコ共和国へ』 東洋文庫 2007年。
などの近年の研究成果を参照せよ。

313 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/09(木) 06:01:30.16 0
>>312
オスマン帝国は一般的に専制君主による中央集権的な政治体制がとられたと、
言われてるからね。まぁそれは間違いじゃないけどそうは言っても実際に多くの、
政策の立案・施行などする場合は少なからず官僚の力を借りなければならない。
スレイマン1世などスルタン自身が有能で積極的に政治に関わってた時期だろうと、
セリム2世みたいにあまり有能とは言えない場合だろうと官僚がそれらスルタンを、
支えてるね。後に近代化政策を行なう時も多くのオスマン官僚が活躍してるしね。

314 :世界@名無史さん:2011/06/10(金) 05:11:46.38 0
http://www.met-erotica.org/tina-e-presenting-tina.html#more-3163



315 :世界@名無史さん:2011/06/11(土) 01:51:43.01 0
オスマンには世襲の貴族が居なかった。

316 :世界@名無史さん:2011/06/11(土) 03:35:48.59 0
イェニチェリは世襲でしょ

317 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/11(土) 05:35:38.59 0
>>315
まぁ世襲で同じ役職についてるのはあるけど、西欧みたいに正式に、
国から称号をもらって世襲にさせるような貴族は確かにないかもね。
オスマン帝国における世襲された役職としては>>316の挙げている、
イェニチェリの他にスィパーヒーや徴税請負人なんかもそうだったね。

318 :世界@名無史さん:2011/06/11(土) 15:40:53.60 O
弟殺しがなくなった後は弟の飼い殺しになっただけだ

319 :世界@名無史さん:2011/06/11(土) 16:04:43.67 0
飼い殺されるのと殺害されるのと、どっちがいいんだろうねw

320 :世界@名無史さん:2011/06/11(土) 16:08:16.07 0
忘れさられた頃に毒殺するんでしょ

321 :世界@名無史さん:2011/06/11(土) 23:39:39.69 0
皇室の藩屏がないスルタン

322 :世界@名無史さん:2011/06/11(土) 23:40:19.62 0
スルタンに子ができなかったらどうなるの?

323 :世界@名無史さん:2011/06/11(土) 23:40:50.03 0
イェニチェリはセクス禁止でしょ


324 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/11(土) 23:53:06.51 0
>>322
だからオスマン帝国後期には兄弟殺しはなくなり幽閉するだけに留めた。
万が一の時に弟がスルタンになれるからね。まぁハーレム制度があったし、
スルタンに子が出来なかったことはほとんどなく、兄弟殺しが行なわれてた、
前期オスマン帝国にはそういうスルタンはいなかったからね。不思議だけど。

>>323
最初の頃こそそういう規則が守られてたけど時代と共に形骸化していき、
17世紀頃には妻帯もして子供を作るようなイェニチェリは普通にいたよ。

325 :世界@名無史さん:2011/06/12(日) 03:46:08.43 0
そろそろ皇太子もX子様のためにヒゲのあの一家を・・・・・するのかな?

326 :世界@名無史さん:2011/06/12(日) 09:46:51.23 0
>>276
トルストイ『アンナ・カレーニナ』(1873-77)の最後の方で、
登場人物のヴロンスキーが義勇軍を率いてセルビアに向かう場面があるが、
これは同時期の露土戦争(1877-78)と関係している。

1877-78年の露土戦争については、ロシア側からの視点ではあるが、
田中陽兒・倉持俊一・和田春樹編『世界歴史大系ロシア史2』(山川出版社、1994年)
に詳しく書かれてある。

327 :世界@名無史さん:2011/06/15(水) 17:41:45.77 0
オスマン帝国スルタンはハーレムの籠の中の鳥だから、ピョートル大帝のような人間が出なかった。

328 :世界@名無史さん:2011/06/15(水) 22:27:58.66 0
>>327
いい加減スルタンによるワンマン運営ばかりを絶対視するような見方はやめろ。
スルタンだけでなく、官僚以下の階層にも注目しろ。
近年では、庶民にも焦点を当てた社会史の研究成果が着々と出されているから
それらを参照しろ。

329 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/15(水) 22:51:01.17 0
>>328
スレイマン1世がオスマン帝国の官僚機構をかなり整備したこともあって、
それ以降のオスマン帝国では官僚主導の政治が行なわれてた訳だしね。
スルタンの能力だけに注目すべきではないね。

330 :世界@名無史さん:2011/06/16(木) 16:38:42.58 0
AKBの「ユキチカ!」で特集やるっしょ

331 :世界@名無史さん:2011/06/16(木) 19:45:22.68 0
http://a.php5.jp/1f6



332 :世界@名無史さん:2011/06/17(金) 20:55:27.30 0
凄いモノ見つけたw
その名も侍メタルバンド ZENITHRASHのジェッディン デデンだって
http://www.youtube.com/watch?v=rO2p0_C8Uds

333 :世界@名無史さん:2011/06/19(日) 23:11:46.35 0
>>328-329
スルタン主導による政治というとメフメト2世やスレイマン1世ばかりが注目されるが、
スルタン主導による近代化を推進したセリム3世、マフムート2世、
アブデュルハミト2世は無視するのかね?
スルタン主導による運営がいい、という奴らは、スレイマン1世ばかりを挙げるが、
それ以外の(特にオスマン帝国近代の)スルタンを挙げないのはいかがなものか?

近年、研究がすすめられているオスマン帝国近代史への関心が薄すぎる。

334 :世界@名無史さん:2011/06/19(日) 23:17:26.46 O
オスマン愚帝列伝が読みたい

335 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/19(日) 23:24:52.28 0
>>333
別にスルタン主導による政治が良いとは言ってないけど。17世紀以降の、
オスマン帝国では官僚主導の政治になってたのだからスルタンばかりに、
注目するべきじゃないよと言った訳で、別に近代オスマン帝国への関心が、
薄い訳ではないよ。まぁ、確かに近代になるとマフムト2世みたいに結構、
リーダーシップを発揮するようになるスルタンも増えてるからね。その一方、
タンジマートなどに見られるように近代は近代で官僚も活躍してたんだけど。
近代オスマン帝国はスルタン主導の時代(アブデュルハミト2世など)と官僚、
主導の時代の両方があったからね。

336 :世界@名無史さん:2011/06/25(土) 11:13:57.16 0
「新たなオスマン帝国の出現か?」米ニューズウィーク誌のトルコ評 2011年06月20日付 Radikal紙
http://www.radikal.com.tr/Radikal.aspx?aType=RadikalDetayV3&Date=20.6.2011&ArticleID=1053431&CategoryID=81

アメリカの週刊誌ニューズウィークに掲載された記事の中で、「トルコがその力を示すにつれ、近い将来、
息を吹き返したオスマン帝国と直面することになるかもしれない」との見解が述べられた。

ニューズウィーク誌のニオール・ファーガソン記者の「中東の次のジレンマ」というタイトルの記事で、
「大中東地域に駐留する米軍兵士の削減について、アメリカの共和党の党首候補者らと大統領の間で
調整が行われている」とし、「誰一人答えようとしない質問は、アメリカが手を引いたあと、この地域で
何が起きると思うかという質問だ」と伝えられた。

記事では、この状況で起こりうる3つのシナリオを挙げている。
<幸せのシナリオ>では中東地域諸国が次々と西洋的民主主義に組み入れられていく、
<悪夢のシナリオ>は内戦またはイスラム革命が勃発するというものであるのに対し、
<第3のシナリオ>では「オスマン帝国の再生」が挙げられた。

この記事では、オスマン帝国が17世紀までに獲得した地域や、帝国領の広大な地理を説明し、
18〜19世紀にはバルカン半島と北アフリカの領地のほとんどを失い、「ヨーロッパの病人」と言われ、
第一次世界大戦後に帝国が消滅してトルコ共和国が建国したと紹介されている。

■エルドアンがもたらした変化

記事では、最近までは、トルコがEUに加盟するかどうか、加盟するならそれはいつか、という質問が
されており、トルコ建国の父アタテュルクがはっきり示したように、トルコ人が自分達の視線をはっきりと
欧米化にむけていたとみられるが、「首相がエルドアンになった2003年以降、この方向性に変化が
起きていること」について触れられた。

また、エルドアンがかつてイスタンブル広域市長を務めていた時に、それを読んだために投獄された
という詩を引用して、「はっきりいえることは、エルドアンの希望は、トルコをアグレッシブなイスラム国家
にすることのみならず、同時に地域の超大国とし、アタテュルクよりも前の時代に戻そうという方向にある」
とのべている。

337 :世界@名無史さん:2011/06/25(土) 11:15:58.12 0
記事は「エルドアン首相の、世俗主義の牙城である司法・マスコミ・軍隊に対しおそらく自身の権力を
高める形で進めている憲法改正の努力、イスラエルがガザ地区で「国家テロ」を行っていると次第に
そのトーンを高めて行っている批判、「アラブ諸国の春」がもたらした機会を利用し、シリアを強く非難する
一方イランを支配下に収めようとする努力、さらに自分自身を主役として宣伝することなどの巧みな戦略が、
トルコの変化を物語っている」と伝えている。

■オバマの訪土は偶然ではない

また記事では、アメリカ合衆国大統領のバラク・オバマが外国訪問の最初の目的地の一つにトルコを
選んだのは偶然とは思わないと述べられた。公正発展党(AKP)が今回の選挙にも勝利し、3期連続で
政権を獲得したことも驚くべきことではないとし、「けれども私たちは、エルドアン首相をもっと近くで
見ていく必要がある。なぜなら、エルドアン首相が、トルコを、スルタン・スレイマン1世も驚くような形で
変化させようと妄想していると疑うに十分なほどの理由があるからだ」と論じた。

エルドアンが選挙後に行ったバルコニー演説での、「イスタンブルと同じくらいサラエヴォも勝った。
イズミルと同じくらいベイルートも勝った。アンカラと同じくらいダマスカスも勝った。ディヤルバクルと
同じくらいラーマッラー、ナーブルス、ジェニン、ヨルダン川西岸地区、エルサレム、ガザも勝った」
という発言を掲載し、「エルドアン首相はあるとき、民主主義を電車に例えて“駅に到着してから
下りればいいのです”と言った。もしエルドアン首相のリーダーシップの下、“中東に新しいムスリムの
帝国を建設する”方向性が浮かび上がるのならば、その時は私たちを大きな驚きが待ち構えている、
ということになるだろう」と締めくくった。

338 :世界@名無史さん:2011/06/25(土) 11:18:47.38 0
オスマン復興ならば
イスラム原理主義は確実に衰えて
スーフィズム優勢になるかもしれんね。

339 :世界@名無史さん:2011/06/25(土) 11:34:36.22 0
オスマンの強さって出自・民族・宗教に囚われない人事登用なのに
今のトルコは世界で(恐らく南北朝鮮と並んで)最も狂気じみた
愛国教育を行ってるから復活は絶対にない

340 :世界@名無史さん:2011/06/25(土) 11:41:43.64 0
キルギス、カザフスタンがトルコのこと嫌っているのには道理があるわな
あの辺がロシア・中国・モンゴルとの付き合いを大切にしてトルコと距離置くのは自然

341 :世界@名無史さん:2011/06/25(土) 11:43:43.47 0
>>339
クルド語解禁したから以前よりは緩和されていると思うけど

342 :世界@名無史さん:2011/06/25(土) 17:01:13.06 0
オスマン帝国ってイラン統治したこと無いよな?
>>339
完全に西欧米的な愛国教育だよね、オスマンと相容れない

343 :世界@名無史さん:2011/06/25(土) 17:39:51.02 0
いまさらトルコがアラブ世界をも率いる超大国になるって、ありえんわ・・・・。
そんなことになるくらいなら、汎アラブ主義を旗印にまとまるほうが、まだ確率高いわ。
イスラム世界に疎いなら、中途半端な記事かかなきゃいいのに。

344 :世界@名無史さん:2011/06/25(土) 20:32:59.00 0
>>339
1876年に発布されたオスマン帝国憲法には次のようにある。
第8条「オスマン国籍を有する者は全て、いかなる宗教及び宗派に属していようとも、
   例外なくオスマン人と称される。オスマン人の資格は、
   法律の定めるところにより、取得又は喪失される。」

第17条「全てオスマン人は法律の前に平等であり、宗教宗派上の事項を除き、
    国に対する権利及び義務において平等である。」

第19条「国家の官職において、全て臣民は、その適性及び能力に応じて
    適切な官職に就くことができる。」

出自・民族・宗教に囚われない人事登用はオスマン帝国近代史においても見られ、
官僚や議員となった非ムスリム、非トルコ人も多くいる。

345 :世界@名無史さん:2011/06/25(土) 22:15:20.93 0
トルコ人にとっては、トルコ国家解体の危機のときに、
ギリシア人はじめ内部の異分子が解体に拍車をかけたのが、ぬぐい難い記憶になった。
残念だろうが、仕方がないんだ。

346 :世界@名無史さん:2011/06/26(日) 14:27:06.82 O
それで凄まじい大虐殺をして周辺部に嫌われたのか

347 :世界@名無史さん:2011/06/26(日) 15:21:37.48 0
虐殺すらしてないでしょ、あれが凄まじい大虐殺なら
列強の大半は超凄まじい大々虐殺を何度もやったし

348 :世界@名無史さん:2011/06/26(日) 22:50:17.32 0
>>326>>332
1877-78年の露土戦争で、バルカン側の戦線のひとつプレヴネ要塞で
ロシア軍をおよそ5ヶ月間食い止めた英雄、
ガーズィー・オスマン・パシャを題材にした曲もあった。

ttp://www.youtube.com/watch?v=hNfePySE1VI

349 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/27(月) 06:44:30.70 0
>>345
オスマン帝国及びトルコ共和国のナショナリズムはギリシャ人やスラヴ人などの、
国内の異民族のナショナリズムに後押しされて発展したからね。オスマン帝国は、
彼らを帝国の臣民としてつなぎとめようとし>>344で挙げた憲法などで多民族的な、
ナショナリズムを確立しようとしたけど、結局帝国内の異民族の分離は避けられず、
その結果汎トルコ主義に走ったというのが主流の見方だね。ただし新井政美氏は、
それ以降も完全に民族の壁を越えた普遍的なナショナリズムを目指そうという動きが、
途絶えた訳ではないと言ってるね。それはトルコ共和国になってからも同じらしい。

350 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/27(月) 06:48:40.34 0
>>349補足
もう少し正確に言うと汎トルコ主義に走る前にアブデュルハミト2世が、
汎イスラーム主義に一度走ってるんだけどね。

351 :世界@名無史さん:2011/06/27(月) 17:39:58.35 0
>>336
><幸せのシナリオ>では中東地域諸国が次々と西洋的民主主義に組み入れられていく、
><悪夢のシナリオ>は内戦またはイスラム革命が勃発するというものであるのに対し、

幸せ・悪夢の両シナリオは無論、欧米・イスラエルの動きも重要になる。
単純なものではない。

><第3のシナリオ>では「オスマン帝国の再生」が挙げられた。

どうオスマン帝国が再生するのであろうか?今更スルタンが復帰する余地があるか?
アラブの権力者は力を持ち過ぎている。小アジアはベドウィンが中心のアラブとは本来文化的に全く違うし、
ここまで民族主義と共和制、近代化が行き渡った現在でオスマン帝国のスルタン制が復活する事は不可能に近い。
帝国成立期は近代化志向の概念がなく、民族意識が希薄な封建領主と領民がいるだけであった。

352 : ◆axCVsGomao :2011/06/27(月) 23:04:27.60 0
何の正統性も無いアラブ諸国がイスラムを唱えても団結できないんだよ


353 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/27(月) 23:56:52.48 0
>>351
オスマン帝国成立期は13世紀末だから、時代的に考えて近代化志向が、
あった訳がないし。最近のトルコ共和国ではオスマン帝国への再評価が、
高まってるとは言え、あくまでそれは懐古主義的なものに留まってる感じ。
オスマン帝国の復活まで唱えるのは少数派だね。

354 :世界@名無史さん:2011/06/28(火) 03:16:35.91 0

オスマン帝国で男色が極めて盛んだった理由は何でしょうか?





355 : ◆axCVsGomao :2011/06/28(火) 07:23:32.15 0
男と女が対等な関係でないことに起因している気がするな
男色自体はどこの世界でもよくあることだけど

356 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/28(火) 07:56:01.22 0
オスマン帝国に限らず当時のイスラーム圏では男色が結構盛んだったしね。
隣りのサファヴィー朝でも美少年宿があったりして男色が流行ってたからね。



357 :世界@名無史さん:2011/06/29(水) 01:56:53.21 0
当時どころか、いまでも辺境にいけば・・・・。
イギリスのドキュメンタリーで、アフガンの少年買春の話が取り上げられておりました。
ttp://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/101109.html

358 :世界@名無史さん:2011/06/29(水) 23:14:13.34 0
>>308-310>>349-350
汎トルコ主義に大きな役割を果たしたのは、
イスマイル・ガスプラル(ガスプリンスキー)よりも、ユースフ・アクチュラだ。

アクチュラはカザン近郊の富裕なタタール人ブルジョワの家に生まれ、
幼時にイスタンブルに移住し、士官学校を卒業するが、
青年トルコ人運動への加担が発覚して逮捕され、トリポリに流された。
そこからパリへ脱出して勉学を続けた後、
カザンへ戻ってロシアにおけるトルコ系ムスリムの民族運動に参加。
ロシア第1革命(1905年)の挫折後、イスタンブルに移って
『テュルク・ユルドゥ』の創刊や、トルコ・ナショナリストの団体
テュルク・オジャウの設立に主導的役割を果し、
汎トルコ主義の運動を盛上げた。第1次大戦末期にはロシア領内で
捕虜となったトルコ兵の救援に努力した。
トルコ共和国成立後は汎トルコ主義を捨て、
共和国の路線に沿った民族主義的歴史観の確立に貢献し、
トルコ歴史学協会の会長も務めた。

359 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/29(水) 23:36:51.82 0
>>358
個人的にはアクチュラは当時の一般的な民族主義者で、ガスプリンスキーは、
民族主義の盛んだった当時にしては割りと現実的で穏健な民族主義者という、
イメージ。僕が>>349-350で書いたオスマン帝国におけるナショナリズム政策の、
変遷もアクチュラの論文がもとだし、アクチュラの存在も忘れるべきではないね。

360 :世界@名無史さん:2011/07/11(月) 00:04:16.15 0
>>350
ムスリムと非ムスリムの人口比率がおよそ3:1となったアブデュルハミト2世期には、
汎イスラーム主義は、「オスマン国民」の統合と育成という理念とは背馳せず、
むしろこれを促進させる作用を果たした。

361 :世界@名無史さん:2011/07/11(月) 00:40:35.64 0
>>86
とはいえ、ユダヤの側からすると不平等で屈辱的な共存であったことには変わりない。
殴られても文句言えないとか、イスラム教徒とすれ違うときはずっと頭を下げていろとか。

362 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 04:35:08.03 0
>>360
そうだね。ただし汎イスラーム主義には問題点もあり、列強諸国を敵に、
回しすぎるというのが、特に問題だった。イギリスやフランスなど列強の、
多くはその植民地にイスラーム圏を少なからず抱えてるからね。あまり、
汎イスラーム主義をあおるとそれらの国を刺激してしまう可能性がある。
その一方で、汎トルコ主義ならば敵に回すのはロシアだけですむので、
オスマン帝国はこの方針をとるべきだと言ったのがアクチュラなんだよね。
まぁ確かにアクチュラの言い分にも一理あるんだけど現実にはそれすらも、
上手くいかなかったんだよなぁ。どちらも理想主義的な部分が大きすぎたね。

>>361
さすがにそれは誇張しすぎな気がするなぁ。まぁとは言え、当時のオスマン帝国が、
平等な社会であった訳でもなく、ユダヤ人との共存と言ってもあくまでイスラームが、
優位な状態での共存だからね。ジズヤなんかは普通に払わないといけない訳だし。
でも「殴られても文句言えない」や「すれ違うときはずっと頭を下げる」は言いすぎ。

363 :世界@名無史さん:2011/07/11(月) 18:49:45.84 0
オスマン・トルコって宗教的な寛容が特筆されることが多いけど
一時期の西洋に比べればマシってだけで普通に人間の尊厳とか無視する屑国家だよね

364 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 18:56:15.26 0
>>363
具体的に何のことを指して言ってるのか分かりかねるけど、
まぁ、時代によってはアルメニア人虐殺とかもやってるしね。
過度な理想化は良くないね。まぁ、当時のオスマン帝国が、
西欧に比べ宗教的に寛容だったのは事実なんだけど。

365 :世界@名無史さん:2011/07/11(月) 21:50:06.80 0
アルメニア人虐殺は19世紀末から20世紀初頭に三回あったと思う。
大体ロシアでボグロムが行われた時期と重なっていると思う。
三回目はオスマン帝国が解体して、アルメニア人、トルコ人、ギリシャ人が
それぞれ武装勢力として戦闘を行っていた時期だわな。
アルメニア人救出作戦で英仏軍が各地を占領した。
直後にユダヤ人がパレスチナに入植を開始した。
アルメニア人虐殺はその後の欧米のコソボ・チェチェン・リビア等の内戦介入の
モデルケースとなったと思う。

366 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 21:55:03.80 0
>>365
そのせいで今でもトルコ人の中にはアルメニア人を英仏という、
虎の威を借る狐みたいに思ってる人がいて、アルメニア人への、
憎しみが未だに消えてないんだとどこかで聞いたけど実際はどうなんだろう?

367 :世界@名無史さん:2011/07/11(月) 21:57:39.38 0
アルメニア人に負けているアゼリー人って、一体どれだけ弱いんだ?

368 :世界@名無史さん:2011/07/12(火) 05:10:58.44 0
>>362
いいや。ムシャクシャしたらユダヤ人は殴ってOKだったよ。
ユダヤとイスラムがすれ違っても、ユダヤは頭を下げていなければならない。
ジズヤ如きでは済まないよ。ジズヤの納付手続きだって屈辱的に演出
されてたりするし。

369 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/12(火) 05:21:25.05 0
>>368
まぁ多少はそういう迫害もあったとは思うけどそこまで露骨なのが、
社会制度として一般化されてたとは思えないよ。ソースが知りたい。

370 :世界@名無史さん:2011/07/12(火) 20:29:41.42 O
アリ・パシャ

371 :世界@名無史さん:2011/07/12(火) 21:40:48.12 0
ヌリ・パシャ

372 :世界@名無史さん:2011/07/12(火) 21:44:00.71 0
>>366
今だにそういう亡命キューバ人を見るような思いはあるだろう。
実際、そういうアルメニア人虐殺の時にはテロ活動をしてきたからな。
しかし、今はどっちかいうと要注意はクルド人とイラクのシーア派民兵とアルカイダだわな。
一応イスラム教徒ではあるが、諜報機関と欧米の傭兵がどれだけ入っているか分からん。
表向き反米を掲げても、かつてのアルメニア人と同じような動きをしていると思う。
アルメニア人で悪ければ十字軍と組んだアサシン派だ。
これが中国で言う「借刀殺人」であろう。シリアの武装勢力というのも、シオニスト関係ではないか。
シリアの反政府集会というのがシオニストの集会だったというニュースがあったからし、
警察120人もぶっ殺すのはプロっぽい。

373 :世界@名無史さん:2011/07/29(金) 23:54:06.06 0
オスマン帝国にオルハン二世が出なかったのには何か理由があるの?ジョン王みたいな。

374 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/30(土) 08:28:10.45 0
>>373
たまたまでしょ。ジョン王と違ってオルハンはオスマン帝国において、
評判の悪いスルタンじゃないし。むしろそれなりに有能なほうでしょ。

375 :世界@名無史さん:2011/07/30(土) 10:22:00.34 0
ハノーファー王国

376 :世界@名無史さん:2011/08/09(火) 03:36:21.90 0
オスマン帝国で最も男色好きだったスルタンは誰ですか?
スルタン以外でも少年愛が大好きだった著名な人物とか総督などに就いて
教えて下さい。



377 :世界@名無史さん:2011/08/10(水) 18:19:36.29 O
イスラム教徒は宗教的義務として、ザカート(喜捨)をしなければならない。
これにより毎年自由に使えるお金のうち四分の一は貧者や社会的弱者へ寄付する事になる。

これは日本人のイメージする募金とは桁が違い、実質貧者救済の為の税金のようなもの。
たとえ住む地区は違っても同じ社会に属してサービスを受けている以上は、異教徒だからと
タダ乗りされては困るし、それなら国家が税金を課すしかない。

ってアラブ人の友人が言ってて、それは一理あると思った。

378 : ◆axCVsGomao :2011/08/12(金) 08:20:19.33 0
>>377
ザカートは義務だから税金みたいなもの
自由意志による寄付はサダカ



379 : ◆axCVsGomao :2011/08/12(金) 08:20:52.90 0
モスクは寄付で運営されているんだっけ


380 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/14(日) 15:11:18.88 0
>>377
林佳世子氏によるとオスマン帝国においてはザカートによる、
女性たちなどの投資が帝国内の経済を支えてたみたいだね。
有力者たちがザカートの名目でモスクなどを運営することで、
オスマン帝国の経済は回ってたと「興亡の世界史」に載ってた。

381 :世界@名無史さん:2011/08/15(月) 12:46:47.78 0
>>379
ワクフってたしかに寄付の一種なんだろうけど
寄付と聞いて思い浮かべるイメージと違うからときどき困惑する

382 :世界@名無史さん:2011/08/16(火) 00:15:55.86 0
>>380-381
オスマン帝国では、ワクフ財の管財人は、
19-20世紀には地方政治にも参加するようになった。
地方の行政評議会(meclis-i idare)には、
裁判長(naib)や徴税官などと並んでワクフ管財人が参加する場合もあった。

383 :世界@名無史さん:2011/08/24(水) 22:20:42.60 0
ワクフはアタチュルクの改革対象になっていないの?


384 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/24(水) 22:38:29.45 0
>>383
ちゃんとなってるよ。ワクフを管理するワクフ省とかいうのを廃止して、
さらに家族ワクフと呼ばれる脱税目的のワクフも禁止されてるからね。
現在は、政教分離の名のもとでワクフは一応私有化されてたと思うし。

385 :世界@名無史さん:2011/08/27(土) 14:36:31.16 0
ソコルル・メフメット・パシャは
妻の父親にあたるセリム2世に個人的にも好意を持っていたんだってな
セリムは素面のときはいい人だったってことか?


386 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/27(土) 14:45:26.48 0
>>385
へ〜、ちょっと意外な感じはするなぁ。セリム2世は、
どうしてもアル中のイメージが大きくて、あまり良い、
イメージがないから。でも何だかんだでソコルルは、
セリム2世を色々な面で支えてたし嫌いではなかったのかな。

387 :世界@名無史さん:2011/08/30(火) 21:24:09.98 0
オスマン帝国と大日本帝国、どこで差がついたか? 慢心、環境の違い。

リアルにどこよ? 

388 : ◆axCVsGomao :2011/08/30(火) 23:04:13.47 0
西欧からの距離だろ


389 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/01(木) 15:25:51.76 0
>>388
近代オスマン帝国は日本以上にヨーロッパ列強諸国の干渉を、
受けてたからね。東方問題とかに代表されるように列強諸国の、
利害が対立しやすい場所にあったし。とは言えオスマン帝国も、
それを上手く利用することで生き延びてた面もあるんだけどね。
東方問題を見てるとオスマン帝国はバルカン半島を征服しない、
ほうが良かったんじゃないかとすら思えてくる。そうすれば変な、
列強同士の対立にも巻き込まれずじっくりと内政に励めたかも。
まぁ、列強の対立を利用できない分、オスマン帝国はもっと早く、
滅んでたかも知れないけど、そこら辺は単なるIFの問題だしね。

390 :世界@名無史さん:2011/09/04(日) 08:53:05.57 0
>オスマン帝国はバルカン半島を征服しないほうが良かったんじゃないかとすら思えてくる。

オスマンが大を成した原因は、トルコ人が不得意な分野を他の民族に任せたからだけどな
海運・海軍はギリシア人など、海に慣れた民族にやらせていた
でもナショナリズムが勃興する時代になるとそれがうまくいかなくなった

391 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/04(日) 09:20:00.36 0
>>390
確かにオスマン帝国は多民族国家だったからこそ発展した訳だからね。
近代になっても官僚なんかには結構トルコ人以外の民族も多かったし。
まぁでも一方で近代になるとナショナリズムが盛んになってしまったから、
そして列強がそれを利用しようとしたから近代化が進めにくくなったんだし。
上でも言ったようにだからこそ20世紀まで帝国を保てたという面もあるけど。

392 :世界@名無史さん:2011/09/05(月) 13:48:46.85 0
イブラヒムってどんな人だったの?マジでやばいの?

393 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/05(月) 14:39:02.60 0
>>392
イブラヒムってオスマン帝国の第18代スルタンのほうのことだよね
(オスマン帝国でイブラヒムだとスレイマン1世の宰相のことを言う、
場合もあるから)?彼は後継者争いの激しかったオスマン帝国の、
典型的な犠牲者というイメージがある。まぁ彼は単に無能なだけで、
後継者争いによる精神的衰弱だけが狂気のもとではないという人も、
いるみたいだけど。それでもハレムの女を袋詰めにして投げるとか、
普通に精神異常者っぽいかなぁ。下のサイトに結構詳しく載ってるよ。
http://f43.aaa.livedoor.jp/~choku/ibrahim001.html

394 :世界@名無史さん:2011/09/05(月) 14:51:28.08 0
なるほど
まあ確かにあんな弟やら兄貴やら殺して皇帝になるっていうルールがあるんじゃ
気が狂っちゃうのも仕方ない気がする・・・
そう考えるとメフメト二世とかスレイマンて図太かったんだろうなぁ

395 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/05(月) 15:26:49.28 0
>>394
一応、通説ではセリム1世にはスレイマン1世以外に男児がいなかったから、
スレイマン1世の即位時はオスマン帝国特有の熾烈な後継争いはなかった、
はずだよ。だから神経衰弱にならないんじゃないかな。まぁスレイマン1世の、
息子たちは後継争いしてるけど。一方でメフメト2世は兄弟と後継争いしたね。
彼らの他にも熾烈な後継争いしててもそこまで精神衰弱してないスルタンが、
それなりにいるからそこら辺は個人の精神の強さの違いなのかな。とは言え、
後継争いも時期によって苛烈さに違いがあるから一概には言えないんだけど。

396 :世界@名無史さん:2011/09/10(土) 07:41:01.13 0
>>387
宗教じゃね?
シャーリアを捨てない限り、宗教改革を済ませて強大化した列強には対抗できない
特に科学技術の点では致命的。イスラムは12世紀以後世界の科学技術の進歩についていけなかった。
日本や信長以後は宗教が政治や生活まで規律することがなくなったからな

397 :世界@名無史さん:2011/09/12(月) 10:11:02.24 O
>>786
オスマン朝アナトリアとマムルーク朝エジプトとパライオロゴス朝ビザンツの鼎立が望ましい。

398 :世界@名無史さん:2011/09/12(月) 10:32:26.39 0
>>396
> 日本や信長以後は宗教が政治や生活まで規律することがなくなったからな

これはウソだろ。
信長以前と以後でそんなに違わないよ。

足利将軍は代々禅宗の熱心な修行者だったが、
徳川将軍はそれほどでもなかった
(浄土宗に帰依していたが、宗派の性質上、修行とかそういう問題じゃなく
熱心さもおのずから足利氏ほどじゃなかった)
っていう点は違うけど。

399 :世界@名無史さん:2011/09/12(月) 10:36:43.30 0
むしろそれなら、どうして中世までは
厳格な戒律をもったイスラム教徒が科学を先導できていたのか?
って話になるな。
宗教はあまり関係ないだろ

400 :世界@名無史さん:2011/09/12(月) 11:51:17.91 0
中世のイスラーム世界にあったのはテクノロジーであってサイエンスではない


401 :世界@名無史さん:2011/09/12(月) 11:52:45.40 0
>>398
社寺の領地が膨大で軍事組織を持っていたという点で
中世はやはり江戸時代以降とは違う世界だったよ。

402 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/12(月) 23:12:30.51 0
>>400
テクノロジーとサイエンスの具体的な定義の違いは色々あるだろけど、
たとえイスラーム科学がテクノロジーだったとしても>>396では技術も、
挙げてるんだから、結局は技術(テクノロジー)と宗教は無関係という、
話になると思うけど。まぁ、でも確かにヨーロッパにおける宗教改革は、
ヨーロッパが発展する基礎になってる部分はあるからオスマン帝国で、
それが起こらなかったというのは差がついた理由として一理あるかも。
あ、でもそれはヨーロッパと比べて差がついた理由であって同じように、
宗教改革が起きてない日本との差の理由にはならないか。だとしたら、
やっぱり>>389で僕が述べたように西欧からの距離による列強諸国の、
干渉の差になるのかな。宗教云々よりそっちのほうが大きい気がする。

403 :世界@名無史さん:2011/09/12(月) 23:33:23.44 0
>>401
寺社が「領地と軍事力を持っていた」ことと、
「政治や生活まで規律していた」ってこととは違う。

むしろ、もし領地と軍事力だけの問題だったとしたら、
その領地外の人にとってはやはり関係なかった、ってことになるだろう。
(いくら寺社の領地が広大だからって、それ以外の土地の方が
ずっと大きかったことは間違いないわけで)

「科学技術の進歩」と「宗教」との関係を論じているわけだよね。
その場合、例えば
「もし日本国内の一部の地域で、寺社が軍事力を持っていたら
日本国内では自然科学は発達しなかった」というような推論は、
どう考えても成立しないと思う。
だから軍事力云々はあまり関係ないでしょ。

404 :世界@名無史さん:2011/09/13(火) 01:04:17.43 0
>>399
アッバース朝あたりまで、かなり啓蒙君主的なカリフが多いんだよなぁ。
神学者や哲学者が新プラトニズムの影響を受けて汎神論に近づいてって、
下々の素朴な原理主義者からの非難を受けても、カリフがしっかり押さえてる。
ましてや、天文学や数学や医学なんぞはほぼ自由にやって問題なしって感じ。

405 :世界@名無史さん:2011/09/13(火) 15:57:13.90 0
>>402
>西欧からの距離による列強諸国の、干渉の差になるのかな。宗教云々より
>そっちのほうが大きい気がする。

李氏朝鮮が自力で近代化できなかった理由をどう説明する?
タイ王国は?

406 :世界@名無史さん:2011/09/13(火) 16:12:15.36 0
>>402
西欧と距離が近いということは考え方を変えれば有利だったということになる
1593年に、イギリス大使がイスタンブルにやってきたとき、オスマン帝国の役人
セラニキ・ムスタファ・エフェンディは、イギリスの船を見て、
「このような船がイスタンブルに入港したことはない。3700マイルの海を横断してきた
この船には、さまざまな武器とともに83丁の銃が載せられていた。……時代の奇蹟であり、
このようなものを見たことも読んだこともない」
と記している。
このときに本格的に西欧文明について学ぼうとしなかった時点でアウト

407 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/13(火) 16:57:13.65 0
>>405
正直、朝鮮もタイも詳しくないから良く分かんないだけど、
朝鮮の場合は多分日本と清の板ばさみのため自発的な、
近代化が行いにくかったからかも知れない。タイのほうは、
ヨーロッパからは確かに遠かったけど周辺諸国の多くが、
列強の植民地だったからやはり干渉は結構大きかったと、
思うよ。まぁでも何だかんだ言ってタイやオスマン帝国は、
それなりに近代化政策に成功したほうだと思える。日本と、
比べると列強になれなかった分劣るけど、現在のトルコや、
タイはそれなりに発展してるからね。先進国か新興国程度。

>>406
1593年じゃ、まだ自分たちのほうがヨーロッパより優位だという、
自信のほうが大きいだろうね。レパントの海戦で負けたとは言え、
その頃のオスマン帝国はまだまだ結構な大国だったしね。もっと、
後だね、オスマン帝国がヨーロッパとの差に気付くようになるのは。

ところで篠原千絵氏の「夢の雫、黄金の鳥籠」が売られてたので、
買って読んでみた。ヒュッレムとイブラヒムの関係とか結構面白く、
描けてて良かったと思う。1巻はギュルバハルが悪役っぽい感じで、
終わったけど今後ムスタファが死ぬ時はどう描くんだろ?まぁでも、
上手く描いてくれるとは思うけど。

408 :世界@名無史さん:2011/09/13(火) 18:03:10.89 0
>>407
じゃあトルコだけが近代化に成功して、他のイスラム圏の国は近代化に
失敗したという理解でOKか?

409 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/13(火) 18:14:06.28 0
>>408
トルコだけというか、当時のイスラーム圏ってオスマン帝国以外は、
イランぐらいしかそれなりの大国がなかったでしょ。後はエジプトが、
オスマン帝国内の半独立国として近代化政策やってたぐらいかな。
まぁ他にもオマーンとかモロッコとかアフガニスタンもあったけどね。
イランはつい最近まで近代化を進めてたけどイラン革命のせいで、
それが終わったという感じ。エジプトやモロッコやオマーンのほうは、
近代化を進めてる間にヨーロッパ列強の植民地になってしまったし。
オマーンは海洋帝国築いただけで近代化政策はしてなかった気も、
するけど。アフガニスタンはオスマン帝国以上に列強同士の干渉を、
ある意味受けやすかった地域だったと思うからそこら辺の差かなぁ。

410 :世界@名無史さん:2011/09/13(火) 20:15:24.93 0
まあここはオスマンスレだから、オスマン帝国の歴史については俺よりも
詳しい人たちがいろいろ語ってくれると思うんだけどね、俺は現在の
グローバル化した世の中で、異なる文明に属する人たち同士がどうやって
共存するか、ということに興味があるんだよね
そして現在のところ、ムスリムは他者との共存に失敗しているといわざるをえない
ムスリムが自分たちの国で、シャリーアに則った理想の社会を作りたいというのなら止めはしない
でも欧州でもシャリーアを適用しろと要求するのは間違っている
欧州人だけでなく、他の人種もイスラーム化された社会で暮らしたいとは
思っていないわけだから


411 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/13(火) 21:16:34.97 0
>>410
ヨーロッパでもシャリーアを適用しろなんて唱えてるムスリムは少数派でしょ。
そもそも、ムスリムが多くてもシャリーアを適用してない国は結構あるからね。
このままだとスレチなのでオスマン帝国に関連付けて話すと、異なる文明の、
共存という点じゃ前近代のオスマン帝国はそれなりに上手くいってたね。まぁ、
多民族国家というのはオスマン帝国以外にも結構あるんだけど。近代以降は、
ナショナリズムの勃興によってそれが難しくなってきたから崩壊しちゃったなぁ。
ここら辺もオスマン帝国の近代化を妨げた要因の1つとして挙げられるかもね。

412 :世界@名無史さん:2011/09/13(火) 21:46:56.91 0
前近代のオスマン帝国が異民族を共存させていたことは知っているよ
もっとも対等な立場ではなく、ムスリムよりも一段下の立場でだけどな

で、現代のグローバル化した国際社会で、異なる文明同士が共存するには
どうしたらいいの?

413 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/13(火) 22:26:43.39 0
>>412
さあどうだろうね。そこら辺はオスマン帝国史どころか世界史とも、
あまり関係ない話だからスレチというか板違いのような気もするし。

414 :世界@名無史さん:2011/09/13(火) 23:18:55.42 0
バルカン半島の国々は、自国の近代化が遅れたのはオスマン帝国のせいだと
主張している

415 :世界@名無史さん:2011/09/14(水) 09:01:47.73 0
>>413
結局、2chのイスラム厨は異なる文明が共存する方法を提示することはできないってことだなw


416 :世界@名無史さん:2011/09/14(水) 13:50:51.37 0
>>415
お前は何を言ってるんだ?
そんな事がホイホイわかれば歴史上の紛争戦争のほとんどが起こってないわ。
ははん。お前さては、馬鹿だな?

417 :世界@名無史さん:2011/09/14(水) 14:42:52.13 0
地球上のどの文明にも普遍性などないと認める
他者に自分の流儀に合わせることを要求しない
他者に余計な干渉をしない
「理解」「共感」といった情緒的なことよりも、ドライでクールな「共存」を優先する


これでどうよ?





418 :世界@名無史さん:2011/09/14(水) 17:45:55.19 0
現代世界の共存について、近年のオスマン研究がオスマン帝国の支配に参考を
求めようとしている傾向はあるんじゃないの。少なくとも林佳世子氏とかは
そういうことを書いてるし、岩波書店の「世界の歴史」新版の五巻「帝国と支配」
でも、ローマ帝国や秦漢、オスマン、末期ハプスブルクなどにナショナリズムを
超える統治をテーマとしている。

なので、他民族支配に関して、オスマン朝の実態をこのスレでテーマにするのは問題
ないと思うけど、現代世界の方に比重があるのはスレ違いな気がする。

ところで、オスマンに易々とバルカン進出を許してしまったのは、
異教徒との共存を否定する西欧十字軍の頑迷さが、ビザンツ人には受け入れ
難く、それが結果的にオスマン進出を容易にしてしまった、という話がある。
オスマン支配とビザンツ支配には、共通点もあったのかも知れない。
この点で、ビザンツ地方領主とテュルク系地方領主が混在し、政治・軍事的には、
宗教で線を引くことができないオスマン勃興期の小アジアの政治・社会情勢は、
もっと日本語の研究文書が出てきて欲しいところ。

419 :世界@名無史さん:2011/09/14(水) 18:39:15.49 0
夜警国家ならナショナリズムを超える帝国的統治がそれなりに有効かもしれんが、
再配分機能の必要性が高くなると、集団間での公平性確保が難しくなってね。
福祉はなんらかの同一性意識に寄りかからざるをえないなぁ、幻想であっても。

420 :世界@名無史さん:2011/09/14(水) 20:02:14.48 0
>>387
むしろオスマン帝国と大清帝国を比べたほうがいいだろ
中国はいまだにチベットや新疆ウイグル自治区を支配している

421 :世界@名無史さん:2011/09/14(水) 21:32:32.28 0
>>419
そしてギリシアは、またも西欧から見捨てられるのだろうか!?ギリシアの
ユーロ離脱(EUではない、念のため)が実現するのかどうか、大いに興味がある。

422 :世界@名無史さん:2011/09/14(水) 21:54:19.74 0
http://79909040.at.webry.info/201109/article_1.html#comment
ブルガリア、ルーマニアへの差別待遇


ブルガリア、ルーマニアも西欧から見捨てられるかもしれない

423 :世界@名無史さん:2011/09/14(水) 22:36:22.87 0
その三国の共通点は、正教会系の国ということだね。正教会文化が西欧経済に
ついていけないとは思わないが、チェコ・ハンガリーは旧オーストリア領土、
現在のポーランド領土は19世紀ドイツ人支配下にあった。もしかしたら
ポーランドは、領土縮小され、正教徒圏の切り捨てが出来てよかったと
思ってるかも知れない。まったくの邪推だけど。
やっぱ「西欧からの遠さ」が問題となるのも仕方ないのかも。

424 :世界@名無史さん:2011/09/14(水) 22:43:39.36 0
でも見捨てないだろうよ
冷戦終結後、2004年に西側諸国が前線をルーマニア、ブルガリアに押し上げるためにどれだけ苦労したか

今の前線はベラルーシ、ウクライナ

425 :世界@名無史さん:2011/09/15(木) 08:43:01.97 0
スティーヴン・ハウが『帝国』(岩波書店)で書いていることだけどさ、

……インドやエジプトの先駆的ナショナリストや、汎アフリカ主義者や、汎アラブ主義者は、
汎アラブ主義者は、彼らの社会を支配するヨーロッパ帝国に対して激しい憤りを感じた。
ところがその彼らも、遠い昔、自分たちは帝国をもっていたのであって、いつかはもう一度、
帝国をもつことになるかもしれないとの思いに、今日、指摘されているよりも
はるかに引かれていたのである。

この指摘はけっこう重要だと思う。イスラーム圏や中国だって、決して
「一方的な被害者」だったわけではない。というより、彼らは自分たちには
列強としての地位こそふさわしいと考えていた。でも結局欧米や日本との競争に負けた。
ただそれだけ。オツガイ ◆EAbyJft1LY みたいに西欧ガー列強ガーと言い続けるのには
違和感を感じるな。もう潔くムスリムたちの敗北を認めろよ。

426 :世界@名無史さん:2011/09/15(木) 15:40:43.45 0
>>389
>東方問題を見てるとオスマン帝国はバルカン半島を征服しない、
>ほうが良かったんじゃないかとすら思えてくる。そうすれば変な、
>列強同士の対立にも巻き込まれずじっくりと内政に励めたかも。

これはビザンツ帝国は滅ぼすが、その他の国には手をつけないということか?
そうするとセルビアがあの地域を支配することになっていたんだろうか
第二次ブルガリア帝国は弱体化していたし…

427 :世界@名無史さん:2011/09/15(木) 16:37:34.30 0
>>419
新自由主義の行き着く先はまさにそれ。
足腰が衰え、通常の仕事が難しくなった老人は、ベッドでPCを使い、FXで
稼げ、ということ。経済障壁は全てFTAで開放。税金はイ
ンフラと社会保障と治安のみ。
政府は経済対策などやらない。金融対策に徹する。

>>426
ハンガリーでしょう。伝統的に中世ハンガリーはバルカン進出が国是だったのだから。
そしてハンガリーはどこかでハプスブルク家にのっとられ、結局
バルカンはドイツ人に支配される。こうなれば、チェコ、ポーランド、ハンガリー
と同様、ドイツ人の影響を受け、西欧並みの経済力がもてたかもよ。

428 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/15(木) 17:14:06.62 0
>>418
「教皇の帽子をみるぐらいならスルタンのターバンを見るほうがマシ」というやつか。
まぁ西欧の支配でカトリックを強要されるぐらいならオスマン帝国の支配で正教を、
守り抜いたほうがマシだという面は確かにあったかも知れないね。

>>425
あぁ、ごめん。確かに僕の文を読むとオスマン帝国が一方的に列強の、
被害者だったみたいに思えるね。別にそんなこと言ったつもりはないし、
近代オスマン帝国だってアラビアの支配なんかは西欧型植民地主義に、
近い部分もあるからね。大体オスマン帝国が長い間改革を怠ってたのも、
自分たちが列強であり大国であるという自負が消えにくかったからだしね。
>>389でも述べたけど列強の干渉自体はオスマン帝国にとっては必ずしも、
マイナスの面ばかりではなくそれを利用することで生き残ったというプラスの、
面もあるからね。東方問題なんかを調べるとそういう面がかなり良く見られる。

429 :世界@名無史さん:2011/09/15(木) 19:26:10.87 0
>>427
バルカン半島全体がトランシルヴァニアのようになっていたのかな
もちろん司教区も設置され、ドイツ人が植民し、そして第一次世界大戦後、
各国が独立する

430 :世界@名無史さん:2011/09/15(木) 20:55:23.91 O
歴史が大幅に変わり、第一次世界大戦は無し。

431 :世界@名無史さん:2011/09/15(木) 20:59:39.06 0
マジな話、西欧文明が衰退したら中東は安定するんじゃね?
もちろん、生活水準は低下するだろうけど

432 :世界@名無史さん:2011/09/15(木) 21:41:28.55 O
ビザンツをギリシャ人の民族国家みたいなものにし、
アナトリアのオスマンに対抗するのはやはりかなり難しかったか。

433 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/15(木) 21:44:50.11 0
>>429-430
まぁ、そこまで行くと完全にIF話だから何とでも言えるような気がする。
ただ確かにオスマン帝国がバルカン半島に進出してなかった場合は、
一旦セルビアが勢力を伸ばした後に、ハンガリーがやって来るという、
感じになるかな。これもIF話でしかないと言われればそれまでだけど。

434 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/15(木) 21:53:14.02 0
>>432
末期ビザンツ帝国はローマ人という建前を捨てて自分たちはギリシャ人だという、
民族意識を持ってた人々も増えてきたから上手くいけば出来たかも知れないね。
でも、そうするにはニカイアとかエピロスなどの他のビザンツ亡命国家の扱いを、
どうするかだよなぁ。上手く統一できればギリシャ人の民族国家となれたかもね。
とは言え、それだけで当時のオスマン帝国に対抗できるかどうかは微妙だけど。

435 :世界@名無史さん:2011/09/15(木) 23:24:51.00 0
ヘラクレイオス1世みたいな英雄が地方から生まれればよかったんだが。
その時こそ、さらなるギリシア化が行われ、
ローマ帝国から「ギリシア帝国」とかになってただろう。

436 :世界@名無史さん:2011/09/16(金) 00:59:53.65 O
ギリシャ人同士の統一戦争にオスマンや西欧人が介入しないかな

437 :世界@名無史さん:2011/09/16(金) 02:49:03.66 0
オスマンがバルカンではなく、中央アジアに目を向けていたらどうなっていただろうか


438 :世界@名無史さん:2011/09/16(金) 15:11:05.27 O
ギリシャやブルガリアが独り立ちできるまではティムールに頑張ってもらわねば。

439 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/16(金) 17:19:34.87 0
>>438
確かにアンカラの戦いはビザンツ帝国の延命に役立ったけどティムール自身は、
ビザンツよりはアナトリアのトルコ系諸侯のほうを重視してたように思える。実際、
彼は、オスマン帝国の支配に対抗するアナトリアのトルコ系諸侯を支援しながら、
戦った訳だからね。ビザンツ帝国の延命はあくまで副作用のようなものだと思う。

440 :世界@名無史さん:2011/09/17(土) 03:07:47.59 0
第二次ブルガリア帝国はクマン人の協力で建国された。その後、キプチャック汗の
一族チャカが王座についてもいるし、チャカの後のブルガリア王もクマン系と
されている。また、ハンガリーにもクマン人が大量に移住していた。
クマン人にオスマン朝のような大帝国建国能力が無かったからオスマン朝の
ような大国家を建設できなかたのだろうけど、バルカン半島はオスマン到来
以前にそこそこトルコ化されていたことも、オスマンが容易に進出できた
一因なのではなかろうか。このあたりに詳しい人、ご意見いただけます
でしょうか。

441 :世界@名無史さん:2011/09/17(土) 22:20:26.15 0
コンスタンティノポリス陥落後にモレアスの勢力が
ギリシアを統一するまで、
オスマン帝国を一時的に弱体化&東方に釘付けできるような勢力が必要だな。
あとはモレアスにも軍事的才能を持った人間が要るな。

442 :世界@名無史さん:2011/09/19(月) 22:33:20.62 0
コンスタンティノポリス奪還は当然として、
別に首都にする必要はないな。

443 :世界@名無史さん:2011/09/23(金) 00:22:05.22 0
とっくに既出だと思いますが・・・
今週発売のニューズウィーク日本語版ではじめて知りました

http://istvoyage.exblog.jp/11853599/
Muhtesem Yuzyil〜壮大なる世紀

トルコではスレイマン大帝のTVドラマが人気とか
女好きで飲酒もする箇所に怒ってる保守層もいるそうです
(史実に沿ってるそうです)

http://www.youtube.com/user/TurkWebTV
向こうでは放送後webで見れるそうで
世間は韓流ばかりですがこういう異国の歴史ものもやってほしいですね

444 :世界@名無史さん:2011/09/23(金) 01:54:21.55 0
イッコンニコンオスマンサンコン

445 :世界@名無史さん:2011/09/23(金) 02:34:00.52 0
>>443
ニューズ・ウィークでも「壮大なる世紀」なのだろうか?
英語題名がMagnificent Centuryなので、「壮麗なる世紀」(壮麗者スレイマーンから)
が正しいと思ってるんだけど。。。。
こちらの東京外語大学のトルコ新聞の翻訳でも「壮麗なる世紀」となっているし。
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20110104_081008.html

第一話は英語字幕版がyoutubeにあがってます。

446 :445:2011/09/23(金) 02:42:38.15 0
あと、20話くらいまでトルコ語がわからないにも関わらず見たけど、
史実に忠実かどうかは少し疑問があります。宮廷内の話ばかりで、殆ど
野外場面が無いし。と思って最新の26話の冒頭をみたら、スレイマーンと
イブラヒムが武装してますね。漸く面白くなりそう。。。視聴再開しよう。

447 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/23(金) 06:35:09.22 0
僕もトルコ語分からないのに1話だけみたけど(英語字幕あるのしらなかったorz)、
確かにあまり野外場面がなかったね。宮廷内と違って野外だとセットを作るのが、
面倒くさいからじゃないかと邪推しちゃったけど実際はどうなんだろう?まぁ、でも、
最近日本で出た「夢の雫、黄金の鳥籠」もそうだけどスレイマン1世の時代の話は、
案外、宮廷内の話だけでも一応ドラマになるような気がするから悪くないとは思う。

448 : ◆axCVsGomao :2011/09/23(金) 06:39:45.91 0
>>443
これはすごいな
こういうドラマが世界で流されたらオスマンのイメージがだいぶ良くなるな

449 :世界@名無史さん:2011/09/24(土) 02:56:27.96 0
>>443
26話後半、モハーチの戦いやってるのね
オスマンの戦闘シーンとかイメージしずらかったが
こういうTVドラマはありがたいね

450 :世界@名無史さん:2011/09/24(土) 17:07:34.97 0
本当だ。第一シーズン(24話まで)は後宮もの、という感じでトルコ語が
わからないと退屈なところが多かったが、これはスゴイ。ハンガリーは
意外と歴史映画が少ないようだから、サポヤイ・ヤノーシュやラヨシュ2世といった
ハンガリー側の映像としても貴重かも(ちょっとラヨシュが老けすぎな
感じだけど)。CGが場面が要らない程、実写だけでも
大迫力だ。この分だとウィーン包囲も期待できるかも。

451 :世界@名無史さん:2011/09/24(土) 17:20:13.07 O
>>441
>>442
オスマンってイランとかと同じ世界(中東)なのか
ギリシャやセルビアとかと同じ世界(東ヨーロッパ世界)か
どちらなんだろう。
なぜ東ヨーロッパは西ヨーロッパと違って発展できなかったのか。

452 : ◆axCVsGomao :2011/09/24(土) 17:30:27.15 0
トルコが経済発展してイスラム史の映画つくってくれたらおもしろいなw

453 : ◆axCVsGomao :2011/09/24(土) 17:31:32.56 0
西欧の発展は新大陸発見に尽きると思うけど


454 : ◆axCVsGomao :2011/09/24(土) 17:32:53.67 0
これ韓流ドラマみたいに日本で放送してくれないかな
かなり興味深いな

455 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/24(土) 17:54:59.92 0
>>449
本当だ。こういうのは当時の戦いのイメージが沸くから嬉しいね。
戦いのシーンなら>>450も言うようにトルコ語分からなくても話の、
内容は少し理解できるしね。どこかで和訳版出てくれないかなぁ。

>>451
どちらの世界の影響も受けてるのがオスマン帝国の特徴でしょ。
まぁ基本的には、イスラム教を中心としてるから中東寄りだけど、
領土の中心はアナトリアやバルカン半島だからビザンツ帝国の、
影響もかなり強く成立から滅亡までヨーロッパとの繋がり深いし。
単純に、どちらか一方の世界だと断言することは出来ないでしょ。

>>452
ていうか、確か実際に相違映画があったと思うよ。同じくオスマン帝国が舞台の、
トルコとハンガリーの共同制作の映画で、タイトルは「Cenneti Beklerken」かな。
これ以外にもオスマン帝国を舞台にした映画はトルコでは結構前からあるらしい。

456 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/24(土) 17:55:59.88 0
誤字訂正。
×ていうか、確か実際に相違映画があったと思うよ。
○ていうか、確か実際にそういう映画があったと思うよ。

457 :世界@名無史さん:2011/09/24(土) 18:53:44.00 0
なんとなく今のトルコ人の風貌を見ると
オスマン帝国の時代に移住してきた東欧系・地中海系・アラブ系人種が何世代もかけて
トルコ語(当時はオスマン語)を話すようになってトルコ化した人も多い気がするんだが

ドイツ代表のエジル(トルコから帰化)なんて
ブルガリア人にか見えないのだが

458 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/24(土) 19:12:38.25 0
>>457
そりゃそうでしょ。今のトルコ人なんてギリシャ人やスラヴ人なんかの血もかなり、
混じってるだろうからね。中央アジアからのトルコ人の血はそんなに多くないはず。
まぁこの手の混血はオスマン帝国に限らず多民族国家には良く見られる事だけど。
「トルコ人(オスマン帝国時代はオスマン人)」という民族概念は血と無関係だしね。

459 :世界@名無史さん:2011/09/24(土) 19:24:29.55 0
スレイマンのドラマ、宮廷の女達、結構胸の開いたドレス着ているな。
この辺は問題になっていないのだろうか。それともトルコのドラマって
歴史ものに限らずこんな感じなんだろうか。

460 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/24(土) 19:32:10.55 0
>>459
政教分離を国是としてるトルコでは、むしろ女性がスカーフかぶることのほうが、
問題視されてたぐらいだからね。最近は公でのスカーフ着用もOKとなったけど。
確か、トルコの女性歌手であるハディセが前に胸元開いた服を着てた気がする。
トルコに行ったときにテレビ見たけど女性が水着してるシーンも普通にあったよ。
ベリーダンスなんかも行なわれてるし、トルコはあまりそういうのにうるさくないね。

461 :世界@名無史さん:2011/09/24(土) 19:35:56.04 0
>>457
ブルガリアにもトルコ人は住んでいるし、混血している人も多数いる筈だから、
ブルガリア側のトルコ化ということもあり、境目を引くのは簡単ではないかも。

>>450
モハーチの戦いの部分見たけど、ハンガリー側は火器が一切登場していないね。
まるで第二次大戦開始時のドイツのポーランド進撃のような感じだったが、
実際にこんなに軍事力の差があったのだろうか。オスマン軍の装備は大砲などが
充実していたのは知っていたけど、ハンガリー側にも少しは火器があるのかと
思っていた。黒澤明の「影武者」に出てきた長篠の戦を思い出した。

462 :世界@名無史さん:2011/09/24(土) 19:42:44.36 0
>>460
おお、サンクス。ハディセという歌手、youtubeに映像があがってた。胸元どころか、
肩まるだしの欧米風イブニングドレスだ。トルコ凄いな。

463 :世界@名無史さん:2011/09/24(土) 21:52:31.77 0
>>459
>胸の開いたドレス

Women's Costume of the Near and Middle Eastという本の図版にある
オスマントルコ時代の絵画史料にも結構あるぞ。
もちろん外出着ではなく室内着だが。

464 :世界@名無史さん:2011/09/24(土) 23:26:27.70 0
>>463
サンクス。

>>461
よく見てみそ。オスマン軍は単純に火器で破ったんではなく、ハンニバルが
カンネーの戦いでとったのと同じ、中央を退却させて、包囲殲滅する作戦だ。
火器も、中央が退却した後、態勢を立て直す間、火器でハンガリー軍を押し
留めている使い方だ。単純に火器で圧倒しているわけでは無い。史実は
知らんけど、ドラマはそうなってるな。

465 :世界@名無史さん:2011/09/25(日) 00:27:54.56 0
>>461
もしかして、戦闘の部分しかご覧になっていないのではないでしょうか?
26話の冒頭で、スレイマンが狙撃されています。戦闘前のハンガリーの
陣営に大砲が置いてある場面も出てきます。当時の銃は、連射ができない
火縄銃ですから、移動しながら火薬を詰めて撃つのは難しく、敵の方から
銃部隊に突撃してきてくれないと意味がありません。射程距離も短かったと
思いますし。つまり、ハンガリー側に銃や大砲があったとしても、オスマン
朝側は銃や大砲が置いてある場所に突撃していませんから、ハンガリー側
としては銃も大砲も役に立たなかったことになります。戦闘場面の前に、
スレイマンの作戦会議で、地図と駒を用いて包囲作戦を検討する場面が出て
きていますし、CGの場面でも、その時の作戦通りにオスマン朝軍が動いている
ことがわかります。銃や大砲のあるところに、ハンガリー軍を誘き寄せる
作戦だったと思われます。結局、ハンガリー側に銃や大砲があったとしても、
登場していないのは、そういうわけだと思われます。

466 :世界@名無史さん:2011/09/25(日) 16:28:00.93 0
オスマンは、1529年のウィーン包囲に失敗しているけど、1485年にマーチャーシュが
ウィーンを占領し、ウィーンに宮廷を移している。そのハンガリーは
オスマンに破られて宮廷を移している。色々条件が違うのは当然だけど、
なんか面白い。

467 :世界@名無史さん:2011/09/25(日) 19:29:28.58 0
ヤーノシュ・フニャディやマーチャーシュ・コルヴィヌスの軍隊は
中央にフス派の戦車みたいのを並べて歩兵部隊を配置し
両翼に騎兵部隊を置いていたらしいから、ある意味
トルコ軍と似たような戦法

468 :世界@名無史さん:2011/09/25(日) 23:22:22.37 0
ドラマでも第一次ウィーン攻囲再現してくれるのかwktkです

469 :世界@名無史さん:2011/09/26(月) 00:14:09.69 0
メフメット2世のときはオスマン帝国躍進の時代のように思われているが、
実際はかなりやばかったんだな。
ドラキュラがうまくやってくれればよかったのに。

470 :世界@名無史さん:2011/09/26(月) 00:47:32.81 0
>>465
そうか。CGの部分は重要だったんだな。450でCG無くても問題ないみたいな
ことが書いてあったから良く見て無かった。実際安っぽく見えたし。でも
ちゃんと意味があったんだな。

>>469
第一話が即位みたいだから、26話で1526年ってことは、1年13話だから
39話でウィーン包囲ということになるなあ。

早送りができればいいんだけどな。html5とか設定してみたけど
駄目だった。ウィーン包囲の回が来たら書き込み頼む。取りあえず39話の
前後は見てみるわ。

471 :世界@名無史さん:2011/09/26(月) 03:59:12.82 0
>>451
東欧は都市の発展が遅れたから。その理由はスラブ人が都市を作らなかったから。
もちろんゲルマン人も民族移動後しばらく都市には住まなかった。都市には引き続き
ローマ人が住んでいたが、やがてローマ都市は衰退した。中世西欧都市の勃興は
12世紀から13世紀にかけて、主にスペインと北イタリア、バルト海沿岸などで始まる。
スペインはイスラム都市を征服したから。大聖堂と大学が都市勃興のバロメータ。
東欧では、13−14世紀に都市が建築されるが、これは為政者の政策によるもので、
多くは”ザクセン人”やユダヤ人を移住させたもので、ハンガリーのように、
都市=ザクセン人の居住地となってしまったところもある。北海沿岸もドイツ人の
征服が進んで、北海・バルト貿易はゲルマン系民族のものとなってしまった。

 ビザンツ帝国の都市が衰退したのも東欧の都市化が遅れた理由の一つかも知れない。
ビザンツ都市というと、コンスタンティノープルの話ばかりで、地方都市の実情というのは
あまり聞かない。思いつく都市と言えばテッサロニキと黒海沿岸の都市くらい。
 ビザンツは、都市及び都市文化という観点では、イスラームの防波堤になってしまった
のも痛い。更にとどめを刺したのがオスマン。都市はオスマン人が独占し、
現地人は農村に留まった。オスマン治下のバルカンで都市化が進むのは18世紀
くらいから。

472 :世界@名無史さん:2011/09/26(月) 10:10:14.47 O
ゲルマン人による破壊よりスラブ人による破壊の方が
激しかったのかね?
西側ではイタリア諸都市国家を始めとしてメンツが揃ってるが、
東側ではビザンツとセルビアとブルガリアくらいしかないような。

473 :世界@名無史さん:2011/09/26(月) 10:33:57.88 0
スラヴ人はそれ程破壊はしていないと思う(やったのはアヴァール。スラヴ人は
アヴァールとともに南下・西進しただけ)。農耕民で、都市に住まなかっただけ。
ブルガリアでも9世紀までローマ都市が残っていたが、スラブ人はその都市には住んで
いなかったそうだ。彼らは農村に住んでいた。ローマ都市は農村と交易して
生きながらえていたが、やがて消滅したらしい。その後ブルガリアは都市の無い国
(要塞はある)となり、1014年にビザンツに征服されても都市化は起こらなかった。

あと2,300年あればスラヴの中から自発的に都市が勃興したかも知れないが、
13世紀の西欧の人口密度の地図を見ると、北イタリアとフランフ北部−ベネルクス
あたりの人口増加が激しい。交易都市というより、密度の高い農村の過剰
人口が都市に押し出されたような印象もある。東欧は人口密度が
低すぎたので、人口過剰都市勃興もあまり期待できないかも。

西欧人口密度上昇の理由はよくわからない。三圃農法による生産性向上とか?
あと、欧州のローマ帝国の外には都市が無かったことも一員かも。

474 :世界@名無史さん:2011/09/26(月) 21:43:00.63 0
中世になってヨーロッパは衰退したとは言うが、
おそらくローマ帝国が北に領土を広げ、各地に都市を建設したことは
ヨーロッパ文明の種をまいたのと同じことだろう。
イタリアやフランスの大都市はみんなローマ由来だし。
で、西側では本拠地に近いせいかえらく北(ゲルマニア)まで行ってるが、
東側ではすぐにドナウ川の南まで後退してるな。
ここらへんの違いが後世あまり東ヨーロッパに都市が発展しなかった理由じゃないの?
それにスラブ人と違い、常にローマに接してたフランクやゴートは
ローマ文明を大切にしそうだし。

475 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/26(月) 23:06:45.51 0
何か、スレ違いな方向に話が進んでるなぁ。話をオスマン帝国に戻すけど、
オスマン帝国ではそれなりに都市化が進んでたと思う。>>471が言うように、
バルカン半島では18世紀以降のことだったそうだけどアナトリアのほうでは、
どうだったんだろう?現在、トルコ共和国ではかなり都市化が進んでるけど、
これらが始まったのはやはり18世紀からなのかな。林佳世子氏の話とかを、
聞くとオスマン帝国で都市的文化が成熟したのは後期からという感じするし。

476 :世界@名無史さん:2011/09/26(月) 23:20:03.64 0
なら「なんで東ヨーロッパは西ヨーロッパになれなかったか」
でも建てるか。

477 :世界@名無史さん:2011/09/27(火) 01:36:16.76 0
>>466
マーチャーシュは最初の頃オスマンと戦って敗北し、その後オスマンと戦うのは
やめている。この頃オスマンに打撃を与えていたヴラド三世を逮捕して10年以上
軟禁しているが、これはオスマンと取引したのではないかと思う。マーチャーシュは
案外策士だよなぁ。ヴラドがずっと戦い続けていたらどうなったろう。まああの手の
タイプはそもそも長生きしそうにないけど。

>>475
アナトリアではセルジュークの時代からイスラム都市が結構あったように思う。
各地にセルジューク時代のマドラサが残っているし。とはいえ、それらがそのまま
オスマン時代にまで繁栄を続けていたかどうかはよく知らないので、実際
どうだったんだろうね。イスラーム都市はモンゴルとかの破壊の後も
結構直ぐに復活しているので、なんとなくずっと存続していたイメージが
ある。


478 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/27(火) 05:49:24.46 0
>>477
確かにアナトリアの有名な都市は大抵セルジューク朝やその前のビザンツ帝国時代から、
存在した都市が多いからね。ずっと存続してたようなイメージは確かにあるね。

479 :世界@名無史さん:2011/09/29(木) 08:03:07.78 0
トルコ語ができないとMuhte?em Yuzy?lを見てても苦痛だ。1時間半はちょっときつい・・・。

480 :世界@名無史さん:2011/09/29(木) 11:49:50.70 0
>>479
確かに1回NHK大河ドラマの2回分だから、全部見るのはしんどいと思う。
特に後宮の話は会話ばかりだ。でも26話は戦争の部分が多いから割と
楽しめると思う。

自分はこうして楽しんでるというだけで、参考になれば、というだけの話だけど、

言語のわからないドラマを楽しむ方法は、言葉がわからない外国を旅行するのと
同じだと思う。日本語の観光ガイドを参考にしつつ観光地を見学するように、
スレイマン関連の情報を参照しつつ見る。見ながら学習する感じかな。

あと、登場人物のキャラクターと役割を把握しておけば、会話を勝手に想像して
楽しむという方法がある。想像する筋書きと矛盾した場面が出てきたら、
どうしてそうなったか推理する。まあ、ノリとしては推理を楽しむ感じ。

更に、衣装や建築など、展開など「本当にそうだったのか」となるべく疑問に
思いながら、史実を確認するきっかけを作りながら見る。

最後は簡単な会話帳を購入しておいて、何度も出てくる言葉(挨拶とか、
5W1Hとか)を覚えると、理解の度合いが結構高くなる。全然わからない言語の場合
例え1%しかわからなくても、0と1では大きな違いがある。

とはいえ、「壮麗なる世紀」は冗長な演出が多く、後宮での側室達と女官の
陰険な争いが延々と続く(少なくとも24話までは)くし、豪華絢爛な衣装も
何話か見れば飽きてくる。第二シーズンでは、CGの場面も増えているし、
25,26話を見た限りでは大分引き締まったように思える。取りあえず明日には
27話がアップされる筈だから、モハーチ後、後宮ものに戻ると思うのだが、
どの程度冗長な部分が削減されているかを確認してから、今後も見続けるか
どうか考えたいと自分は思っているところ。

481 :世界@名無史さん:2011/09/29(木) 11:53:35.94 0
明日じゃなくて今日だね。もうアップされていた。帰宅後みる予定。

482 :479:2011/09/29(木) 20:47:26.44 0
>>480
そうなんだ。ありがとう。とりあえずその25・26話を見るとこから始めるよ。
となるとやっぱしまだ先だけどウィーン包囲とイブラヒムの死あたりに期待だな。

483 :480:2011/09/29(木) 23:20:22.33 0
27話見た。ヒュッレムの新しいライバルが登場したようで、なんかしばらく
後宮話が続きそう。。。。で、その登場したライバルかも知れない人とは、
Isabella of Portugal (1503-1539)か、
Infanta Isabel de Castilla(1518-1536)のどちらかの模様。
というのは、前半では確か「カスティーリャのイサベラ」と言っていたのに、
後半では「ポルトガルのイサベラ」と言っていた。年代的に該当するのは
この二人だと思われるんだけど、両者とも海賊に拉致されてコンスタンティノープルに
つれて行かれたわけでは無さそうなので、まったくのフィクションかも。
ずるずると次回も見てしまいそうだけど、次回、人質としてスペインや
ポルトガルとの外交交渉などが出てくるのであれば、今後も見続けるかも
知れないけど、またしても後宮話が続くのであれば、ウィーン包囲まで
見ないかも。

あと興味深かったのは、スレイマンがブダの王宮を見学し、マーチャーシュ王の
収集物を見学するんだけど、その時にアリストテレスとかプラトンの名前が
でてきて、そういえば、オスマンでアリストテレスとプラトンは受容されたの
だろうか?と知りたくなった。後目についたのは、

・スレイマンが夢の中で、イブラヒムに嘲笑われている場面。後の処刑への伏線かも。
・イブラヒムと王女・侍女の会話はスペイン語のようだった。トルコ語音声が被せて
あるので良くわからなかったけど。イブラヒムは第一話でヴェネツィア大使と
イタリア語で会話しているし、売られてきたヒュッレムと同期の奴隷はロシア語で
会話していたり、この辺りは芸が細かいが、25,6話のハンガリー人は
トルコ語だった気がする。更に考えると、ラヨシュ二世って、何語が彼の
母国語だったのだろう。ポーランド語を話せたのだろうか?
そのくらいかな。

とまあ幾つか興味を刺激してくれたけど、27話はあんまり面白くなかった。

484 :世界@名無史さん:2011/10/04(火) 22:22:51.41 0
>>483
プラトン主義や(新プラトン主義の著作物と混同されつつながらも)アリストテレス主義の受容は
イスラム世界でも伝統的な思潮だと思うけどな。
コスモポリタン的なオスマン帝国では、なおのこと、それらが許容される余地は充分大きかったろうし。

485 :世界@名無史さん:2011/10/08(土) 14:27:59.79 0
2度も帝位に就いたムスタファ1世は名君

486 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/10/08(土) 18:07:14.10 0
>>485
いや、ただ単に状況的に仕方なく2度就いただけのことだと思うんだけど。
オスマン2世が殺された時、ムラト4世がまだ若かったから即位しただけ。
でも、結局あまりにも微妙だったから、1年程度で退位させられてるしね。
そう言えば、彼の即位前後から兄弟殺しが行なわれなくなってきてたね。

487 :世界@名無史さん:2011/10/08(土) 18:42:44.71 0
そんなあからさまな釣りにレスなんて・・・。
兄弟殺しはアフメト1世が中止したんだな。

488 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/10/08(土) 19:29:40.67 0
>>487
まぁ、半分釣りだとは思ってたけど過疎気味なこのスレにおいては、
多少の話題提起にはなるかなと思って。アフメト1世の治世頃から、
兄弟殺しは行なわれなくなって、代わりに幽閉するようになったね。

489 :世界@名無史さん:2011/10/08(土) 20:57:35.86 0
中期オスマンってまとまった研究書も少ないし謎が多いな。

490 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 01:14:11.97 0
雄man
まさに男の帝国

491 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 02:10:27.21 0
興味あればですが・・・
http://www.hmv.co.jp/news/article/1110060077/
http://img.hmv.co.jp/image/jacket/400/42/2/1/946.jpg
サヴァール/オスマン帝国で聴かれた音楽 2011年10月6日 (木)
多民族国家オスマン帝国で聴かれた音楽 その口承伝統音楽の豊かさ!

『東洋=西洋(1000−1600)』、『イスタンブール』に続く今作は、オスマン帝国の最盛期である1400−1800を対象とし、
オスマン帝国、アルメニア、離散したユダヤ、それぞれの口承伝統音楽を見事に復活させたアルバムです。
また、口承音楽のみならず、器楽による間奏曲によっても、この時間と空間を通過する旅を楽しむことができます。
アルバム・タイトルの『崇高な門』は、もともと、大宰相府に通じる門の名前でしたが、
後に、ヨーロッパとアジアの間の関門というオスマン帝国の位置を意味するようになった言葉。
ジョルディ・サヴァールの霊感に満ちた指揮のもと、3人の歌手とエスペリオンXXIに加え、
トルコ伝統音楽の選り抜かれた演奏家たちの参加が、このアルバムの特色となっています。(キングインターナショナル)

492 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 02:11:41.58 0
>>491
【収録情報】
1. カーシ・セサーワーズ(18世紀):セギャーフ・カル
2. デルヴィシュ・メフメト:タクシームとマカーム「ウッザル・ウスレス」
3. 作者不詳(セファラード、スミルナ16世紀):「そのあたりを騎士が通り過ぎた」
4. 作者不詳(アルメニア民謡):「嘆き」
5. 作者不詳(セファラード、スミルナ16 世紀):「とても早起きな王様は」(器楽曲)
6. ブフリ・ザーデ・ムスラファ・ウトリ(ca1640-1712):ヒサール・アウール・セマーイー
7. ディミトリエ・カンテミル(1673-1723):タクシームとマカーム「ブセリク・ウスレス」
8. ユダヤ民謡:宗教歌
9. タンブーリ・アンゲリ(1690):マカーム「レハーヴィー・ジェンベシュ」
10. 即興曲(トルコ民謡):「ガザル」
11. 作者不詳(カンテミルオウル手稿譜):タクシームとマカーム「ヒジャーズ・ウスレス」
12. セファラードのロマンセ(イスタンブール)
13. タンブーリ・ムスタファ・カルウス(1700-1770):ヒサール・ブセリク・シャルク
14. 作曲者不詳(アルメニア民謡):タクシームと踊り
15. ハジュー・アブデュルカディル・メラーギ(1350-1435):ラースト・ナキエ「ア・メド・ネ・シ」

493 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/10/09(日) 05:03:57.51 0
>>489
林佳世子氏は最近は中期オスマン帝国の研究も進んできてると言ってるけど、
日本においてはそこら辺の時代について詳しい概説書はまだあまり多くないね。
日本のオスマン帝国の概説書はほとんど記述がスレイマン1世頃までの前期と、
セリム3世頃からの後期に偏ってて、その間はアフメト3世のチューリップ時代が、
少し詳しく書いてる程度な気がする。キョプリュリュ時代なんかも、記述薄いしね。

>>491-492
へ〜、こんなの出てるんだ。オスマン帝国時代の音楽なんてメフテルぐらいしか、
聞いたことないからなぁ。多民族帝国らしく、色んな民族音楽をまとめた感じだね。

494 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 13:26:38.65 0
オスマンとかビザンティンとか、古代イランとか、色々出てるよ。
ただ、今では売れてないようで、日本アマゾンでは中古が高額なものばかり。
しかも英語版の出店で。USかUKアマゾンで買うのがお奨めです。1/10くらいで入手できる。

US/UKアマゾンだと、値段が10倍とか違うのに、なぜJPアマゾンであんな
高額な値付けをするのか理解できない。

495 :レリン ◆SOLUNbNOGQ :2011/10/09(日) 15:59:54.49 0
 アフメト1世の時代といえばスルタン・ヤヒャなる謎の人物がいる。
 ヤヒャはメフメト3世の三男で後継者ライバルの殺害を恐れた母親により逃され各地を
転々としながら潜伏生活を続けていた、と。しかしメフメトの長男・次男と死亡したため帝位継承者
がアフメトに決まり、継承権を逃したヤヒャは本来自分のものとなる筈だったスルタンの座を「とり
もどす」ために蜂起を開始したというのことだそうだ。実際にはメフメトにはそもそもヤヒャという
名の息子などおらず、このヤヒャも子供の頃に正教に改宗したと主張したり、教皇を始めとする各国
に支援を要請する際には「スルタンに返り咲いたらオスマンの国教をキリスト教とする」などと我々現
代人からみたら胡散臭さがつきまとう。しかも後にアレクサンドロスの再来を自称し名前もアレクサン
ダルに変える始末。相棒もカトリック神父と思われるレヴァコヴィチやアルバニア語話者とギリシャ語
話者のハーフで当時は有名だったらしいヴェルゴという名の盗賊と雑多な構成。
 バルカン各地ではアルバニアのカルメンディ族を支配下に置いたり、その他大体旧ユーゴ地域に相
当する範囲内で多数の反乱を組織、小アジアの反アフメト勢力を支援、挙句には黒海北岸から船団を
率いて直接イスタンブールを攻撃したこともあったそうな。これだけ派手に行動をしているのにも関わら
ずオスマン側の記録には何故かヤヒャの名は存在しない(筈)。無論ヤヒャの正体も分かっていない。
 

496 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 23:24:43.98 0
黄金の鳥篭って帝国滅亡時までやってたの?

497 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 23:37:24.83 0
みんな詳しいな
自分は
オスマンベイ
バヤジット1世
メフメト2世
セリム1世
スレイマン1世
アブデュルメジト1世
アブデュルハミト2世
しか知らん。
バヤジット1世がニコポリスの戦いでアドリアノープルに遷都だっけ?

498 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/10/10(月) 06:56:57.33 0
>>495
そんな人初めて聞いたなぁ。オスマン帝国側の史料には名前が載ってないということは、
バルカン半島や西欧諸国で近代になって形成された眉唾伝説という感じがするけどね。

>>496
18世紀頃にはなくなってたような気がする。アフメト3世とか弟だったけど若い頃、
幽閉されてたっていう話は聞かないし(もしかしたらされてたかも知れないけど)。
具体的にいつ消えたかは知らないけど、流石に滅亡時まで続けてはないでしょ。

>>497
アドリアノープル(エディルネ)を征服したのはバヤズィト1世ではなくてその父の、
ムラト1世だよ。彼の時代からコンスタンティノープル陥落までここが首都だった。

499 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/10/10(月) 06:59:02.60 0
>>494
詳しい情報ありがとう。かなり興味あるのでUSアマゾンあたりで買ってみようと思う。

500 :世界@名無史さん:2011/10/10(月) 11:17:06.61 0
>>496
『夢の雫、黄金の鳥篭』の中身が帝国滅亡までやってた、という話かと
思ってしまった。。。

501 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/10/10(月) 11:31:18.32 0
>>500
あぁ、確かにその漫画もオスマン帝国を舞台にした話だからね。そういうふうに、
とれなくもない。まぁ、あれはヒュッレムが主人公の話だからそんな訳ないけど。

502 :世界@名無史さん:2011/10/10(月) 12:52:07.01 0
>>498
そうでしたか
ジギスムントと戦ったのがムラト1世で
ティムールに負けたのがバヤジットで1世か
セリム1世がマムルークと。

503 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/10/10(月) 13:19:01.68 0
>>502
いや、ニコポリスでジギスムントと戦ったのはバヤズィト1世だよ。
アドリアノープル征服は、その前にムラト1世が行なってるけどね。

504 :世界@名無史さん:2011/10/10(月) 15:08:45.06 0
紀元前後の西アジア研究者春田晴郎先生がブログで、『夢の雫、黄金の鳥篭』
第一巻の発売を宣伝してた。確かこの先生、10年程前に『天は赤い河のほとり』も
まじめに論評していたのだけれど、タイムスリップものなんて荒唐無稽な
漫画をまじめに論評する学者も学者な気がするけど、
学者にまじめに論評される漫画を書く漫画家というのも凄い。

作者の篠原千絵は、このスレでも出ている、スレイマンのドラマの放映開始の
少し前から『夢の雫、黄金の鳥篭』の執筆を始めていたようで、
放映開始直前くらいにツイッターで「みてみたいー」とか叫んでいた。

まったく関係は無いのだろうけど、9/9日に第一巻が発売になり、9/22日の
ニューズウィークに「壮麗なる世紀」の紹介が載るなど、偶然なのだろうが、
密かなヒュッレムものの盛り上がりを感じる。

それにしても、五月頃は、『夢の雫、黄金の鳥篭』のネット上の情報は
少なかった(掲示板は盛り上がってたけど)けど、。第一巻が発売されたら、
一気にアマゾンレビューが書かれたのでやっぱ関心ある人は多いんだね。

『天は赤い河のほとり』は英訳版が出るくらいの人気だったから、
『夢の雫、黄金の鳥篭』も人気が出て、「壮麗なる世紀」の日本語版が
出るくらなブームになってくれるとうれしい。という意味で、
『夢の雫、黄金の鳥篭』に自体には実はあんまり興味は無いんだけど、
ブームになるよう後押しするべく、第一巻、今アマゾンで注文した。

505 :世界@名無史さん:2011/10/10(月) 15:09:46.65 0
>>495
これのことか!
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Jahja
Wikipediaは英語版もひどいな。ヤヒャがメフメトIII世の息子だって断定してある。

506 :世界@名無史さん:2011/10/10(月) 15:19:02.06 0
Wikiは誰でも編集できるから、間違いを発見したら訂正するようにすれば
少しはましになるのではないだろうか。

昨夜スルタン・イブラヒムの項目で、彼が殺される時に
母親のキョセム・スルターンが一緒の殺されたと書いてあったので
訂正しておいた。

507 :世界@名無史さん:2011/10/10(月) 16:10:17.09 0
アドリアノープルに遷都したのがムラトでニコポリスとアンカラがバヤジットか・・・


508 :世界@名無史さん:2011/10/10(月) 16:53:48.84 0
>>498

電波飛ばすな。一部のスルタンが幽閉を免れただけでしっかりメフメト5世まで鳥篭内だぞ。

509 :世界@名無史さん:2011/10/10(月) 19:08:32.71 0
「イスランブール 三つの顔を持つ帝都」によると、
アブドュル・ハミト一世は以降は名目的な収容で実際はかなり自由になったと書いてある。

510 :レリン ◆SOLUNbNOGQ :2011/10/10(月) 20:58:18.54 0
>>505
 その項目は資料の使い方自体おかしい。注が5つあるが、その中でヤヒャについて触れてあるのはマル
コムの著作とドイツ語のリンクだけ。ドイツ語の方は音楽祭の公式サイトであり、記事はほとんどマルコム
の著作の感想文程度。マルコムの著作では一次資料を用いてヤヒャのことが紹介されている点で価値が
あるが、その血統についての判断は保留されてある。ただ、マルコムはいかにも「そうであってほしい」との
想いを滲ませており、ウィキの記事はそれを一方的に紹介しているだけ。本来なら例えばヤヒャの言動や
同時代人によるヤヒャの記録に対する批判的解釈(ヴァカロプロス等)も紹介されてもいいはずなのだが・・・。

あと今更だが、>>483が気になったので27話だけ見たのだが

> というのは、前半では確か「カスティーリャのイサベラ」と言っていたのに、
> 後半では「ポルトガルのイサベラ」と言っていた。
これは多分「フォルトゥーナ(家)」の聞き間違いでは?こんな家系がカスティージャに実在した
かどうか知らないが貴族みたいだから王女じゃなく公女と訳したほうがいいかもしれない。

> ・スレイマンが夢の中で、イブラヒムに嘲笑われている場面。後の処刑への伏線かも。
実際そうだろうね。27話終盤でヒュッレムがスレイマンに「イブラヒムは今回の戦いは自分の
功績だと吹聴しているとの噂がある」と言って仲違い工作をしていたから。ただ、矛盾(?)し
た展開もあって、ヒュッレムがまじない師に遅効性で医師による診断が不可能な毒の調合を
依頼していた。もし自分でイブラヒムを殺すのならわざわざス・イ間の対立を煽る必要はない
のではと思った。

> ・イブラヒムと王女・侍女の会話はスペイン語のようだった。
イブラヒムがやや大声で「プリンチペッサ」と言ったのが聞こえたから少なくとも彼はイタリア語だと思う。



511 :世界@名無史さん:2011/10/10(月) 22:30:55.92 0
>>510
ありがとう。実は、放映しているテレビ局のHPを見て、
ポルトガルではなく、Kastilya Prenses'i İsabella Fortuna だとわかっていた
だけど、その後この番組が話題にならなかったので、そのままにしておいたんですわ。

イブラヒムがイタリア語だとすると、何ヶ国語も話せるわけでも無いので、
現実味が増した感じ。スペイン語とイタリア語では当時は今より
意思の疎通ができるということか、あるいはイサベルがイタリア語が
話せるのということなのか。。。。。今後はも少しイタリア語か
スペイン語か、集中してみて見ますわ。

毒の件は、28話でイブラヒムが書庫から持ちだした本に、こっそり
ヒュッレムの指示で薬師が毒を塗りつける場面があるので、毒殺の
意思は難そう。矛盾ではなく、なんでもやってみるという浅知恵なのかも。

512 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/10/10(月) 22:38:11.46 0
>>504
篠原千絵先生の漫画は僕も結構好きなので「夢の雫、黄金の鳥籠」も発売日から買った。
普通に面白いし、「天は赤い河のほとり」よりも史実性は高まってるような印象を受けたね。

>>508
あれ、そうなのか。アフメト3世とか一部のスルタンを除けば基本的には幽閉されてたんだ。
てっきり近代以降やらなくなったと思ってたよ。まぁハレムとかも割りと近代まであったしね。

513 :世界@名無史さん:2011/10/12(水) 15:36:45.02 0
>>459
>胸の開いたドレス

Son Osmanli という2007年トルコ製作の、第一次大戦直後のイスタンブールでの
反英・反政府活動家の活躍を描いた映画があるけど、完全に女性の胸がアップで
見える場面が出てくる(007よりお色気度の低い普通の歴史活劇)。

ネットにあがっているのを見たけど、英語字幕ではなく、そもそも英語版dvd
も見当たらないので、恐らくこのままでトルコでも放映された可能性が高い。
もっとも、ヌードの場面を演じた女優さんは、ウクライナ人で、トルコに
来て女優として活躍するようになったらしいので、イスラム教徒では
ないようだ。

514 :世界@名無史さん:2011/10/16(日) 13:46:54.86 0
「壮麗なる世紀」のあらすじを紹介してくれている人サンクス

あのドラマでのハフサ・ハトゥンとヒュッレムにハディジェ
マヒデヴラン母子はどんな描写・設定なのか教えてください

515 :世界@名無史さん:2011/10/17(月) 23:47:36.00 0
このドラマ以外に伝記や映画を見たことが無いので(黄金の籠も買ったけど
まだ読んでいない)、他作のキャラとかの比較が出来ないので、ポイントが
わからないのだけど、とりあえず(しかも言葉がわからないので、
あくまで印象ということで)。

ハフサ・ハトゥン(いつもヴァリデと呼ばれている)は、後宮の束ね役の
ような感じ。後宮で生き延びて来たのだから、それなりに女達の争いに
気づいていると思うんだけど、見ている限りでは、普通にマヒデヴランを
立てている。

ヒュッレムとマヒデヴランは普通に火花を散らして意識しあっているし、
陰険な陰謀とかも熟知しているけど息子が一応嫡子なので、脇が甘そうな感じ。

ヒュッレムは、思ったより陰険でないというか、大石内蔵助型の深謀遠慮とも
思えないし、長期的策謀家という感じはしないのだけれど、弱みを握られると
困る女官とかライバルの前で突発的な感情を見せない感じ。冷静沈着とも違う。
うまくいえない。すいません。

ハティジェは基本的にお嬢さん。世間知らずの深層の令嬢という程では
ないけど。

なんというか、全体的にご近所の奥さん、おばさん達の世界という感じ。
大奥とか見たことないのであまりわからないけど、後宮ものって
ご近所の主婦達のややこしい世界に似てる感じ。

516 :世界@名無史さん:2011/10/18(火) 23:12:46.84 0
そのご近所の主婦の争いがトルコの女性にうけてんだろうな

517 :世界@名無史さん:2011/10/19(水) 12:54:35.48 0
更にちょっと考えてみた。国家レベルの陰謀の世界を描く(主にフィクション)の
場合、例えば、腹心の超有能な部下が秘密組織までつくっていて、
ボス自ら手を下さずとも、ボスの意向を聞いて、汚い仕事はすべて
引き受ける、というようなことがあったりする。更にボスの弱みを
握り権力を握ろうとしたりする(フーシェみたいに)

このドラマの場合、そういう感じはあまりしない。ヒュッレム派の宦官や
女官はいるけど、ヒュッレムがいちいち自分で指示出している。この程度だと、
イブラヒムが本気になって間諜を使えば、ヒュッレムの陰謀など直ぐに
探知されてしまいそう(もっとも一括して指示をこなすフーシェみたいな
部下を持つとヒュッレムが弱みを握られることになりかねない。ヒュッレムは
それを避ける知恵がある、という描き方なのかも知れない)

逆に言うと、そういうところが、ドラマをご近所の主婦レベルに留めていて
トルコの主婦(ニューズウィークによるとアラブの主婦にも)にうけている
ということなのかも。

前回うまくかけなかったヒュッレムだが、動揺をあまり表に出さない、
過去の傷に引きづられない、そういう意味で強く逞しく粘りと持続力のある
女性という描かれ方。一見強くても折れやすい人もいるけど、ヒュッレムは
大丈夫な感じ。例えば病気でヒュッレムの男の子が全滅するとかすると
折れてしまいそうだけど、この番組のヒュッレムでは、そうなっても
一時的にはともかく、長期的には崩れそうにない、という印象がある。

518 :世界@名無史さん:2011/10/19(水) 21:54:34.48 0
イブラヒム=パパイヤ鈴木

519 :レリン ◆SOLUNbNOGQ :2011/10/22(土) 18:39:12.82 0
>>511
28-29話を見たけど、参考までに

人質関係
・イザベラはオーストリア大公フェルディナント(後の神聖ローマ皇帝)の従兄弟であるフレデリック
(多分架空)の婚約者という設定で、スレイマンはこの事件を利用し戦争をしたいという意図をほの
めかしており、実際に外交団が身代金の交渉を求めてもこれを無視した。これはウィーン包囲への
序章と見てもいいのでは。
・イザベラはイブラヒムとはイタリア語を使用。イザベラの世話役及びトルコ語教師に任命されたス
ペイン人のメレクが通訳をしているときはスペイン語で。
・侍女はスレイマンに感服したけどイザベラ本人はその逆。
・この二人の正体を知っているのは宮中ではスレイマン、イブラヒム、シュンビュル、メレクのみ。
・フェルディナントはフレデリックに「外交的手段のみで解決するので介入するな」と命じたが、
フレデリックはそれを無視してイスタンブールに侵入。

出産
・1-26話を見ていないので知らないが、27話でヒュッレムとハティジェの間に過去に何らかの因縁があった
らしく、ヒュッレムが安産を祈願しお守り(金貨)をハティジェに渡すといったときにマヒデヴランが「そんな
もんで許してもらえると思っているのか」と皮肉を言う。また、これ以前にハティジェは例のまじない師に占って
もらったらしく、子供は金髪であること、そして2人を付狙う影があると警告されとた、とイブラヒムに言う。
・ヒュッレムが出産を手助けしたことでハティジェはすっかり過去の因縁を忘れたみたい。また、ハティジェが
出産後になんでもないことに怒り出すなど精神的に不安定に。母親も娘の様子がおかしいことに気づいたこと
から、もしかしたら何か外部要因があるのかも。


520 :レリン ◆SOLUNbNOGQ :2011/10/22(土) 18:39:38.79 0
(続き)
・イブラヒムがヒュッレムを呼び出して礼を言ったが、ヒュッレム本人はいずれイブラヒムに復讐すると警告。
そしてヒュッレムはハティジェに例の人質は実はヴェネツィア人でイブラヒムの愛人ではないかと言って夫婦仲
を乱そうとする(ただし目論見は失敗)。今度は逆にイブラヒムがヒュッレムに報復を警告する。
・子供は早産・未熟児で、女医が健康状態がかなり不安だと告げる。番組の最後の方で早速体調に異変が生
じたが、これも健康不安があるからこそ本来遅効性である毒が即効になったのかも。

スレイマン
・29話で性格が豹変。28話ではイザベラがどんな罵声を浴びせても涼しい顔で切り返し、むしろ楽しんでいた
のが29話からは機嫌を損ねるようになった。
・帝国の拡大や子供の出産といううれしい出来事によりイブラヒムは妄想の世界に入り込む。そこで自らをギリ
シャ神話の神、帝国を自分の所有物に例えた独り言を始めるがその現場をスレイマンが目撃。これで26話の
伏線が生きてきたのか、スレイマンが露骨にイブラヒムを警戒するようになる。アナトリアで反乱が生じたが、他
の手下のものでなくイブラヒムに鎮圧を命じる。
・これにハティジェと母が反発し、母がスレイマンに代わりの者に鎮圧を命じろと陳情。しかしスレイマンはまるで
相手にせず。そして母は「お前は父親とそっくりだ」と。本来は慈悲に基づく統治を行いたかったスレイマンは
変わり行く自分の姿に恐怖を感じる。


521 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 21:47:25.37 0
>「お前は父親とそっくりだ」

ムスタファにスレイマンは本当にひどいことをしたね(´・ω・`)
シェフザーデ事件の第一幕ムスタファ・ムラト父子処刑の無残さは
セリムの身内殺しをはるかに凌ぐよ

異母兄弟との待遇に差をつけられてたにもかかわらず
父親を慕っていた息子をスレイマンは殺し
その忘れ形見ムラトもムスタファの無実を認めたにもかかわらず
ムラトの挙兵を恐れて処刑したんだから

522 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 00:23:10.95 0
>>519-520
おお、すばらしい。ついでといっては何けど、もし30話も見たら、以下の2点に
ついて教えてくれるとありがたい。

・スレイマンが後宮の皆の前でムスタファに声をかける場面(その後イサベラに紹介しにゆく
直前の場面)、あれはどういう意図なの?母に説教されたから?
・イサベラがスレイマンと一夜をともにすることを決心したのは、フレデリック解放の下心があるから?

523 :世界@名無史さん:2011/10/25(火) 23:32:26.81 0
仮に今でもオスマン帝国が存続していたらどうなっていんだろう?
第1次大戦時に何らかの理由で参戦しなかった場合とか

トルコ民族主義の高まりから正式に「オスマントルコ帝国」または「トルコ帝国」改名して
クルド人やアラブ人から総すかん食らう可能性もあっただろうし
(実際実際オスマン帝国末期はトルコ人の知識人を中心にオスマン帝国のことをトルコ帝国と呼ぶ人も多かった)

ただクルド問題に関しては今のトルコ政府よりも柔軟にやったと思うし

パレスチナ問題や大シリア地方の独立がどうなっていたか気になるんだが
はっきり言って大英帝国でも嫌になったユダヤ人のテロ行為を
当時落ち目のオスマン帝国が耐えられるとは思えないし

524 :世界@名無史さん:2011/10/28(金) 02:38:21.39 0
全然問題ないでしょ。
ユダヤが差別されるのはキリスト教社会における慣習だから。
他教徒には関係ない。

525 :世界@名無史さん:2011/10/30(日) 01:33:47.25 0
オスマン帝国内部の民族紛争より
ソ連の内政干渉と侵略行為のダメージの方がでかそうだ

526 :世界@名無史さん:2011/10/30(日) 23:35:45.40 0
アルメニア人やセルビア人、ブルガリア人も犠牲にならずに済んだだろうか?
彼らがトルコ人と対立したのは欧米列強にナショナリズム煽られた結果じゃないかと思うんだが。
列強の植民地政策のしわ寄せをくらって、オスマントルコはそれまで温和に共存してきた諸民族を失ったんだよね。

あとクルド人問題やアルメニア人虐殺問題も、欧州側が必要以上にトルコの悪辣さを騒ぎ立ててるとこってない?
アルメニアロビーの強力さは向こうじゃ有名だし、EU加盟も阻止したいでしょ。

527 :世界@名無史さん:2011/10/31(月) 03:05:25.08 0
自国が分裂を防ぐために、力で国内の異民族の独立を阻止し、その結果としての虐殺も許されると言うのなら、
今の中国がチベットや新疆ウイグル自治区でやっていることも非難できなくなるぞ。

528 :世界@名無史さん:2011/10/31(月) 03:05:41.98 0
オスマンのときは何の問題もなかった

529 :世界@名無史さん:2011/10/31(月) 03:14:36.47 0
ツッコミどころが多すぎて

1. 中国は今列強に分裂の危機にさらされていない
2. チベットやウイグルで大量虐殺は起こっていません(まだ)
3. オスマントルコは分裂を阻止したのではなく滅亡を死守したのです。

530 :世界@名無史さん:2011/10/31(月) 03:35:18.04 0
>>529
その通り!
今のクルド人問題にしろ他の民族虐殺にしろ、諸悪の根源はオスマンじゃなく西欧列強だな。

531 :世界@名無史さん:2011/10/31(月) 03:42:24.02 0
>>523
どういうスルタンの治世なのかにもよるが
オーストリアは今頃、帝国の一部にされていたかもね

532 :世界@名無史さん:2011/10/31(月) 03:48:59.99 0
欧米のえげつなさなんて今に始まったことじゃない
自分たちを正当化するために異教徒を虐殺し、イスラム世界を残忍非道な殺戮者に仕立て上げるなんていつものことです

大体、アルメニア人虐殺だって、トルコ政府はそんな事実はないと言い張っているのに
世界中の殆どの歴史家は「あった」ということで意見が一致している
これ日本に置き換えてみな?日本政府がいくら「南京大虐殺は濡れ衣だ」と主張し続けても
歴史家の殆どはそれを信じてくれず、外国政府までそれを日本締め出しの道具に使ってるようなもんだぞ

533 :世界@名無史さん:2011/10/31(月) 03:52:34.35 0
クルド人への迫害も、確かヨーロッパの度重なる非難を受けて状況が改善しつつあるんだって?
そもそもクルド人がトルコから弾圧される原因を作ったのは自分たちなのに、よくあんな事言えるもんだと思ったわ
お上品に面の皮が分厚い白人どもはオスマンにこぞって征服されていた方が良かったかもね
ナチスドイツによるユダヤ人虐殺だってもしかしたら起きなかったかもしれないし
オスマントルコはその寛容な知性でユダヤ人も他の民族も上手くまとめてこられたんだから

534 :世界@名無史さん:2011/10/31(月) 03:57:20.33 0
クルド・アルメニア・ギリシャ・ブルガリア・セルビア…
これみんな西欧に焚きつけられなければ民族自決なんか考えることもなかったし
その結果トルコと衝突して殺されることもなかったんだぞ

でも悲しいことに、彼らは今でもトルコを憎んでいるんだよね
真の加害者は世界の盟主面して国連を牛耳り、勝者の特権で世界を好き勝手にしているハゲタカどもなのに


535 :世界@名無史さん:2011/10/31(月) 08:38:44.69 0
>>529
新彊南部のタリム盆地では原爆実験をやって、ウイグル族も下放した漢族も大量に死にいたらしめた。
地下実験だという触れ込みだったのに、陥没した穴が残っていた。

536 :世界@名無史さん:2011/10/31(月) 11:25:09.00 O
チベットのラマ僧も虐殺されてるよね
独立運動を叫ぶものは徹底的に弾圧される

537 :世界@名無史さん:2011/10/31(月) 11:31:14.64 0
「独立派」だという濡れ衣を着せられて投獄されているだけ。
投獄前の人物をを知っているならば、ほぼ濡れ衣。

個人化経営の拝み屋シャーマンの域をでなければ放置だけれど
徒党を組んで組織化すれば、「独立派」のレッテルを張られて投獄。

TCRDで事実関係を調べたらそんなところに落ち着く。

538 :世界@名無史さん:2011/10/31(月) 11:43:58.05 O
中国の場合はオスマンと違って、外圧がなくても国家分裂は時間の問題ってとこがあるからな

539 :世界@名無史さん:2011/10/31(月) 11:46:53.89 0
国家分裂は、民族問題というより、
実態は東南沿海部の富裕と西部北部・内陸の経済格差問題なのだ。

540 :世界@名無史さん:2011/10/31(月) 16:56:04.55 0
オスマン帝国末期には帝国には近代化の萌芽が見えたが、パレスチナ問題が玉突き状に紛争が拡大して
レバノン経済は大きく後退してしまった。イラクもフセインを排除した後、クルド人を大統領にして
ペシュメルガを支援したり、シーア派民兵のバドル軍団に警察を任すとか欧米は分裂させるのが好きだね。
中東は「部族や宗派間の対立でまとまらない」のではなく、欧米がまとめる気がないのではないか。
そりゃオスマン帝国が解体して各部族が90年代のアフガンのように延々と内戦やってりゃ欧米には都合がいい。
武器も売り込めるし。

541 :レリン ◆SOLUNbNOGQ :2011/11/01(火) 20:42:17.44 0
>>522

> ・スレイマンが後宮の皆の前でムスタファに声をかける場面(その後イサベラに紹介しにゆく
> 直前の場面)、あれはどういう意図なの?母に説教されたから?

 基本的にそう。 
 29話でスレイマンがムスタファを叱るシーンがあったけど、これはその続き。あの時、ムスタファの
弓の教練が上手くいかずムスタファは「乗馬にしたい」と言い、それに対しスレイマンが激怒。
 それで30話だけど、マヒデヴランがアイシェ・ハフサに「ムスタファが父に怒られてから不貞寝した
まま」と訴える。それでアイシェ・ハフサがスレイマンを呼び出し、あのシーンになった。スレイマンとし
ても前半は母の言葉によりヒュッレムを追い返すほど落ち込んでいたんで、ムスタファの希望通り乗馬
しようということに。
 
> ・イサベラがスレイマンと一夜をともにすることを決心したのは、フレデリック解放の下心があるから?
 
 スレイマンがフレデリック解放に応じないどころか処刑も匂わせていたんで(実際は処刑するつもりは
あまりないけど)、「それなら」と言ってイザベラがスレイマンの手をとり屋内で脱いだ。


 いつもの人かな?内容大分把握しているみたいだけど、トルコ語勉強経験あるんじゃない?


542 :世界@名無史さん:2011/11/01(火) 23:00:42.98 0
経済危機に倦んだ元イスタンブル在住のギリシャ人に帰郷の流れ
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20111031_055416.html

> 経済危機により、トルコでより良い未来を探しているのはギリシャ人だけではない。ギリシャへ大きな希望を抱いて
> 移住した元イスタンブル在住のギリシャ人(ルーム)らも、移住から何年も経てトルコへ帰郷し始めた。
> 元イスタンブル在住のギリシャ人らは、イスタンブルのギリシャ正教会総主教座やギリシャ系各協会を頼り、
> 出生地に戻った場合仕事や家を見つけることが出来るか否か調べている。さらには、イスタンブルの
> ギリシャ系新聞社に手紙を送り、情報を集めている者もいる。


543 :世界@名無史さん:2011/11/02(水) 01:03:26.30 0
>>541
いつもありがとう!物凄く参考になって助かってる。ムスタファとスレイマンが
急に乗馬したのはムスタファの希望だったのか。またひとつ疑問が氷解した。ありがとう。

ところで、
トルコ語を全く学習したことが無いというと嘘になるけど、ドラマは全然聞き取れない
ので、筋の理解には何も寄与してないと思う。自分に大筋がある程度把握できているとしたら、
演技と演出がわかり易くなっている(と思われる)ことと、全部ではないにしても、
第一話から7,8割は見ているので、キャラの立ち位置がある程度把握できているから
かも知れない。あと、トルコ語が理解できているわけではないので、マークしてない
人物は、以前どのようなエピソードがあったのかよくわからない。例えば、今、
マルコチョーロの片思いが進行中だけど、マルコチョーロはノーマークだったので、
以前どのようなエピソードがあったのか、あまり思い出せない。毎回が長いので
もう一度見る気にはなれないのが残念。

>>519で指摘されているヒュッレムとハティジェの過去の因縁だけど、恐らく、
19話でイェニチェリが蜂起した時、ヒュッレムが、ハティジェの家に逃げ込み、
ヒュッレムを追ってきたイェニチェリがハティジェの家を取り囲み、地下に
避難する時にハティジェが階段から落ちて怪我した一件のことかも。一応
その前後15分程見直してみたけど、ヒュッレムは最初、スレイマン(とハフサ)の
宮殿に逃げ込もうとしたのだけど、既に宮殿入り口で戦闘が行われていて、
やむなくハティジェの家に向かったので、ヒュッレムに責任は無いと思うのだけど、
視聴した範囲の自分の記憶では他に思い当たる箇所が無い。

それにしても後宮話が続くとやはり息切れしてきましたわ。とうとう31話は忙しい
こともあって見れなかった。明後日から連休だからキャッチアップしようと思ってるけど。。。。

544 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/03(木) 11:57:01.41 0
>>526
最初のうちは確かに列強(特にロシア)がバルカン半島のスラヴ人の民族運動を、
煽ってたのは否めないけど、途中からはわりと彼らの自発的な運動になってるよ。
ベルリン会議以降はむしろ東方問題という面倒事に巻き込まれるのを嫌ったため、
バルカン半島で盛んになるナショナリズムを列強としても押さえ込みたかったしね。
単純に西欧の列強がオスマン帝国の解体のためにナショナリズムを煽ったたとは、
言いにくいのが東方問題の難しいところでここら辺を巡る西欧の外交姿勢はもっと、
複雑だからね。特に、イギリスなんか第1次世界大戦まではオスマン帝国の解体を、
望んでなかったし。アルメニア人虐殺とかは現在のEU問題と絡むからまた別だけど。

>>532
さすがにアルメニア人虐殺自体はあったと思うけど。別にトルコと大して利害関係の、
ない国の研究者とかだってあったと言ってるし。まぁ、個人的にこの問題に関しては、
トルコ政府は虐殺の存在の認めるけど、もう100年近くも前の事だから賠償や謝罪は、
しないという方針で通したほうがいいと思う。さすがに修正主義はどうかと思うからね。

545 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/03(木) 11:58:04.38 0
×トルコ政府は虐殺の存在の認めるけど
○トルコ政府は虐殺の存在は認めるけど

546 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 14:26:58.72 0
>>544
アルメニア人虐殺と南京を結び付けようとしているネトウヨを真剣に相手にしている時点
でお前も同レベル

547 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 14:33:31.24 0
クルドとかアルメニアとかは非常に難しいのでなんとも言えないが、
少なくともコーカサスではロシアがイラクではアメリカが
もっと遥かにヒドいことをやってるのだけは確か。

548 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 21:24:08.04 0
壮麗なる世紀、日本が版権買ったという情報がネットに流れてる。そのうち
日本語版が登場するかも。

549 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 21:26:59.75 0
個人的には「壮麗なる世紀」の有料版日本語字幕@ネット公開より
平易な文章で書かれたヒュッレム登場から
女人政治の終焉までを取り上げた歴史ノンフィクション本プリーズだな

550 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/03(木) 21:40:15.72 0
>>549
ちょっと望んでるのとは違うかも知れないけど「寵妃ロクセラーナ」というタイトルの、
ロクセラーナの伝記本がある。少しロクセラーナが美化されてるけどわりと面白い。

551 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 21:50:44.54 0
まあ、視聴者は、オスマンに興味があるより、
「大奥」の視聴者層を当て込んでるんだろう。
題名の邦訳はともかく、キャッチコピーは、
「トルコ版大奥!ハーレムの愛憎」とかなんだろうな。

オスマン自体に興味のある俺としては、政治の場面
をもっと増やして欲しいが、日本版は戦争とかカットされて、
ハーレム場面ばかりになったりするとやだな。

552 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 21:55:54.44 0
>>548
それどこからの情報?なんか信じ難いんだが。

553 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 22:11:15.68 0
>>550
その本はもうチェック済み
あれは伝記ではなく歴史小説で
ヒュッレムを美化するだけならともかく
マヒデブランをあまりに貶めているから生理的に受け付けなかった

息子と孫をその父親(祖父)に殺された女性を
よくあそこまで悪者にできるもんだ
作者は後書きでもヒュッレムをほめていたが
「そんなに魅力的な女性ならあそこまでライバルを貶める必要があるのか」と突っ込みを入れたよ

マヒデブランはハフサ・ハトゥンのお気に入りで
ムスタファを立派に育て上げた女性なのにな

554 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 22:27:53.27 0
>>552
ttp://izniktile.blog.fc2.com/blog-entry-65.html
ガセかも知れないけど、トルコ在住者のコメントのようだから可能性あるかも。

555 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/03(木) 22:34:51.08 0
>>553
まぁ確かにそういう面は否めないね。読んでてヒュッレムを美化してるなぁと感じたし。
そう言えば、上のほうで何度か話題に出てる篠原千絵氏の「夢の雫、黄金の鳥籠」も、
1巻だけを読んだ感じだとマヒデブランを悪女っぽく描いてたなぁ。篠原千絵氏の他の、
作品を読む限り、後の展開で多分それなりに擁護的な側面も描かれるとは思うけど。

556 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 22:45:55.11 0
>>554
サンクス
やはりというか、トルコ発の情報だから余計信憑性がないんだな。向こうだと「歌手のXX
日本公演決定!!」とか「映画XX日本上映」とかのトバシ記事がたまにあるんだわ。

557 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 22:51:11.96 0
>>549
無料でトルコ語版をネット見るか、
有料でネット日本語版を見るか、
有料でレンタルショップで地域限定となるか、
金を払うくらいなら見ないか、

悩むなあ。

>>551
韓流の後宮ドラマはやたら日本語字幕版があるし、中国物も、クイーンズとか、
北魏馮太后とか日本語版でてるし、誰が見るんだ、というくらい後宮物はニーズがあるようだから、
可能性はあるよね。

558 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 22:54:57.57 0
>>554
情報が流れたのは本当かも知れないけど、結果的にはなしなんじゃないかなあ。
例えば、こんなの見つけた。
ttp://www.theglobalagency.tv/press/worldscreen/ws-13042011.html?iframe=true&width=1050&height=600
4月13日付の記事で、
Spanish-speaking U.S.A., Italy, Greece, Bulgaria, Serbia, Croatia, Ukraine, the Middle East and Slovakia
での放映交渉開始、6月30日に発表、とかあるけど、6月30日の記事は特に
見当たらない。まだ交渉中なのかも知れないけど。まああんまり期待しない方が
いいかも。

559 :レリン ◆SOLUNbNOGQ :2011/11/04(金) 01:07:04.63 0
>>543
こちらこそありがとう。

> マルコチョーロはノーマークだったので、

 彼はまぁ、大体本編に関係ない「箸休め」と言うか、若い女性向けの「イケメン枠」にしかなってないね。

 30話は例の「異端」の反乱が一番気になったよ。指導者は救世主で不死身であると自称し、礼拝では
「我等をこの偽りの世から救いたまえ」みたいなことを歌っていた。時代背景から考えるとアレウィー教徒
の反乱なんだろうけど、一体・・・。
 
>>558
 ttp://www.turkishgreeknews.org/tr/muhtesem-yuzyil-22-ulkede-izlenecek-7253.html
 こちらのサイトでは日本を含む22カ国で12月から放送開始となっている。
 
 記事の信憑性については何とも言えないけど、自分の知る限りではギリシャは本気。スレイマン役のハリ
ト・エルゲンチも訪希して大々的なプロモーションを数ヶ月前にやった。ギリシャでの題は
Σουλειμαν ο μεγαλοπρεπη?(壮麗王スレイマン)に決定している。

 意外だったのはブルガリアで、最初は民放有力2局が放映権の交渉を行っていたけど、マスコミによる徹
底的なバッシングキャンペーンが始まり、その2局も撤退を宣言した。どんなバッシングかというと、
 ・剣を地図に刺すシーンがあるが、突き刺した場所はブルガリアじゃないかとの疑惑
 ・ブルガリアへの弾圧・虐殺を描いていないから侵略主義の肯定
 ・ブルガリアはオスマン文化を担っていたにもかかわらずブルガリア人の登場人物が登場しないから歴史歪曲
、とかなりヒステリックなものだった。大抵、こんな馬鹿げた主張はギリシャがやるものだけど、逆にギリシャでは
冷静で期待も大きい。個人的にはブルガリアの現政府がネガキャンの背後にいるのではと思うけど。

560 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/04(金) 06:23:24.92 0
>>559
ブルガリアはある意味ギリシャよりも反トルコ感情が強かったりするからね。
国内にいるトルコ系の割合もギリシャより多いしオスマン帝国からの独立も、
ギリシャより遅れた分、4月蜂起の時の虐殺などに対する恨みもまだ根強い。
「略奪の大地」というブルガリア映画があるけどブルガリアの反トルコ感情が、
前面に出てて、オスマン帝国によるブルガリア支配の残虐さが強調されてた。
それに加えて現首相のボリソフは前にトルコ人への差別的発言をしたとして、
問題になったことのある人物だからそれらが合わさってのバッシングだろうね。

561 :レリン ◆SOLUNbNOGQ :2011/11/04(金) 21:16:31.62 0
>>560
 このボリソフは外国のメディアに「中道保守」だとか「中道右派」と紹介されるけど、本質的には
極右政党。「差別発言」程度しかブルガリアの外には伝わっていないけど、そんなものほぼ毎日
あるし。極めつけはボリソフがソフィア市長だったときの発言で、ジフコフの少数民族同化政策に
ついて質問されたときにジフコフを礼賛するばかりか「自分だったらもっと上手くやっていた」と発言。
これはジフコフの同化政策が結局破綻してトルコ系住民の国外移住を認めざるを得なかったこと
を差しているが、「上手くやった」とは言ってみれば虐殺しか考えられないんだが・・・。
 彼とその右腕のツヴェタノフは出身も内務省で、言ってみれば秘密警察の「上司」にあたり、また、
共産党一党独裁体制をテロルによって支えていた民主主義とは無縁の連中。現在の政権も、EUか
らの批判をかわすためにАТАКАやРЗС等の他の極右政党と直接連立せず、党員には「絶対
にГЕРБに服従する」と言う文章に署名させ「閣外協力」との形式を維持して組閣したし(後にРЗС
とは袂を分かつけど)。ソフィアのモスクでの暴行事件でАТАКАとも「対立」したけど、あれは演出
で間違いない。


562 :レリン ◆SOLUNbNOGQ :2011/11/04(金) 21:17:06.14 0
(続き)
 ただし、これをもってして「ブルガリアはある意味ギリシャよりも反トルコ感情が強かったりする」とは言
えないんだな。例として「略奪の大地」をあげていたけど、あれは原作がアントン・ドンチェフという御用作家
で、映画化がまさにジフコフ政権のトルコ系住民強制同化政策期であった80年代。これはいわばプロパガ
ンダ映画。他方、民主化後のブルガリア映画界は財政難に陥ったとはいえ細々と新作は出てるが、この
手の反土映画はなく、文学についても同様。他方、ギリシャの場合は歴史物でなくとも必ずどこかにトル
コに対する恨みつらみが入っていた。つまり、ブルガリアでは反土創作t活動はお上の指導がない限りは積
極的にしないというの程度で、これがギリシャとの決定的な違い。バタック虐殺にも触れてるけど、そのバタ
ックには今でも普通にトルコ系住民が問題なく住んでるし。
 ブルガリアの反土感情がじつはそれ程過激でない、あるいはギリシャの反土感情が強烈だというのは原語
を知って彼らと直接接すれば直ぐに気がつくことだと思う。ただ、現実的にそんなことはバルカンが主な関心
事でない人には無理だろうから、例えば日本でも木村真氏や寺島憲治氏は政府の扇動にも関わらず一般人
レベルでは平和を保っていたという趣旨の論文を幾つか執筆しているので余裕があれば目を通してみては。
 まぁ、でも別のスレで見たけど、オツガイ君は高校生だって?その年齢でここまで調べられて、かつ順序だ
てて語れるるのはたいしたものだよ。

563 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/04(金) 21:39:53.68 0
>>561-562
細かい説明ありがとう。ボリソフが右寄りだというのは聞いた事あったけど、
これ読む限りはかなりの極右派みたいだね。ブルガリアの反トルコ感情は、
基本的に上からのプロパガンダによるものが大きいけどギリシャの場合は、
国民感情として反トルコ感情が根強いということなのかな。今回のドラマの、
放送を巡るやりとりはボリソフのプロパガンダにマスコミが載せられたため、
起きたことと考えていいのかな。

564 :レリン ◆SOLUNbNOGQ :2011/11/04(金) 23:10:29.18 0
>>563

> これ読む限りはかなりの極右派みたいだね。ブルガリアの反トルコ感情は、
> 基本的に上からのプロパガンダによるものが大きいけどギリシャの場合は、
> 国民感情として反トルコ感情が根強いということなのかな。

 そう。ただしあくまで傾向で例外もある。ブルガリアでも「上」でどんなに反土感情を煽っても
長期的に国民に影響を与えなかった事例もあるし(97年のロコ事件)、ギリシャでも突発的に
反土感情が和らいで行くケースもある。やはりこれも数年前なんだけど、マスコミが特に煽った
訳でもないのに何故か西トラキアの少数民族とギリシャ人の恋愛をテーマにした小説が主婦
の間で人気になり、それらがソープオペラ化。そしてそれが高じてトルコのソープオペラを輸入
しようということに。エルゲンチ氏はギリシャの主婦に大人気w

> 放送を巡るやりとりはボリソフのプロパガンダにマスコミが載せられたため、
> 起きたことと考えていいのかな。

 あくまで個人的見解だけどね。ボリソフはそれ以前にもトルコからのソフトコンテンツに不快感を
表していたし、ГЕРБはメディア戦略や情報操作にかなり長けているから。

565 :レリン ◆SOLUNbNOGQ :2011/11/04(金) 23:18:13.81 0
訂正
ソフトコンテンツ→コンテンツ

566 :世界@名無史さん:2011/11/05(土) 00:21:48.13 0
スレイマンのドラマ、ブルガリアのマスコミがネガティブキャンペーンをしたという話で
出ている、

 ・ブルガリアへの弾圧・虐殺を描いていないから侵略主義の肯定
 ・ブルガリアはオスマン文化を担っていたにもかかわらずブルガリア人の登場人物が登場

について、史実はどうなんだろうか?

今ドラマは、スレイマンの即位から、モハーチの戦いの少し後くらいのようだから、
1520-1526年くらいを放映していることになると思うが、この時期の史実の
ブルガリアの状況はどうだったんだろう?最近の日本のオスマン本とか見ると、
圧政が酷くなったのは、末期の話で、征服期(ブルガリアだと14世紀後半)はともかく、
その後統治が安定してからのオスマン支配初期の頃はそんなに酷くなかったという話
が書かれているけど。

ネガキャンにあるように、ソープオペラにわざわざブルガリアで弾圧が日常的に
行われていたことを出す程酷い状況だったのだろうか。また、16世紀初頭、一歩譲って
16世紀前半に、イスタンブールで活躍していて、ドラマに出てくる
(あるいは言及されるとか)の必然性のあるブルガリア人の文化人とかいたんだろうか?

>エルゲンチ氏はギリシャの主婦に大人気

そうだったのか。ギリシアはEU離脱の可能性もあるから、トルコに媚売ってるのかとか
考えてしまった。

567 :レリン ◆SOLUNbNOGQ :2011/11/05(土) 15:16:06.96 0
>>566
 この時代、と言うか正確には15世紀末から17世紀初頭に掛けてはオスマン側の税制記録
の他にも教会側がかなりユニークな傾向が見られる。
 先ず特徴的なのが15世紀中盤までに戦乱等により破壊された修道院の復興及び新規建立
が開始したと言うこと。ブルガリア第二の修道院であるバチコヴォ僧院も15世紀末に復興し、
ソフィアではドラガレフツィ僧院を中心に宗教文学が開花した。
 次に、人口面でみるとイスラム教徒の改宗が増加するのも16世紀前半から。16世紀末になる
と正教徒スィパーヒーが姿を消す。
 要はこれらの現象をどう捉えるかということ。ブルガリア人以外(というかバルカン半島出身者
以外)にとっては、宗教活動や寄進の活発化は治安や正教徒にとっての政情が安定していない
と基本的に不可能。また蓄財も必要であるが、記録された寄進者の名はスラヴ系で、経済力の
向上をうかがわせる。ブルガリア人にとってはこれは逆で、民族文化が破壊され始めたからそれ
だけ宗教によりどころを求めているのだ、との考えになる。
 その次のイスラム化は外部の人間はこれを貧困が理由の改宗と見る。これは修道院修復ラッシュ
とは一見矛盾しているが、要は政情安定の反面、階層分化や富の分配に格差が生じ、また、貨幣
経済の浸透をも伺わせている。ブルガリア人はほぼ一様にイスラム化を恐怖政治の結果と考え
ている。その論拠として用いられるものの一つは実は教会の説法話で、強制改宗に屈せず致命
(殉教)したということで列聖された類の話が現れるのは正にスレイマンの時代。司祭ペヨによる
クラトヴォのゲォルギ、輔祭マテイ・グラマティクのソフィアのニコライなど。こららの話はやはり
非ブルガリア人にしてみれば後世の作り話に聞こえるがブルガリア人にとっては史実だ。


568 :レリン ◆SOLUNbNOGQ :2011/11/05(土) 15:18:32.62 0
(続き)
 スレイマンの時代に農民反乱も4度記録されていて、これも弾圧に対する抵抗運動だと解釈さ
れている。ただ、同じ農民反乱でもメフメト2世期のラディチ、あるいは17世紀後半のカルポシュや
ストラヒルと異なり、乱の首謀者や参加者の名前がオスマン・教会双方の記録どころか民間伝承
にも残っていない。これは我々からすれば死罪に当たるような行為がなかった非常に小規模の暴
動か抗議デモのレベルであり、深刻な政治・経済情勢の反映にはあまり見えない。
 オスマン朝期ではどう見ても両セリムとスレイマンの時代は正教徒にとって最も安定した時期としか
思えない。

 ブルガリアの文化的影響は例えば他の正教圏ならともかくイスラム教住民にはちょっと常識で
は考えられない。その様な「偉業」や「出世」があればブルガリアの学校では誇張して教えられて
いる筈だけどそれすらない。言ってみればただの極右の妄想。自分の知る限りこの手の発想で
一番古いのはジフコフで、例えばアナトリアの一般農民の家はブルガリア人から学んだ建築様式
であるなどと言っていた。仮にアナトリアの農民が建築スタイルをどこかから学んだとしたらそれこ
そビザンツ期の農民が元と考えるのが普通の様な。

569 :世界@名無史さん:2011/11/06(日) 16:11:40.51 0
http://twitter.com/#!/GulbaharSultann/following

壮麗なる世紀もツィツターで宣伝しているんだな

570 :世界@名無史さん:2011/11/06(日) 17:18:11.42 0
>>567-568
凄い!物凄く参考になった。しかし、なるほどねー。
一部の妄想狂の為に面白い娯楽番組が見れないなんてブルガリアの多くの人
にとって残念な話。娯楽と政治はわけられないもんだろうか。

しかし思うには、もしブルガリア人が本当にこのドラマに関心を持ったら、
ブルガリアに結構な数のトルコ系のかたがたが住んでいるのだろうから、
彼らがブルガリア語字幕とかつけて海賊版をネットにあげたりするんじゃないだろうか。
ニーズがあるところに無理な規制をすると、たいてい違法行為の温床になる。

”被害者国”から色々な論議が出て難しいでて難しいとは思うけど
オスマン朝時代の地方史は、日本語文献があまりでて無いようなので、もっと出て
欲しいと思う。オスマンに限らず、ビザンツやサファヴィー朝とかもだけど。

571 :世界@名無史さん:2011/11/06(日) 18:54:48.94 0
たしかに、オスマン治下のブルガリアとかアナトリアとか
どう調べ始めればいいんだと途方に暮れる

572 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/06(日) 19:06:59.55 0
日本語文献だとオスマン帝国について総括的にまとめてるものは結構あるけど、
オスマン治下の地域史となると、ほとんどないからね。バルカン史方面のほうで、
文献を探そうとしても、オスマン支配中期はほとんど省かれてる場合が多いしね。
やっぱり、こういうのを調べるには一次史料に当たるのが一番良いんだろうけど。
日本語だと永田雄三氏がカラオスマンオウル家について書いてたのがあるかな。

573 :世界@名無史さん:2011/11/06(日) 19:37:04.37 0
ベイリク時代も調べ難いよなあ
カラマン家だけはオスマン史で妙に詳しく書かれていたりするけど
ジャンダル、ドゥルカズル、ラマザーンとかどこを調べればいいのか
バルカンの専制公たちもキツイ

574 :レリン ◆SOLUNbNOGQ :2011/11/06(日) 21:14:04.36 0
>>570
 そりゃもちろん。動画サイトにちゃんとあるよ。更には自国での放送開始を待ちきれないがトルコ語も
出来ないクロアチアやボスニアの人がそのブルガリア語字幕を翻訳したクロアチア語/ボスニア語バ
ージョンもあるし。どこかにロシア語版もあるとの噂。


575 :世界@名無史さん:2011/11/09(水) 18:26:54.12 0
http://en.m.wikipedia.org/wiki/Mahidevran

マヒデヴランが息子の死後長年経済的に困窮していたのは事実?
英語版はガセネタも記載されているので鵜呑みにはできないが
これが本当の話ならスレイマン最低すぎる・・・。

576 :世界@名無史さん:2011/11/10(木) 01:02:52.71 0
日本語でググると後宮から追い出された、って情報がちらほらと。年金のことは
どうか知らないけどこれだけでも充分きついんじゃない?

577 :世界@名無史さん:2011/11/10(木) 21:05:08.22 0
あの時代のオスマン帝国なら地方知事になった息子について行くのが当たり前
ヒュッレムがスレイマンとずっと一緒に暮らしていたのが異例

578 :世界@名無史さん:2011/11/10(木) 22:58:22.53 0
>>574
情報ありがとう。検索してみたら、確かにあった。ただし、自分の見つけた
ところはユーザー登録が必要だったので、ブルガリアサイトでは過去痛い目に
あったこともあるので、見るのはやめたけど。今日は珍しく番組見れそうな
時間に帰宅できたので、トルコ語版33話あがるの待ち構えているんだけど、
なかなかネットにあがらない。。。。

579 :世界@名無史さん:2011/11/12(土) 02:06:34.75 0
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111112/asi11111200450000-n1.htm
トルコ大統領がお悔やみの手紙 宮崎さん死去悼む
2011.11.12 00:44

トルコのメディアは11日、同国東部ワンで地震によるホテルの倒壊に巻き込まれ、
東京のNPO法人「難民を助ける会」の宮崎淳さん(41)が死亡したことを受け、
トルコのギュル大統領が天皇陛下宛てにお悔やみの手紙を送ったと伝えた。
ダウトオール外相も在トルコ日本大使館を訪れた。

宮崎さんは、10月下旬に大規模地震に見舞われた被災者の支援を現地で続けていたため、
トルコ市民からも「なぜ宮崎さんを守れなかったのか」などと悔やむ声が広がっている。
ワンに宮崎さんの名前を付けた病院を建設しようとの呼び掛けも出ているという。

現地を訪れた同会の大西清人事務局次長によると、宮崎さんの遺体は11日、検視が終わった。
同日夜にも西部イスタンブールに搬送され、できるだけ早い便で日本に戻る予定。(共同)


580 :世界@名無史さん:2011/11/12(土) 14:49:51.96 0
皇帝はハレムの女性とは一回だけ性行為をしてそれで妊娠しなければ終わりというのは本当でしょうか。

581 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/12(土) 22:38:01.60 0
>>580
そうなの?上で挙げられてるドラマやこの前出たヒュッレム漫画とかをみる限り、
普通に複数回やってるように思えるんだけど。まぁフィクション自体はソースに、
ならないけど、スルタンに1度きりしかチャンスがないなんて聞いたことないなぁ。
そんなのデメリットばかりで帝国の政治運営にとっても意味のないことだろうし。

582 :世界@名無史さん:2011/11/14(月) 07:04:03.93 0
そう思うのですが、どこかにそんなことが書いてありました。

583 :世界@名無史さん:2011/11/14(月) 17:32:02.93 0
でかいくせしてマルタにもウラドにも負けた雑魚

584 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/14(月) 22:44:45.02 0
>>582
そうなんだ。どこに書いてあったのか詳しく知りたいなぁ。

585 : ◆axCVsGomao :2011/11/16(水) 07:27:35.59 0
スルタンは子沢山だよな 基本

586 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/16(水) 22:30:20.13 0
>>585
まぁ、それなりに子供がたくさんいないと前期オスマン帝国の名物(?)である、
兄弟殺しだって起こりえないしね。ていうか、オスマン帝国に限らず世界中の、
たいていの国の王族とかは基本的にはそれなりに子供が多くいただろうけど。

587 :世界@名無史さん:2011/11/16(水) 22:58:56.12 0
スルタンはパツキン大好きで
ハーレムをスラブ奴隷で固めたから
代を重ねるごとにスラブの血が濃くなり
スルタンはほぼスラブ人なんだろ

588 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/16(水) 23:17:03.56 0
>>587
オスマン帝国のハレムにはスラヴ人も結構いたけど、それ以外にもカフカス辺りから、
連れて来たチェルケス人なんかも結構多かったよ。有名なヌールバヌなんかは確か、
ユダヤ系だったしね。必ずしも、ハレムはスラヴ人ばっかりだったという訳でもないよ。

589 :世界@名無史さん:2011/11/16(水) 23:59:11.85 0
ムラト3世の妃(=メフメト3世の母)は、海賊に捕縛されたヴェネツィア貴族の娘だったしな。
映画「ラスト・ハーレム」はそれをモチーフにしたそうだ(時代をオスマン朝最末期に設定変更)。

590 :世界@名無史さん:2011/11/18(金) 19:31:10.59 0
サフィエ・スルタナは
近年ではアルバニア系説が有力になってるよ

ナクシュデリ・スルタナも
チェルケス系説が注目され
フランス系(ジョセフィーヌ従姉妹)説が否定されつつある

人々の好奇心の対象なのに
記録が少ないからハーレムに関する記述は矛盾や
学説の変更が多いね

591 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/18(金) 20:29:29.61 0
>>590
まぁ、ハレムの女性は基本的には奴隷身分の出身だったからそこまではっきりとした、
出自は記録されてないのかな。必ずしもちゃんと記録に残るような出自とも限らないし。

592 :世界@名無史さん:2011/11/19(土) 13:17:28.88 0
貴方の名前は何なのでしょうか。

593 :世界@名無史さん:2011/11/19(土) 21:23:06.53 0
>>588
ハレムについては、
山内昌之『帝国のシルクロード : 新しい世界史のために』 朝日新聞出版 2008年。
を参照。

594 :世界@名無史さん:2011/11/19(土) 22:35:00.68 0
>>544
きっかけが大切だと思います。
最初に誰かがやると何事も増加するものです。

595 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/19(土) 22:49:58.58 0
>>594
まぁ、確かにそうだとは思うけどギリシャ独立戦争なんかはヨーロッパ列強諸国も、
特に意図してナショナリズムを煽った訳ではないからね。全てのきっかけを列強に、
帰するのもどうかという気はする。確かにロシアとかが煽ったことも結構あったけど。
セルビア蜂起は明らかに自発的だし、ギリシャ独立戦争も国外のギリシャ人たちが、
ヨーロッパの古代ギリシャ文化に対する評価などから、自発的にナショナリズムに、
目覚めたと言える。列強もウィーン体制維持のため当初は戦争を望んでなかったし。
オスマン帝国弱体化のためロシアとかがそれを後ろから後押ししてた面もあるけどね。

596 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 10:25:43.97 0
スルタン達の名前って、どういう風に分類できるんだろう。
例えば

オスマン、オルハン、ムラト=トュルク系
スレイマン(ソロモン)=イスラム系
セリム=ユダヤ系?

とか。名前の由来の変遷で、何かオスマン家の体質変化を
知ることができるのだろうか?

597 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/20(日) 10:52:32.56 0
>>596
「オスマン」って名前はトルコ系かな?あれは確かアラビア語の「ウスマーン」に、
対応するものでしょ。そういう意味じゃ、イスラム系の名前と言えるんじゃないの。

598 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 14:57:32.31 0
オスマン帝国はトルコ人国家ではないと言い張る人がいますよね。
支配層に様々な人種がいても元になったのはトルコだからトルコで良いと思います。
自称はオスマン家の崇高なる国家でも外国からはトルコと呼ばれているのに。

599 :世界@名無史さん:2011/11/24(木) 23:24:45.50 0
そういう「民族」意識はそれこそ19世紀以降のものだし
外部の名前がどうあれ、内部の人間は「ここはトルコ帝国だ」とは思ってなかったわけで
同じことはビザンツ帝国(ローマ帝国)と、西欧からの「ギリシャ帝国」呼ばわりとの関係でも言える

600 :世界@名無史さん:2011/11/25(金) 21:20:33.65 0
オスマン帝国の借金を律儀に返済したトルコ人には失礼な話になるが
現ギリシャ人とトルコ人は互いに混血しあっているから
文化面ではともかく血縁的には同一民族扱いできるね


601 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/26(土) 06:37:39.29 0
>>598
元になったのはトルコと言うけどどこら辺を持って元になったと言うのか微妙だと思う。
確かにオスマン帝国の場合、公用語がトルコ語(正確にはアラビア語やペルシャ語も、
混じったオスマン語)だし、オスマン家の始祖はトルコ系と言われてるからその点では、
トルコ国家と言えなくもないけど従来のイスラーム王朝的な要素やビザンツ帝国的な、
要素も見られるからね。だからヨーロッパからの他称はともかくそういった多民族的で、
ハイブリッドな国家を一つの呼称で呼ぶ場合はオスマン帝国と呼んだほうが良いかな。
オスマントルコというと数ある要素のうちトルコ的要素だけを特別視することになるから。

602 :世界@名無史さん:2011/11/26(土) 16:01:34.17 0
晋が臣下に乗っ取られ君主が飾り物以下になったように
オスマン家の崇高なる国家も支配したはずが乗っ取られてしまった。
皇族男子は幽閉されて皇帝が死ぬと最年長が皇帝では奴隷以下だよ。

603 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/26(土) 21:27:33.11 0
>>602
まぁ晋やオスマン帝国に限らず君主の実権が徐々になくなっていってお飾りに、
なることはわりとあるからね。オスマン帝国の場合だと、16世紀後半頃辺りから、
徐々に宰相やハレムなどに権力が移っていってスルタンの実権が下がってくる。
でも、近代になると再びリーダーシップを発揮するスルタンが何人かいたけどね。

604 :世界@名無史さん:2011/11/27(日) 00:26:01.76 0
>>600
それを言ったら、ブルガリア人、ボスニア人、セルビア人、アルバニア人、ユダヤ人、アラブ人、
ベルベル人、イラン人、アルメニア人は同一民族となるのではないの?
一応セムハム語族、印欧語族、アルタイ語族と別れている事になっているけど混在してるもんね。
西トラキアは元ブルガリア領だったよね?あの辺は国境が変わりまくっているからな〜。
バルカン半島の辺りは名古屋民族とか、大阪民族、福岡民族と言っている感じがする。

605 :世界@名無史さん:2011/11/28(月) 17:54:26.10 O
あとルーマニア人、クロアチア人、モンテネグロ人、マケドニア人
モルドバ人、ハンガリー人、レバノン人、シリア人あたりもオスマン支配下の民族だったからアラブやユダヤと同一民族だな。

みんな同一民族だから仲よくやれよ。

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