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大航海時代

1 :世界@名無史さん:2010/11/24(水) 19:41:57 0
大航海時代でほぼ世界一周を終え、アフリカのクロンボ
アメリカ大陸やオーストラリアにいた未開土人
トルコや中国、日本らの半未開国を見て、ヨーロッパ白人が
最も優れていて世界を征服できると素直に思っただろうな。

2 :世界@名無史さん:2010/11/25(木) 13:51:59 0
ヨーロッパ人が香辛料を求めた理由について、これまで食肉の保存のためと
思われてきたが、実際は医薬品と考えられていたからなんだよな。

3 : ◆EAbyJft1LY :2010/11/25(木) 18:09:24 0
>>1
大航海時代じゃ、まだヨーロッパに比べて中国やトルコが遅れを取ってたとは言えないよ。
中国は良く知らないけどトルコ(っていうかオスマン帝国)は大航海時代真っ盛りの、
16世紀から17世紀にかけてスペインと肩を並べる(場合によっては上回る)くらいの、
強国だったから同時代のヨーロッパ人は半未開国とは思ってなかったんじゃないかな?

4 :世界@名無史さん:2010/11/25(木) 18:37:36 0
>>1
白人厨に真面目に反応するのもなんだが、大航海時代のヨーロッパじゃ他国
を未開呼ばわりできるレベルじゃない。
東洋でも既に出来上がった中国〜東南アジアの南海貿易やインド洋貿易網の
中の一部にようやく入り込めた程度。
当時じゃ未開・半未開の区別よりキリスト教徒かそうでないかのほうが
重要。

だいたいオスマンが半未開国で簡単に征服できるなら大航海時代が始まっ
てない件についてどう思ってるやら。わざわざ自分の馬鹿晒したスレ立て
文書く神経は理解できんな。

このスレが伸びる場合、多分、スレ主の知的レベルをはるかに超えたレベ
ルの話になると予想。アンチ・モンゴルスレでもそうだったからな。
多分、お前さん、邪魔になるだけだよ。

5 :世界@名無史さん:2010/11/25(木) 19:38:59 0
東方見聞録ころには差別的表現はなかったようだね
でも数百年後、結果的には世界のほとんどを西欧の白人が植民地にしたけどね

6 :世界@名無史さん:2010/11/25(木) 19:41:16 0
日本見て簡単に征服できないって言った宣教師がいてだな…
つまり何が言いたいかというと>>4の言うとおり>>1ではついていけない話になるかもな。

このスレの「大航海時代」の範囲について決めておかない?


7 :世界@名無史さん:2010/11/25(木) 19:54:17 0
朱棣と鄭和
         | 
         | おまえが大航海時代の一人者だろ!
         \___  ____________
               ∨
             |VVVV'|
    __∧鄭∧__|_朱__|____
    |  ( ;´∀`) (´∀` )     .|
    |  (    ) ⊂    )    |
   / ̄( (  (  ̄( (  (  ̄ ̄/|
   || ̄ (_(_) ̄(_(_) ̄ ̄||
        ∧
   / ̄ ̄   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
   | (エッ!!)       |
   | きんたまが無いんですが |

8 :世界@名無史さん:2010/11/25(木) 20:21:54 0
遊牧民族が落ちぶれ銃器・火器が急速に発展した時代でもあるね

9 :世界@名無史さん:2010/11/25(木) 20:51:43 0
エジプト停滞の契機となったのはヴァスコ・ダ・ガマによる喜望峰航路の開拓で、
それまで莫大な富をもたらしてきた香辛料のインド・ヨーロッパ間の中継貿易が
激減し、エジプト経済は深刻な打撃を受けた。

当時、カイロを首都としてエジプト・シリアなどを領有していたマムルーク朝は、
同じく香辛料の中継貿易で利益を上げていたヴェネツィアやインドのムスリム王侯と結び、
ポルトガルの香辛料貿易を阻止すべく開戦したが、1509年2月、インド北西部
ディーウ島沖の海戦でポルトガル海軍に惨敗する。

その8年後、マムルーク朝は新興のオスマン朝によって滅ぼされ、エジプトは
政治的にも中東の大国から一属州の地位に転落。

10 :世界@名無史さん:2010/11/25(木) 21:48:48 0
>>1が思い通りにならなくてイライラスレは ここですか?

11 : ◆EAbyJft1LY :2010/11/25(木) 22:19:54 0
>>6
15世紀後半から17世紀ぐらいまでが妥当じゃないかな?
>このスレの「大航海時代」の範囲について決めておかない?

12 :世界@名無史さん:2010/11/25(木) 22:30:00 0
>>11
17世紀といえば、英仏蘭が東インド会社を設立して、インドのスラトに
商館を設置したり、マドラスを譲渡されたり、マラッカを奪取したり
していたころだな。

13 : ◆EAbyJft1LY :2010/11/25(木) 22:35:19 0
>>12
そうだね。大航海時代における覇権国家が、
スペイン・ポルトガルからイギリス・フランス・オランダに移りかけた時期だね。

14 :世界@名無史さん:2010/11/25(木) 23:04:44 0
>>9
その代わりポルトガルの覇権も一時的なものだったからな。マムルーク朝
倒したオスマンが出てくるし、それに対抗するためにサファヴィー朝と結
んで、結構な量の香辛料をペルシアで荷揚げしてレヴァント貿易ルートに
載せなければいけなかったし、給料遅配で現地のポルトガル人が横流しも
してた。
オスマンも完全にポルトガルを排除してインド洋の覇権を握れたわけじゃ
ないけど、大体数十年くらいで香辛料の供給源はレヴァント貿易に戻って
る。香辛料貿易のアフリカ航路の復活はオランダの台頭以後だろうな。

15 :世界@名無史さん:2010/11/26(金) 08:34:46 0
ヴェネツィアが衰退したのは、香辛料貿易をオランダに独占されたことのほかに、
レヴァント貿易でもオランダやイギリスとの競争に負けたことが原因だよな。

教科書的な理解だと、大航海時代の到来→イタリア海洋都市国家の衰退、
となっているけど。

16 :世界@名無史さん:2010/11/26(金) 09:06:08 0
>>15
レヴァント貿易が独占できなくなってからも、毛織物や絹織物生産などの
産業と輸出に力入れて、経済力は衰えてはなかったんだけどな。
17世紀に入ってからオランダやイギリス船を締め出す保護政策で失敗して、
レヴァント貿易の中継港としての位置もラグーザやリヴォルノに取られた
し、産業面でもやっぱりイギリス・オランダ製品との競争に負けたことと
三十年戦争で顧客のドイツがボロボロになっちゃったことで、最終的に
衰退に向かってる。

>教科書的な理解だと、大航海時代の到来→イタリア海洋都市国家の衰退、
となっているけど。

実はスペイン・ポルトガルの大航海時代って本当に一時的な収入しかない
んだよなあ。フェリペ2世、何度国家の破産宣告したことか。

17 :世界@名無史さん:2010/11/26(金) 10:53:03 0
>>16
新世界から来た富で儲けたのは、スペインではなくイタリアの銀行だった。
コロンブスもジェノヴァ人だったしね。

>>1
ヨーロッパ人が入手したがったクローヴ、メイス、ナツメグなどは、
インドネシアの東部、マルク諸島とバンダ諸島が産地だったが、16世紀初頭の
この地域には、テルナテ島とティドーレ島にムスリムのスルタンがおり、
勢力を二分して対立抗争を続けていた。
ポルトガル人は当初、その武力を利用しようとしたテルナテ島のスルタンに
歓迎され、この島に要塞を築くことに成功する。しかし、ポルトガル人と
やや遅れてこの地に来たスペイン人が対立しつづけたこともあって、
クローヴの生産と販売そのものは依然としてスルタンが握り続けていた。
二つの島のスルタンは、クローヴをポルトガル人の持ちこむインド産の
綿布や武器・弾薬と交換することによって、自らの経済力・軍事力を強化し、
その影響力はマルク諸島のみならず、周辺のバンダ諸島やニューギニア西部にまで
及ぶようになった。
香辛料の生産地は、ヨーロッパ人によって簡単に征服され植民地化された
わけではないよ。

18 :世界@名無史さん:2010/11/27(土) 19:53:25 0
やっぱ産業革命で白人の文明力を確信したあたりから
一層見下すようになったんじゃないの?

19 :世界@名無史さん:2010/11/27(土) 21:13:18 0
見下し自体は宗教の影響からかだいぶ昔からあったしな

20 :世界@名無史さん:2010/11/27(土) 21:24:54 0
この板で不思議なのは、おそらくモンゴロイドであって白人でもないのに
有色人種を見下すレイシズムに染まって>>1のように一生懸命プロバガン
ダをする奴が結構いること。バブル時代に日本人がバナナって呼ばれてた
の思い出すわ。
勿論、逆に白人を見下そうとするレイシストどもも同じレベルのバカタレ
なんだが。
こいつらがまともな歴史知識をもってるの見たことない。こういう輩は
大抵教祖みたいなのの受け売りなんだが、こいつらだけは何の影響受けて
るのか、どうしても分からん。

21 : ◆EAbyJft1LY :2010/11/27(土) 21:29:30 0
>>19
前近代における白人優越主義はまだそこまで大きくなかったよ。
そりゃ、ヨーロッパに限らず古今東西どこでも異文化圏を見下すことはあったけど、
「東方見聞録」なんかを読めば分かるように当時の白人には、
あまりアジア地域に対する差別意識は見られないよ。
まぁ、事実としてアジア諸国のほうが先進的だったというのもあるけど。
ただ、イスラーム圏に対する差別は中世からある程度あったけど、
これは見下しというよりは宗教的敵対心と言ったほうが言いと思う。

22 :世界@名無史さん:2010/11/27(土) 21:53:36 0
むしろ>>1みたいに思いつきで立てたっぽいスレのスレ文に対して
>>20みたいに深い感想を抱く人が多い事の方がこの板の不思議な所だと思うw

23 :世界@名無史さん:2010/11/27(土) 21:59:32 0
過疎板だと、電波な人達は特定なスレに隔離されて放置される。
物理学板とかだと隔離スレでものすごく強力な電波スレがある。
普通のスレに侵入するとすごい勢いで攻撃されるから、隔離スレに篭る。
ここは過疎板ではないので、隔離スレができにくい。

24 :世界@名無史さん:2010/11/27(土) 22:58:23 0
>>22
自作自演だろう

25 :世界@名無史さん:2010/11/28(日) 00:28:24 0
>>21
マルコポーロは商売人だからあんまり宗教的なことは興味ないのかもね
大航海時代になると船にはかならず宣教師を乗せていたから自然に宗教的意味合いを帯びてしまう

26 :世界@名無史さん:2010/11/28(日) 01:44:41 0
アジア方面の航海士らはあくまで貿易や布教の意志があったけど
新大陸方面の連中は・・・・

27 :世界@名無史さん:2010/11/28(日) 06:55:28 0
>>22
>>23
思いつき程度ならいいんだが、例えばギリシャやモンゴルがちょっとでも
絡むと、レイシストも混じってるアレク厨と反アレク厨が乱入してきて全
く無意味な煽りあいをするし、変なレッテル貼りされたり尻馬に乗って都
合のいいように取るから、とにかく迷惑なんだよ。多分>>1も同類だよ。
隔離スレに篭ってくれるのが一番いいんだがな。以前はそうだったはず
なんだが、いつの間にかしゃしゃり出てくるようになってるしな。

こうやって問題提起すると自作自演とか言う奴もでてくるし、本当に馬鹿
馬鹿しいけど>>4みたいに予め潰しておかないとすぐに同類が湧いてくる
からな。

>>26
まあ、新大陸方面でもインディオへの人道的扱いをカスティリャ女王に
訴える宣教師や、ディエゴ・デ・ランダとか現地語を覚えて布教しよう
とする人間はいたけどな。
その代わり、イースター島でもそうだったが、現地のマヤやアステカの
文献、コハウ・ロンゴ・ロンゴを異教の書だと徹底的に燃やして文化破
壊してくれたわけだが。

28 :世界@名無史さん:2010/11/28(日) 07:07:03 0
某スレは難民版のこぴぺとかも呼び込んでスレ寿命が短かったな

29 : ◆EAbyJft1LY :2010/11/28(日) 07:24:18 0
>>26
アメリカ大陸征服も基本的には布教や貿易が目的だよ。
特に布教に関しては「偶像崇拝根絶運動」というインディオ版異端審問までして、
スペインの宣教師たちはカトリックの布教に努めようとしたよ。
そのせいで、インディオの伝統的な宗教は徹底的に根絶やしにされた。

30 :世界@名無史さん:2010/11/28(日) 07:28:50 0
>>29
おまえ、インディオの十字架とか見たことある?
どうみても異教の神像だぞ。

つっても、ヨーロッパの教会も原始キリスト教からかなり変質してしまってるのだろうが

31 : ◆EAbyJft1LY :2010/11/28(日) 07:39:32 0
>>30
偶像崇拝根絶運動が行われたのはペルーやメキシコあたりが中心で、
他の植民地ではそこまで徹底して行われなかったからね。
それにインディオ側も結構したたかで偶像崇拝根絶巡察吏に賄賂を渡したりして、
自分たちの異端的信仰を見逃してもらったりもしてるしね。
地方の村で布教していた宣教師は結構そこのインディオと持ちつ持たれつな関係だった。

32 :世界@名無史さん:2010/11/28(日) 09:31:44 0
大後悔時代

大公開時代

大紅海時代

大公開

33 :世界@名無史さん:2010/11/28(日) 10:14:44 0
ポルトガルは、メシュエン条約以降はイギリスに経済的に従属することになってしまった品。

ついでにいうと、ブラジルは17世紀末に金が発見されるまで、あまり儲かる
植民地ではなかったんだよな。

34 : ◆EAbyJft1LY :2010/11/28(日) 14:17:55 0
>>33
金が発見されるまでのブラジルは専らさとうきび栽培が主な産業だったね。
でも、この砂糖貿易もしばらくするとカリブ海諸島に追い抜かされてしまった。
金が発見されたのはそれとほぼ同時期のことだったから、
ポルトガル領ブラジルにとってこれはかなりラッキーなことだった。

35 :世界@名無史さん:2010/11/28(日) 17:49:05 0
いい感じにのびててうれしい

36 :世界@名無史さん:2010/11/28(日) 19:26:30 0
>>34
でもインディオ達は既に大打撃を受けてた

37 : ◆EAbyJft1LY :2010/11/28(日) 19:38:47 0
>>36
元々、ブラジルのインディオたちはあまり社会が発達してなかったから、
スペイン領アメリカのインディオたちと違って社会的位置づけがされず、
イギリス領アメリカのインディアンたちのように社会の枠組みの外に追い出されてたね。

38 :世界@名無史さん:2010/11/28(日) 23:06:57 0
バンデイランテはブラジルの黒歴史

39 : ◆EAbyJft1LY :2010/11/28(日) 23:13:46 0
>>38
ブラジルは奴隷制を廃止するのに結構な時間がかかってたね。
他のラテンアメリカ地域と違って植民地時代から奴隷に頼ってた経済だったからね。

40 :世界@名無史さん:2010/12/01(水) 07:33:25 0
大航海時代っていうか大侵略時代だな

41 : ◆EAbyJft1LY :2010/12/01(水) 17:03:07 0
>>40
アメリカ大陸に限定して言えばそうかも知れないけど、
インド洋なんかにおいてはまだ明・清やムガル帝国、サブァヴィー朝などの、
大国が存在してたから西欧諸国も大々的に侵略は出来てないよ。
アフリカや東南アジアやインド亜大陸の海岸部をちょっとだけ占領できれば良いほうだった。

42 :世界@名無史さん:2010/12/01(水) 17:09:35 0
鉄器が普及していて首狩族がいたから
8世紀以降のアジアはちと無理ぽっい

43 : ◆EAbyJft1LY :2010/12/01(水) 17:15:36 0
>>42
8世紀以前だって西欧諸国がアジアを征服するのは無理だと思うけど。
イスラーム帝国や唐に代表される歴代中華王朝などが存在したし、
当時の西欧諸国は世界史的に見てもまだまだ後進地域だったからね。

44 :世界@名無史さん:2010/12/04(土) 15:58:49 0
>>41
ヨーロッパ人がインド洋に侵入してきて自らの手に収めた香辛料の量は、
全アジアの生産高の約30%にすぎなかったといわれているね。
(これは、オランダやイギリスが進出してきた16世紀後半から17世紀にかけての数字)

ポルトガルが香辛料を独占していた16世紀前半においては、もっとも成績の
よかった年でも、ポルトガル人によって流通させられた香辛料の総量は、
全生産量の20%程度だろうと推測されている。

結局、ポルトガルができたことは、インド洋にもともとあった海上貿易の
体系の中に割り込み、その香辛料の流通の5分の1程度を支配したにすぎない。

45 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/04(土) 17:25:34 0
>>44
確かに実際のポルトガルのインド洋における影響は、
今まで考えられてたのよりも遥かに小さいだろうね。
まぁ、全く影響がない訳でもなくマムルーク朝なんかは、
ポルトガルのインド洋市場参入によって結構な打撃を受けたけど。

46 :エビちゃん親衛隊:2010/12/04(土) 17:58:24 0
>>40>>41>>43
中南米以外の有色人種が完全に屈服したのは20世紀初頭。
白人単独で有色人種を屈服できたのは19世紀だと思われる。
大航海時代は東南アジアではある国のスルタンと同盟を組んで
他のスルタンを倒すというケースが異様に多い。
そこから考えて、自然条件の厳しい中南米がなんであそこまで早く
制圧できたのか不思議である。
南アフリカの首長国ですら20世紀初頭である事を考えると、
アステカ・インカが簡単に征服出来たのは伝染病で国力が低下したからだとしか思えない。
北米全体を白人が征服したのは随分後の19世紀後半だ。
インカはボリビア、ペルーにまたがるアンデスの高地ではないか。
それも太平洋側である。あの早い崩壊は謎である。
中南米だけが非西洋非白人地域の中で突出して征服されるのが早いのである。
アステカもインカも滅亡は16世紀より19世紀がしっくり来る。

47 :世界@名無史さん:2010/12/04(土) 18:02:51 0
>>44
オランダ東インド会社は香辛料の生産元であるモルッカ諸島へ直接進出に乗り出しており
生産高30%ということはないだろう

48 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/04(土) 18:07:42 0
>>46
アフリカなんかはまだ旧世界の一部だから旧世界の技術も伝わってるけど、
インカとアステカにはそれがないからね。純粋な軍事力ではスペインに分がある。
まぁ、人数はインディオ側のほうが多いけど。それと、征服時の両帝国は、
どちらも内乱期だったし、そのうえ被支配民族がそれぞれの国の滅亡のために、
スペイン人に手を貸してたから、その事も滅亡の一因として挙げられるかも知れない。

49 :世界@名無史さん:2010/12/04(土) 18:45:09 0
>>46
スペイン人が到来する前に旧大陸の伝染病が既に大流行して国力低下してい
たというのは、今一番議論されてる説だろうな。
けど、アステカ・インカの崩壊は、とりあえず最初に皇帝を抑えて、いわ
ば人質にしてしまって一旦国家機能を麻痺させてしまったこともやっぱり
でかい。

それにアステカの場合は、一旦追い出された後にアステカに不満を抱く各国
家を糾合して大軍勢で攻め寄せたのもあるしな。下手に群雄割拠されてるよ
りは大帝国を一気に崩壊させるほうが早い場合もある。

マヤなんかは征服する魅力が薄かったのもあるが、最後のマヤ都市のタヤサル
が陥落したのは1697年だから、もう18世紀に入る頃だ。

50 :世界@名無史さん:2010/12/04(土) 19:30:18 0
>>47
オランダが香辛料貿易を独占できたのは18世紀ごろかな?

>>46-48
アステカはラテンアメリカの古代文明の中で、唯一、軍事国家として確立された
王国だったな。生贄を部族内で賄うには限りがあったため、「花の戦争」と
呼ばれる戦争を繰り返して捕虜を獲得し、彼らを生贄としてささげた。

アステカ滅亡の原因としては、

・優れた政治家であり機を見るに敏な策略家でもあったコルテスが、アステカに
反感を持つ強敵トラスカラ族やセンボアラ族などの諸部族をたくみに味方に引き入れ、
同盟軍として増強しながら戦ったこと
・アステカにはなかった騎兵や鉄砲・大砲などの近代兵器を持っていたこと
・コルテスたちが蛇の神ケツァルコアトルと間違えられたこと
・モンテスマ王は最高位の神官であり同時に最高の技術を持った占星術師でもあった。
アステカの貴族たちの中にはスペイン人を迎え入れることに反対し警告する者もいたが、
宗教が軍事に対して絶対的な優位にあったアステカでは、モンテスマ王の
決定したことは神の意志であり、スペイン人に対する好戦論者も強く逆らうことは
できなかったこと

といった複数の要因が重なってもたらされた幸運だと思われ。

51 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/04(土) 19:42:25 0
>>49>>50
インディオだって一枚岩では決してないからね。
今まで帝国に支配されてた被支配民族の不満を利用するのは、
他国を征服する上での基本的な戦略だしね。

52 :世界@名無史さん:2010/12/04(土) 21:14:25 0
何で貧しい近代以前の欧州に嗜好品である香辛料をそんなに買い付けられる
だけの購買力が有るの?

53 :世界@名無史さん:2010/12/04(土) 21:19:17 0
>>11
>15世紀後半から17世紀ぐらいまでが妥当じゃないかな?
>>このスレの「大航海時代」の範囲について決めておかない?


17世紀中ごろから19世紀までの期間について語るスレを誰か立ててくれないかな
世界システムやら帝国主義やらについて語る場所がないから
漏れが立てようとするとはねられてしまった

54 :世界@名無史さん:2010/12/04(土) 21:22:46 O
>>52
肉の防腐・防臭に欠かせない

55 :世界@名無史さん:2010/12/04(土) 21:27:53 0
>>52
現地の温度・湿度・土壌は、それなりに栽培ノウハウを蓄積すれば
効率的な大量栽培が可能だった。
取引相手を選べば、安定して廉価に調達できたであろう。

後の時代にはプランテーションが行われることから
栽培ノウハウは形式知化され、植民地経営に活用された。

生物多様性条約COP10「名古屋議定書」なんてなかったからね。

56 :世界@名無史さん:2010/12/04(土) 21:56:47 0
>>55
でも、今でも「言語多様性条約」というものはない罠

英語が世界を席巻していて、この流れはもはや止めようがない

57 :世界@名無史さん:2010/12/05(日) 06:06:50 0
>>52
一応、毛織物とか木材資源とかヨーロッパ側でも売りつけるものがあったから。
それにイタリアの海洋都市国家はレヴァントのあちこちで中継貿易してたから
その利潤も香辛料購入の資金になってる。

まあ、それでも13世紀だと中産階級も香辛料は使用してたが、極少量が鍵付き
の棚にしまってあっただけ。当時のトロワで胡椒の値段は、塩の150倍くらいみ
たいだな。香辛料が少ない分は家庭菜園で栽培したハーブを利用。

58 :世界@名無史さん:2010/12/05(日) 06:46:00 0
香辛料は金と同じ重さで取引されていた・・・・
ようは仲卸業者ムスリムのぼったくり商法にブチギレて直接原産地へ買付けに遥々航海したってこと

59 :世界@名無史さん:2010/12/05(日) 07:29:42 0
>>58
実際にぼったくってたのはアフリカ航路開拓時代のポルトガルのほうなんだが。
レヴァント貿易じゃ東南アジアから中東までの間に大量の中継業者と税関を
抜けなければいけないから、末端価格が高くなるだけ。
それと同レベルかそれ以上の価格で売ってたポルトガルのほうがよっぽどぼっ
たくりだぞ。

60 :世界@名無史さん:2010/12/05(日) 10:40:24 0
中世には、サハラ以南から北へ大量の金が流れていたなあ

11〜12世紀のヨーロッパ世界は銀本位制で銀貨が鋳造され、地中海の南の
イスラーム世界が金本位制で金貨が鋳造されていたので、両者は貨幣制度と
貴金属需要においてまったく異なっていた。地中海に面したカタルーニャや
ジェノヴァでは、限られた量の金貨が使用されていたが、それも自ら
鋳造したものではなく、イスラームの金貨を入手して使用していた。

ところが十字軍を契機にしてヨーロッパ社会は金貨への関心を深め、
ラテン帝国で金貨を鋳造し始めたのをさきがけに、フィレンツェ、ジェノヴァ、
ヴェネツィアが金貨を発行した。
そしてアラブ世界に広まっていた黒人王国の金のエピソードは誇張されて
ヨーロッパに伝わり、アフリカの黄金郷伝説を生みだすことになる。
サハラ交易に遅れて参入したポルトガルは、地中海のムスリムを介する
取引を諦め。大西洋へ活路を求めた。彼らは1443年にアフリカ西海岸の
アルギンを占領し、金と黒人奴隷の交易地とした。アルギンの人々は
ポルトガル人から北アフリカ製の衣服、羊毛の毛布、エジプト製のシーツ、
粗雑で安物の織物、毛布、赤や青の布地などを受け取り、ポルトガル人は
黒人奴隷、金、ゴム、カモシカの皮、珍獣を入手した。

1487年ポルトガルのジョアン2世はアルギンから内陸に入った拠点ワダーンに
在外商館を開いて、サハラの金交易を支配しようとしたが、結局サハラの
金交易ルートを大西洋に向けることはできなかった。16世紀初めごろ
ポルトガルにもたらされた金は年に20kg程度でしかなかった。

61 :世界@名無史さん:2010/12/05(日) 13:59:40 0
香辛料の値段を調べていると、重さで量れば金銀よりは安いんだが
そらサフランぐらいになれば相当するけど

62 :世界@名無史さん:2010/12/05(日) 20:23:02 0
>>57
ヨーロッパ側から売るものは大した値段にならなかったんじゃなかった?
新大陸産の金銀を元手に、ひたすら物々交換してただけじゃなかったかな

63 :世界@名無史さん:2010/12/05(日) 20:29:36 0
>>62
鉄砲や火砲といった武器は現地の有力者には相当需要があった

64 :世界@名無史さん:2010/12/05(日) 20:46:10 0
>>63
需要はあるにしても、そんなに大量に売るわけにもいかんでしょ。
いつ自分たちに向けられるかもわからんのに

65 :世界@名無史さん:2010/12/05(日) 20:52:43 0
>>62
ヴェネツィアは奴隷も売っていたよ。

66 :世界@名無史さん:2010/12/05(日) 21:08:19 0
ヴェネツィアは木材(軍艦用)や奴隷(マムルーク用やガレー船漕ぎ)をムスリム向けに輸出しまくってて
教皇庁から「異教徒どもの軍事力が増強されるじゃねーかやめろ」と何度も禁止令が出た

67 :世界@名無史さん:2010/12/05(日) 21:15:59 0
バルボア最高!

68 :世界@名無史さん:2010/12/05(日) 21:40:52 0
10世紀頃のヴェネツィアの主要な輸出品は木材と東欧からの奴隷。
それらをエジプトのアレクサンドリアでイスラム商人に売り、金銀で
支払いを受ける。
その金銀を持ってビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルで香辛料や
布地、金銀の細工品、宝石類などの商品を買い込み、ヴェネツィアに戻る。

このパターンが長いこと続いた。

69 :世界@名無史さん:2010/12/05(日) 21:54:59 0
>>62
もう奴隷貿易の話が出てるが、中継貿易もしてたって言っただろう?
東欧がキリスト教化して奴隷資源が枯渇しても、13世紀以降になると黒海
沿岸との中継貿易も入る。
第四次十字軍以前にもう、ヴェネツィアはビザンツ全土で免税で商売をする
特権を持ってたから、ビザンツ経済に思い切り食い込んで利潤上げてたの。
あまりにも傍若無人すぎてコンスタンティノープル市民の反感買って、一回
追い出されたのも第四次十字軍のコンスタンティノープル陥落の遠因。

70 :世界@名無史さん:2010/12/05(日) 23:59:59 0
アジア圏での貿易の話してるのに、
ヴェネツィアは奴隷貿易してた(キリッ
はないんじゃないの

71 :世界@名無史さん:2010/12/06(月) 00:19:03 0
中華列強ー中国が分裂していたなら スレがあるけど、
大航海時代みたいな必然性がないよね?

香辛料求める訳でもなく、
奴隷輸出するでもなく、
宣教師が進出するでもない

72 :世界@名無史さん:2010/12/06(月) 01:46:36 0
>>62
あとあまり知られてないが傭兵事業
ポルトガル人の傭兵隊長がビルマのどっかで勝手に独立した例もあったなー

73 :世界@名無史さん:2010/12/06(月) 05:44:17 0
ビルマとタイはポルトガル人傭兵を大勢雇っていたな

後になると日本人傭兵も雇うようになったけど

74 :世界@名無史さん:2010/12/06(月) 06:00:42 0
>>70
大航海時代の香辛料貿易の話するなら、レヴァント貿易の知識も必須。
レヴァントで香辛料貿易独占してたのはヴェネツィアだから、ヴェネツィアの
話が出てくるのはある意味当然だろ。
寧ろ、レヴァント貿易なしでどうやって大航海時代を語れるのかわからん。
ヴェネツィアだけじゃなくてジェノヴァも奴隷貿易してたのは本当だし。

75 :世界@名無史さん:2010/12/06(月) 15:08:35 0
各地の貿易圏・貿易ルートの画像
http://www.geocities.jp/yamada_1817/oversea/over_out/ind.jpg
http://www.stockstation.jp/cx/images/080130map.gif
http://www.celtnet.org.uk/images/spice_route.gif
http://asiapacificuniverse.com/pkm/mapSpiceRoutes.GIF
http://www.oration.com/~mm9n/articles/dev/09christianity_files/09Chri14.gif

76 :世界@名無史さん:2010/12/06(月) 16:33:29 0
イスラーム世界の側からみると、結局、ポルトガルはオスマン帝国領を経由した
香辛料貿易をやめなかった。
オスマン朝はイエメンとバスラの勢力を維持し、まだ西インドのグジャラートや
スマトラ島のアチェとの間に協力関係を結んで、ポルトガルに対する政治的抵抗を
やめることなく、同時に商業上の関係も保った。
ヴェネツィアのレヴァント貿易さえ、16世紀半ばには回復した。
16世紀後半には、ダマスカスやカイロへ隊商によって運ばれる商品は、アレクサンドリアと
トリポリでヴェネツィアの船に積み込まれるようになった。
オスマン帝国を経由した貿易は、イエメン産コーヒーの人気の高まりを受けて
拡大した。

77 :世界@名無史さん:2010/12/06(月) 16:47:25 0
>>76の続き
こうしてオスマン帝国領を経由した国際中継貿易は回復したものの、16世紀末には
イギリスとオランダが国際香辛料貿易の支配権をめぐって争い始め、インドと
東インドに植民地を建設し、そこを拠点に香辛料貿易を独占しようとした。

1625年、北大西洋の海軍国はついに地中海の香辛料貿易を打ち切った。
オスマン帝国は絹やコーヒー、インドの綿製品や染料の貿易が活発だったおかげで
損失を補うことができたが、最も利益の上がる貿易は喜望峰経由の西ヨーロッパ・
ルートに奪われた。
その上、インド洋で支配的な地位を得たイギリスとオランダは、地中海貿易で
直接オスマン帝国と競うようになった。

1580年、イギリスはオスマン帝国と最初の貿易条約を結び、オスマン朝から
絹を買い、綿製品と金属をオスマン朝に売るようになる。
香辛料でさえ、直接インド洋から地中海に運ばれるのではなく、ヨーロッパから
運ばれるようになった。

78 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/06(月) 17:02:43 0
>>76-77
オスマン帝国は地中海貿易に関してはかなり積極的だったのに、
インド洋貿易に関してはアチェとかと組んでポルトガルを牽制しただけで、
イギリスやオランダのように積極的にインド洋を支配しようとはしなかったね。
現在の視点で見ると結構惜しい事をしたな〜と思わなくもない。
まぁ、当時のオスマン帝国は基本的に国が積極的に経済に関わらなかったから、
地中海の制海権さえ抑えられれば良いやっていう感じだったのかな。

79 :世界@名無史さん:2010/12/06(月) 17:19:43 O
地中海もスペインが強敵だろ
西地中海貿易はレパント以後制海権を奪われた
そのかわりアルジェやモロッコで海賊で利潤をあげてた

80 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/06(月) 17:28:26 0
>>79
まぁ、確かにオスマン帝国は地中海を巡ってスペインと争ってたね。
一般的にオスマン帝国が地中海に制海権を保てたのは、
プレヴェザの海戦からレパントの海戦までだと言われてるけど、
東地中海貿易(=レヴァント貿易)に関してのみ言えば、
レパント海戦後もしばらくはオスマン帝国が支配権を握ってたよ。

後、オスマン帝国が利用した海賊はアルジェやチュニスが拠点。
モロッコはそもそもオスマン帝国領じゃないよ。

81 :世界@名無史さん:2010/12/06(月) 18:52:53 0
>>74
たぶん>>70は大航海時代初期じゃなくて中期〜後期の話してるんじゃない?
傭兵稼業だのは有名だけど、大航海時代中期以降も香料諸島だのインドだので奴隷貿易してたわけではないでしょ

82 :世界@名無史さん:2010/12/06(月) 18:59:48 0
>>77の続き

16世紀末にはイズミルがオスマン朝のもっとも重要な港となり、次第に
ブルサとアレッポを凌ぐようになった。オスマン朝がイズミル地域に対する
支配力を失うと、フランス、オランダ、イギリス、ヴェネツィアの承認が
この地域に群がった。イズミルは国際都市に発展し、アラブのラクダの隊商や
アルメニア人、ギリシア人、ユダヤ人、トルコ人の商人の拠点となった。
ヨーロッパ人は綿、羊毛、ドライフルーツ、穀物の活発な貿易を促進し、
ヨーロッパの内部で商品を供給するシステムを確立した。

オスマン朝のイエニチェリ、関税徴収官、その他の役人は自由意志で
行動するようになり、イスタンブルの当局の管理を逃れるようになった。
イズミルがヨーロッパ経済に部分的に統合されると、イズミルとイスタンブルとの
つながりは断ち切られ、オスマン朝は地中化貿易の支配権をヨーロッパ商人に
奪われ始めた。

83 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/06(月) 19:10:07 0
>>82
これはオスマン帝国の自業自得によるところも大きいね。
オスマン帝国の経済政策は自国内での供給を第一に考えたため、
自国からの輸出は厳しく取り締まるけど他国からの輸入は積極的に保護した。
そのせいで西欧の商人がイズミルやイスタンブルで割拠するようになってしまった。
でも、まぁこれはマイナス面ばかりでもなくて長い目で見れば、
オスマン帝国の近代型世界経済への参入というプラス効果もなくはなかったね。
特にイズミルなんかは現在でもトルコ屈指の大貿易都市だし。

84 :82:2010/12/06(月) 19:13:27 0
×フランス、オランダ、イギリス、ヴェネツィアの承認が
○フランス、オランダ、イギリス、ヴェネツィアの商人が

85 :世界@名無史さん:2010/12/06(月) 19:35:38 0
>>83
大西洋沿岸諸国の経済が発展し、砂糖、コーヒー、タバコ、綿といった
西洋の主要産物の貿易が盛んになると、オスマン朝の絹貿易の重要性は
低下してしまったね。

最も利益の上がる貿易品は珍しい贅沢品から大量消費の商品へと移り、
大西洋の貿易国にとって有利な状況となった。

やはりオスマン朝だけでなく、ヴェネツィアの衰退も避けられなかっただろうな。

86 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/06(月) 19:46:07 0
>>85
>やはりオスマン朝だけでなく、ヴェネツィアの衰退も避けられなかっただろうな。
オスマン帝国はたとえ貿易量が減ったとしてもまだ自国内の生産だけでも、
供給が事足りたから良かったけど、ヴェネツィアは完全な貿易依存経済だったから、
イギリス・オランダの台頭によるレヴァント貿易の衰退はより被害が大きかったと思うよ。

87 :世界@名無史さん:2010/12/06(月) 20:42:25 0
>>38
黒歴史というかバンデイランテがないとブラジルの歴史が始まらないぞ・・・

88 :世界@名無史さん:2010/12/06(月) 21:20:31 0
>>86
レヴァント貿易で敗退した後、ヴェネツィアは経済力じゃ落ちてるんだが、
海外貿易の変わりにテッラ・フェルマの農業やサービス業への職種転換、
地方のローカル港化で、失業率なんかも上昇してないし、社会不安もない
まま小国で落ち着いてるんだよな。
国内情勢に限れば、基本安定した社会は最後まで維持したままナポレオン
に滅ぼされてる。

89 :世界@名無史さん:2010/12/06(月) 21:30:29 0
>>86
やっぱり世界経済に依存しない独立した貿易体制をとっていた大帝国と、
中継貿易に依存していた都市国家では打撃の大きさが違うだろうな。
ヴェネツィアは現代でたとえるならシンガポールみたいなもの。

>>38
ブラジルでは16世紀後半から、サトウキビ栽培に伴う黒人奴隷の輸入が
始まるが、16世紀を通じて入ってきた黒人奴隷の数はわずか4万人程度にすぎなかった。

この時代、ポルトガル商人が奴隷貿易を独占しながらもブラジルに黒人奴隷が
余り入ってこなかったのは、一つには奴隷商人にとってはブラジルより
スペイン植民地に売ったほうがはるかに儲かったこと、
もう一つは、ブラジルではグヮラニー族を奴隷化する便法が考えられて、
実際に試みられたから。

90 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/06(月) 22:06:14 0
>>88
なるほど。かつてのような経済大国ではなく1小国として生きる道を選んだのか。
それはそれで近世においては上手な生き残り方だね。

>>89
そもそもバンデイランテっていうのがまさにグアラニー族の奴隷化を、
専門とする集団の事だからね。ブラジルで奴隷制廃止が遅れたのは、
彼らの存在も大きな原因のうちの1つだと思う。

91 :世界@名無史さん:2010/12/07(火) 04:52:09 0
ブラジルは1831年の奴隷貿易禁止法以後にも、密輸として大量の黒人奴隷が
入ってきた。
コーヒーの世界的需要が高まる中、ブラジルのコーヒー園労働者としての
黒人奴隷の需要はほとんど無限だった。
「必要なんだから仕方ないだろう」という、ブラジル的な官民なれあい方式で、
年間3万人から6万人の黒人奴隷が非合法に密輸された。

92 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/07(火) 14:08:15 0
>>91
まぁ、確かにブラジルはラテンアメリカで最も奴隷に依存した経済だったからね。
国内にいる黒人奴隷だけじゃ労働力が足りなかったんだろうね。

93 :世界@名無史さん:2010/12/07(火) 15:07:59 0
そういや、ブラジルの大統領に「お宅の国に黒人はいますか?」って聞いた
イェール大学歴史学専攻の米大統領がいたなあ・・・

94 :世界@名無史さん:2010/12/07(火) 21:45:14 0
16世紀末からのオランダ人のインド洋=南シナ海世界出現は、ポルトガル人にとって
一大脅威となった。オランダは、1568〜1648年にいわゆる八十年戦争により独立を
とげるまで、終始スペインが敵だったが、ポルトガルは1580年から60年間スペイン王によって
統治されたから、オランダの攻撃をまともに受けた。スペインの植民地は、
メキシコでもペルーでも、海岸から内陸まで開発して、大きな領土を形成していたので、
海からの攻撃だけでそれを征服することは困難だったが、ポルトガルの海外植民地は、
多くが港市であったために、海からの攻撃は容易だった。

オランダ勢力のアジア出現まで、ポルトガル人が手掛けた商品は多彩だった。
モルッカ諸島のニクズクやチョウジ、セイロン島のシナモン、マラバール海岸の
コショウ、ペルシャの馬、ギネアやモノモタパの黄金、ブラジルの砂糖、
西アフリカの黒人奴隷、日本の銀、中国の絹および絹製品などが、彼らの富の
源泉となった。これらのすべてがオランダ人の掠奪の対象になったのである。


95 :世界@名無史さん:2010/12/07(火) 21:55:43 0
>>94の続き

オランダ艦隊がポルトガル植民地を攻撃したのは、アフリカ、ベニン湾のプリンシペ、
サン・トメ島が最初で、1598年から翌年にかけておこなわれた。
両島とも、15世紀以来、ポルトガルの奴隷貿易の中心地だった。オランダ人が、
大西洋の対岸のブラジル北東部にはじめて攻撃を加えたのは1624年から25年に
かけてだったが、おそらく西アフリカの奴隷貿易と、ブラジルの砂糖製造産業の
二つを手中に収めて、大西洋経済のかなめを握ろうとしたのであろう。

しかし、ブラジルの奪取はポルトガル側の強い抵抗にあって結局失敗し、
オランダ人は1654年にペルナンブーコから撤退した。その後はカリブ海の
アルーバ、ボネール、クラサオなどの島々に拠り、クラサオを奴隷貿易の基地とした。
西アフリカで、オランダ人は1625年、ポルトガルの奴隷および金貿易の基地
サン・ジョルジョ・ダ・ミナを攻撃して失敗したが、12年後の1637年に占領に
成功して、西アフリカからポルトガル勢力を駆逐し、16以上の基地をつくった。

96 :世界@名無史さん:2010/12/07(火) 22:07:33 0
>>95の続き
オランダはその後、1641年にアンゴラ、ベンゲラを強襲した。しかし、その前年
スペインからの独立を果たしたポルトガルは、その勢いを駆って大西洋地域各地で
反撃に出た。そして1648年8月、コンゴ王国やジャガ族と連合したオランダ人は、
リオ・デ・ジャネイロから出撃したポルトガル軍に打ち破られた。
1663年に結ばれた平和条約でオランダは黄金海岸を保有し、アンゴラ、ベンゲラ
およびプリンシペ、サン・トメはポルトガル領として認めた。
以上の結果、オランダは、大西洋世界では西アフリカ、カリブ海間の奴隷貿易
だけに限り、海外活動の主力はアジアに置くことになった。

97 :世界@名無史さん:2010/12/10(金) 21:25:56 0
ヨーロッパが低迷期から脱出する切っ掛けになったのが新大陸発見

98 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/10(金) 21:36:00 0
>>97
大航海時代前夜のヨーロッパは、イタリアでルネサンスが興ったり、
スペイン・ポルトガルでレコンキスタが終了したりしてるから、個人的には、
低迷期っていうよりはじわじわと昇りかけてる黎明時期っていうイメージだ。

99 :世界@名無史さん:2010/12/11(土) 13:52:15 0
>>97
資本の蓄積と貿易・保険業などの金融が発達した影響も
大きかったんですかね


100 :世界@名無史さん:2010/12/11(土) 16:43:16 0
>>99
11世紀以後の地中海のイタリア人たちの商業活動が、アルプス以北のヨーロッパ世界に
強い刺激を与え、そこで12世紀以後独自の経済社会的な発展があったのでしょうね。

大航海時代や海外活動も、ポルトガルやスペインの単独事業ではなく、経済的にみれば
両国とも貧乏国家でしたから、彼らの事業を支えたのはイタリア人やドイツ人、
ユダヤ人などでした。
ドイツでは、銀山の好景気に乗って、フッガー、ヴェルザーなどの金融商人が
全ヨーロッパに経済活動の網の目を張り巡らしていました。
資本提供ということだけではなしに、経営技術の面からいっても、イタリア人の
貢献は大きかったわけですし。

101 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/11(土) 17:05:30 0
>>100
有名なコロンブスだって出身はイタリアのジェノヴァだからね。
スペインがハプスブルク家の下でイタリア支配を、
確立したのにもそういう事情が背景にあるのかな?

102 :世界@名無史さん:2010/12/11(土) 17:22:18 0
>>101
ジェノヴァは個人主義で都市国家当時から個人でアラゴンに協力したりしてたし、
当時はもう都市国家の様相を呈してなかったから、ジェノヴァ人はスポンサーが
必要だったんだよ。プレヴェザやレパントの海戦でスペイン軍の指揮を執ったド
ーリア家は元々ジェノヴァの政治を牛耳ってた最有力家系の一つだけど、もうあ
まりイタリア人云々は関係なくなっちゃってる。

それで、スペインのイタリア支配はどうも、新大陸での収奪並みに激しくて、イ
タリア人の技術とかそんなレベルじゃないようだ。ミラノなんかも主軸の毛織物
業が壊滅したってくらいらしい。今の南伊の遅れも未だにハンニバルの影響とか
言われることもあるようだけど、多分窓税まで取った過酷なスペイン支配の影響
だな。窓税が払えなければ屋根剥がして売るレベルで、ナポリに数十万の乞食が
溢れたってくらいだから。

103 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/11(土) 17:41:05 0
>>102
なるほど、当時のジェノヴァはイタリア半島の中でも、
特殊な地域で、イタリア人云々はあまり関係ないという事かな。

それと、スペインのイタリア支配って意外と激しかったのか。でも、スペインが、
イタリア支配に乗り切ったのは新大陸のように資源だけが目的ではないよね。
イタリアに蓄積された技術や文化の導入っていう事も少しは関係あるんじゃないかな?
当時のイタリアはルネサンスや人文主義のおかげで文化レベルが高かったし。

104 :世界@名無史さん:2010/12/11(土) 18:37:34 0
>>103
ちょっと細かいところ忘れたから、イタリア戦争で調べてくれ。
本質的にはイタリアを狙ったフランスとそれに対抗したハプスブルク家
の領土争いであって、技術や資本を目的にしてるわけじゃないから。

ルネサンス文化が各地に波及したのはあるけど、技術に関してはイタリア
のほうはイタリア戦争で荒廃したおかげで職人がヴェネツィアなんかに
逃げちゃって、それがヴェネツィア産業の興隆に繋がってレヴァント貿易
に影響したって側面がある。
北イタリアの他の産業も逆にスペイン本国産業の保護のために抑圧されて
衰退してる。
「スペインはシチリアで齧り、ナポリで喰らい、ミラノで食い尽した」
って言われるくらいだが、齧られただけのシチリアでも古代から中世まで
穀倉地帯だったのが、灌漑設備が破壊されて農業生産がボロボロになっ
てるレベル。実際シチリアの地中海における穀倉としての話がこの時代以
降消えてるだろ?

銀行業のほうも、イタリア戦争の頃には既にイタリアの銀行のヨーロッパ
への影響力は落ちてる。イル・マニーフィコ時代にはもう傾いてたメディ
チ銀行なんかがいい例だな。

105 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/11(土) 19:09:33 0
>>104
つまり、スペインのイタリア支配は単にフランスとの対抗意識のためだけで、
スペイン支配時代のイタリアは産業も衰退し、全体的に荒廃していたのか。
スペインにとっても、フランスとの敵対関係の上で優位に立てるという点以外は、
イタリアに対して特にこれといった価値を見出していなかったのかな。

106 :世界@名無史さん:2010/12/11(土) 19:40:20 0
>>105
そう思ったほうがいい。とにかくスペインの海外領土支配は「貪る」が
一番しっくりくるし、結局新大陸領土も含めて持ってたはずのカードを
有効活用できないまま、イタリアがある程度復興の途についたときには、
もう経済の中心が完全に北に移動してイギリスとオランダが台頭してた
しな。

独立を保ったトスカナ大公国でも、一時的には繁栄したけどメディチ家
が絶えてマリア・テレジアの旦那のフランツ・シュテファンが新しいト
スカナ大公になった頃にはすっかり寂れてた。

結局、ハプスブルクへの帰属が決定したイタリア戦争終結時には、ヴェ
ネツィア以外はイタリア地域全体が荒廃して、既に先進性を失ってしまっ
てたということだけどな。

そりゃ、まだトスカナなんかは文化・芸術はそれなりのレベルだったけ
ど、結局はヨーロッパの小国にすぎなかったしな。

107 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/11(土) 19:55:28 0
>>106
スペインは新大陸なんかは結構統治制度を整えて恒久的な支配を確立したのに、
イタリア支配に関しては特にそういったこともせず、何ら価値を見出せなかったのか。
少し意外だな。

108 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/11(土) 19:56:24 0
>>107
脱字訂正。
誤)スペインは新大陸なんかは結構統治制度を整えて恒久的な支配を確立したのに、
正)スペインは新大陸なんかには結構統治制度を整えて恒久的な支配を確立したのに、

109 :世界@名無史さん:2010/12/11(土) 20:08:43 0
>>107
恒久的な支配権確立しても、経済や先進性は別物だろ?
銀を手に入れてもきちんと産業の振興もしないまま消費してヨーロッパでほと
んど吐き出させられたし、スペイン本国の経済体制すら磐石だったわけじゃ
ない。統治制度や支配権の確立がそのまま支配先の経済振興や先進性には繋
がらない。
もしスペインがそんな支配をしてたら、中南米は今頃先進国だよ。イタリアも
同じ。ヨーロッパだったことで一応先進国だが、いつも危ぶまれてるだろ?

110 :世界@名無史さん:2010/12/11(土) 20:12:29 0
ラテンアメリカが貧富の差が激しいのは大地主制の名残らしい

111 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/11(土) 20:19:00 0
>>109
現在の経済と当時の経済をそのまま結び付けるのはどうかな?
ラテンアメリカが経済的に微妙なのは工業化が送れたのと、
>>110が言うように大地主制が根強く残ってるのが主な原因な訳で、
それらは確かにおおもとを辿るとスペインの植民地支配に行き着くけど、
それは現在において負の遺産だっただけで、当時においてはそんなに悪い事でもなかったよ。
植民地時代のアメリカ大陸ではイギリス領だった北米よりも、
スペイン領だった中南米のほうが経済的にも豊かだったし、
産業だってペルーやメキシコなどでは植民地時代から結構発展してるし。

112 :世界@名無史さん:2010/12/11(土) 20:52:13 0
>>1が反論されてるけど実際白人はそう思ったんじゃないか?

113 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/11(土) 20:57:29 0
>>112
大航海時代じゃ、まだ近代的な白人優越主義は出来てないよ。
当時の西欧は割りと素直に中国や中東やインドの高度な文化・文明を評価してる。

114 :世界@名無史さん:2010/12/11(土) 21:10:47 0
>>112
>>112
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1289430317/l100
■世界の大国(列強)の興亡の歴史■


近代の白人優越主義について語るならこちらのほうがいいかと。

115 :世界@名無史さん:2010/12/11(土) 21:32:35 0
>>111
そうだな、現代に直結させるのは、少し言葉が行き過ぎたな。
俺の基本イメージはミタ制や銀の輸出しかなかった。

けど、当時においてはスペイン支配(のことか?)はそんなに悪いことでも
なかったってのも、ちょっと行き過ぎてないか?

16〜17世紀のエンコミエンダやミタ制度はあきらかに過重負担だし、そ
れなりの一つの安定期に入るまでにはかなりの時間を経過してるだろ。
それはイタリアも同じだし、時期的にも重なる。>>105

>イタリアがある程度復興の途についたときには、

って言ってるだろ?一旦失った力や先進性を取り戻せなかったのはイ
タリアだけじゃなくてスペインも同じことだけどな。

あと文字通りの「植民」で始まった上に本国の統制の緩かった、独立自営
農民が多くてプランテーションが発達した州が少なかったイギリスの北
米植民地と、副王をおいて鉱山にしろ農園にしろインディオを労働資源と
して使ったスペインの中南米植民地とじゃ、植民地としての性格が少し違っ
てくるし、統制力の強さの割りに、スペインは経済力でイギリスやオラン
ダに敗退してることは抑えるべきじゃないか?

116 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/11(土) 21:49:31 0
>>115
エンコミエンダ制はごく初期に流行っただけでしばらく経つと廃れてるし、
ミタ制は確かにインディオにとってはかなり負担が大きかったけど、
経済的にはそんなに悪手だった訳でもないんじゃないの?
特に、鉱山や農園経営の手段としてはミタ制は結構効率的だった。
イタリア支配については僕もあまり知らないので何とも言えないけど。

それと、ラテンアメリカを植民地化したのにスペインの経済力が伸びなかったのは、
アメリカ大陸の貴重な資源である銀などが本国の厳しい貿易統制にも関わらず、
密輸などによって勝手に他国に流れてしまった事のほうが大きな原因だと思うよ。
でも、これは逆に言えば当時のラテンアメリカにおいて大規模な経済活動が、
自主的に行なわれていたことを示す証拠にもなるね。まぁ、イギリス型の植民地と、
スペイン型の植民地の違いも結構大きいけど、植民地下でのラテンアメリカの経済が、
決して遅れてた訳ではないよ。ただ、その恵みが本国にあまり来なかっただけ。

117 :世界@名無史さん:2010/12/11(土) 22:19:35 0
>>116
あと、本質的に食い違ってるのが、その植民地の経済の主体が移住にしろ
現地生まれにしろ、スペイン人ってことだ。
イタリアもいわば征服されたわけであって、スペインに対するイタリア住
人の立場は寧ろインディオに近い。俺はその立場で言ってるが、君は植民
地のスペイン人の立場で言ってないか?それだと捉え方が全然違ってくる。
言い方は悪いが、イタリア地方も中南米のインディオも金にしろ労働力に
しろ、本国の資源にされる立場だ。
スペインの統治制度と支配というのはそのレベルじゃ同じだし、16〜17世紀に
インディオの生活が征服以前より良くなったかといえば、大分違ってくるは
ずだが。

>>106で君はイタリア統治をろくにしてなかったんんじゃないかと不思議がっ
てるが、そこで食い違いが生じてないか?イタリアでスペインがそこまで収奪
できたのは、それだけの徹底的な統治体制を敷いていたからで、植民地のイン
ディオ統治と基本は同じだと俺は言ってたつもりなんだけど。

118 :117:2010/12/11(土) 22:23:51 0
失礼。 >>106>>107の間違い

119 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/11(土) 22:30:43 0
>>117
まぁ、確かに支配民族の立場か被支配民族の立場かの違いはあるね。
でも、もしイタリア人が資源だとすれば、それはそれでスペインが、
航海や交易の技術に優れていたイタリア人をインディオのように資源として、
活用する事がなかったというのはどうしてかというと疑問が生まれるんだけど。

120 :世界@名無史さん:2010/12/11(土) 23:50:42 0
>>119
それは>>104で説明してあるんだが。
あと、イタリア=航海の技術に優れていたというのが勘違いだ。この時代じゃ海洋
都市と言えばジェノヴァとヴェネツィアしかない。ジェノヴァの船乗りは既に言っ
たようにもうフリー状態だし、この頃に地中海貿易に進出しはじめたフィレンツェ
もトスカナ大公国として独立を守ってるし、それはヴェネツィアも同じ。

交易にしても、基本イタリア諸都市は大抵自国の産業を持っててそれを輸出することで
交易を行ってる。中世ヴェネツィアのような完全中継交易のほうが特殊なんだよ。
ミラノだと武具・絹織物・毛織物とかな。それもイタリア戦争の荒廃と本国産業の保護
目的の圧迫、イギリスなんかとの競合の為の無茶な増税で壊滅状態になってるの。
それで逃げた毛織物、絹織物職人がヴェネツィアに流れたのも説明済み。

これがなんとか安定してきた所でこれらの産業がイギリスやオランダの商品との競合
に晒されて敗退することになっちゃったから、スペインは活用のしようもなかった。

とにかくスペイン領になった時点でのイタリアは、既にイタリア戦争で荒廃してい
ていたから、そこからイタリア人の富を吸い上げたら、何にも残らないのにスペイン
はそれやっちゃったの。それに経済先進地域なのは北イタリアだが、その中で一番大
きいトスカナ・ヴェネツィアは独立守ってて、後はミラノくらいしかない。
イタリアのどこでも先進地域じゃないし交易で儲けてた訳じゃない。イタリア
なんて国は存在しなかったんだから、一緒にしちゃうのが間違い。

穀物地域のミラノを中心としたロンバルディアでの、販売用穀物の所持禁止や消
費者でも二日以上の備蓄禁止とか、完全に収奪のための決まりだが、逆にそれを
やれるくらいスペイン統治はイタリアを統制していたということになる。
これもイタリア人を労働資源として活用してるのはインディオと同じことだよ。

121 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/11(土) 23:59:56 0
>>120
つまり、スペインはイタリアの大して先進的でもない地域を、
フランスとの対抗のためだけに占領して、
その上そこから過剰に搾取してしまったため、
職人が逃げたりしてますます荒廃してしまったので、
スペインにこれといった利益は入らなかったという事?
ナポリやシチリアはイタリアでもそんな進んでるほうじゃなかったのか。

122 :世界@名無史さん:2010/12/12(日) 00:30:06 0
>>121
利益は入ってるだろうよ。収奪してる分がスペイン国庫に入ってるんだから。
ただ、当時のスペイン本国は、はっきり言えば、資産の効率的運用とか収入
にはたいした能力ないから永続的に利益を得る工夫がないだけ。
最盛期のフェリペ2世が何度国庫の破産宣告したと思う?

ナポリやシチリアは寧ろ農業国。農産物の収奪も激しかったのはシチリアの
例で説明してあるだろう?

人的資源としての新大陸でインディオの活用についても君は高評価してるけ
ど、疫病もあったとは言え、人口減で黒人奴隷まで持ち込むほど酷使し
たのは変わらないよ。それって効率的な資源の運用と言えるのかい?
単に元手が無限にあるから無駄がいくらでも出来たってだけの話だと
思うんだが。イタリアにはそんな元手はなかったってこと。いくらなん
でもイタリア人を奴隷扱いできないからな。

ハイチなんて原住民絶滅させて、代わりに連れて来たインディオのカリブ人
も絶滅、それで最後に黒人奴隷を連れてきてるんだしな。

123 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/12(日) 00:43:12 0
>>122
まぁ、確かに新大陸の銀も本国には全然入ってこなかったし、
スペインは植民地の利益を恒久的に得るという事が出来ない国なのかな。
後、黒人奴隷を大量に使ってたのはどちらかというとポルトガルで、
スペインはアメリカ大陸においては黒人奴隷をあまり必要としなかったよ。
現在、ブラジル以外のラテンアメリカ諸国の黒人人口はさして多くないでしょ。
カリブ海の諸島だけは例外で、スペインがこの地を領有したのはかなり初期だし、
大陸に比べインディオの文化レベル自体があまり進んでなかったため、
労働力として上手に活用するすべをスペインが身につける前に絶滅してしまっただけ。
現に、それを反省してか新大陸のインディオは生かさぬよう殺さぬよう扱われたし。
大陸のインディオ人口はスペインの支配が安定してきた17世紀頃から徐々に回復してるよ。
初期に大幅に減ってたのは、征服戦争の被害と疫病によるところが主要な原因だね。

124 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/12(日) 00:49:41 0
>>123
それと、イタリア人を奴隷扱い出来なくたって、ルネサンスの文化や技術を伝えるために、
職人や商人や学者などを本国に連れてきたりする事は出来たのになんでしなかったの?
あなたの説明によると多くの職人がヴェネツィアに逃げたようだけど、
それをスペインは何も対策を練らずに、ただ黙って見過ごしていたのかな?
もしそうだとしたら、スペインのイタリア支配は相当下手だったんだなぁ。

125 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/12(日) 00:51:05 0
>>124>>123の続きね。

126 :世界@名無史さん:2010/12/12(日) 01:30:57 0
>>124
>ルネサンスの文化や技術を伝えるために、職人や商人や学者などを本国
>に連れてきたりする事は出来たのになんでしなかったの?

ちょうど宗教改革とその対抗改革の時代だということを忘れないように。
この辺は想像だが、イタリア・ルネサンスの担い手の学者や文人ははっ
きり言えば、教皇庁より厳格なカトリック国家である上に、無骨な風情が
残ってた当時のスペインには合わないと思うよ。

少なくともそれよりもっと前、イル・マニーフィコの時代にフィレンツェ
の芸術家は積極的に国外に出てるが、スペインにはあまり出向いてないと
思うし、ダ・ヴィンチにしても最後のパトロンはスペインじゃなくてフラ
ンソワ1世を選んでる。
ルネサンス学者はフィレンツェに多いけど、これもイル・マニーフィコの
死後にはサヴォナローラに転向しちゃったのも多いしなあ。
スペインじゃバロックのエル・グレコが代表的だけど、彼はクレタ出身だ
し、フェリペ2世が注文したティツィアーノはヴェネツィアの画家だから
スペインの支配外。イタリア戦争はフィレンツェ中心のルネサンスの終焉
の時期でもあるんだよ。その後にヴェネツィアルネサンスが最盛期迎える
けど、それは芸術分野だからな。

>それをスペインは何も対策を練らずに、ただ黙って見過ごしていたのかな?

正確に言うとイタリア戦争の荒廃からヴェネツィアに逃げた職人が多いけど、
ヴェネツィアも丁度アフリカ航路の問題もあって、国内産業の育成に目を向けて
たから、そういった職人を高待遇で迎えてるからな。後にはそれが裏目に出る
けど、この時はそれが当たってる。
スペインのほうは、ミラノの例を挙げたように、寧ろ産業を衰退させるような
ことしてたから、戦争終結しても、職人には全然魅力はないだろ?

127 :世界@名無史さん:2010/12/12(日) 01:31:45 0
続き:

商人にしても、スペインは国家交易で儲けようとしてたし、レコンキスタの
終了に合わせて商業の担い手だったユダヤ人をオスマンにやってしまう
くらいなんだよ。少なくとも大規模貿易で民間に頼る気はなかっただろ
うな。その辺は、オスマンと繋がったフランスのほうが有利だった。

一応、一回フェリペ2世がヴェネツィアにアフリカ航路の共同支配の話を持
ちかけてるがリスクが高すぎると蹴られてる。太陽の没することのない帝国
って言っても、結局スペインの覇権はごく短かったのはその辺の体質が原因
だと思うけどな。

こうやって並べると、スペインの覇権は、ハプスブルクの幸運と、地球
の大きさを計算間違いしたコロンブスを拾ったからという偶然要素が随
分でかいと思えてきたな。

コロンブスがポルトガルをパトロンに出来なかったのは、ポルトガルの
学者が正確に地球の大きさを計算してたから、コロンブスの言うように
短距離でアジアには到達できないのを知ってたからだし。
スペインの学者が同意見だったのかは知らないが、少なくとも科学的に
間違ってるコロンブスに「ノセられた」のはイザベラ女王だしな。

あと、スペイン時代の中南米は俺はよく知らなかった。指摘サンクス。

128 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/12(日) 01:42:44 0
>>126-127
こうしてみるとスペインはあまり統治能力に優れてないように思えてくるなぁ。
下手に産業に介入しようとしてそれが裏目に出るという事を
アメリカ大陸でもイタリア半島でも同じように繰り返してるし。
後、確かにガチガチのカトリックであるスペインには、
ルネサンス的気質は似合わなかったというのもあっただろうね。
ユダヤ人追放といい、この例といい、変に宗教に拘って、
自国の首を絞めることもよくあるし。何かスペインが駄目な国に思えてしまう。

>あと、スペイン時代の中南米は俺はよく知らなかった。指摘サンクス。
僕もスペイン時代のイタリアは良く知らなかったですから。指摘ありがとうございます。

129 :世界@名無史さん:2010/12/12(日) 11:39:05 0
>>123
>後、黒人奴隷を大量に使ってたのはどちらかというとポルトガルで、
>スペインはアメリカ大陸においては黒人奴隷をあまり必要としなかったよ。
>現在、ブラジル以外のラテンアメリカ諸国の黒人人口はさして多くないでしょ。

メキシコ、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、エクアドル、
ペルー、ボリビアにはほとんど黒人奴隷が入ってこなかったね。
この地域の先住民はもともと文化レベルが高くて農耕生活や労働に慣れていたから。
アステカ、マヤ、インカ文明圏の先住民の場合、王を頂点とした階層社会だったから、
為政者が代わりスペイン人の支配に入っても徐々に新しい支配体制に順応していった。

悲劇的なのはカリブ海諸島や大陸沿岸部、アマゾン平原の熱帯雨林で狩猟と採取、
あるいは低い生産力しかない農業を補助的に行っていた連中。
労働力として使いものにならないから、疫病と酷使で最終的には絶滅。

130 :世界@名無史さん:2010/12/12(日) 11:53:13 0
>>126
>スペインじゃバロックのエル・グレコが代表的だけど、彼はクレタ出身だ
>し、フェリペ2世が注文したティツィアーノはヴェネツィアの画家だから
>スペインの支配外。

バロック時代の画家フセペ・デ・リベーラは、
「スペインは異邦人には慈悲深い母だが、自国民にとっては実に酷い継母である」
と語り、自国の画家を冷遇するスペインの美術パトロネージの傾向を批判していた。

>>128
スペイン人・ポルトガル人が異民族統治下手なのは、レコンキスタの影響もあるかと。
基本的に異教徒を敵とみなしてきた国民なわけだし。
対岸の北アフリカにはまだイスラーム勢力が健在で、イベリア半島のキリスト教徒に
とっては脅威だったわけだしね。

それと、この両国の「中世的体質」。
植民地も含めた国家は基本的に王室のものだと考えている。

131 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/12(日) 13:17:28 0
>>129
スペインが基本的にペルーやメキシコを植民地経営の中心にしたのも、
要はそこのインディオたちの元々の文化レベルが比較的高かった事が理由だしね。
カリブ海の先住民は、本当に早くのうちに絶滅してしまった。

>>130
まぁ、スペインがあそこまでガチガチにカトリックに拘ったのは、
確実にレコンキスタのせいだろうね。異端審問で商業に優れたユダヤ人を、
国外追放してしまったのなんかは、バカじゃないかと言われても仕方ない気がする。
しかも、そうして国を追われたユダヤ人がスペインの敵国である、
オスマン帝国に逃げてきたせいでオスマン帝国を豊かにさせてしまったのは皮肉だな。

132 :世界@名無史さん:2010/12/12(日) 14:44:13 0
>>128老子にある「すすんで人に先んずるなかれ」ってやつさ。
どうしたって先行する者は現地との戦争、インフラ整備などの負担があって
統治する前に自国が疲弊してどこかに奪われてしまう。これで
参入してきたのがオランダをはじめとする二次植民地帝国でしょ。
彼らは横からきて全部奪って、でも略奪するばっかりじゃ次がない
ってんで「大規模農業」に移行した。でもそれも最終的な
植民地帝国、つまりアメリカにすべて奪われてしまう。結局
一番得したのは最後まで力を貯めていて「ここぞ」というときに
出た利口な勢力ですな。

133 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/12(日) 15:10:56 0
>>132
そのアメリカだっていつまで覇権を維持できるかは分からないけどね。
結局、スペインの植民地統治はオランダやイギリスのように、
本国に利益をもたらすものじゃなかったのが最も痛かったなぁ。
銀を上手く活用できなかったせいで、最盛期からしてすでに借金まみれだったし。
「大規模農業」はアシエンダという形でスペイン植民地でも行なわれてたんだけど、
あれも結局は征服者が個人単位で始めたものだから本国の統制が効かず、
オランダやイギリスのように大規模農業による利益を上手く本国が搾取できなかった。

134 :世界@名無史さん:2010/12/13(月) 18:31:26 O
>>130
> それと、この両国の「中世的体質」。
> 植民地も含めた国家は基本的に王室のものだと考えている。

これは「ハプスブルク体質」とも名付けたい。
ブルボン朝に変わった途端ヌエバプランタで国内改革に踏み出したわけで。

ブルボン朝スペインの植民地経営がどんなだったかは知らん

135 :世界@名無史さん:2010/12/13(月) 18:33:19 O
スペインに限った話ね。

136 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/13(月) 19:53:50 0
>>134
>ブルボン朝スペインの植民地経営がどんなだったかは知らん
アメリカ大陸におけるスペイン・ブルボン朝の改革としては主に、
国家専売事業の創設、貿易港の増設、新税や正規軍の設立や、
国王によるスペイン本国人の官僚任命(=支配層からクリオーリョ排除)などだね。
現地のクリオーリョなどに集まってた植民地の利益を出来る限り、
王室の財源にしようとした中央集権的な財政改革だったよ。

137 :世界@名無史さん:2010/12/14(火) 00:13:01 0
>>43
後進地かどうかで征服云々を語るのはナンセンスだよ。

匈奴も文化経済じゃ漢より遅れてたけど漢を従属的地位に置けたし、
その後も遼や金も支配的地位になれたし、モンゴルや満州族は言わずもがな。
経済や文化の後進地に勝てない状況が多かった。
マケドニアの大国ペルシャへの勝利なんかももそうだな。

138 :世界@名無史さん:2010/12/14(火) 00:16:24 0
西北の民族は金属加工やガラス化学などで優位にあったので
匈奴や蒙古が遅れていたわけではないが。

139 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/14(火) 00:33:39 0
>>137
う〜ん、匈奴はともかく金なんかは取り立てて後進地域でもないと思うけど。
まぁ、確かに後進地云々で征服を語るのは違うかも知れないけど、
8世紀以前の西欧ってトゥール・ポワティエの戦いなんかに代表されるように、
イスラーム勢力に対して完全に守勢だったから征服なんて無理だと思うけどなぁ。

140 :世界@名無史さん:2010/12/14(火) 01:15:02 0
>>138
いや話がおかしい。
後進地だから征服できない云々がナンセンスという話。

>金属>ガラス
んじゃその程度で先進地といえるならヨーロッパも先進地になるんじゃね。

141 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/14(火) 01:43:51 0
>>140
確かに、匈奴の文化レベルは初期の中世ヨーロッパぐらいかな。
まぁ、匈奴の時代のヨーロッパはまだ中世ではないんだけど。

142 :世界@名無史さん:2010/12/14(火) 05:24:14 0
むしろ中国支配に限って言えば
人口、経済力、文化などで劣ってても普通に勝利できてる。

143 :世界@名無史さん:2010/12/14(火) 06:31:56 0
中世ヨーロッパの場合は、文化や技術の後進性に絡んで、社会体制とそれに
直結した軍事力の問題があるだろ。

匈奴や遊牧勢力の大帝国は少なくとも社会の組織化とそれに結びつく軍事
制度が整備された環境だけど、中世ヨーロッパじゃ封建諸侯の分立で、そも
そも社会が総合的に軍事力を組織化できる状態じゃないし、狭い世界観に縛
られてまだその必要性の理解が一般化できてない気配が強い。
社会体制の違いがあるけど、遊牧勢力はその辺の軍事制度はヨーロッパより
はり先進的と言えると思うが。

中世ヨーロッパは同時代の他地域と比較しての社会の後進性とそれに伴う軍
事制度・軍事思想の後進性の問題だと思うがな。カール大帝やオットー大帝、
リチャード獅子心王はそれを個人的な統率力でカバーしてただけで、そこま
で個人に頼った状態自体がヨーロッパの遅れを示してると思うが。

144 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/14(火) 07:58:51 0
>>143
確かに、匈奴は政治体制は分権的な部族連合だったとはいえ、
軍事制度に関してはそれなりに組織化されてたほうなのかな。
(と言っても、あくまで分権的な軍事組織ではあったけど)

145 :世界@名無史さん:2010/12/14(火) 14:10:20 0
>>131
グレナダ侵攻以降も「宗教にこだわった」みたいに見るのはどうかね。
短期的に見ればユダヤやムスリムの既得権奪う方が経済的に回ったからでしょ。建て前に利用してた面だって大きい。
それを結果論でバカだと今の日本人に言えるのかね。
今の日本だって客観的にみればどう考えても先行き暗いこと繰り返してるのに結局改善の動きないじゃん。
まあ国単位でそういう優劣比較する視点の何が面白いのかって話だけどね。
面白いと思う人はそれでいいけどw

146 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/14(火) 14:45:44 0
>>145
まぁ、確かにスペインの異端審問は純粋な宗教的理由だけじゃなく、
ユダヤ人の経済的優位や既得権益を対するスペイン人の不満によるところも、
かなりあっただろうね。ただ、結果として国内の経済を衰退させたのは事実じゃないの。
別に国家単位で優劣比較をしてる訳じゃくて、当時のスペインの異民族統治が、
あまり優れたものではなかったんじゃないかと思っただけなんだけどね。
個人的には結構な名君だと思ってるフェリペ2世の時ですら、
国家破産してるし。それと、今の日本の政治がだめなのと、
過去の政治における歴史的評価は関係ないでしょ。

147 :世界@名無史さん:2010/12/14(火) 16:30:34 0
>>132
単に「結果」からだけ見て陰謀論者みたいな発想してるように見えるよ。
オランダも開発投資はしてたと思うし、収奪の割合をアップさせようと思うなら
どこだろうがそうなるだろう。

日露戦争でロシア権益の鉱山や大連とかの大都市でもロシアが整備したインフラあったはず
だが、これは日本が後で奪う為にわざとそうしてたわけじゃないろ。
昔言われてた基礎研究のただ乗りとか、アメリカが国内市場の成熟させ、産業育成したたのも
わざと果実を日本が乗っ取る為にそう誘い込み後で乗っ取ったわけでもなく、単に日本が追いついて追い越した結果にすぎない。
「元の宗主国が開発してたかどうか」は帝国主義戦争の勝敗の結果が生んだ単なる副次的な面だ。

何でもかんでも陰謀や狡猾な策略に結び付けてるのは、独ソ戦の前半の敗北、
蒋介石の敗退転進を「実は焦土戦略によって奥地に誘い込む深慮遠謀だったのだ」とか
とか言うのと似た電波を感じる。

148 :世界@名無史さん:2010/12/14(火) 20:58:16 0
オツガイ ◆EAbyJft1LY ってのは文脈読まずに知識自慢したがる傾向あるな

145で言ってるのは、今の日本人が問題点わかってても変えられないんだから
経済的凋落を理由に当時のスペイン人バカにするのは無意味って話だろ

政治の話とか誰がしてるんだよw

149 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/14(火) 21:09:01 0
>>148
つまり、問題点分かってても変えられない事は歴史上多々あるから、
スペインのそれだって別段珍しくないっていう事?う〜ん、それは国にどこまでの、
レベルを求めるかという事の違いになるんじゃないの。問題点分かってて変えられないのは、
過去も現在も基本的にはそんな誉められた事ではないでしょ。今の日本人だって、
同じようなものじゃんっていう主張には、「うん、そうだね。」としか返しようがないよ。
乱暴な言い方になるけど、当時のスペインも現在の日本もどっちも、
統治能力に欠けてる、平たく言えばバカっていう結論に達するだけでしょ。
(誤解のないように言うけど、僕が現在の日本の政治がダメと言ってるんじゃなくて、
あなたの言い分の通り日本もダメだとしたらこういう結論になるだけだと言ってる)

150 :世界@名無史さん:2010/12/15(水) 08:31:36 O
オスマンが大航海時代に乗れなかったのは、レパントで完敗したからだろな
西地中海以西に進出不可になり、以後停滞、衰退した
明が乗れなかった理由は謎なんだよな

151 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/15(水) 08:59:59 0
>>150
そもそも地理的に考えてオスマン帝国が大西洋に出るのは無理でしょ。
それに、オスマン帝国は最盛期からして大西洋に対して興味はなかっただろうから、
レパントの海戦の勝敗はあまり関係ないと思うよ。あれはあくまで地中海の制海権を、
争うものだったし、敗北以降もしばらくはレヴァント貿易も衰えてないから、
オスマン帝国の中心的テリトリーである東地中海はまたまだ維持されてた。
オスマン帝国が大航海時代に乗り出すとしたら、むしろ紅海やペルシャ湾から、
インド洋に出るルートのほうが可能性としては高いと思うんだけど、オスマン帝国自身は、
アチェに艦隊を派遣したり、ポルトガルを自国の近場から追い出したりした程度で、
あまり積極的にインド洋へ進出しようとはしなかったね。あくまで、東地中海と、
紅海・ペルシャ湾というインド洋への入り口さえあれば他は特に興味なかったんじゃないかな。

152 :世界@名無史さん:2010/12/15(水) 12:30:20 0
>>150
明は謎だわ
たしかバリバリの海洋国家だったはず
航海技術的には問題なかっただろうし
地理的要因以外にも何かあったんだろうけど、やっぱ謎だわ

153 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/15(水) 12:54:46 0
>>152
明って海禁令を出してたりして、民間の海上貿易をかなり制限してたよね。
そのせいで倭寇なんかも出現してるし、海上貿易を独占しようとしすぎた結果、
逆に民間の商人たちの間での交易が衰退したのが原因じゃないの?

154 :世界@名無史さん:2010/12/15(水) 14:32:08 O
新世界を発見した時点でヨーロッパ大逆転のレールが出来上がっちゃってるよなー、って思う。

155 :世界@名無史さん:2010/12/15(水) 15:42:46 0
華僑が東南アジアに進出してるよね


156 :世界@名無史さん:2010/12/15(水) 17:00:20 0
>>152
>>153
鄭成功出した鄭氏なんかは明末でも密貿易で十分利益上げてるし影響力も
強かった。鄭成功が日本生まれだと言うこと、鄭氏勢力を核に反清勢力築
き上げたことからも、それは分かるだろ。
官僚に腐敗がひどかったというのは商人には潜り抜けやすかったことにな
るからな。寧ろ密貿易に厳格な官僚のほうが失脚・自殺に追い込まれてる。

もの凄く単純に言えば、明は海上志向ではなく陸上国家であったこと、自
国以外の国は基本冊封体制に組み込むことで満足してたから、西欧と根本
的価値観が違ってることだな。鄭和の航海にしてもあくまでも冊封関係さ
え結べば良かったんであって、西欧のような重商主義・植民地主義とは
無縁。海外に必要性を求めた西欧と事情が全く違う。

清末の官僚が「わが国は輸入が必要なものはない」ってのもある意味その
通りで、国土が広い分、ほぼ自給できてたからな。
そういう疑問は寧ろ西欧的感覚で中国史を見すぎだと思うぞ。

157 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/15(水) 17:12:46 0
>>155
華僑はかなり前から東南アジアに来てたらしいけど最も増えたのは清代らしい。
タイだと華僑出身のタークシンがトンブリー朝なんていうのを作ってるし。

>>156
なるほど。そもそも遠洋に航海する必要性がなかった訳か。そこら辺は、
インド洋に進出できる立場にありながら進出しなかったオスマン帝国と同じかな。
そもそも、スペインやポルトガルが大航海時代に乗り出したのは、
中国やインドなど東洋の富(主に香辛料)を彼らが求めたからであって、
元々それらを持ってる中国が大航海時代に乗り出す必要性は全くないね。

158 :世界@名無史さん:2010/12/15(水) 17:24:45 O
東洋への航路を求めてたら何故か新大陸を見つけたでござる

159 :世界@名無史さん:2010/12/15(水) 17:27:35 0
必要性理論も疑問なんだな
ヨーロッパは当時1億近い人口を養えるだけ能力があったし
欲さえ出さなきゃヨーロッパだけに閉じこもっていても何の問題もなかったよ
海外に行って富を獲得しようという志向が他より強かっただけでしょ
でちょうど技術革新の時期だったしね



160 :世界@名無史さん:2010/12/15(水) 17:40:27 0
明の時代は欲しい物は自国で調達出来たからわざわざ外に出る必要が無かった。


161 :世界@名無史さん:2010/12/15(水) 17:54:32 0
>>156
そっか海上じゃなく陸上国家だったんか
てっきり北方民族に苦心して長江以南を拠点に海上貿易で
栄えた国だとばかり思ってたわサンクス

>>159
現代からみた結果論でもって、したり顔で語るほど寒いもんね
なぜ航海に出たか?
ただそこに海があったからみたいな単純な好奇心や物好きが高じた結果
そうなったのかもしれないし。

162 :世界@名無史さん:2010/12/15(水) 17:57:18 0
中華思想もあるね
西洋の使節が清の官僚に大砲見せたら北京にも同じものがあると一点張りだったらしい
同じものを日本人に見せると日本人は飛びついて譲ってくれと人なつっこく催促してきた
つまり中国人は三重春蔵なんだよ

163 :世界@名無史さん:2010/12/15(水) 18:00:04 0
16−19世紀の西洋人の日本と中国の記録が載ってる本を立ち読みしたけど
全体的に中国人は外界に無関心で俺らがナンバーワン、日本人は好奇心旺盛で貪欲って感じ

164 :世界@名無史さん:2010/12/15(水) 18:00:36 O
海洋技術はあったが大航海へのインセンティブは弱かった。

165 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/15(水) 18:05:40 0
>>159
いや、必要性はあったでしょ。そもそも、大航海時代の直接のきっかけは、
オスマン帝国の地中海進出にある訳で、そのために西欧諸国は従来の、
地中海以外の新たな交易ルートを開拓する必要に迫られたんじゃないの?
そりゃ、地中海交易がなくてもヨーロッパは食っていけたかも知れないけど、
今までそれで経済が潤ってた訳だから、なくなるのは辛いでしょ。
例えが変だけど、一度金持ちになった人はたとえ収入が減ったとしても、
今までの贅沢な暮らしをなかなかやめられないのと同じようなものだと思うよ。

166 :156:2010/12/15(水) 18:10:33 0
>>159
ヨーロッパの東洋志向はそもそも「ムスリムを介さない香辛料調達」を
御題目にした、自国の香辛料貿易利益の独占が目的だからな。
ヨーロッパ世界が一つの国家ではなくて、お互い鎬を削ってたから自分
が優位に立つにはヴェネツィアが握ってた香辛料貿易の利益が欲しかった
ということ。当時、香辛料の供給は安定してたから、もし一枚岩の国家だっ
たら、あれほど外洋に執念は燃やさなかったと思う。

>>161
民間レベルは密貿易・東南アジア華僑の活動で海上活動も盛んだったけど、
明という王朝にとっては商業より農業が基本だったからな。あくまでも赤
字の朝貢貿易に拘ってるから、国として海上交易に力を入れてたわけじゃ
ないと思うぞ。
商業利益も重視した南宋でも本質的には農業が基盤だし、海上貿易を利益
の中心にすえる国というのは農業に活用できる後背地が少ない小国くらい
だろうな。有名どころじゃギリシャのポリスやヴェネツィアがいい例かな。

安定した農業基盤があれば、そちらのほうが確実な税収が見込めるし、
リスクの高い海に無理に国家の活力を向ける必要がない。

167 :世界@名無史さん:2010/12/15(水) 18:11:13 0
オスマンの進出は最近はあまり大きく評価されてないよ
そもそもオスマンがくる前からマムルーク朝が高関税かけてぼったくりしてたからな
ポルトガルの海洋進出はもともと西アフリカの金を求めてはじまったわけで地中海貿易はあんま関係ない
そもそも地中海貿易が廃れたらベネチアは大損こくしね
ポルトガルが香辛料貿易を意識したのは喜望峰周ってからだと思う
ラッキーwって感じ

168 :156:2010/12/15(水) 18:19:53 0
>>165
丁度>>166で書いたが、オスマンの進出があっても、香辛料の供給は安定
してたから、その意味じゃ新しい航路開拓の必要性はない。
問題はその香辛料貿易による莫大な利益をヨーロッパのどの国が独占する
か、だ。
で、出した御題目がムスリムを介さない香辛料交易であって、中には理念
的に真面目にそう思ってた人間や国王がいるかもしれないが、ヨーロッパ
の国ってのはもう、その時代には十分スレていたからな。
基本的に、誰も異議を唱えられないその御題目を利用してただけと考える
べきだと思う。

169 :世界@名無史さん:2010/12/15(水) 18:29:28 0
中国も恒常的に分裂してたら
広州あたりの国家が海洋に乗り出した可能性があるな

170 :世界@名無史さん:2010/12/15(水) 18:37:14 0
大サプライヤー(=オスマン)のあるなしよりも
小問屋さんたち(=ヨーロッパ諸国)が多すぎて鎬を削って競争してたことで
価格競争による経済的利益要因のが仕入れルート(=海洋ルート)を必要としたってことか

171 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/15(水) 18:41:28 0
>>167-168
ふ〜ん、オスマン帝国進出はあくまで名目に過ぎなかったのか。
まぁ、西欧諸国としてはむしろヴェネツィアなんかが握ってた交易の利益を、
自分たちも手に入れたかったからという理由のほうがより本質に近いのかな。

ただ、ヴェネツィアが衰退しなかったのはビザンツやオスマンに対して、
上手く取り込んだからというのもあるでしょ。それが出来なかったジェノヴァは、
大西洋貿易に力を入れるようになったらしいし。樺山紘一先生によると、
コロンブスがジェノヴァ出身なのもそういう背景があったからだそうだし。

172 :世界@名無史さん:2010/12/15(水) 18:49:06 0
>>169
インド亜大陸の場合、海洋国家というのはあったのかな?

173 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/15(水) 18:50:45 0
>>172
南インドのほうは海洋国家多いでしょ。チョーラ朝なんかは、その最たる例だし。

174 :世界@名無史さん:2010/12/15(水) 19:03:34 0
>>172>>173てレス早すぎないか

175 :156:2010/12/15(水) 19:24:54 0
>ただ、ヴェネツィアが衰退しなかったのはビザンツやオスマンに対して、
上手く取り込んだからというのもあるでしょ。

ビザンツ時代はそうだが、対オスマンの場合はレヴァント貿易の重要性は
変わらなくても、オスマンとの戦争やフランスやフィレンツェの進出で
16世紀中にヴェネツィアの独占体制は崩れてる。16世紀のヴェネツィ
アの総合的発展は、こないだ、どこかで君に言ったと思うが、毛織物等、
産業面の発達も加えた経済基盤の多角化による。

>それが出来なかったジェノヴァは、

ジェノヴァも何度かビザンツと結びついたし、ビザンツの方でもジェノヴァ
とヴェネツィアとの間で揺れ動いてたが、最終的にジェノヴァのほうが自滅
して国家崩壊状態になったから、本国のバックアップのないジェノヴァ人個
人で動かなければいけなかったのが、コロンブスの直接の背景。

まあ、その前から地理的・使用船舶の関係からジェノヴァは大西洋方面では
ヴェネツィアより有利だったし、ジブラルタルの外から北海方面にかけての
大西洋航海のノウハウがあったのも事実だが。

176 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/15(水) 19:55:30 0
>>175
なるほど。ヴェネツィアは大航海時代に入ると地中海交易を、
独占できなくなってたのか。まぁ、この時代はオスマン帝国が地中海の、
覇権握ってたしね。ヴェネツィアが16世紀以降も衰退を防げたのは、
どっちかというと他の産業基盤を固めた事のほうが理由としはて大きいのかな。
正直、僕はヴェネツィアやジェノヴァについてはあまり詳しくないので助かるよ。
ビザンツがジェノヴァと結びついたのって確か「シチリアの晩祷」事件の時だっけ?

それと、前に同じ事を僕に対して言ったという事は、もしかしてこのスレの>>88

177 :世界@名無史さん:2010/12/15(水) 20:20:14 O
コロンブス=ポーランド王子説が最近出たよね

178 :156:2010/12/15(水) 21:05:13 0
>>176
ほかにもあるぞ。スペインのイタリア政策に関して職人がヴェネツィアに
逃げたって説明してるの覚えてるだろ?

>ビザンツがジェノヴァと結びついたのって確か「シチリアの晩祷」事件の時だっけ?

シチリアの晩祷よりはるか前からだな。マヌエル1世コムノネスがヴェネ
ツィアをビザンツから追放する直前に、ジェノヴァ・ピサと条約結んでる
し、ニケーアのミカエル8世パレオロゴスも、コンスタンティノープル奪
取より前からラテン帝国支えてたヴェネツィアに対抗してジェノヴァと結
んでる。

14世紀まではジェノヴァとヴェネツィアで東地中海の制海権巡って何度
も衝突してる。一時はジェノヴァが戦争で圧倒的有利になったこともある。
最終的にジェノヴァが自壊してヴェネツィアが勝ち残ったんだよ。
ピサはその前にジェノヴァに敗退してるし、フィレンツェの干渉に対抗する
のに必死だった。

179 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/15(水) 22:13:41 0
>>178
>ほかにもあるぞ。スペインのイタリア政策に関して職人がヴェネツィアに
>逃げたって説明してるの覚えてるだろ?
あぁ、その話したのあなたなのね。まぁ、ヴェネツィアがスペイン領から、
亡命した職人たちを呼び寄せたのも、広義では他産業の育成に入るかなと思って。

ミカエル8世はコンスタンティノープル奪回やシチリアの晩祷において、
しばしばジェノヴァと結んでるね。マヌエル1世のほうはジェノヴァと結んだのは、
結果的にヴェネツィアとの関係悪化とそれによる第4回十字軍への布石という、
悪影響をもたらしたのに、ミカエル8世のほうは外交的にかなり成功したね。
さすが狡猾な外交で知られているミカエル8世だけあると言うべきなのかな。

180 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/15(水) 22:19:03 0
>>179の続き
それと、質問なんだけど、ジェノヴァが自滅したっていうのは、
具体的には、ジェノヴァの国内政治の混乱に付け込んだ、
フランスによる占領の事を指してるって思っていいのかな?

181 :156:2010/12/16(木) 03:58:05 0
>>180
どの時点でのフランスの占領のこと言ってるのかは分からないけど、
14〜15世紀中に内紛が原因で、フランスの支配、ミラノのヴィ
スコンティ家の支配、とグチャグチャの状態になってるからな。寧
ろ逆に内紛がひどすぎて、自分で主権移譲しちゃってる場合もある。
ヴェネツィアも対ジェノヴァ戦争の時は、そういった宗主国を使っ
て牽制してるしな。

それで結局海洋国家としてのジェノヴァは衰えてしまって、香辛料
等の花形商品はヴェネツィアの独占状態になったってこと。自滅と
いうのはそれを言ってる。

その後もレヴァント貿易には関わってはいるけど、海洋国家として
ではないな。あくまでも個人、または独立性の強い系列植民地のジェ
ノヴァ人の活動になってる。その後は寧ろ金融業にシフトしてるしな。

182 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/16(木) 06:06:36 0
>>181
>どの時点でのフランスの占領のこと言ってるのかは分からないけど、
16世紀初頭辺りにフランス支配を受けた事があったと思うからその事を言ったつもり。
当時のジェノヴァは国内が荒れてたから確かに自滅と言われても仕方ないのかな。
それ以降のジェノヴァは、あなたの言うように海洋交易よりも金融業中心になってるしね。

183 :世界@名無史さん:2010/12/17(金) 23:19:53 0
大航海時代に乗り出したことで欧州世界は
資本の蓄積ができて後に列強帝国主義につながっていくの?

184 :世界@名無史さん:2010/12/18(土) 00:13:22 0
それが大きな要因だけど大航海時代を準備した商業革命と技術革新も重要だね

185 :世界@名無史さん:2010/12/18(土) 01:08:34 0
>商業革命と技術革新
kwsk

186 :世界@名無史さん:2010/12/18(土) 01:11:17 0
WIKIで調べれば
いちいち書くのがめんどい

187 :世界@名無史さん:2010/12/18(土) 01:24:18 0
orz

188 :世界@名無史さん:2010/12/18(土) 01:27:32 0
大雑把にいうと十字軍以降ヨーロッパの商業活動がどんどん拡大して
大航海時代はその流れの中からヨーロッパ外に飛び出した感じ
技術革新も同時期に高炉の発明による鉄製品の大量生産化や旋盤技術の向上などきりがないね
参考サイト
http://mailsrv.nara-edu.ac.jp/~asait/iron_history/medieval.htm
http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/page003.html

189 :世界@名無史さん:2010/12/18(土) 12:46:23 0
>>188
thanx

190 :世界@名無史さん:2010/12/21(火) 11:38:30 0
ttp://blog.livedoor.jp/strategy001/archives/4541565.html#
イギリスが初めて組織的な国家体制の整備に着手したとき、幸運にも「模倣のモデル」が
身近にあり、それに着目し情報以外の外交一般においても重要なノウハウを意識的に
取り入れていったことである。そのモデルとは、あのヴェニス(ヴェネツィア)であった。
実際、外交や情報に限らず、近代イギリスの「卓越したもの」は、その起源を辿っていくと、
ヴェニスからの意識的かつ忠実な模倣に行き着くものが多い。


※イギリスはヴェネツィアから多くのものを学んだが、ポルトガルとスペインの場合、
海洋国家がどういうものが結局理解できなかったんじゃないのかな。
ムスリム王国に対するレコンキスタ運動の継続としてインド洋に進出したポルトガルは、
最初から武力によるアジア−ヨーロッパ間貿易の独占とアジア域内貿易の統制を
はかったが、人口・資金・船舶などの不足した小国ポルトガルにとって、厳格な
統制を維持することは不可能なことだった。

191 :世界@名無史さん:2010/12/21(火) 12:28:05 0
イギリスにおけるオランダの影響はよく語られる場合が多いと思うが
ヴェニスの影響はあまり聞いたことないな
まぁオランダを介して間接的には影響うけてるかもね


192 :世界@名無史さん:2010/12/21(火) 12:35:53 0
常駐の外交官なんかはヴェネツィアが始まりだしな。今も帰任したヴェネツィア大
使の元老院報告書は一級史料扱いのはず。
自国民居留地・商館なんかもレヴァント貿易でイタリアの海洋都市国家がコンスタ
ンティノープル等、あちこち重要貿易拠点に作ってたしな。

193 :192:2010/12/21(火) 12:41:21 0
まあ、イギリスがヴェネツィアの制度を意識的に模倣したかは知らないが、
ヴェネツィアがかなり効率的・かつ安定した政治体制を持続し続けたのは
確かだ。

ただ、それを模倣しようとしたメディチ追放後のフィレンツェ共和国は模
倣だけで終わって、まともに運用できなかったのも確かだし、国民性に左
右されるものではあると思うがな。

194 :世界@名無史さん:2010/12/21(火) 12:42:27 0
つまりイギリスに限らずヨーロッパ全体がヴェニスの影響受けてるってことだね



195 :世界@名無史さん:2010/12/21(火) 12:49:10 0
政治制度や経済のよりディープなところは
中世からイギリスは経済面でずっとネーデルラントの影響受けてたし
政治制度にしてももウィレム3世が議会制度をオランダ式に変えたし
直接的な影響はオランダ以外考えられないな
ただまぁ当時のヴェネツィアの影響は一般的だったろうから
そういう意味で影響受けてるだろうね

196 :世界@名無史さん:2010/12/21(火) 15:38:31 0
大航海時代が始まって以降、リンスホーテンの『東方案内記』のように、
ヨーロッパではアジアについての情報が蓄積されていったが、アジアでは
日本の和蘭風説書のような例外を除いて、ヨーロッパに関する情報は
書き残されなかったな。

こういう違いは何が原因だったのだろうか。

197 :世界@名無史さん:2010/12/25(土) 14:38:57 0
国内で物語がすべて完結してたからじゃね


198 :世界@名無史さん:2010/12/25(土) 19:32:10 0
>>191>>195
イギリスのイースト・アングリア地方に風車があるが、これはオランダから
呼ばれた干拓の技術者たちの影響。
このあたりはかつて「フェン」と呼ばれる広大な湿地帯だった。

17世紀のイギリスはまだオランダに追いつこうとして必死な時期だよな。
東南アジアではモルッカ諸島をオランダに奪われるし、オランダ人はイギリスから
半製品の毛織物を買い、それを加工することによってはるかに高い値段で売っている。


199 :世界@名無史さん:2010/12/25(土) 21:09:44 0
やはりバルボアだろー

200 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 00:00:03 0
へえーイギリスってオランダから学んでいたのかー
初めて知った

201 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 00:03:29 0
>>196
アジアというかイスラム側ではヨーロッパにそもそも興味が無かったから
イスラム勃興以来の目標であったコンスタンティノープルはすでに奪取したからなあ
あとは十字軍を派遣した蛮族の地だからってことで興味なし
土地も痩せてるし貧しいかったから興味わかない

逆にヨーロッパ側からすると東方は豊かであるということと
聖地エルサレムがあるから常に興味があったんだ

202 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 00:07:45 O
大航海時代は大略奪時代
比べてていわの航海は平和的だった
まめちしきな

203 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 00:16:32 0
鄭和というかイスラームが支配していた時代だな
鄭和もムスリムだし

204 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 00:30:58 0
鄭和さんは宦官

205 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 00:35:33 0
宦官のムスリムだけど

206 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 00:40:09 0
6世代前はウズベキスタン在住

207 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 00:41:05 0
鄭和ってサイイドだったのか

208 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 00:42:59 0
鄭和さんにコロンブスみたいな野心があれば・・・

209 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 00:47:47 0
ムスリムが住んでいるところに行って交易するという目的だったので
アメリカ大陸に布教しようという野心はなかっただろうな。

210 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/26(日) 01:01:45 0
>>202-203
ムスリムだって時には現地から略奪する事もあったし(主にアフリカ方面)、
西欧諸国だって大航海時代は基本的にちゃんと交易してたでしょ。別に、
略奪ばかりじゃないよ。まぁ、アメリカ大陸に限定すればそうかも知れないけど。

211 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 01:20:46 0
アヘン戦争

212 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/26(日) 01:28:57 0
>>211
それ、大航海時代じゃないよ。

213 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 07:58:55 0
イブン・バットゥータの見たインド洋海域世界
http://www.teikokushoin.co.jp/teacher/high/history_world/pdf/200810/11-13.pdf



ここの2ページ目に「海の道」の図が載っている。
鄭和の大航海も中世からこのルートが成立していたから実現できた。


214 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/26(日) 08:03:34 0
>>213
鄭和の大航海に限らず、西欧諸国の大航海時代も基本的には、
こういった既に中世においてイスラーム圏で成立してたルートを、
使っていたに過ぎないんだよね。まぁ、大西洋方面は違うけど。

215 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 11:49:45 O
イスラムというよりローマ時代に確立してた経路だな
イスラムはそれに乗っかったに過ぎない

216 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/26(日) 11:58:22 0
>>215
まぁ、確かにそうだね。ローマ帝国の時代に確立してた海路が、
イスラーム勢力が台頭するに連れて、ムスリムたちによって、
使われるようになったっていう感じかな。というか、この手の、
ユーラシア大陸規模での海上交易って古くはどこら辺まで遡れるの?

217 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 12:01:46 0
>>216
アンタ何でも絡んでくるんだな(笑)
相手にされてないのに・・・

218 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/26(日) 12:04:01 0
>>217
お前、しつこいぞ。西欧・アラブの植民地スレで相手にされなかったのは、
むしろお前だろ。今度は、こっちで絡んで来たのか?それ以上は無視するからな。

219 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 12:11:40 0
>>215
ローマ帝国では、中国からは絹・絹製品を、インドからは香料・薬味・
胡椒・薬品・宝石・真珠・象牙・綿・モスリン・皮革・チーク材などを
輸入していたからな。



220 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 12:18:58 0
>>216
まあ、後漢にローマから使いが来たって話はおいておいても、確か東南アジアで
ローマ通貨が発掘されてるし、多分、もっと遡れるだろうな。

221 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/26(日) 12:24:01 0
>>220
確か、南インドのほうでもローマ通貨が交易されてたらしいね。
ローマ台頭の前、紀元前4世紀くらいには原型が存在したかな?

222 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 12:34:31 P
.

223 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 12:36:49 0
>>217
気にすんな
おまえさん以外にも厄介者だと思ってる人はいる
もうスルーすればいいだけ。

224 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/26(日) 12:41:53 0
>>223
こういうのは自演乙と言っておけば良いのか、
それとも無視したほうがいいのか。

225 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 12:47:19 0
>>224
このスレには最低で3人の住人がいると思うけどね、あなたはもう少し
一つのテーマについて深く掘り下げて勉強した方がいいのでは?

それこそインド史でもイタリア史でも中東史でもいいから。

226 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/26(日) 12:51:07 0
>>225
無視しようかととも思ったけど、一応レスだけはしておくと、
そういう「自分は人よりも深く勉強して良く知ってる」みたいな、
偉そうな態度は控えたほうが良いよ。人から嫌われるから。

227 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 12:59:04 0
私はレスからにじみ出る上から目線は
あなたのほうだと思うけどな

私は>>223だけど>>225とは別人
最低3人はいると思うよ

228 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/26(日) 13:03:09 0
>>227
仮に別人だとしても、別に特に変なことを書いてる訳でもないのに、
叩かれるのは不愉快でしかないから。まぁ、>>226の書き方は確かに、
いささか上から目線かも知れないが、他は普通に書いてるつもりだし。

229 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 13:10:50 O
ハンニバルと供にアルプスを越えた象さんもインドか東南アジアかからの輸入品

230 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/26(日) 13:16:33 0
>>229
戦に象を使うという発想自体はインドからの輸入だろうけど、
実際にカルタゴが戦で使った象自体はアフリカゾウじゃないの?

231 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 13:17:54 0
>>201
中世の中東は人口減少中なのにどこが豊かなんだ
交易もアフリカやインドの物産を中継貿易しただけだろ
オスマンも中東よりバルカンの方が豊かで弱小勢力が多いから進出したんだが
その上オスマンの中枢はバルカン、ヨーロッパ側で人材もほとんどバルカン側から供給
モンゴル後の中東勢力は砂漠化やらで衰退が進み他地域に介入する余力がないだけ
わかったかイスラム信者

232 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 13:23:58 0
>>229
ヘレニズム時代にも、アラビア半島やインドとの交易が行われていた品。

東方産物の交易路は、海路インド洋からアラビア半島南岸のアデンに入り、
陸路アラビア半島を北上し、ペトラ、パレスティナ、スエズを経て、アレクサンドリアに至った。
この交易路を短縮し、また東アフリカとの交易(特に戦像の確保)を開発するため、
ファラオやペルシア時代に建設されたことのある、紅海からナイル河に至る運河が
幾度か再開されもした。

233 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 13:30:38 O
バルカ家にプレゼントされたってのを見た記憶がある。
インドか東南アジアからの輸入品で。


234 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/26(日) 13:31:17 0
>>232
ていう事は、やっぱり紀元前4世紀くらいまでは確実に遡れるのかな。

235 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/26(日) 13:34:53 0
>>233
そうなのか。僕はマルミミゾウっていうアフリカゾウの一種が、
ポエニ戦争では使われたって聞いた記憶がある。どっちが正しいの?

236 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 13:36:37 O
バルカ家にプレゼントされたってのを見た記憶がある。
インドか東南アジアからの輸入品で。
マルミミ象やアフリカ象がアルプス越えたのも否定はしない。つーかできない。私に知識ないから。

237 :236:2010/12/26(日) 13:38:51 O
知識もないのに書くなっつう話だね。
正直すまんかった

238 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/26(日) 13:40:42 0
>>236-237
まぁ、僕も古代史はとんど知識ないからお互い様。何かで、
マルミミゾウが使われてるっていうのは聞いた事あるんだけど、
どこでそれを聞いたのかすら覚えてないやorz。まぁ、中には、
インドから送られてきた象もいたのかも知れないし、良く分からないや。

239 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 19:35:46 0
地中海から紅海に抜け、さらにインド洋を横切ってインドに到達するルートは、
19世紀のイギリスが「インドへの道」(エンパイア・ルート)として最も重視したものだった。

時代が変わっても、人間が通るルートは「香料の道」と呼ばれた時代から
ほとんど変わっていないんだなあ。

240 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 21:17:21 0
>>239
それは当然。
航路って海流や風向次第だから移動に適したルートは大体決まってしまう。

241 :世界@名無史さん:2010/12/27(月) 08:37:03 0
同じ旧植民地にいる白人でも、ポルトガル系やスペイン系の場合、一つの土地に
同じ家系の人間が代々固まって定着しているのに対し、イギリス系白人の場合、
三世代も四世代も前から一族の者たちが宣教師、商人、植民地行政官、研究者
などになって世界中を渡り歩いている、というパターンが多い。
で、それらの世界中に散らばった植民地家系が、アングロサクソンの世界支配の
先兵の役を果たしている。

こういう違いはどうやってうまれたのかな・・・

242 :世界@名無史さん:2010/12/28(火) 08:29:20 0
>>241
いろいろ考えられるが、故国の状態というものがあるかもしれない。
スペイン、ポルトガルは、経済的に破産状態のなかでかろうじて自転車操業で国家の運営をしていた。
故国に戻って英気を養って次の航海を計画するより、植民地で領主におさまって永住する方が生きやすかったのかもね。
英国やオランダは、故郷に帰って出直すことが多いよね。

243 :世界@名無史さん:2010/12/28(火) 23:04:30 0
ひとはたあげて祖国凱旋
→爵位もらって貴族化するのが
最終的な目的な気がするイギリス系の場合

244 :世界@名無史さん:2010/12/29(水) 15:08:39 0
スペイン、ポルトガルよりイギリスの方が階級的な壁を越えるのが簡単だったとも思えないんだが。
戦時に功績を上げて爵位をもらう軍人の数は、イギリスの方が多かったと思うけど、金儲けだけで爵位がもらえるんだろうか?

245 :世界@名無史さん:2010/12/29(水) 16:33:44 0
イギリスのジェントルマンは「開かれたエリート」といわれる。
ジェントルマンでない人も、努力し、運がよければごくまれにジェントリに
なれるから。

ジェントリにとって転落の危険が迫ったとき、意味を持ってくるのが
豊かな貿易省との縁組と植民地。
ジェントルマンの家庭の二男や三男が官僚、弁護士、医師などとして
植民地へ行って成功し、本国へ凱旋帰国というパターンがよくあった。

246 :世界@名無史さん:2010/12/30(木) 16:58:04 0
ジェントルマン階層が功績を上げて貴族になることが「開かれたエリート」といわれるんじゃないの?
下層階級とジェントリが属する中産階級には厳然とした格差があったよ。
官僚・弁護士・医師などは中産階級であって桂冠した貴族から見たら下の階級だよね。

247 :世界@名無史さん:2010/12/30(木) 19:15:48 0
>>246
そうだな。
そこがヨーロッパ大陸との違い。

ポルトガル系とスペイン系の移民はレコンキスタの影響で定着志向が強かったからな。
イギリス系はあちこちぐるぐる動き回る。

248 :世界@名無史さん:2010/12/30(木) 19:51:30 0
「アラトリステ」を読んでの印象だから正確とは言えないだろうけど、ある程度ものの見える
スペイン人って、自分の国を愛しながらも故国に絶望していたような感じだね。
国王だってフランスやオーストリアから来て、イベリア半島の土俗の貴族とは結婚しようとせず
北方の「青い血」を誇っていたのだから、忠誠心も微妙だったようだ。

しかも国内経済は壊滅的となれば、海外で一旗揚げられればそこに定住したくなっても
不思議はないかもしれない。


249 :世界@名無史さん:2010/12/30(木) 21:59:36 0
スペインは1609年〜14年にモリスコ約30万人を追放しているが、この政策の結果、
バレンシアとアラゴンはそれぞれ12万人、6万人の農民層を失い、大きな経済的
打撃を受けた。

耕作地の放棄や離村のために、小麦の生産は落ち込み、食糧危機とペストの蔓延のせいで
カスティーリャ諸都市は人口が減少する。

その上、新大陸からの銀流入の減少、アメリカ植民地の自給の進展、オランダや
イギリスの私掠船の活動などがスペイン帝国の経済的衰退を加速させることになった。


250 :世界@名無史さん:2011/01/19(水) 14:17:49 0
ブラジルの鉱山がポルトガルを没落させたのは、先にメキシコやペルーの鉱山が
スペインを没落させたのと同じである。全ての製造業は気違いじみた軽蔑を受けた。
やがてイギリス人がポルトガル人に衣類のみならず、全ての雑貨、全ての日用品、
塩漬けの魚や穀物までも供給するようになった。

ポルトガル人は、金の後は彼等の土地すら放棄した。オポルトのブドウ園は遂に
ブラジル産の金をもってイギリス人に買われたが、その金はポルトガルを素通りして
イギリス中にばらまかれた物であった。

我々が確かめたところでは、五十年間に五億ドルがブラジルの鉱山から採掘され、
その時代の終わりにはポルトガルは正金で僅か二千五百万ドルしか持っていな
かったのである。これは真実の富と虚構の富の違いを示す顕著な例である。


                              アルフレッド・T・マハン

251 :世界@名無史さん:2011/01/19(水) 14:51:13 0
ヨーロッパの貴族階級は、平和的通商に対する高慢な軽蔑心を中世から引き継いだ。
この軽蔑心が、それぞれの国の国民性に応じて通商の発展を制限するように働いた。

スペイン人の誇りはこの軽蔑心と容易に一致し、働こうとせず、ただ富がやってくるのを
待つという、あの災厄的な精神と一緒になって、彼等を通商から顔を背けさせた。
フランスに於いては、フランス人自身すら国民性だと自認している虚栄心のために、
スペイン人と同じ方向をたどった。

貴族の数の多い事と華やかさ、また彼等の持っていた考え方によって、彼等が軽蔑する
職業には「劣等」という刻印が押された。金持ちの商人や製造業者は貴族の栄誉に憧れ、
その栄誉を得るや儲けの多い自分達の職業を捨てた。通商は屈辱感の下に続けられ、
そのために最良の代表者達は出来るだけ早くそれから身を引いたのであった。

ルイ十四世はコルベールの影響を受けて、「全ての貴族は、もし小売を行わないならば、
貴族の品位を傷付けたと見做される事無く、商船、貨物及び商品から利益を得ることが
認められる」 という布告を発した。そしてこの措置を採った理由として、「海上貿易は
貴族の身分と両立しないという広く行き渡っている通念の名残りを払拭するために、
それは臣民の幸福と我々自身の幸福を輸入するものである」 ということが挙げられた。

しかし、意識的かつ公然たる優越感を伴う先入観は、布告によって簡単に拭い去られる
ものではない。特に虚栄心が国民性の顕著な特徴である時はそうである。そしてずっと
後になってモンテスキューは、「いやしくも貴族が通商に従事する事は、君主制の精神
に反する事だ。」 と教えた。

252 :世界@名無史さん:2011/01/19(水) 20:30:59 0
大西洋を初めて渡ったのはコロンブスではない、赤毛のエイリークだ

253 :世界@名無史さん:2011/01/21(金) 00:40:51 0
>>252
記録にある限りはね。

254 :世界@名無史さん:2011/01/21(金) 15:41:45 0
誰が最初であるかは、実はそれほど重要ではない。
重要なのは、だれが後世に大きな影響を及ぼし、それによって最初の人であると認識あるいは錯覚させたかだろう。

蔡倫しかり、グーテンベルクしかり、ガリレオしかり。
コロンブスは最初の人ではなかったかもしれないが、彼の後に続いた人が新しい歴史を作った。
だから、彼はその先頭に立つ人だと記憶された。

歴史とはそんなもの。

255 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/21(金) 18:17:29 0
>>254
結局、ヴァイキングによるアメリカ大陸植民はしばらくしたら途切れてしまったからね。
世界史的にもコロンブスほどの大きな影響は残してないし、目立たないのは仕方ない。

256 :世界@名無史さん:2011/01/21(金) 22:54:07 0
大航海時代はバスク人も活躍したよね

257 :世界@名無史さん:2011/01/22(土) 03:34:04 0
>>250
マハンてこんなことも言ってるのか、面白いな

延々コテハンで沸いてる奴もせっかく時間割いてるなら

能書き控え目にして少しは事実的な書き込みすればいいのにw

258 :世界@名無史さん:2011/01/22(土) 10:49:14 0
>>250
>全ての製造業は気違いじみた軽蔑を受けた。

中世ヨーロッパでは、職人など「手を汚す」仕事についている者は軽蔑されていたからね。
古代ギリシアでも、中世イスラーム社会でも、労働蔑視の風潮は根強かった。
プロテスタントにおける「労働神聖説」は16世紀の宗教改革以降に出現した新しい思想。
で、ラテンアメリカ諸国も旧宗主国であるイベリア半島の労働蔑視の伝統を引き継いでいて、
支配階級、パトロン階級は怠惰で、労働を徹底的に蔑視している。
「怠惰こそ美徳」。

259 :世界@名無史さん:2011/01/22(土) 10:55:52 0
>>251
フランスでも、時代とともに、市民階級は次第に経済力を身につけつつあった。
銀行家や豪商たちの中には、浪費にかけて貴族に負けない資力を有する者も増えてきていた。
ところが、貴族階級、ことに貴族の称号を金で買ったのではない「本物」の貴族、
すなわち帯剣貴族は、商業活動に従事することを法によって禁じられていた。

260 :世界@名無史さん:2011/01/22(土) 11:46:55 0
けど実態は商工業は盛んだったけどね
もちろん地域差もあるけど

261 :世界@名無史さん:2011/01/22(土) 12:21:07 0
商業活動に従事することを禁じられてたら
俸禄だけでは裕福になりようがない。
称号を換金するために売りに出すのは有りなんだろうな。

262 :世界@名無史さん:2011/01/22(土) 13:28:36 0
>>261
貴族の中にも落ちぶれていった連中はいるんでないの?
名ばかり貴族。

263 :世界@名無史さん:2011/01/22(土) 13:37:33 0
ボルドーなどには、醸造会社を経営していた貴族がいた印象がある。
どの醸造会社も、現在の株主が貴族というわけではないが。

264 :世界@名無史さん:2011/01/22(土) 14:22:10 0
>>262
いっぱいいたよ。だから新興貴族が入り込む余地があった訳だな。

265 :世界@名無史さん:2011/01/22(土) 15:44:59 0
ボルドーってイギリスとかの外資がメインだったんじゃないの

266 :世界@名無史さん:2011/01/23(日) 14:29:26 0
コルベールは活動を停止していた東インド会社を復活し、シャンプランに
北米植民地のルイジアナを建設させた。
一方、イギリスがピューリタン革命や名誉革命で混乱していたため、イギリスの
毛織物生産は停滞していた。このことに乗じてコルベールは、国立マニュファクチュアを
設立して、フランスにおける毛織物工業を育成した。その担い手はユグノーだった。
しかし、ルイ14世が1685年に「ナントの勅令」を廃止してしまうと、
フランスの毛織物工業は一気にしぼんでしまった。フランスが植民地貿易で
利益を得られればいいと考えていたのだろうか?

267 :世界@名無史さん:2011/02/14(月) 07:11:13 0
ho

268 :世界@名無史さん:2011/02/15(火) 10:53:40 0
欧州の血みどろの戦争で培われた陣地防御戦術が、大航海時代における圧倒的な西欧人の軍事的優位を作り上げた。
現地の土人がいくら戦力をかき集めても、西欧人が作り上げた防御陣地を破壊することは不可能だった。
西欧人が各地に作り上げた城塞は、戦力差が10対1であっても、土人に負けることがなかった。


269 :世界@名無史さん:2011/02/15(火) 13:21:50 O
台湾は?

270 :世界@名無史さん:2011/02/15(火) 13:43:05 0
>>269
鄭成功は例外。
鄭成功は、圧倒的な海軍力で台湾に築かれたゼーランディア要塞を封鎖し、
さらにはヨーロッパ製の火砲まで投入して陥落させている。
鄭成功の砲兵を指揮していたのはオランダ人の改宗ムスリム。

大航海時代において、アメリカ、アフリカ、アジア周辺の海は西欧人が支配したが、東アジアの海だけはアジア人が支配した。
この秩序が破られるのは19世紀以降の話。

271 :世界@名無史さん:2011/02/15(火) 13:48:49 0
台湾って守備兵千人ぐらいしかいなかっただろ

272 :世界@名無史さん:2011/02/15(火) 13:51:37 0
鄭成功は交易で力を蓄え、艦艇2000隻、兵力10万を有するといわれていた。
軍船も、ヨーロッパ式の改装が施され、重砲が搭載できた。

一方の西欧人系の勢力は、マニラ、フィリピン諸島にそれぞれ600人程度の兵力が駐留するのみであった。

1654年のバタヴィアのオランダ人総督の報告
「東洋の海で、彼(鄭成功)は我々の顔に唾を吐きかけることができる唯一の男である」
「彼は当地で我々の体に突き刺さった棘である」

273 :世界@名無史さん:2011/02/15(火) 13:54:53 0
当時の台湾なら日本でも征服可能だと思うわ

274 :世界@名無史さん:2011/02/15(火) 13:56:52 0
当時の台湾は疫病が酷かったことを指摘しておこう

275 :世界@名無史さん:2011/02/15(火) 13:58:36 0
そうだね
征服した後にどう開発していくかの方が難しい
長い間放置されたのは未開すぎたというのもあるのだろう

276 :世界@名無史さん:2011/02/15(火) 14:01:51 0
>>271
南米だったら、有名なピサロの例にあるように、数十名からせいぜい数百名程度の戦力で、西欧人が支配を確立している。

1571年、アーマドナガルのスルタンがポルトガル人の要塞を攻囲した時、攻囲軍の兵力は14万、ポルトガルの守備隊の兵力は僅か1100だった。
しかし、守備隊はことごとくスルタンの攻囲軍を撃退。
守備隊の逆襲の後、守備隊は敵の砲全てを鹵獲するか火門を塞いでしまった。

277 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/15(火) 17:50:24 0
>>270
必ずしもそうとは限らない。確かにインド洋の多くはポルトガルが支配したけど、
オスマン帝国は紅海付近に進出してきたポルトガルを追い払ってるし、小国の、
モロッコもポルトガルを破ったりしてる。東アジアだけが例外だった訳じゃないよ。
新大陸は確かに例外ないけど、スペインが征服に手こずった先住民も存在した。
大航海時代じゃ、まだ西欧はそんなに圧倒的じゃない。西欧が圧倒的な軍事力を、
持つようになるのは近代以降。まぁ、この頃からすでにその兆しは見えてたけど。

278 :世界@名無史さん:2011/02/15(火) 18:54:16 0
>>277
>オスマン帝国は紅海付近に進出してきたポルトガルを追い払ってる

その翌年にはポルトガル海軍がインド洋周辺の軍船を全部投入して、オスマンの艦隊を壊滅させてるけどな。
その後もオスマンはポルトガル海軍を撃破しようと試みてるが、大抵はポルトガル側が勝利している。

>小国の、モロッコもポルトガルを破ったりしてる

あの負けはポルトガル軍が、要塞に拠らずに深追いしたからだ。
奥地まで進出するのは大航海時代の負けパターン。
それに、この戦いでポルトガルの拠点が失われたわけでもないから。

279 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/15(火) 19:14:30 0
>>278
まぁ、そうなんだけどね。ただ、当時の西欧が圧倒的な軍事力を、
持ってた訳ではないという例を出しただけ。でも、オスマン帝国は、
ポルトガルに敗北しつつも自国領への侵入は一応防げてるからね。
西欧に対して東アジアだけが、独立を保ててたという訳ではない。

奥地への進出は大航海時代に限らず負けることは良くあるけど、
確かに大航海時代はそういうパターンが結構あるね。スペインも、
新大陸においてパタゴニアなどの奥地のほうは征服に手こずったし。

280 :世界@名無史さん:2011/02/15(火) 21:48:24 0
正確な海図持ってる文明がカトリックとプロテスタントだけになった時点で
もう勝敗は見えてる
いくらオスマンやムガルや清が強くてもどうということもなく後の祭り
その間にカトリックとプロテスタントは米大陸や世界の島々を強姦しまくってたんだから



281 :世界@名無史さん:2011/02/16(水) 08:09:58 0
>>279
ポルトガルだけが西欧じゃないぜ。
ポルトガルが退潮してしまったのは、土人やオスマンとの戦いだけが原因じゃなく、
それに加えてイギリス、オランダ、スペインといった新興国との挟み撃ちにあってしまったから。
土人相手には圧倒的な軍事技術の優位で勝てても、ヨーロッパ海軍には勝つのは困難だった。


282 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/16(水) 17:16:07 0
>>281
まぁ、ポルトガルだけが西欧じゃないのは確かだけど、僕が詳しい、
地域が中東方面でそっちにはポルトガル以外の国は大航海時代じゃ、
まだほとんど進出してなかったから必然的に例がポルトガルだけに、
偏ってしまった。スペインはアメリカ大陸が中心だし、イギリスによる、
インド征服の過程はあまり詳しくないんで。まぁ、ポルトガルの衰退は、
いささか仕方ない面もあるかなぁ。大航海時代に真っ先に進出したけど、
結局ヨーロッパにおいて政治的中心に立てなかったしね。イギリスや、
オランダみたいに国内の近代化がもう少し進めば望みはあっただろうけど。

283 :世界@名無史さん:2011/02/16(水) 22:29:25 0
>>282
>僕が詳しい、
>地域が中東方面でそっちにはポルトガル以外の国は大航海時代じゃ、
>まだほとんど進出してなかったから

あ〜、昔ヴェネツィアという国があったんだよ。
中東方面へ、ポルトガルよりはるかに早く進出していたんだが。
知ってるかな? 

284 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/16(水) 22:41:38 0
>>283
それくらいは知ってるけど大航海時代じゃないから、それについて、
例を出すのはスレチだと思うんだけど。ヴェネツィアが中東方面に、
進出したのは主に地中海経由だし。それに、たとえヴェネツィアを、
例に出したとしても、大航海時代(15世紀末頃〜)のヴェネツィアは、
普通にオスマン帝国に押されてたでしょ。何度か勝ったこともあるけど、
圧倒的とはとても言えない。それ以前は大航海時代じゃないしね。

285 :世界@名無史さん:2011/02/16(水) 23:29:06 0
戦争に勝つことだけが国家のありようではない。
ヴェネツィアが圧倒的でないと言うだけで地位が低いかのような言い方は、歴史を一方的、幼児的に見ていないかね?
それに、歴史はいわゆる大航海時代の、自転車操業の経済状態で死にものぐるいで海外に活路を求めた国だけで示されるものではない。

286 :世界@名無史さん:2011/02/17(木) 01:47:50 O
大航海時代だから
スレタイ

287 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/17(木) 06:04:25 0
>>285
ヴェネツィァが幼稚とか言った覚えはないよ。僕はもともと>>270の、
東アジアだけが大航海時代に西欧の軍事力に対抗できたという、
レスに反論しただけだから、ヴェネツィアは全く関係ないでしょ。
そもそもスレタイの大航海時代に直接的関係はないし、軍事力で、
圧倒してた訳ではないから>>270への反論として出すには不適切だし

288 :世界@名無史さん:2011/02/18(金) 11:50:26 0
マニアックなネタだけど、大航海時代には、まだミズンのラティーンスルはスパンカーに発達していないよね。
タッキングの時、ヤードを回すのに数十分かかるような船で、どうやって嵐の海を乗り切ったんだろう?

289 :世界@名無史さん:2011/02/18(金) 12:24:04 0
>>288
「嵐の海」だったら、帆を畳んでひたすら待つだけでは
某オンラインゲームだとそんな感じだったけれど

290 :世界@名無史さん:2011/02/18(金) 16:41:24 0
>>287
中国やら日本やらが強力だったってのもあるが、
帆船時代では単純に東アジアが遠かったからでしょ。
実際、蒸気船ができてからは中国はあっという間に食い物にされたし。

291 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/18(金) 17:03:20 0
>>290
ちゃんとレスを読んでから返信してくれないか。僕は大航海時代に、
おいて、東アジアだけが例外だったと言ってる>>270のレスに対して、
反論してるんだけど。東アジア以外も大航海時代じゃ、まだそんなに、
支配されてたとは言えない。ある程度は西欧諸国も進出してきてるけど。

292 :世界@名無史さん:2011/02/18(金) 17:53:24 0
>>288
ヤードを回さず寄せただけで、裏帆を打った状態で展帆したという説もある。
ちょっと不便だし効率は悪いけど、けっこううまく行ったらしい。
右舷開きと左舷開きで切り上がりの限界角度が違うことになるけどね。w

293 :世界@名無史さん:2011/02/18(金) 18:28:51 0
>>289 >>292
ふむ、ありがとう。
しかし現代の視点から見るとスパンカーのように便利なものをなぜ何百年も発見できなかったのか
不思議だけど、技術史とはそんなものでしょうな。

294 :世界@名無史さん:2011/02/18(金) 23:16:15 0
>>293
スクエアスルを斜めに使うような発想の帆はあったんだから、もう一息だったのにね。
最後方のマストの強度の問題もあったのかもしれない。
大航海時代のガレオン船の最後方のマストは、前のマストのように竜骨に達するほどがっちり固定されていない。
あのマストに余計な力はかけられなかったんだろうな。

295 :世界@名無史さん:2011/02/20(日) 02:33:45.23 0
ちょっと陳腐な話で恐縮だが
この時代随一なのはマジェランだと思う
西回りで東洋に行く探索
当初の計画通りいかず部下の反乱を招いたがそれを押さえつけたリーダーシップ
水路を発見した後は迷う事無くアジアを目指す(海の広大さについては誤認してたが)
フィリピンまで行けたのはまさに奇跡・・・

最後はデルカノによって世界一周が成し遂げられた
その後の航海者に多大の有用な情報をもたらした功績は偉大の一言

296 :世界@名無史さん:2011/02/21(月) 01:03:12.22 O
モンゴル帝国の来襲 の後遺症でヨーロッパは中国を過大視したんだろうね。

297 :世界@名無史さん:2011/02/21(月) 03:52:35.05 0
スペインは原始的な資源外交に特化していた
オランダは商業に特化していた
イングランドは対スペインや対蘭の通商破壊に特化していた

これはれっきとした分業なんだよ


298 :世界@名無史さん:2011/02/21(月) 04:14:50.33 0
>>295
マゼラン海峡の向こうは未知だよな。
凄まじい冒険心というか…
もうその頃は地球の円周の長さをほぼ正確に把握してたのかな?
コロンブスはかなり小さく見積もってたようだけど。

299 :世界@名無史さん:2011/02/21(月) 08:43:01.32 0
>>298
古代のアレキサンドリアでも、地球の円周の長さを
ほぼ正確に計算した人はいるのだから、
地球が丸いと仮定したら、この数字でいいだろうくらいは考えて
いたのではないかな

300 :世界@名無史さん:2011/02/21(月) 11:05:23.14 0
現代の視点で見ると、古代の一人がたまたま地球の円周上をほぼ正確に見積もったことで、
科学史などでは古代にはそのような「先進的」な文化・技術があったと喧伝する。
しかしこれは、単なる暇な哲学者(古代に於いては科学全般も哲学の中)が単に自分の仮説
に基づいて提示した空論の一つに過ぎないはず。
そんなものが、数百年後にどれだけ意味があったのかは疑問ですな。

地球の大きさを考えた少数の哲学者がいたとして、彼らがどのくらいたくさんの数字を出したのか
疑問がある。たまたまそのなかで、最もいまの計測値に近いものを出してきて、これはすごいとばかり
記録に残しているのではないのかな。

301 :世界@名無史さん:2011/02/21(月) 14:27:34.22 0
>>300
まあ言わずもがなではありますが、自分の妄想のみを根拠に主張する前に、せめてWikipediaだけでも見ておきましょう
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/エラトステネス

302 :世界@名無史さん:2011/02/21(月) 23:24:27.38 0
古代の知識は中世には忘れられてしまった
コロンブスの見積もりを見ても目的地(ジパング?)の経度がひどく過大な上に
(実際より東に寄りすぎ=西回りではより近い)
1海里(赤道上の経度1分の距離)の推算もえらく過少
つまり大きさを誤認していた

303 :世界@名無史さん:2011/02/21(月) 23:52:39.36 0
>>302
だからポルトガルには相手にされなかったわけですが
上のページにもあるとおり、イスラム圏で研究や計測がされております

304 :世界@名無史さん:2011/02/22(火) 00:36:24.14 0
ギリシャ時代の自然科学的な知識がかろうじて保存されてたイスラム圏から
再導入され短期間にそれを再発展出来るとは・・・
歴史とはやっぱり面白い

305 :世界@名無史さん:2011/02/22(火) 00:41:12.86 0
イスラム圏での知識は「中世に」西欧にもたらされ、ポルトガル人もスペイン人も、
その筋の学者さんならば大地が丸いことはもちろん、だいたいの大きさも文献で知っていた
(イベリアはムスリムが支配していた土地でもあるし)
アメリカ大陸が存在しなければ、カナリア諸島からシナへ渡ろうとすれば、
2万km2ものだだっぴろい海洋を横断することになる、というので誰もやらなかったわけ

コロンブスは思い込みと誤訳・誤読の末に誤った計算を出し、まともな学者からは相手にされなかったが、
幸か不幸か偶然そのへんの位置に西インド諸島が存在してしまった

306 :世界@名無史さん:2011/02/22(火) 01:00:51.71 0
コロンブス
 功名心のせいか(?)イザベル女王を説得するため自身の認識より誇張した可能性はある
マゼラン
 いくら冒険心に富んでいたといえ地球の大きさについてはコロンブスと余り変わらないのでは?
 そうでなければ太平洋横断なんてさすがにするかな?

307 :世界@名無史さん:2011/02/22(火) 01:28:27.30 0
伊能さんて地球の大きさ測るため蝦夷に行きたかったが、幕府の許可が下りなかったから
「地図作るよ」って嘘ついて許可もらったそうだがおもろいな


308 :世界@名無史さん:2011/02/23(水) 01:15:31.34 0
マゼランは三ヶ月かかって太平洋を横断したわけだが
飲み水はどうしたんだろう
・雨水を貯める
・海水の蒸留(燃料(薪)が必要だが)
このぐらいしか思いつかないが・・・

経路を見ると海峡を抜けた後大陸の西岸に沿って北上してるけど
その間食料を含めある程度補給出来たのかな?


309 :世界@名無史さん:2011/02/23(水) 15:15:24.18 0
>>306
南米南端からモルッカまでなら、がんばればなんとかなると思ったのでしょう。
スペインからノンストップで横断しようとしたわけではありませんし、インドや中国まで
行くつもりだったわけでもありません。

>>308
「陸でありったけ汲んで持って行く」
後は雨水でしょう
19世紀までずっとそうですし

310 :世界@名無史さん:2011/02/24(木) 19:19:17.94 0
雨水なんて、屁の突っ張りぐらいにしかならないのでは?
ないよりましだけど、あてにはできないしね。

アオミドロでどろっとした、微生物うようよの水を飲んで頑張ったんだろうなぁ...
しかもほとんどの経路を風上へ間切って行ったんだしねえ。
偉いものだ。

311 :世界@名無史さん:2011/02/24(木) 20:09:32.14 0
むしろワインの方が飲料として安全だったりして

312 :世界@名無史さん:2011/02/24(木) 21:20:22.86 0
ワインなんて、熱帯の船内では、すぐ酸っぱくなるのでは?
イギリス海軍では地中海ではワイン、大西洋ではビールを使ったらしいが、水の方が安上がりだろうね。

マゼランの航海で、アメリカ大陸西岸で最後の補給をしたとすると、水以外にはないはず。

313 :世界@名無史さん:2011/02/25(金) 02:19:43.26 0
たった一人の生還って以前読んだけど、27日間、水・食料補給なしで太平洋を彷徨って助かってる日本人がいる。
水は雨水のみだったようだ。
マゼランらはグアムに着く前に無人島に何度か寄ってるよな。


314 :世界@名無史さん:2011/02/25(金) 09:15:44.36 0
一人だけで漂流するなら雨水でもなんとかなるのかも。
でも、横帆船は帆を操るためにたくさんの人手がいるからねえ。
マゼランの船団では、雨水だけで生き延びるのは不可能でしょう。

>>308
>経路を見ると海峡を抜けた後大陸の西岸に沿って北上してるけど
 え??
  ↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/36/Magellan-Map-En.png

315 :世界@名無史さん:2011/02/26(土) 19:33:21.71 0
>>314
フンボルト海流に乗って、チリ海岸沿いを進んでるよ
そこから太平洋を横断してしまうのはすごいが

316 :世界@名無史さん:2011/02/27(日) 19:57:56.25 0
>>314
その図は概略すぎて不正確
南東貿易風帯まで北上してから北西に進路をとる
そのためほとんど陸地出会えないコースになった

317 :世界@名無史さん:2011/02/27(日) 20:56:02.06 0
>>316
そうだよね。
マゼラン海峡を抜けてからの行程は、すぐに太平洋に出たのではないにしても
海岸線に沿ってというより風の流れで北上して貿易風をつかんで西に向かった
というイメージを持っていたからね。

見知らぬ海岸に対して平行して走るなどという危険なことは、熟練した航海者は
するはずがないと思う。ある程度距離を置いて走ったはず。

318 :世界@名無史さん:2011/02/28(月) 00:58:01.34 0
余りメジャーじゃ無いがアメリゴ・ヴェスプッチに興味がある
商人出身のせいか実戦的な数学的素養に富みそのせいかトスカネリの地図には懐疑的だったようだ
航海の一時資料が当時出版されたフィレンツェ高官宛の書簡しかなく航跡が必ずしも明確でないが
諸言語に翻訳され流布された結果として新大陸の名が彼の名前からアメリカとして定着してしまった

その後先覚者であるコロンブス(晩年は不遇すぎる!)の評価が上がるにつれ何か人の功績を盗んだ不逞な輩的にまで評価は下落
現在でもその名残りはある(wikipediaを見ても)

当時で現在のヴェネズエラの経度をかなり正しく推算してるのは凄いと思うのだが?

319 :世界@名無史さん:2011/02/28(月) 01:13:49.81 0
ワインって船乗りには本来の用途はもちろん、飲料水としても使えるから
水よりもよっぽど重宝されたんじゃなかったっけ?

320 :世界@名無史さん:2011/02/28(月) 12:16:35.99 0
>>319
水夫に供されるような安物のワインは、すぐ酸っぱくなる。
普通ワインは薄めて飲まれるし、その水をどう確保するのかの問題がある

英国海軍では、豊富に供給できる地中海地方でしか与えていない。
大西洋、北海、インド洋、太平洋などでは、ビール、薄めたラム酒(グロッグと呼ばれたもの)
などを水兵に与えていた。

321 :世界@名無史さん:2011/03/05(土) 05:15:04.77 0
この時代の経験で(壊血病の悪夢)
後のドレイクやクックは酢漬け野菜や乾燥果物を携行するようになった

322 :世界@名無史さん:2011/03/05(土) 06:33:26.36 0
>>318
>当時で現在のヴェネズエラの経度をかなり正しく推算してるのは凄いと思うのだが?
不正確だって話を聞いた覚えがあるが

323 :世界@名無史さん:2011/03/05(土) 09:19:05.43 0
コロンブス、アメリゴ・ベスピッチの時代だよね。
正確な時計(クロノメーター)がない時代に、正確な経度測定は不可能。
金星の月面食などで測定するにしても、誤差が多いし、精密な結果は考えるだけ無駄。
18世紀になって精密な六分儀とクロノメーターが現れて、ようやく現代でもある程度信用できる制度になったのではなかったかな。

324 :世界@名無史さん:2011/03/05(土) 09:22:21.99 0
あ、違った。w

ある程度信用できる制度になったのではなかったかな
       ↓
ある程度信用できる精度になったのではなかったかな

もしかして、>>318氏は緯度と経度を間違えたかな?
緯度なら、コロンブスの時代でなら、18世紀の一ケタか二ケタ下ぐらいの精度で測定可能だろうね。
プラマイ2度くらいの精度ということ。

325 :世界@名無史さん:2011/03/05(土) 17:57:21.38 0
やはりバルボアでっしょ。

326 :世界@名無史さん:2011/03/05(土) 23:05:33.61 0
コロンブスが上陸した地で領有宣言やらしたことは有名だけど、
日本に到達した外人も旗立てるとか領有宣言やら儀式してたのかな

327 :世界@名無史さん:2011/03/05(土) 23:43:50.35 0
沖ノ鳥島が昔オランダだかポルトガルだかの領土にされたことがあったような気がする。
人間が住んでいるところは領土にしないんじゃなかったっけ?

つまり、インディオは人間の範疇に入らなかったということかねえ...

328 :世界@名無史さん:2011/03/06(日) 01:30:05.26 0
>>322
アメリゴの計測(1499/08/23、19:30、現地時間は天測により比較的正確)
月と火星の位置の観測から合が18:30であることを推算
携帯していたレギオモンターヌスの航海暦にはこの合はドイツのニュルンベルグでは
24:00と記載されてる(つまり時間で5.5時間分西方に位置してる事になる=現在の経度に直せば西経71度ぐらい)
まれな天文現象と観測環境が良かった運にも恵まれたのだが

>>323
基本的にはその通り
ただ当時でも経度測定の理論は有ったと見るべきだろう
その後でもタスマンは度のレベルでまちがいをやらかしてるし(おそらく動揺する船上での観測)
分以下のレベルで(しかも船上で)計測出来る様になったのはハリソンによるクロノメーターの製作以降

329 :世界@名無史さん:2011/03/07(月) 23:24:15.89 0
>>321
クックが名を挙げたきっかけが、
最初の太平洋航海で壊血病の死者を一人も出さなかったこと

330 :世界@名無史さん:2011/03/09(水) 02:27:34.33 0
経度を天測だけで特定天文現象に頼らず決定するには
赤経、赤緯をほぼ30日で一周する月の運動を利用するしかない
ただ主に地球と太陽の重力の影響で相当に複雑
信頼できる表は18世紀のマイヤー(分レベルで可能)までは無かった
実際は揺れる船上の測定では誤差が多くてもやむを得ない
陸上ではそれなりの精度だが

331 :世界@名無史さん:2011/03/09(水) 14:22:16.45 O
バイキングが作った北米植民地は原住民に負けて十五世紀に全滅したのが
大航海時代のスペインは原住民を圧倒した
なんでだろ

332 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/09(水) 15:01:37.74 0
>>331
純粋に技術の進歩によるものじゃないの?ヴァイキング時代の北欧の文明度じゃ、
まだ新大陸を征服できるほどの力はなかったと思う。大航海時代ぐらいになると、
それなりの軍事力を持つようになったから先住民たちの抵抗にも簡単に勝てた。

333 :世界@名無史さん:2011/03/09(水) 18:22:56.03 0
短期的には武装が
長期的には疫病が
原住民を殺してくれたから

334 :世界@名無史さん:2011/03/09(水) 18:56:28.47 0
馬と火器と鉄器といわれてるが
鉄器はヴァイキングも持ってた
ただ植民の人数の絶対値が余りにも小さすぎたのでは?

335 :世界@名無史さん:2011/03/09(水) 20:17:44.70 0
レイク・エリクソンが150人で、コロンブスもそれぐらいじゃなかったかな?

336 :世界@名無史さん:2011/03/09(水) 20:18:20.30 0
ぶっちゃけ10世紀のアイスランド人とカナダ人じゃ、文化レベルも技術レベルも大差ないと思われ

337 :世界@名無史さん:2011/03/09(水) 20:31:46.25 0
15世紀のスペインはやたら技術が進んでたんだな

338 :世界@名無史さん:2011/03/09(水) 20:35:11.12 0
・火縄銃
・読み書き能力の普及(ベルナール・ディーアス・デ・カスティーリョみたいな末端兵士が記録残せるレベル)
・馬
・しっかりした甲冑

339 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/09(水) 22:21:09.96 0
>>334
人数に関しては>>335も言ってるようにスペインも結構少なかったからね。
火器とかがあるなら少人数でも征服可能だろうけど鉄器だけじゃ難しいと、
思うよ。>>336の言うように、当時のヴァイキングの文化レベルはそんなに、
高くないだろうしね。アメリカ大陸の先住民と大差ないような気がするなぁ。

>>337
イベリア半島はイスラーム支配下からレコンキスタ終了までにかけて長い間、
学問や文化の先進地域だったからね。大航海時代の下地はそれなりにあった。

340 :世界@名無史さん:2011/03/09(水) 22:41:45.21 0
>>328
月と火星じゃなくて月と恒星じゃ経度測定困難なんだろうけどどういう差なのかよくわからない。
ニュートンは月と恒星とで経度測定しようとしてたとか言うけど

341 :世界@名無史さん:2011/03/09(水) 22:41:59.12 0
そりゃ13世紀ぐらいまではスペインは先進文化の導入する場所で先進的だったかもしれないが
15世紀のコロンブスの時代になると文化、技術、経済は北イタリアとネーデルランド、南ドイツ諸都市の方がヨーロッパの中心で
特別スペインが先進というわけではないよ、もちろん後進でもないが
それに文化レベルと強弱はあんまり関係ないと思うが




342 :世界@名無史さん:2011/03/09(水) 22:45:54.67 0
バイキングで思い出したけど、グリーンランドって赤毛のエリク以前にイヌイットが住んでたよね?
イヌイットは北米から渡ってきたの、それともユーラシアから来たの?

343 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/09(水) 22:51:27.12 0
>>341
まぁ、確かにそうなんだけど大航海時代において少人数で新大陸を制圧できるだけの、
力量が当時のスペインにはすでにあったという事。まぁスペインが北イタリアとかよりも、
先に大航海時代に乗り出すことが出来たのは地理的な幸運なんかも大きいけどね。

文化レベルというか技術的に当時の北欧のヴァイキングとアメリカ大陸の先住民じゃ、
大差ないような気がする。少人数での遠征を成功させる場合、どうしてもそれなりには、
軍事技術で相手を圧倒しておく必要があるだろうけど、当時のヴァイキングに先住民を、
圧倒するほどの軍事的技術があったとは、僕にはとても思えないんだよなぁ。

344 :世界@名無史さん:2011/03/09(水) 23:06:48.56 0
>>327
・1565年 スペイン船サン・ペドロ号が発見。その形から「パレセべラ」(「帆のような」の意)と名付ける。
・1639年 オランダ船エンヘル 号及びフラフト号が発見。「エンヘルスドローフテ」(「エンヘル浅瀬」の意)と名付ける。
もしかしたらこのあたりのことを指しているのかもしれないけど、上陸したわけではないし、「領有宣言」も特にしていないかと。
ただし、沖ノ鳥島が「上陸」できるような代物でないのは、16世紀の時点ですでに現在同様だったようですが。

ちなみにここを参考にさせてもらってます。
ttp://homepage3.nifty.com/boumurou/island/sp01/

ていうか、小笠原諸島(父島)は、欧米人が領有宣言どころか定住にまで至ってますよね。

345 :世界@名無史さん:2011/03/10(木) 00:57:52.92 0
小笠原には白人の日本人がいるよな。
イルカ観光船の船長も欧米系島民じゃなかったかな。

346 :世界@名無史さん:2011/03/10(木) 01:37:12.72 0
>>340
恒星は赤経値は変化しないが一日に赤経値がほぼ12度変化する月との方位角の差を比較することで
経度測定は可能
ただ同時に計測しなければならないという技術的理由で選択できる基準星は限られる
白道(ほぼ黄道と同じ)付近の明るい星に限られる
もちろん基準子午線に於ける月の運行表が必須だが

347 :世界@名無史さん:2011/03/10(木) 16:59:20.31 O
13世紀はすでにスペインよりイタリアイギリスフランスのほうが文化面で栄えてたような気がする
イギリスが大航海時代に乗り遅れたのはやはり百年戦争かな?

348 :世界@名無史さん:2011/03/10(木) 18:56:45.15 0
スペインやシチリアは翻訳活動は盛んだったけど
文化を生み出した場所ではないよな

349 :世界@名無史さん:2011/03/10(木) 21:50:58.25 0
緯度経度が測定できることで、グリッドの上の自分の位置は15世紀ごろまででも特定できるように
なったが、肝心かなめのグリッドの幅、つまり経度一度はなんマイルなのかを測定できるようになる
のは、もっとずっと後なんだよね...

350 :世界@名無史さん:2011/03/11(金) 00:27:00.53 0
エラトステネスは不正確×不正確で正確に地球円周を出したという

351 :世界@名無史さん:2011/03/11(金) 00:58:56.92 0
>>347
16世紀ならともかく、13世紀ではさすがに無茶でしょう
イングランドもフランスも、未だ中世封建社会真っただ中で、イベリア半島はまだイスラム勢力が優勢ですし

352 :世界@名無史さん:2011/03/11(金) 01:30:22.18 0
スペイン・シチリアは翻訳活動は盛んだったけど著名な文化人はいないよ
13世紀だとトマス・アキナス、ロジャー・ベーコン、エックハルト、アルベルトゥス・マグヌス
全員、アラビア学問の影響は受けてるけどスペイン、シチリア出身じゃない
まぁイスラム圏スペインではアベロエスがいるけどキリスト教圏スペインはマイナーなのしかいない


353 :世界@名無史さん:2011/03/11(金) 01:33:08.00 0
調べなおすとアベロエスも12世紀だな

354 :世界@名無史さん:2011/03/11(金) 02:39:07.46 0
ピサロのインカ征服の戦い
勢力差は100:1かそれ以上だが(全員で攻め懸かればピサロに勝ち目は無い)
大砲をぶっ放したとたんインカの兵は逃亡
やすやすと王を捕虜にした

軍事力とは装備以外でも文明(アメリカ古代対ヨーロッパ近世)の差が決定的

355 :世界@名無史さん:2011/03/11(金) 10:07:11.45 0
にしてもコロンブスの原住民に対する処遇は鬼畜すぎるよな
まぁ当時の商人としては普通だったのだろうが
人権もクソもない時代だなホント

356 :世界@名無史さん:2011/03/11(金) 12:57:42.90 O
オスマンを真似したんだよ
オトラントの戦いとかすごいぞ

357 :世界@名無史さん:2011/03/14(月) 01:10:48.19 0
>>354
テキトーな脳内妄想垂れすぎ 

だったら敵対部族の調略とか全然必要ないじゃん 
君の脳内でスペイン人たちはそんな必要ないことになんで必死こいてたことになってんだ?

>>356
違います。テネリフェ島とかで事前にどんだけスペイン人が苦渋舐めて経験蓄積したかとか勉強してみ
wikipediaあたりでも英語版のほうには詳しく載ってるから。




358 :世界@名無史さん:2011/04/17(日) 11:25:18.43 0
age

359 :世界@名無史さん:2011/04/17(日) 11:31:44.26 0
>>357
妄想だけでもなくね?
戦いというか会見で王を捕虜にしたのは事実
史実はそこからが本当の戦いの始まりな感じはするけど

360 :世界@名無史さん:2011/04/17(日) 18:59:54.25 0
>>359
やめとけ
単に自己顕示で書いてるだけだから

361 :世界@名無史さん:2011/04/21(木) 19:10:00.19 0
大航海時代を勉強したいのですが
大航海時代叢書を読むべきですか?
世界史の知識は中学レベルです

362 :世界@名無史さん:2011/04/22(金) 02:31:38.09 0
>>361
「勉強」の意味による。大学で卒論書きたいとか言うならMustだよ。
趣味のお勉強という意味なら、「読んだ方がいい」かな。
増田義郎とかの概説を先に読んだ方が背景が分かってより楽しめると思うけど。

363 :世界@名無史さん:2011/04/25(月) 19:36:52.24 0
私掠船の船長とか船員って裕福なの?

364 :世界@名無史さん:2011/05/02(月) 02:46:48.60 0
王を捕らえた後ピサロは身代金として金などを要求した
さすがにこんな要求は近代ヨーロッパの君主でも清の皇帝、日本の天皇でも拒否したと思う

365 :MILU:2011/05/04(水) 00:10:45.06 0
>>364
しかし、スペイン人はよく皇帝を人質なんかにできたよな。
ちなみに同じ事して王を本国まで連行したのは鄭和だな。
でも鄭和は殺さなかった。
ま、鄭和の場合は王側の計略に填まりそうになったのでやむを得ずだが。

366 :世界@名無史さん:2011/05/04(水) 10:50:37.91 0
>>363
成功した私掠船の船主は裕福。
それ以外は、裕福でないか、貧乏か、極貧かのいずれか。

367 :世界@名無史さん:2011/05/05(木) 15:41:28.81 0
私掠船というのも、一種の投機的な商売だからね。
一発当てた船長には、船主に一定の歩合を払ってもそれなりに裕福になれた人もいるだろうね。
リスクが大きすぎる商売だけど。

368 :世界@名無史さん:2011/05/06(金) 19:27:55.03 0
けど、私掠船に投資する商人も多かったみたいだね
カリブ海での話だけど

369 :世界@名無史さん:2011/05/10(火) 00:38:11.98 0
ピサロがインカを乗っ取った後
難を逃れた王族を中心に山岳地帯にこもりゲリラ的抵抗は継続
完全に鎮圧できたのはピサロの死(仲間割れで暗殺された)よりだいぶ後

370 :rmtbrt:2011/05/10(火) 17:13:37.93 0
大航海時代-RMT通貨購入こちら:http://www.rmtbrt.com/moneylist.php?gameid=51

371 :世界@名無史さん:2011/05/12(木) 15:20:55.29 0
糞業者死ねよ

372 :世界@名無史さん:2011/05/14(土) 22:58:42.09 0
スペイン征服者ってどうして揃いもそろって鬼畜なの

373 :世界@名無史さん:2011/05/14(土) 23:49:54.24 O
船乗りたちは航海中食べ物が無さ過ぎて、船の部品を保護してた牛の革とかも食べていたらしい

374 :世界@名無史さん:2011/05/15(日) 00:55:12.26 0
マジェランの準備
・ビスケット2年分
・ベーコン200樽
・乾ブドウ、果実(量は不明)
・牛7頭
・ブドウ酒253樽
  ・・・

これだけ準備しても結果は非惨なことに

375 :世界@名無史さん:2011/05/15(日) 01:10:58.37 0

船乗りたちは

と十把一絡げにされても困る。
長距離を航海する船乗りは「常に」飢えていたなんて話がある訳がない。


376 :世界@名無史さん:2011/05/15(日) 01:58:56.90 0
>>372
敗戦国はことさら残虐だったことにされるとかいう。
スペイン然りドイツ然りほかにもあるな。
なんでそこまでする!?みたいな大虐殺をした敗戦国

377 :世界@名無史さん:2011/05/15(日) 10:38:45.82 0
>>375
まあ定期航路だったら、それほど頻繁に飢えることはなかったろう。
一方で大航海時代に太平洋を横断した探検隊たちは、かなり高確率で飢えに瀕してる。

立ち寄る島々で食物や水を調達したくても、測深の行き届いた海図がなくて座礁の危険があるから、
当時の帆船はあまり海岸に近づけない。仕方ないので艦砲が届かないところに食料探しのボートを
出さざるを得ないが、これがたびたび現地人に襲われて補給失敗ってパターンが多い。


378 :世界@名無史さん:2011/05/15(日) 11:05:26.41 0
甲板に土を盛った箱を並べ、そこで野菜を栽培すればいいものを…
ビタミンの知識がなくとも、新鮮な野菜は食べたくなるだろうに。

379 :世界@名無史さん:2011/05/15(日) 11:07:57.39 0
時化てきたら、箱を船底へ運ぶんですね。

380 :世界@名無史さん:2011/05/15(日) 11:13:23.83 0
鄭和の大航海では船内でモヤシを栽培していたというが、
西洋人はモヤシを知らなかったの?

381 :世界@名無史さん:2011/05/15(日) 11:22:44.57 0
>>380
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%B1%86
>ヨーロッパやアメリカに伝わったのは意外にも新しく、ヨーロッパには18世紀、アメリカには19世紀のことである。

382 :世界@名無史さん:2011/05/15(日) 13:13:32.52 0
鄭和の艦隊がモヤシを栽培してそれによって壊血病を防ぐことが出来たことは、
現代において非常に高く評価されているが、これは単に結果オーライに過ぎない。
鄭和以後数世紀経っても、新鮮な食べ物がなければ人間は生きていけないという
事すら、基本的な事実として周知されていなかった。

塩漬け豚がビタミンを持っていなかったからといって、過度に鄭和を褒め称える訳に
もいくまい。

鄭和は運がよかった。
モヤシのような奇妙な東洋の食べ物が西欧に入るのが遅れたからといって、それで
どうかした訳ではない。

383 :世界@名無史さん:2011/05/15(日) 14:42:33.03 0
>>378
>甲板に土を盛った箱を並べ、そこで野菜を栽培
フランスのラ・ペルーズ探検隊の場合は、そういうふうにレモンの木そのものを積んでいる。
まあフリゲート艦上でレモン栽培するというよりは、立ち寄った島に植え付けて、次に来た船が
収穫できるようにしとくという算段だったんだろうけど。


384 :世界@名無史さん:2011/05/15(日) 14:52:21.63 0
>>380
日露戦争時ロシア軍はビタミンC不足になったが大豆を持っていた。
もやしを知ってればって話をなんかで読んだなあ。
まぁ日本軍はかっけになってたし人のこと言えんかぁ

385 :世界@名無史さん:2011/05/15(日) 14:56:29.29 0
江戸時代後期、北方警備のために蝦夷地に渡った武士は
越冬の折には重度の脚気が原因でバタバタと斃れた。

米と味噌、塩漬けだけの単調な食事、
そして雪に閉じ込められる不自由な生活。

江戸のお店者だったら小遣いで栄養のあるもの食えるだろうが、
冬の蝦夷地では金を出しても手に入らないからな。

386 :世界@名無史さん:2011/05/15(日) 16:38:40.50 0
江戸でも、ちょっと金のあるものは争って白米を食べ、ビタミン不足で脚気になったという。
貧乏な下層民の方が玄米食って脚気にならなかったらしいですな。

で、脚気の治療法の中に、白米を食べて栄養を付けるというものもあったそうな。

それが何故いけないのか、現代ではわかるけど、だからといって無知だった過去を馬鹿には出来ないよねえ。

387 :世界@名無史さん:2011/05/15(日) 16:45:46.04 0
貧乏な人は玄米は食わなかったかも。
粟と黍、六条大麦なども出回っていたから雑穀飯があったよ。

388 :世界@名無史さん:2011/05/15(日) 19:33:17.34 O
白人の歴史はゲルマン民族の大移動から始まった。
古代欧州にはモンゴロイドが居たんだ。
古代シュメール人も古代エジプト人も古代ギリシャ人も古代ローマ人も、
全て、所謂、モンゴロイドだ。
欧州と中東の文字や文明を造り上げたのは、所謂、モンゴロイドだ。

スカンジナビア半島付近でネアンデルタール人が現世人類の女性を強姦して、白人が産まれた。
白人は蒸気機関以外何一つ創造していない。破壊するだけだ。
白人は20世紀初頭まで手掴みでパスタを食べていた。
(NYの映像にて)
言葉は悪いが、白人こそ近代まで未開だったのだよ。

389 :世界@名無史さん:2011/05/15(日) 21:36:13.47 0
超古代の韓国人ですか?

390 :世界@名無史さん:2011/05/15(日) 22:23:57.92 0
アウトリガーカヌーによる長距離航海で太平洋の島々を渡った
古代ポリネシア人はビタミンCが豊富なタロイモを食料として
携行したので壊血病とはあまり縁がなかったとか

391 :世界@名無史さん:2011/05/16(月) 07:03:50.63 0
>>388
どこの電波を引っ張ってきたのかわからんが、10行のうち9行目以外はみんな与太話ってのは
どうなのかねぇ?
もうちょっと電波率を下げないと、信者がつかんぜ?w

392 :世界@名無史さん:2011/05/21(土) 01:06:11.43 0
( ´,_ゝ`)プッ

393 :世界@名無史さん:2011/05/21(土) 11:15:46.49 0
戦国期の日本がかなり急な発展を見せたのって、
乱世で諸大名が重農主義的に領国開発に努めたからって思ってたけど、
結局、運よく銀山開発が軌道に乗って、貿易拡大と貨幣流通増大できたから・・・
ってのが本当の要因なんかね〜。
ポトシに次いで、世界の3割くらいが日本産だっけ?産油国みたいやん。

394 :世界@名無史さん:2011/05/29(日) 16:15:51.88 0
かなり安く買い叩かれているところが、産油国との違いかな


395 :世界@名無史さん:2011/05/29(日) 23:54:23.62 O
そういえば、18世紀に活躍した黒ひげという海賊の船の一部がアメリカで見つかったんだってね

396 :世界@名無史さん:2011/05/30(月) 00:55:34.95 0
黒ひげ危機一発のモデルか

397 :世界@名無史さん:2011/05/30(月) 07:56:11.36 O
そうそう。漫画ワンピースとか公開中のパイレーツにも使われてる。いやーいいね海賊って

398 :世界@名無史さん:2011/05/30(月) 12:47:14.33 0
黒ひげさん、イギリス海軍に討たれて死亡か・・・。
もう、海賊がお国の英雄でいられる時代じゃなかったんだね。

399 :世界@名無史さん:2011/05/30(月) 22:13:28.00 0
そもそも海賊って、海の犯罪者だからなぁ。
バッカニアだってコルセアだって。

国の英雄と言われた「海賊」たちは、私掠船免状をもっているとか、あとで国に認められたとか、上手く立ち回っていた人だけ。
そもそも海賊の大半はロマンチックなものじゃない。
たいていは、ただの食い詰めたならず者。

400 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/05/30(月) 23:07:20.58 0
>>398
黒髭の死亡辺りからカリブの海賊は徐々に衰退していってるね。
有名な女海賊であるアンとメアリーが捕まったのもこの頃だし。

401 :世界@名無史さん:2011/05/31(火) 01:30:56.12 O
黒髭といえば、乗船 の名前が「クイーン・アンズ・リベンジ」なのは、女王個人のことなのかアン女王戦争由来なのか

402 :世界@名無史さん:2011/06/05(日) 09:05:55.18 0
日本近海にヨーロッパの海賊が出没してたら
家光も鎖国なんて言ってられなかったろうな


403 :世界@名無史さん:2011/06/10(金) 21:10:45.92 0
ヨーロッパから海賊さんたちが出張してくるためには、日本近海によほど金になるネタがないとなぁ。
マルコ・ポーロの伝説ていどじゃだめだろうね。

来れば面白かったけどさ。

あ、倭寇の連中も一応海賊かな。

404 :世界@名無史さん:2011/06/10(金) 21:20:33.31 0
石見銀山をポルトガル・スペイン・オランダが狙わなかったのは、
やっぱり能力的に厳しかったんかしらん。
奄美あたりの小島が鉱山だったら、海上戦だけで済むからチャレンジしたかな?

405 :世界@名無史さん:2011/06/13(月) 18:52:34.89 0
単に知らなかっただけでは?
極東の謎の氏まで採掘されている黄金のことなどは、よほどの知識人でないとわからなかったのではないかな。
海賊になった人たちなんて、それほどの知識があったとも思えない。

406 :世界@名無史さん:2011/06/13(月) 19:07:47.48 0
石見銀山は場所わかってたはず
ソースはティセラの日本図(1590年代制)

407 :世界@名無史さん:2011/06/14(火) 21:16:00.44 0
知識人であれば知っていたかもね。
現に日本に来なかったんだから、海賊はそんな事は知らなかったんだろうな。

408 :世界@名無史さん:2011/06/14(火) 21:44:51.56 0
海賊が学者のスポンサーだったりするから
わからないぞ(笑)

409 :世界@名無史さん:2011/06/14(火) 22:48:37.66 0
人口少ないポルトガルや簡単に貿易ができたオランダはともかく
イギリスやスペインが知識人は知っていたであろう石見銀山を
狙わなかったのは個人的に気になる
まさかいつまで経っても戦国時代の宣教師の報告を信じてたわけでもあるまいし

410 :世界@名無史さん:2011/06/14(火) 23:11:31.00 0
スペインとポルトガルは教皇の調停で勢力範囲を決めてた。
確か日本列島のド真ん中にも境界線が引かれてて、西日本はポルトガルの縄張りになってた。

イギリスの日本進出は遅かったし、すぐにオランダとの競争に敗れて撤退している。
それで19世紀になるまで、インドでの勢力拡大に専念することに。

411 :世界@名無史さん:2011/06/15(水) 01:24:46.41 0
石見銀山を掠め取るとしたら、相手は、尼子→毛利→豊臣→徳川 の順番だな。
勝ち戦の可能性が見出せるのは、せいぜい尼子くらいだなぁ。

412 :世界@名無史さん:2011/06/16(木) 01:27:52.84 0
石見銀山ってけっこう内陸だぞ。縦しんばいったん制圧できても維持できんでしょ。
例えば尼子領のときに毛利と組むとか、現地勢力と同盟しないとどうにもならん。

413 :世界@名無史さん:2011/06/18(土) 04:15:15.64 0
古代新大陸文明と戦国時代の日本を比べて如何するんだ?

414 :世界@名無史さん:2011/06/18(土) 04:32:20.23 0
上でみんながイメージしてるのはインカ・アステカじゃなくって、
ゴアとかマラッカとかゼーランディアとか、そのへんでしょ。

415 :世界@名無史さん:2011/06/18(土) 12:19:57.59 0
サンノゼからユキチカに引っ越すようなものだ

416 :世界@名無史さん:2011/06/18(土) 16:49:04.74 0
石見銀山めがけてでもなんでも、西欧の海賊は日本には来なかったんだから、来れたはずだの
情報を知っていたはずだだの言ってもナンセンスでは?w

417 :世界@名無史さん:2011/06/20(月) 21:31:00.27 0
海賊の話なんてほぼ誰もしてないのに何言ってんのこの人

418 :世界@名無史さん:2011/06/23(木) 21:23:23.17 0
この時代、ヨーロッパの庶民は何食ってたの?
麦粥?黒パン?ジャガイモ?
肉とか魚は高くて買えない?


419 :世界@名無史さん:2011/06/25(土) 11:16:52.57 0
大西洋で新大陸からヨーロッパへ金銀を運ぶルートは海賊の狩場だったが
太平洋で貴金属を運んでいる航路といえば次のいずれか。

1.日本から銀を積み出すオランダ船の貿易航路
2.南米からマニラへ銀を運んでくるスペイン船の貿易航路

2の方はグアム島あたりでイギリスのアンソンがスペイン船から
大量の銀塊を奪った海賊行為の例がある(1743年)。
日本から銀を持ち出す1の航路が狙われた例はないのかな。


420 :世界@名無史さん:2011/06/27(月) 08:51:20.95 O
>>419
その時代、欧州では銀が飽和状態で農産物の価格が暴落したりした
価格の低下した銀なんて欧州ではさほどいらない

421 :世界@名無史さん:2011/06/27(月) 19:12:22.22 0
>>420
なんかおかしくないか?下のどっちかだと思うんだが。
銀が飽和(=貨幣価値下落) → インフレ(=物価上昇)
銀が不足(=貨幣価値上昇) → デフレ (=物価下落)

422 :世界@名無史さん:2011/06/27(月) 20:09:24.82 0
wheatやbarleyは保存性が高いので、食料として取引されるのではなく
貨幣のような取引をされたならば、インフレでも暴落はあり得る。
多分、先物相場があったので、そこでは物々交換ではなく貨幣取引

423 :世界@名無史さん:2011/07/12(火) 07:30:26.34 0
保守

424 :世界@名無史さん:2011/08/17(水) 14:00:55.13 0
>>383
溶岩の上でも野菜は栽培できるのかな
ミネラル成分が豊富らしいよん

425 :世界@名無史さん:2011/08/23(火) 05:19:51.30 0
サツマイモやタロイモみたいな根菜の方が、
ビタミンC豊富で長期の船旅に適していそう。

太平洋諸島でも調達できるイモ類を十分に活用
できていれば、帆船時代の太平洋横断でも
壊血病で苦しまずに済んだはず。

426 :世界@名無史さん:2011/08/23(火) 08:56:58.82 0
ヨーロッパからインドへ どんなふうに航海してたの? レーダーとかGPSのない時代に。

427 :世界@名無史さん:2011/08/23(火) 11:41:58.22 0
地中海で小麦価格がデフレになったのって
北欧とかから輸入されるようになって
小麦価格が暴落、国内の農村が荒廃したって流れでだろ

428 :世界@名無史さん:2011/08/23(火) 19:44:58.59 0
>>426
当時でも野菜、果物の生食が著効が有るのは経験で知ってたが
それ以外は考えつかなかったて事じゃないか?
まして保存が大変

429 :428:2011/09/02(金) 02:49:06.76 0
×<<426
○<<425

430 :世界@名無史さん:2011/09/05(月) 20:40:28.78 0
中南米文化が好きだからスペインは許せない…
まあスペインだけじゃないけどさ

なぜやつらは他文化を消し自文化で塗り替えようとしたのか。
文化の違いを「おかしい・気持ち悪い」でなく「面白い」と捉える人は居なかったのか?

431 :世界@名無史さん:2011/09/06(火) 03:07:55.98 0
南米でもアルゼンティンは他と比べかなり異質
スペイン人は早く植民してたが
18世紀後半になるとゲルマン系の移民も増大
彼らは原住民との交わりを嫌い独自のコミュニティを維持

結果として白人系70%以上という国家になった

432 :世界@名無史さん:2011/09/06(火) 03:23:37.15 0
隣国のパラグアイは交わりまくって混血90%以上だし、元スペイン植民地も
色々個性的ですなー

433 :世界@名無史さん:2011/09/06(火) 05:54:54.85 0
日本って中国と貿易してればほしいものはほとんど手に入れたから大航海の必要もなしって感じ?
釈迦の生まれのインドを目指して航海する考えとかなかったのかな

434 :世界@名無史さん:2011/09/06(火) 10:37:32.92 0
大西洋せまいからヨーロッパから西へ向かってたどり着いた人はまあいるけど
太平洋広いから東へ向かったら基本戻れなかったとかってのもあったりしたかな

435 :世界@名無史さん:2011/09/07(水) 11:50:26.65 0
>>426
羅針盤とか方位磁石 後、星座とかを観測しながら航海した。
今でもヨットで1人で世界1週とかやってる人はそういうやりかたらしい。

>>430
キリスト教の影響じゃないの?
あの頃はキリスト教じゃなきゃ悪もんみたいな考えの西洋人が多かったと
言われるし。

436 :世界@名無史さん:2011/09/07(水) 13:57:47.40 P
>>430
全てのスペイン人がコンキスタドールのように振舞ったと考えるのは偏りすぎだと思う

インディオの言語や歴史を研究したり、その人権を援護したのだってスペイン人でしょう
王室にしてからが、ラス・カサスの言うことを尊重して何度もインディオ保護の法律を打ち出してるし…

437 :世界@名無史さん:2011/09/11(日) 03:15:53.71 0
ラス・カサスなあ
行動は事実だがキリスト教徒になるのが前提みたいだがな?

俺個人とすればアメリゴ・ヴェスプスプッチへの誹謗(?)を問題にしたい
新大陸の名がアメリカとして通用してしまった事への反発だと思うけど

438 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/11(日) 06:26:33.17 0
>>437
確かにラス・カサスに見られるようにアメリカ大陸の聖職者たちは、
キリスト教を受け入れることを前提としてインディオを保護してたね。
逆に言えばキリスト教さえ受け入れれば彼らはインディオの保護を、
熱心に訴え、積極的にインディオと関わるようになった。有名なのは、
パラグアイのグアラニー族とイエズス会の協力によって作られてる、
レドゥクシオンとかかな。キリスト教徒になればこういうタイプもあるね。

439 :世界@名無史さん:2011/09/11(日) 20:48:36.89 0
キリスト教を拒むとどうなったのさ?

440 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/11(日) 21:17:30.99 0
>>439
ペルーの例になるけど、初期はインディオが異教を信仰することについて、
ある程度目をつぶってたみたい。スペインで盛んだった異端審問の対象に、
インディオは入ってなかったらしいし。ところが、17世紀頃からインディオの、
信仰についてもとやかく言うようになってきて、異教根絶巡察とかいうのが、
出てきてインディオたちの異教信仰を弾圧し始めたと網野徹哉氏が言ってた。
異教を信じてると判断されたインディオは異端審問と同じ運命を辿ったみたい。

441 :世界@名無史さん:2011/09/11(日) 21:19:20.55 0
ケチュア語の先住民をどうやって異教根絶巡察が審問するんかね?
いきなり銃殺?

442 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/11(日) 21:23:32.23 0
>>441
17世紀頃ならケチュア語が分かるスペイン人もそれなりにいたでしょ。
今、手元に彼の本がないので少しあやふやになるけど、キリスト教を、
受け入れたとされてるインディオの村を聖職者たちが一軒一軒訪ねて、
それらの村の家の中から異教に関する偶像とかが見つかればすぐに、
スペイン人によって連行されて、キリスト教への改宗を迫られたみたい。

443 :井戸魔神F ◆Tny1JrNujM :2011/09/12(月) 05:55:07.68 0
探せ、この世の全てを置いてきた

444 :世界@名無史さん:2011/09/12(月) 08:00:46.59 O

人類史上最大の虐殺の時代!
今もってあの時代を正確に反省していない。
また出来ない。



445 :世界@名無史さん:2011/09/12(月) 10:00:50.93 0
スペイン人は現地人との混血が多いからそんなに差別はきつくなかったのかもしれない
でも北米は違う混血はなし、利用しまくって追放のインディアン

446 :世界@名無史さん:2011/09/13(火) 04:25:30.07 0
北米は大規模な入植の時期が違いすぎるしインディアンの文化と中南米の文化も違いすぎる
馬と銃を得た北米インディアン自体が過剰な狩猟と自然破壊をしているからどうこういう話でもない

447 :世界@名無史さん:2011/09/17(土) 15:48:26.85 0
この時代無寄航でどれくらい航海できたの?

448 :世界@名無史さん:2011/09/17(土) 16:05:09.57 0
マゼランは百日航海したが死にかけたか

449 :世界@名無史さん:2011/09/17(土) 17:29:58.07 0
ビタミンC不足が壊血病を引き起こすことが判明するまでは、3ヶ月くらいまでだろうな。
柑橘類やザワークラウト等がたまたま食糧に加わってなければ、バタバタ死に始める。

450 :世界@名無史さん:2011/09/17(土) 17:37:17.99 0
壊血病と脚気は発症率が高めだからな
マジで死ぬお

451 :世界@名無史さん:2011/09/17(土) 22:15:22.01 0
>>409
フェートン号1隻にフルボッコにされるぐらい弱小だったしな

452 :世界@名無史さん:2011/09/18(日) 02:22:12.54 0
大航海時代でも脚気は大きな問題にはならない
なぜならば食料が保存肉主体だったから

翻って日本では脚気に関し20世紀初頭まで解決できなかった(たぶんヨーロッパではマレ)
白米(旨い)が当たり前になった19世紀になると逆に多発(将軍の死亡例さえある)
明治になって近代的軍隊が糧食が問題されたが解決が遅れたのはご存知の通り

たぶん日本人だったら副食は野菜主体だろうから壊血病は少なかっただろう


453 :世界@名無史さん:2011/09/18(日) 04:16:49.87 0
というより、日本の航海は沿岸航海だったから。
頻繁に入港できて新鮮な野菜を買えるので、壊血病になりえかった。

その代わり遭難して数ヶ月も漂流すれば、やはり欧米と同じく壊血病に陥った。

454 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 07:38:48.81 0
海藻はビタミンCが豊富だから、これを常食する習慣があれば
長期航海の船乗りも壊血病知らずだったろう。
でもヨーロッパ人はあまり海藻を食べる習慣がなかったみたい。

455 :世界@名無史さん:2011/09/22(木) 10:02:27.03 0
>>453
大黒屋光太夫一行も壊血病で何人か死んでるよね

456 :世界@名無史さん:2011/09/22(木) 10:54:10.15 0
江戸期の和船での食事って知らないんだが、甲板に七輪持ち出して魚ジュージュー焼いてたの?
和船だから甲板ないけど。明治初期の欧米教官が驚いてたって話ですが。

457 :世界@名無史さん:2011/09/22(木) 21:57:41.02 0
つー『東海道中膝栗毛』

458 :世界@名無史さん:2011/09/22(木) 22:30:26.43 0
和船甲板ないのか
船底から空が見える

459 :世界@名無史さん:2011/09/24(土) 09:59:14.97 0
だから板子一枚下は地獄なわけで

460 :世界@名無史さん:2011/09/24(土) 22:52:31.60 0
千石船などまであったのだから甲板は有ったのでは?

461 :世界@名無史さん:2011/09/24(土) 23:01:09.85 0
千石船に甲板はないよ。
たとえて言うならば、水に浮かべたお椀と一緒。
甲板の仕切りが無いから、大量の物資を詰め込むことができる。
しかし嵐のときは容赦なく波が打ち込んでくる。
ましてや船底に穴が開いたら…

で、千石船での炊事は船内の炊事場で行う。
竈があって、そこで飯を炊く。

飯炊き役は、一番の下っ端。

462 :世界@名無史さん:2011/09/24(土) 23:03:06.71 0
江戸時代の千石船を知りたかったら、
司馬遼太郎の「菜の花の沖」を熟読しる。

463 :世界@名無史さん:2011/09/25(日) 00:08:38.54 0
アレ読んで松前藩の豪遊っぷりを知ったよ。

464 :世界@名無史さん:2011/09/27(火) 01:10:45.77 0
スレ違いだが七厘て面白い
昔から創意工夫を重ね都市ガス、プロパンの普及まで一般家庭で使われていた
知らないがヨーロッパや中国でも簡便調理器具として似たような物は無かったのか?

465 :世界@名無史さん:2011/09/27(火) 17:27:12.58 0
七輪に類する簡便な炊事具は、古代ギリシャにすでにあったよ。

466 :世界@名無史さん:2011/09/28(水) 22:14:15.67 0
>>431
イタリア系が多いだろ。
全人口の三分の一。

467 :世界@名無史さん:2011/09/28(水) 22:16:51.22 0
>>445
>スペイン人は現地人との混血が多いからそんなに差別はきつくなかったのかもしれない

どこがだよ。
混血が多いのはポルトガル。
スペイン人の虐殺の規模、残虐さは、北米どころじゃない。

468 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/28(水) 22:37:57.29 0
>>467
スペインによるインディオ虐殺の規模がどうだったかは置いといて、とりあえず、
混血に関して言えばスペインもかなり多いよ。それにブラジルにおける混血は、
基本的にはムラート(黒人×白人)だから、メスティーソ(インディオ×白人)は、
スペイン語圏の国のほうが多いよ。メキシコや中米諸国、ペルーやボリビアや、
パラグアイなんかはメスティーソの割合も結構多いからね。一般的に、白人が、
多いと言われてるアルゼンチンですら半分くらいはインディオの血あるらしいし。

469 :世界@名無史さん:2011/10/02(日) 00:04:53.06 0
七厘
この度の東日本大震災でも活躍したらしい
(製造メーカーからの寄贈もあった由、まだ新規に造られているとは・・・)
自治体の非常備蓄にも有るようだし

470 :世界@名無史さん:2011/10/07(金) 21:57:24.31 0
>>469
焼き鳥屋や焼肉屋で需要あるから、ね。
災害時にはスタンドアローンで利用できるから便利。ガスコンロより汎用性もあるし。

471 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 13:32:39.83 0
>>425
根菜だって腐る。

ちなみにイモ類は目方の割にカロリーが低いし、保存性も穀物に劣るので、
南米やニューギニアのようなイモ類を主食にしてる地域は余剰が生まれず
社会が発展しなかった。


472 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 15:42:15.20 0
>>471
>南米やニューギニアのようなイモ類を主食にしてる地域は余剰が生まれず
>社会が発展しなかった。

この人、インカ文明とか知らないんかよ。

473 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 15:46:55.70 0
インカの主食はトウモロコシじゃね?


474 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 15:56:31.43 0
大航海時代の欧米日国家群と比べればインカ文明の社会発展してないだろ。
現在でもイモ主食国はいまだに成熟してないしな。

475 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 16:02:57.87 0
インカの主食は、乾燥ジャガイモだよ。
トウモロコシは酒を醸す時のみに使われた。

476 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 16:24:44.14 0
ドイツとか欧州でも寒い地域はジャガイモがメインなんだが。

477 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 16:31:35.27 0
サツマイモがメインの国ってあるの?

478 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 16:45:44.93 0
>>477
かつての琉球王国の一般庶民の食文化がそうだったようだね。

479 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 16:48:54.03 0
ニューギニア高地やイースター島、ニュージーランドは、
白人到達以前はサツマイモが主食。

480 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 16:50:44.93 0
>>476
プロイセンでは、フリードリヒ2世が救荒作物としてジャガイモの栽培を奨励したというね。

481 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 16:57:33.08 0
>>475
チューニョやモラヤだね。
インカは高山地帯だから昼夜の気温差を利用して、ジャガイモ
の水分を抜き、軽石状にして長期保存を可能にした。今でも
主食の一つ。

>>476
ドイツ等欧州でジャガイモが多く食べられるのは大航海時代以後なんだが・・



482 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 17:05:46.03 0
>>481
まあ確かにそれはそのとおりだね。
ジャガイモやサツマイモそのものがアメリカ大陸原産だし。

沖縄にサツマイモが伝わったのって、16世紀くらいだったっけ?
もう少し遡る?
沖縄では「サツマイモ」じゃなくて「カライモ、トウイモ」って呼ぶけど。
鹿児島では「リュウキュウイモ」だったっけ。

483 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 17:27:52.99 0
>>481
その通りだけど、戦前の山陰地方でも「リュウキイモ」と言ってた。
芋代官のおかげかな。

484 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 17:59:27.13 0
>>482
琉球にサツマイモ伝わったのは17世紀初頭ではないかと。
記憶不確かなので違うかも。

485 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 18:10:47.69 0
>>484
歴史作家の陳舜臣さんは、
16世紀が舞台の「琉球の風」の作中世界を、
ちょうど琉球王国への唐芋伝来期として設定してるね。

時代考証上の可能性としては、16世紀と見てさほど無理はなさそうではある。
それとも、もう少し早かっただろうか、遅かっただろうか。

486 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 19:57:54.07 0
甘藷は中国に伝来した後、琉球に伝わった。
少なくとも17世紀だろうよ。琉球伝来は。

487 :世界@名無史さん:2011/10/10(月) 20:14:46.13 0
ググってみると
1594年(明・万暦二十二年)にマニラから福建省に伝来
1597年(日本・慶長二年)に中国から宮古島に伝来
1605年(日本・慶長十年)に中国から琉球本島に伝来
・・・ということらしい
http://www.town.kadena.okinawa.jp/kadena/soukan/book/208.html


488 :世界@名無史さん:2011/10/10(月) 20:23:56.30 0
>>487
へー、えらく早くに伝播するもんやねー。
宮古島とか、下手すりゃ長江以北よりも早くに伝わってんじゃね?

489 :世界@名無史さん:2011/10/11(火) 00:10:15.36 0
大航海時代って、どうやらほぼ日本でしか通用しない用語らしく、
欧米では現在でも「大発見時代」に類する意味の用語が通用してるんだね。
中国語版ウィキペディアでも見出しは「地理大發現」で、
別称のひとつとして「大航海時代」が記されているにとどまる。
東南アジアの諸言語やペルシャ語やアラビア語等ではどうなってるんだろう。

490 :世界@名無史さん:2011/10/11(火) 03:28:21.94 0
大発見したのは西洋人だけだからなぁ。

鄭和の大航海を経験した中国としては歯がゆいだろうに。

491 :世界@名無史さん:2011/10/11(火) 03:34:22.28 0
鄭和はムスリムのいるといわれている場所しか行く動機がなかったよ。

アメリカ大陸にムスリムがいるという情報は得てないのだから
一番西までいってても、セネガルあたりまでしか可能性がない。

492 :世界@名無史さん:2011/10/11(火) 03:47:24.60 0
ポルトガル・スペインはイスラムの支配で航海技術を手に入れて大航海時代
明は元の支配で航海技術が発達したと考えていいの?

493 :世界@名無史さん:2011/10/11(火) 10:46:24.24 0
南宋の遺産だと思うぞ、どう考えても

494 :世界@名無史さん:2011/10/11(火) 23:15:01.32 0
>>492
モンゴル経由で中国の羅針盤が入ってきたからだろ
イスラムの功績なんか皆無

495 :世界@名無史さん:2011/10/12(水) 22:48:16.56 0
スペインの航海術、造船技術、操帆技術などはイスラム商人からですが、なにか?

羅針盤一つで航海できるとでも?w

496 :世界@名無史さん:2011/10/13(木) 00:19:54.39 P
カタルーニャの地中海貿易や、北部の港を通じた羊毛貿易の経験の方がよっぽど重要だわ

497 :世界@名無史さん:2011/10/13(木) 07:06:40.45 0
イスラム(オスマン帝国)の存在が大航海時代の動機を与えた事は間違いない
ムスリム商人による胡椒=金のトレードはあまりにも鬼畜過ぎるw

498 :世界@名無史さん:2011/10/13(木) 23:09:42.50 0
>>494
それって古代からのもので、イスラムで生まれた物はないんじゃね?

499 :世界@名無史さん:2011/10/14(金) 01:47:41.16 0
素朴な疑問。ササーン朝時代のインド洋交易って、誰が担ってたの?
イラン人なのかな。唐時代には江南までイスラム商人として直接やって来るけど。

500 :世界@名無史さん:2011/10/14(金) 16:24:10.77 0
>>499
ヒント シンドバッドの冒険

501 :世界@名無史さん:2011/10/14(金) 20:26:43.06 0
その上から目線の ヒント って、なんなのさ。偉そうに。w

502 :世界@名無史さん:2011/10/14(金) 22:16:19.62 0
じゃあ舌から目線でヒント

503 :世界@名無史さん:2011/10/14(金) 22:52:25.88 0
ヒンド バットゥーダ の冒険

504 :世界@名無史さん:2011/10/15(土) 13:45:28.14 0
そうか、シンディローパーはインド系だったんだな。THX

505 :世界@名無史さん:2011/10/16(日) 08:34:27.95 0
シンドバッドってもろイスラム商人じゃないのか?

その頃には、ササン朝と東ローマの戦争で、
メソポタミアを通るルートが不安的になったので、
紅海から、アラビア半島を回るルートが発展したんだったと思うが。
そうなると、イスラムを受容する前のアラブ人かな。

506 :世界@名無史さん:2011/10/16(日) 09:21:21.76 0
シンドバッドって、物語では特定の人間の名前だけど、実は当時の商人たちの姿を
一人の英雄に象徴させたものと言われてるよね。

シンドとはインドのことだし。

507 :世界@名無史さん:2011/10/16(日) 12:55:01.82 0
シンド→シンド地方
バッドはどういういみ?

508 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/10/16(日) 15:55:12.66 0
>>507
ウィキペディア情報で悪いけど「インドの風」という意味みたい。

509 :世界@名無史さん:2011/10/16(日) 22:01:48.96 0
>>507
>シンド→シンド地方

シンド地方だけじゃなくて、漠然とインドを指す場合にも使われていたりしたと思った。
漢字だと身毒。

シンドとインドとヒンズーとヒンディーって、みんな語源同じなんだよね。

510 :世界@名無史さん:2011/10/16(日) 22:32:16.63 0
スペインが戦国日本を植民地化しようと攻めてきたら
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1232975660/l50

511 :世界@名無史さん:2011/10/21(金) 02:07:59.54 0
質問です。

もしもコロンブスがアメリカではなく本当に日本に到達していたら、
日本は、世界はどうなっていましたか?

さすがに鉄器文明であり、伝染病の流行も元寇も経験済みの日本だから
容易に侵略されたりはしないだろうけど。

512 :世界@名無史さん:2011/10/21(金) 02:41:03.58 0
>>511
八重洲口が転撫洲口になってたくらいのもんだな。

513 :世界@名無史さん:2011/10/21(金) 03:35:08.21 0
>>511
それ考えるとアメリカ大陸がなかったらということになるのか
って思えて大陸移動説がない世界なのかとか思えてくる

514 :世界@名無史さん:2011/10/21(金) 17:18:45.22 O
>>511
切り殺された。切り殺さなかったら日本人をインディアンと呼ばれてたかも。

515 :世界@名無史さん:2011/10/21(金) 20:34:30.71 0
>>511

コロンブスが日本に到達していた場合、海外志向が高まるのが早くなり、
史実より早めに統一国家が成立し、日本は欧州に先駆けて産業革命を成し遂げ、
市場を求めて世界進出を開始する。

まずはフィリピンを併合し、その後北米大陸やオーストラリアを植民地にし、
その過程で欧州諸国の十字軍とインドとインド洋で激突するのである。

その後世界は十字軍の大失敗で権威が衰退したカトリックとスペインに
変わって、英国が欧州とアフリカの植民地を主導し、日本が太平洋に接する
諸国を主導することになるが、北米大陸の植民地で独立運動が起き、
大和新州国として独立する。

その後、二度の欧州大戦の漁夫の利を得た大和新州国の国力は急速に増大し、
日本本土との国力差は次第に逆転してゆくことになる。

516 :世界@名無史さん:2011/10/21(金) 21:51:24.16 0
コロンブスが日本に来てても大して違いは無いと思う。
たぶん帰路はインド洋経由になったと思うので、世界一周記録の樹立の栄誉も
コロンブスになったとは思うが。

517 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 01:12:53.40 0
エスパニョラ島よりかは強いか日本。
こんどは東から元寇みたいなのが来たーって戦闘、
一応撃退できるくらいの兵士数、軍事力ではあるか

518 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 01:48:27.43 0
1492年の25年前に勃発した応仁の乱で動員された兵力って知ってる?
『応仁記』によれば東軍が16万、西軍が11万。誇張を考慮して半減しても8万、5万。
この人数が馬乗って弓もって日本刀もって槍もってって色々な兵団で構成されてる。
4隻とかで来てさ〜、その後追加軍船が来たとしてもさ〜、千人未満?何できるの?

519 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 03:02:54.90 0
>>511
史実とはあんまり変わらんだろうな。
南蛮人が、戦国時代の後半に来るか前半に来るかの違いしかない。
大内氏や島津氏が南蛮貿易で繁栄する。


520 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 03:47:53.25 0
日本に上陸したコロンブスは王に「この地の人間はきっとよきしもべとなるでしょう」と伝えただろう

521 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 09:21:06.05 0
>>518
彼らのちっぽけな帆船に何人乗っているかはさほど問題ではない。

中南米でもフィリピンでも、スペイン人たちは自分の武力だけでなく
必ず現地人をキリスト教化して味方につけるところから始めている。
ピサロが200人足らずの人数で人口1600万のインカ帝国を征服したのは
有名だが、もちろん200人そのままで征服したのじゃなくて、現地に
同盟者を得てその武力を最大限利用している。

日本についても、たとえば貿易の利をみせながら有力大名をキリスト
教化していけば、軍事的にも精神的にも日本を攻略する成功率は高まる。
インカやアステカよりミッション難易度は高めだが、やる事に本質的な
違いはない。

522 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 10:56:46.13 0
>>521
南米やフィリピンの、国家や民族としての情報収集能力、統治能力、文化・文明の
バックボーン、商工業の発達段階を、日本と比較してから言って欲しいなぁ。
日本ってぇ国は、歴史の中でそんなに優れた国家じゃなかったかも知れないが、
単純に少数の「文明国」にあっさり蹂躙されるほどマヌケじゃないぜ。

日本が文化的、政治的にほぼ完璧に「征服」されたのは、歴史的にはただ一回。
海外の相手が十分な計画を立て、圧倒的多数で一気に侵攻してきた時。
そう、1945年の終戦後のGHQ統治。
それ以外では、日本は一度に征服されたことはない。まして、少数の敵には。

523 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 11:15:12.54 0
160 名前:人間七七四年 投稿日:2009/03/29(日) 17:23:58 ID:ZoxyOaxI
あれだけ高度な文明を誇ったインカやアステカが
スペインに簡単に滅ぼされた原因は3つ。
1.スペイン人達の容姿や侵入が、中南米の伝承で彼らを滅ぼすと言われてた者達の特徴に酷似してたから。
2.鉄砲や馬に恐れおののき国王があっさり捕らえられ殺されたから。
3.スペイン人が持ち込んだ旧大陸の病原菌やウィルスに大量感染したから。

524 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 11:15:41.21 0
944 名前:人間七七四年 投稿日:2011/10/13(木) 03:49:54.71 ID:aTqbni1Q
薩英戦争の頃とは違うんで・・・
ってかなんでスペインもポルトガルもこんなに過大評価されちゃってるんだ
インカさん相手に圧勝したせいか?
鉄器知らない(インカ)とか国家が無い(フィリピン)とかそんなのばっかだぞ


945 名前:人間七七四年 投稿日:2011/10/13(木) 06:26:36.97 ID:/3SKEH60
世界史全く勉強してない無知なんだろ
無知な人間は史実の制限が無いから好き勝手に西欧諸国の姿を妄想できるから。
実態は連合しても秀吉政権や徳川幕府に敵わない程度だと知らない故に


947 名前:人間七七四年 投稿日:2011/10/13(木) 09:58:59.75 ID:lr3k119k
>>944
ゲームとかでスペインが強い扱いだからじゃないのw


948 名前:人間七七四年 投稿日:2011/10/13(木) 15:01:14.37 ID:mRb+h+E3
当時の先進国のなかでザコに過ぎなかった西欧が征服した国て土人国家ばかりなのに
過大評価も極まってる

産業革命後の西欧の評価を16世紀に当てはめてるかんじ


961 名前:人間七七四年 投稿日:2011/10/15(土) 13:37:05.74 ID:o3GRLx/B
ラテンアメリカを数々のラッキーな事情で征服できたのを除けば、
16C、17Cのスペイン、ポルトガルが沿岸以外の地域を実行支配できなことなんて、
ただの一例も無いからね。

当時世界最強とも言える陸軍を持った日本を占領するなんて、逆立ちしても出来ないよ。

525 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 12:32:11.44 0
戦国時代の日本なんてインカ帝国と比べても結束力に優れるとはお世辞にも言えないな。
当時はまだ日本人という連帯意識も希薄で、同胞を次々に南蛮の奴隷商人に売り渡している状態だし。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E4.BA.BA.E5.A5.B4.E9.9A.B7.E3.81.AE.E8.B2.BF.E6.98.93

インディオみたいに征服されなかったのは、スペイン・ポルトガル連中の本国から地理的な距離が
遠かったおかげだろう。我々は非常にラッキーだった。

526 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 13:13:51.70 0
>同胞を次々に南蛮の奴隷商人に売り渡している状態だし。

戦時捕虜を奴隷として売り渡していたのがどうしたって?

>スペイン・ポルトガル連中の本国から地理的な距離が遠かったおかげだろう。

なるほど、スペイン・ポルトガルは日本と離れていて非常にラッキーだったね。
地続きだったら、確実に征服されていたから。

527 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 14:03:23.12 0
日本の兵力は、大であろうが小であろうが日本征服の邪魔にはならないな。
侵略する国の兵を味方につけるのがコンキスタドールの常套手段なのだから。
そういや戦時捕虜をせっせとポルトガル商人に売り渡していた島津の家紋が
十字なのは面白い偶然だ。鬼石曼子を切支丹大名化して沸狼機砲を渡せば、
文字通り鬼に金棒だな。

528 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 14:33:38.75 0
何万隻の元軍が攻めて来ても耐えて来たのにスペイン、ポルトガルごときが来ても無問題。
ポルトガルなんて人口が少な過ぎて、あれ以上植民したら本国が消えるほどだった。
スペインのならず者と南米土人の子孫は60〜80年代はクーデターの繰り返しをしてたバカ。
今でも国内で麻薬絡みの内戦状態。高校時代になぜ南米はバカばっかりなのに、英国の植民
した国は安定した国ばかりだろうと思ってたが良く分かった。盗賊と土人の混血国家だからだ。

529 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 14:47:37.06 O
字も書けない暴力だけのピサロ達と宣教師と病原菌がスペインの土人に対する優位点。
逆にカリブ海ではイギリスやオランダの海賊にいいようにされてた。

530 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 16:10:35.54 0
日本の領主層がキリスト教に取り込まれていく歴史IFならここの年表が面白かった。
日本がハポン副王領になってるパラレルワールドってホントにあったりして。
http://www.geocities.co.jp/eiji96301045/manyworldscomplex/plusultra1.htm

現実問題、日本がイベリア半島からみて僻遠の地だったのも幸いだが、
何といっても秀吉が早めにバテレン追放令をだしたのがよかった。

531 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 17:02:24.84 0
スペイン系混血美女がいっぱいの国になるなら異議なし!
サルめ余計なことをしおってからに〜

532 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 17:10:50.96 0
>>531
ペルーのメスチーソの女みてると、そんな幻想いだけない。

533 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 18:04:30.19 0
フィリピンのビッチ女みてると、そんな幻想いだけない。

534 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 18:06:14.95 0
ミスコンの優勝者はメスティーソが多い。
そしてイベリア系のハーフってこんな感じ。
こんなかわいいコがいっぱいの新世界って。

http://4u-beautyimg.com/thumb/l/l_adbf5fc74d4c1136c7bf29446053ff52.jpg
http://imgk-a.dena.ne.jp/exk4/20100603/206/138385185_3.jpg
http://ss.textcube.com/blog/4/40371/attach/XWAA9Ciqxw.jpg

535 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 18:19:20.86 0
チェンジ!

536 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 20:07:32.93 0
ヨーロッパ白人っつっても
スペインは大航海の直前までイスラムだけどな。

537 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 20:20:17.44 0
>>534
向こうは整形が非常に盛んだからね。
韓国よりもずっと整形先進国。

538 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 20:20:27.39 O
イスラム文化にローマギリシャ文化が混ざってカリフォルニアの街風景作ってる。

539 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 20:25:39.55 0
>>527
>侵略する国の兵を味方につけるのがコンキスタドールの常套手段なのだから。

その常套手段も、キリスト教の布教に失敗しては使いようがなかったね。
わざわざifを考えなくても、実際に大失敗した実例が目の前にあるから、結果を予想するのは簡単だ。

540 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 20:52:42.59 0
なんだイスパニア対戦国日本の仮想対戦なんてシミュレートしてんのか。
馬鹿々々しくて話にならないほど征服されるわけがない。

一キリスト教国として北九州あたりを首都にした国家としてスタートする可能性なら
話は別だ。
日本・キリシタン・武士団領として、幕府帝国と境界線を引いた地図が
出来ていた可能性はあっただろう。

541 :離宮の宦官 ◆AnalSexRiQ :2011/10/22(土) 21:02:37.26 0
アメリカに占領されてもキリスト教化されてないのにか無理だろう。
フィリピンのように土人の国以外にアジアでキリスト教化された国は無い。
強いて言えば大チョン民国。

542 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 21:06:07.48 0
>>540
>馬鹿々々しくて話にならないほど征服されるわけがない。

具体的に書けよ



543 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 21:08:52.51 0
またバカが・・・

朝鮮半島に宣教師連れてったのは小西行長だと言っとろうが
バカタレ。
安土桃山時代の九州の封建君主はほとんどキリスト教だ。
秀吉がいなりゃ元々完成済だっての。

544 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 21:13:03.89 0
>>542
戦国末期の日本の戦力は気持ち悪いくらい高い。
核兵器でも持て来なけりゃ無理。

むしろ南米がなぜそれほど一瞬にスペインに落とされたのかが謎だ。
銃火器が伝達する前に一気にカタが付いたのかよく知らんが。
どちらかというとやはり馬の戦闘力の差なのか。

545 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 21:44:13.85 0
キリスト教は経済的側面からも容認・黙認されてた。九州諸大名が南蛮貿易で得た利益ものすごかったし。


546 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 22:48:25.29 0
>>544
>>523

547 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 22:53:09.33 0
戦国時代のキリスト教布教は、今の日本では考えられないほど
簡単に成果をあげていたもんな。
もっと頻繁に南蛮船が来ていれば、どこまでキリシタン大名が
増えていたか分からん。
とくに島津がキリスト教を受け入れると九州はキリシタンの
持ちたる国になってしまった可能性が大。
日本で最初にキリスト教布教を許可した大名が島津貴久だって
ことを思い合わせると(1549年)この仮定はちょっと怖くなる。

548 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 23:11:04.99 0
>>544
敵地に侵攻して支配する能力はなかったけどな
実績なんて琉球みたいなカスくらいだろ?w

549 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 23:13:20.10 0
>>547
>とくに島津がキリスト教を受け入れると九州はキリシタンの持ちたる国になってしまった可能性が大。
>日本で最初にキリスト教布教を許可した大名が島津貴久だってことを思い合わせると(1549年)この仮定はちょっと怖くなる。

最初は仏教の一派みたいなもんだと思って受け入れ、数年後には排除しだした。
怖がる理由はどこにもないから、安心しなさい。

550 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 23:14:27.78 0
>>548
>敵地に侵攻して支配する能力はなかったけどな

いくらでも適地に侵攻して、支配していたけど?
日本史勉強したこと無いの?

551 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 23:18:51.57 0
アジアでキリスト教国がフィリピン以外にどこがある?
日本人がアメリカに負けてキリスト教化されたか?

552 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 23:24:43.91 0
>>551
ロシア極東

553 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 23:27:14.63 0
普通に考えれば、モンゴル帝国のイスラム役人くらいにしかなれなくね?
島津がキリスト教に帰依したところで、スペイン人の臣下にはならんだろ。
交易で利益をえて、信徒増大させてもらえれば御の字ってくらいの話だ。
半世紀遅れでスタートした史実はまさにそのようになっただろ。

554 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 23:39:35.90 0
>>549
毎年のように南蛮船がやって来るような場所なら
(インディオたちは不幸にもそういう位置に居た訳だが)
島津氏は秀吉との対抗上、キリスト教徒と手を組んだろうね。
反対に、時々しか来ないと商売上も軍事上もメリットが少ないから、
キリスト教と手を切っても別に構わんよという流れになる。

島津氏が九州北部まで攻め上がり、秀吉の九州征伐が始まろうという
天正14年のタイミングで武器と宣教師を積んだガレオンが何隻か九州に
着いていたら、島津氏がこれと手を結ばない理由はない。
ちょっとしたタイミングのずれで歴史は変わってしまうもんだ。

555 :世界@名無史さん:2011/10/22(土) 23:45:55.74 0
>>553
カトリックってのはそういう甘いもんじゃないよ。
信徒がどんどん増えローマ教会の影響から抜け出
せなくなる。
そしてキリスト教対異教徒という図式がいったん
持ち込まれると、あの時代じゃ仏教徒はじめ異教が
消えるまで軍事同盟としても機能するだろうね。

556 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 00:41:40.61 0
>>555
だから、アジアの何処がカトリックになってるんだよ!
ほとんどが大航海時代前の仏教国とイスラム教国だろが!

557 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 00:51:39.62 0
まあキリスト教入ってきても問題ない。日本は何でもござれの国だからね。
何でも受け入れるけど独自の濾過機で必要な物だけ抽出するって感じ。
八百万の神は万能だし。

558 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 03:37:39.76 0
クリスマス、バレンタインとみんな単なる商業ネタに使われてるからな。
だいたい、今更、アダムとイブが日本人の祖先だなんて誰が信じる?

創世記は600千年前だそうだ。ローマ時代に決ったらしいがエホバのおばさんも言ってた。
じゃあ、1万年以上前の縄文人やクロマニヨン人やインディアンはアダムの子孫じゃ
ないのかと聞いたら、「縄文人ってそんなに古いんですかぁ?」って逆に聞かれた。

559 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 03:41:57.83 0
訂正

× 創世記は600千年前
○ 創世記は6000年前

560 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 04:37:28.08 0
いやだからお前ら極端から極端へと

・カトリックは九州に上陸していた
 すでに支配階級に浸透しておりました。ローマ法王の臣下です。
・日本の動員力30万
 船で何十万人も来れないでしょスペイン人は。

だから占領されることはなかっただろうけど、
ヨーロッパ寄りの一員になってしまう可能性はあったでしょう。
その後の歴史で支配されることになったりするかどうかは知らん。
全ては成り行き次第。

561 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 07:50:55.15 0
>>554
>島津氏は秀吉との対抗上、キリスト教徒と手を組んだろうね。

なんでだよ。
キリスト教徒と手を組んだのは大友で、島津は仏教勢力の守護者として、その大友と
宗教戦争をやったじゃないかよ。
秀吉は、大友の援助要請を受けて島津を攻めたのに、なんでそこで寺院勢力をいきなり
裏切り、キリスト教徒と手を組むのか。

562 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 08:16:17.82 0
いまの長崎市あたりが教皇領だった期間は8年間(1580〜1587年)で全領民はキリスト教徒になっている。
こうなる土地の範囲と期間がどこまで広がる可能性があったかってことじゃね。
大村純忠(バルトロメオ)だけが特別な日本人だったわけじゃないから、
機会があればどの大名にもそういう方向に進む可能性があった。

563 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 08:46:38.20 0
こういう可能性を無限に追い求めるやつがいるから、ifは嫌悪されるだろうな。
その「機会」とやらをを具体的に例示しないと、何の意味も無いよ。

564 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 08:47:31.35 0
熱心なクリスチャンであるドン・フランシスコさんは九州の6カ国を支配する大大名。
ある日、日向国を併呑して「神の国」建設しようと思い立つ。

565 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 08:53:37.86 0
キリスト教もある程度の規模で弾圧だろうね。
ヤソ教なんて受け入れたらまた一向宗が騒ぎ出すだろ。
宗教政治の恐ろしさを秀吉ら権力者は理解してたとおもふ。

566 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 09:32:44.26 0
日本に限らず新大陸でもオセアニアでもそうだが、領主や酋長たちがキリスト教を
受容する要因としては、交易のメリット、軍事上のメリットがあるが、これに宗教上の
メリットが加わる場合が多々ある。

世界のどこでも宗教勢力はその地の領主階層と対抗する力関係になっていることが多く、
在来の寺社勢力を排除するために王や領主が外来の新宗教と結ぶという構図が生まれるわけだ。

日本の戦国大名も、領内の寺社を破却してその影響力と財産を我が物にできるなら、
それに役立つキリスト教会に一部の土地を分け与えるぐらいは何でもない。
(日本全体として考えれば将来に禍根を残す行動だが、戦国の領主クラスにそういう視点を
持てよと言っても詮無いこと)

>>563はこういう話が無限に続くと思っているらしいが、キリスト教の受容メリットに対抗する
デメリットの要因があれば、可能性世界の拡大は無限には続かず、メリットとデメリットが
拮抗する点でストップがかかる。
だけど説得力のあるデメリットが出てこなければ、日本がキリスト教化されなかった歴史の
成因は、必然というより偶然的な要素の作用が多かったということになるね。

567 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 09:38:04.10 0
>>562
8年間で全領民がキリスト教徒になったと言うことは、宣教師が去って周囲が全て仏教徒になって
8年経てば、どうなるだろうねぇ。
西ヨーロッパから東アジアまでの舟旅が、すさまじい費用がかかった事を考えると、日本全土が
キリスト教化されるなんて、夢のまた夢。

568 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 09:49:40.36 0
>西ヨーロッパから東アジアまでの舟旅が、すさまじい費用がかかった事を考えると

同じくヨーロッパから膨大な渡航費用がかかっていたフィリピンは
現在、人口の9割がキリスト教ですがそれが何か。

569 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 10:44:58.63 0
>>568
ところがその少し北にあるニホンって国は、いまだにキリスト教はマイナーですが、何かご意見は?

570 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 11:18:47.80 0
>>569
偶然に左右されることの多い歴史のなりゆきとは言え、
我々は実に幸運でしたなあ。
とはいえ、日本がキリスト教化されていたとすれば、
それはそれで、神の福音を得た歴史の成り行きに幸せを
感じたでしょうな。今日のフィリピン人と同様に。


571 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 12:02:17.76 0
>西ヨーロッパから東アジアまでの舟旅が、すさまじい費用がかかった
「イエズス会の世界戦略」は面白い本だったな

572 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 16:44:44.92 0
イエズス会の財政は、どのくらいの規模だったんだろうか。
ヨーロッパ各国で裏金をかき集めていたんだろうね。

573 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 16:47:34.00 0
>>570
日本は、偶然のおかげだけでカトリックの宣教師に占領されずにすんだとは思えないねぇ。
国家としての統一がないことに関しては、当時のアジア各国といい勝負だが、国民の文化的・経済的・軍事的なレベルは、東アジアでナンバーワンだろう。
そうそう簡単に宣教師に騙されるほどアホじゃないよ。

574 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 17:02:26.83 0
>>544といい、>>573といい
どうして日本マンセーな人間の意見ってこうも無内容なの。おじさんは悲しい。

575 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 17:44:22.97 0
マンセーなんて朝鮮用語使われると面映ゆいが、別に根拠なく褒め称えているんじゃないんだがな。
オイラより年上ってことは、すごいね。

576 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 17:45:16.77 0
核兵器なんて持ち出すほどアホでもないけどさ、オイラは。w

577 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 17:56:55.51 0
IFは飽きたから、事実の話にもどすと、なんで九州北部の庶民ってカトリックにはまったんだろ。
世界観としては、浄土信仰と大きな違いはないと思うんだがなぁ、庶民の頭レベルでは。
小道具とかの演出装置に魅了されたんだろうか。それとも、布教の体制作りが巧妙だったのか。

578 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 18:01:58.10 0
まず、当時の仏教界はかなり腐敗していたってのが大きい。
破壊坊主がごろごろしてるのは、みなによく知られていたからね。

579 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 18:14:32.80 0
>>566
>日本の戦国大名も、領内の寺社を破却してその影響力と財産を我が物にできるなら、

領内にある小さな寺社ならともかく、
実際には大名に匹敵する寺社も多かったんで、ことはそう単純ではない。

それに当時は、神仏の罰に対する恐れも非常にリアルなものだった。
キリスト教に寝返った大名が寺社仏閣を破壊できたのは、キリスト教の神が神や仏以上に
現世において強力だと信じたからだけど、そう信じさせることができた大名は、ごく僅かだった。

580 :世界@名無史さん:2011/10/23(日) 23:03:33.95 0
キリシタンを棄教させるのはものすごい拷問にかけても成功せずしばしば殉教になってしまうが
領内の仏教徒をキリシタンに変えるのはどこもスムーズな印象だな。
命を懸けてキリスト教への改宗に抵抗したなんて話、聞いたことがないし。
なんでなんだろう。
といいつつ大航海時代から話題がずれてね?

581 :世界@名無史さん:2011/10/24(月) 03:18:18.89 0
聖母マリアなんて観音菩薩あたりとほとんど同一視されてたんだろ?
元々八百万の神の国なんだからそこにカトリックの神や聖人が数人入ったって大した抵抗なんておこらんよ。 
あの頃の庶民が一神教なんて理解してたとは思えないし、新しく来たデウスの神サマってのお参りしたらご利益あるらしいぜってノリでは?


582 :世界@名無史さん:2011/10/24(月) 03:48:05.76 0
だから、フィリピンの一部以外にアジアの何処がカトリックになってるんだよ!
ほとんどが大航海時代前の仏教国とイスラム教国だろが!

583 :世界@名無史さん:2011/10/24(月) 05:25:52.73 0
>>571
史実でもオランダ東インド会社は対日貿易で大きな利益を上げているから、
交易船を定期的に往復させることができれば、渡航費用は簡単にモトがとれる。

その資力でもって長崎にイントラムロスみたいな軍事要塞を造られてしまうと、
南蛮人を実力排除することは難しくなりそうだ。
日本統一と鎖国がぎりぎり間に合ったって感じ。

584 :世界@名無史さん:2011/10/24(月) 06:46:47.93 0
>>583
軍事要塞なんて作っても無理に決まってんだろ
当時世界最強のトルコと同じレベルと言われる陸軍保有してるんだぞ
あいつらトルコが怖くて無謀な航海してるんだぞ
遠く離れたところだと尚更勝ち目無いわ

中国のマカオだってアヘン戦争まで植民地になんてなってないよ
土人国家or土人じゃないと当時の欧州の国力、航海力じゃ不可能

585 :世界@名無史さん:2011/10/24(月) 13:00:53.16 0
そういや、トルコとかアラブがあるから東進出来なかったんだ。
結局、人喰いとか生け贄をやってた土人以外には勝てなかったんだよ。

586 :世界@名無史さん:2011/10/24(月) 15:32:06.07 0
植民地支配も確立できてないところにいきなり要塞建造できる訳がない。
仮に要塞作ったところでどうするんだ。日本と戦う気なのかな。日本軍と長期戦になったら勝ち目ないでしょ。
補給や兵の補充もままならない。

587 :世界@名無史さん:2011/10/24(月) 15:42:17.03 O
ピサロが馬に乗って戦国武将に突っ込むのか(笑)
鉄器も持ってないインディオとあっという間に種子島を作ってしまう日本と同レベルで考るやつの魂胆は?

588 :世界@名無史さん:2011/10/24(月) 17:40:06.29 0
四の五の言わんとこれ読め
ttp://krakenbeal.blogspot.com/2011/09/blog-post_28.html

589 :世界@名無史さん:2011/10/24(月) 18:22:35.36 0
あんたが教えてくれ。


590 :世界@名無史さん:2011/10/24(月) 18:38:33.87 0
>>587
ピサロがこれくらい無双すれば、数百人で日本征服できたかもねww
http://loda.jp/2011_1024_1830/?id=1.jpg

591 :世界@名無史さん:2011/10/24(月) 22:21:37.12 0
>>585
まあ戦国たけなわの日本を客観的に見れば、立派な首刈族の国だがな。

>>587
戦国武将に突っ込むのが切支丹戦国武将なら、その点は全く問題ないだろう。
ウィキペディアの[[日本のキリシタン一覧]]をみると、あんな少人数の宣教師が
こんなに大勢の武将を入信させてしまった現実に驚かざるを得ない。


592 :世界@名無史さん:2011/10/24(月) 22:34:10.55 0
>>591
で、それがどうかしたの?
単なる感想?

593 :世界@名無史さん:2011/10/24(月) 23:00:40.15 0
>>586
イエズス会なら実際に長崎を要塞化しかねないが、その方向に進めば九州は
切支丹大名だらけだから、普請に差支えがないどころか逆に捗りそうだな。

日本の場合は、性急に事を運ぶコンキスタドールの方がどちらかというと
撃退し易い気がする。堅固な橋頭堡を構えたイエズス会がじっくり腰を据え
て日本人司祭を養成し、学校と病院を建てながら日本全国への布教を図る
という方式で来るとあまり免疫がなさそう。


594 :世界@名無史さん:2011/10/24(月) 23:07:02.86 0
>その方向に進めば九州は 切支丹大名だらけだから、普請に差支えがないどころか逆に捗りそうだな。

なんのこっちゃ?

595 :世界@名無史さん:2011/10/25(火) 00:45:46.26 0
>>593
自分が言いたいのは要塞作ろうがクーデター起こそうが鎮圧されて終わりなのではということ。
あと
>その方向に進めば九州は切支丹大名だらけだから
とありますが
島津家、龍造寺家、立花家、小早川家、加藤家とキリシタンでない有力大名も多く、大友家だって参戦できるか未定。
九州北部と中部の一部勢力集合したところで数万人程度、十万人以上を要する政府軍に勝てるのか。

一向宗の自治や石山本願寺の戦などからも宗教戦の怖さは経験済み。
当時のキリスト教は排他性が強く、イエズス会は単なる宗教組織だけでなく政治組織でもある。
病院や学校建設しようが司祭育成しようがそれ煮対する免疫がなかろうが、その先にある魂胆が
明白である以上火傷にならない時期に排除される。

596 :世界@名無史さん:2011/10/25(火) 01:16:50.03 0
何で武将たちがあっさりデウスの教えに入信してしまうのが、今日の感覚ではよく分からない。

やはり古臭い仏教とは違うニュースタイルな宗教の魅力があったのかな。
利休七哲のうち四人が切支丹だったとかいう話があるが、そんなトップクラスの文化人が
都の有力者をお茶会に招きながらキリスト教の魅力を語れば、流行の発信源として影響は大きい。

秀吉が利休を切腹させた背景には、人知れず水面下で進行する宗教戦争があったのかもな。

597 :世界@名無史さん:2011/10/25(火) 07:57:16.93 0
キリシタンに改宗した武将たちは、宣教師の教えには従ったかも知れないが、その政治的・経済的な指示があったとすると
唯々諾々と従うだろうか。
キリシタンに入信すれば日本はイエズス会に占拠されるという発想って、飛躍がありすぎないかねえ。

598 :世界@名無史さん:2011/10/25(火) 08:25:39.07 0
>>596
>何で武将たちがあっさりデウスの教えに入信してしまうのが、今日の感覚ではよく分からない。

当時、神や仏は観念的な存在ではなく、リアルに実在するものだった。
武将がキリスト教の神に乗り換えたのは、仏より戦争に強いと考えられたから。
勝たせてくれない神は、武将には見向きもされない。



599 :世界@名無史さん:2011/10/25(火) 12:47:13.79 0
当時一向一揆が強烈だったからそれに対抗とかもあったと思う
やつら1、2国占領して全国各地で蜂起してるからな
秀吉もキリスト教の禁教令出すときに一向一揆引き合いにだして天下の障りって言ってるね
広まってみると第二の一向一揆化しそうだと危惧したんじゃないかな
あとはわざわざ地球の裏側まで来た宣教師はヌクヌクしてた坊主よりはマシに見えたってのあるかなぁ
信長なんかは宣教師よく褒めてたね
まぁ南蛮交易をスムーズに行うためってのが一番多いだろう。

600 :世界@名無史さん:2011/10/25(火) 13:57:03.75 0
>あとはわざわざ地球の裏側まで来た宣教師はヌクヌクしてた坊主よりはマシに見えたってのあるかなぁ

実際、フロイスの日本史なんて読むと、極貧状態だからね。
ザビエルも、無理しすぎて体壊して老化が早まったし。

601 :世界@名無史さん:2011/10/25(火) 20:57:08.58 0
日本がキリスト教国になってたらどうなったかなんてさっぱりわからん。
ローマ法王が絶大な影響力を持ってた時代はすでに終わってるし
火あぶりにしようが国外追放しようがなんもアクション出来ないような遠方の国だとなおさらカノッサの屈辱みたいなのは起きようがない
支配云々ってのはちょっと飛躍しすぎじゃないかな
スペインポルトガルってのもイエズス会と一枚岩とは程遠いしなぁ
アメリカだとイエズス会の原住民保護やら奴隷制反対やらの方針が行きすぎてあの有様だし
まぁキリスト教重んじれば仏教徒がうるさくなって火種抱えることになりそうだから少数派のうちに追い出せってので正解だったんじゃないかなと思うよ
エチオピアとも大分状況違うし極東で宣教師の布教が成功して強いキリスト教国が誕生してたら・・・ってIFは他に例が無くて難しいな

602 :世界@名無史さん:2011/10/26(水) 00:06:04.16 0
日本でキリスト教と競合するって言ったら、一向宗より日蓮宗じゃないかな。

603 :世界@名無史さん:2011/10/26(水) 06:56:02.87 0
【訃報】「どくとるマンボウ」北杜夫さん死去
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1319569453/

604 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 01:35:49.16 0
日本マンセーとか言われても
戦国期の兵力が高いのは事実だし、
アジア各地にいくさを輸出してたのも事実。
文明伝達路の中に入っていたから極端な文明差はないし。

何度も言うが馬の戦闘力の差って物凄いのよ。
新大陸との差は本当に馬に尽きるんだと思う。
馬とか家畜とかは全部人間が文明伝達で拡散した生き物で
大体がオリエント発。

だから動物を基準にみて南北米大陸に
本当にユーラシアとの文明差があったことは言い切れるわけ。
別にインカ人の努力が足りなかったわけではない。

605 :<ヽ`∀´> ◆NIDA/olocc :2011/10/29(土) 01:48:44.86 0
つーか、狩猟採取時代に新大陸へ渡った人類が旧大陸と同じように
銅や金などの金属器、農業、ピラミッド建築などが出来たのに驚く。

逆にアボリジニは5万年前と同じなのに驚く。オーストラリアに
船で渡った5万年前の方が文化的だったんでわ?

606 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 01:54:17.88 0
ディンゴがいるではないか。

607 :<ヽ`∀´> ◆NIDA/olocc :2011/10/29(土) 02:48:09.57 0
みんなディンゴが、5万年と信じてるのにも驚く。
Wikipediaさんまで言ってるので、そのうち誰かが訂正するだろう。

ディンゴの最も古い骨は3500年前に洞窟で見つかったもの。
遺伝子的にはタイリクオオカミに近いらしい。まぁ、犬はみんなそうだが。
犬の起源は1万5000〜8000年前とかいうので、いずれにしても5万年前はあり得ない。

おそらくポリネシア人がオーストラリアに持ち込んだろうというのが定説。

608 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 03:05:55.08 0
wikipediaさんま ってなんだ。明石家さんまか

609 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 07:31:24.57 O
>>1

驕る白人の時代だね。
まっ先に奴隷貿易が頭にうかびます。

キリシタンが
50万人の日本娘を奴隷に売却 -
http://blogs.yahoo.co.jp/yaninattyauyo/26178185.html



610 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 07:45:00.06 O
徳富蘇峰の近世日本国民史に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっています。
『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし』
改宗ユダヤ人であるザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、
ユダヤ人でマラーノ(同じく改宗ユダヤ人)のアルメイダは、

日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。
キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団として、ローマ法王のもとにいったが、その報告書を見ると、キリシタンの悪行が世界に及んでいることが証明されよう。
『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万もいるという。
肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。
鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。
ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』
豊臣秀吉は準管区長コエリヨに対して次のように命じています。
『ポルトガル人が多数の日本人を奴隷として購入し、彼らの国に連行しているが、これは許しがたい行為である。
従って伴天遠はインドその他の遠隔地に売られて行ったすべての日本人を日本に連れ戻せ。』



611 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 08:14:19.75 O
>>610のソース
http://okwave.jp/qa/q2869029.html

 ヨーロッパ諸国における奴隷貿易は、1441年から1448年の間にポルトガル人が略奪という強制的な手法で1000人近くをポルトガルに連れ帰ったのが始まりだといわれている。 

15世紀から16世紀のポルトガルには多くの奴隷が連れてこられていた。その中には黒人奴隷ばかりでなくアジアからの奴隷も見られた。 
http://www.geocities.jp/yokota634/newpage3hist-west7.html
豊臣秀吉の時代には、多くの日本人も奴隷としてポルトガルに連れてゆかれ、秀吉を激怒させている。
中には南米に売られた日本人奴隷の記録もあるのである。 

当初ヨーロッパへの連れて行かれた奴隷は、大西洋の島々で開始された砂糖プランテーションの労働力となり奴隷に対する需要が増加したことから、それらの島々へと売られるようになった。
さらにそれが新大陸やカリブ海地域の砂糖農園へと広がり、大規模な奴隷貿易となってゆくのである。 

612 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 09:30:28.61 0
アジア・アフリカ・アメリカ世界各地から選りすぐりの美女を掻き集め
ズッコンバッコンしてたポルトガル人羨まし過ぎる

613 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 09:41:43.63 0
ザビエル城なんて城がある貴族の息子のザビエルがユダヤ人ってところからおかしいだろ
しかし50万だの秘所まるだしだの南京大虐殺30万とか従軍慰安婦が頭にうかびます

614 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 10:18:20.45 O
日本の歴史教科書執筆者は南蛮貿易が奴隷貿易だったことを記述すべき
http://blog.m.livedoor.jp/waninoosewa/c
日本人を奴隷として輸出する動きは、
ポルトガル人がはじめて種子島に漂着した1540年代の終わり頃から早くもはじまったと考えられている。

16世紀の後半には、ポルトガル本国や
南米アルゼンチンにまでも日本人は送られるようになり、1582年(天正10年)ローマに派遣された有名な
少年使節団の一行も、
世界各地で多数の日本人が奴隷の身分に置かれている事実を目撃して驚愕している。「我が旅行の先々で、
売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、 こんな安い値で小家畜か駄獣かの様に(同胞の日本人を)
手放す我が民族への激しい念に燃え立たざるを得なかった。」
「全くだ。実際、我が民族中のあれほど多数の男女やら童男・童女が、世界中のあれほど様々な地域へあんなに安い値でさらっていって売りさばかれ、みじめな賤業に就くのを見て、憐 憫の情を催さない者があろうか。」といったやりとりが、使節団の会話録に残されている。

黒人奴隷人身売買の様子
http://www.youtube.com/watch?v=lhlamc00NCg

615 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 10:38:57.55 0
奴隷の定義とはなんだろう。
生活の場を売り渡されたら奴隷なのかな。
近距離高速の鉄道により通勤の概念が生まれた現在では
職場と居住の2大生活拠点が生まれたが、
職場を半強制的に契約書にサインさせられる派遣労働者は
”売られている”のとは違うのだろうか。
住み込み業務を契約させられたら”人売り”になるのだろうか。
奴隷と強制連行と労働契約は、全て程度の違いに過ぎない。

616 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 10:55:38.94 0
古代から東西問わず奴隷は普通にあった
日本でもこの時代はまだ謙信やら信玄やらも奴隷売買やってたんだし朝鮮戦争で得た朝鮮人奴隷を売り払ってた
時代背景もあるよ
とりあえずコピペされてるのは天皇はキリスト教に改宗してたとか言うトンデモ本。50万の日本人女性とか出典不明。

617 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 11:04:53.61 0
朝鮮出兵と朝鮮戦争は似てるけど衝撃的な差だけどな。

618 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 12:45:28.36 O
奴隷制度の本場はアラブやイスラムだぜ。
ヨーロッパの奴隷貿易はアラブの巨大奴隷ネットワークのごくごく一部に過ぎない

619 :<ヽ`∀´> ◆NIDA/olocc :2011/10/29(土) 12:58:08.74 0
アラブは女奴隷が中心だったと聞いたことあるけど本当か?
本当なら男はどうしたんだろう?
イラクなどアラブ人社会で黒人がよくいる理由がわかった。

620 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 13:07:53.06 0
ちょっと違うのはアラブ(というかオスマンとか全部含む)の
奴隷制度ってのは、一定の解約条件があった。永久奴隷ではなかったのだよ。また人権があった。

それを当時後進国だったヨーロッパは猿真似して、
アフリカ奴隷を大量に船に積んで新大陸に連行し容赦なく死なせた。
野蛮人は人間の扱いも野蛮だった。

621 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 13:11:25.64 0
>>619
男はイェニチェリとかじゃない?

622 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 13:26:09.52 O
秀吉の言動を伝える
『九州御動座記』には

当時の日本人奴隷の境遇が記録されているが、

黒人奴隷の境遇とまったくといって良いほど同等である。

「中間航路」は、大西洋だけでなく、太平洋にも、インド洋にも開設されていたのである。

「バテレンどもは、諸宗を我邪宗に引き入れ、それのみならず
日本人を数百男女によらず黒舟へ買い取り、手足に鉄の鎖を付けて舟底へ追い入れ、
地獄の呵責にもすくれ(地獄の苦しみ以上に)、
生きながらに皮をはぎ、只今世より畜生道有様」といった記述に、

当時の日本人奴隷貿易につきまとった悲惨さの一端をうかがい知ることができる。
 ただし、こうした南蛮人の蛮行を「見るを見まね」て、
「近所の日本人が、子を売り親を売り妻子を売る」という状況もあったことが、
同じく『九州御動座記』に書かれている。

秀吉はその状況が日本を「外道の法」に陥れることを心から案じたという。
検地・刀狩政策を徹底しようとする秀吉にとり、農村秩序の破壊は何よりの脅威であったことがその背景にある。


623 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 13:26:39.85 0
領土の小さなポルトガルは労働力が足らなくてとにかく奴隷
大航海時代の主役が商人だったのもあるだろうね

624 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 13:32:26.89 0
航海に出て仕事をさせられてる人達自身が
もともと左遷その他の理由で飛ばされて来てたりもするので仕方ない。
当の奴隷自身だったりする場合もあるだろう。

625 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 14:01:06.19 0
同胞を奴隷商人に売り払うアフリカの酋長のことを
バカだなコイツら
と思っていたのだが
安土桃山時代の日本も全く同じことをしていたのね。

626 :<ヽ`∀´> ◆NIDA/olocc :2011/10/29(土) 14:06:33.09 O
米大陸の黒人はスペインとポルトガルとイエズス会に謝罪と賠償を要求すべきだな。

あとオランダもか? ショボイ国ばっかりやの〜 大日本帝国なら一ヶ月で勝てるな。

627 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 14:13:06.11 0
アフリカでは元々部族間の争いで
捕虜を奴隷として扱っていた。でもまあそこはほら予定調和があるから。
でも同じルールの適用を求めた異人が
その捕虜を未知の国に運搬されるとは予想外だったわけよ。

628 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 14:29:22.10 O
>>614
>日本の歴史教科書執筆者>南蛮貿易が奴隷貿易だったことを記述すべき


1993年(平成5年)
日本・ポルトガル友好450周年を記念し各地で行事が行なわれました。

なぜって?
キリスト教、 鉄砲、カステラ、天ぷら、また肉食や料理を油で揚げる習慣は、ポルトガル人が日本に伝えたとか好意的だから。

ちなみにポルトガル人は日本人奴隷貿易の事は
良く知っている。

あくまで 日本側が売ったんだから 我々は悪くないというスタンス。
むしろ洗練されたヨーロッパ文化を日本に教えてやったと自慢げ。

629 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 14:35:05.29 0
>>584
トルコって、あの西洋どころか中欧にぼろ負けしまくってたあのオスマン朝か?www

630 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 14:37:05.67 0
>>619
アラブは知らんが、オスマンじゃ性奴隷はすごかったな。
スラブ民族は奴隷民族の意味、白人少女は高く売れたらしい

631 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 14:39:27.41 0
>>620
http://www.kaho.biz/morocco/d.html
奴隷たちは王宮の建設現場で1日15時間前後働かされた。せっかく造った城壁をイスマーイールの命令で粉々に破壊し、
そのうえで全く同じ物を造り直すような無意味な苦役を強いられることもあった。支給される食事は1日あたり黒パン400グラム
と油30グラムだけ、たまに腐りかけの肉が手に入った。労働意欲をあげるためのブランデーが支給されることもあった。
責め折檻は日常的なもので、逆さ吊りにして足の裏を40〜50回叩くのが一般的であった。キリスト教諸国から拉致されてくる人
たちは当然キリスト教徒であるから、これを無理矢理イスラム教に改宗させるための拷問がよく行われた。キリスト教を守っている
限り母国に助け出してもらえる(身代金を払ってもらえる)可能性があるのだが、改宗したらもう終わりである。
 しかも、改宗したとしても身分は奴隷のままであった。もちろん待遇はいくらか良くなり、努力と才覚次第で出世の機会もあったが、
行動の自由は原則として皆無である。改宗者の一部は軍隊に入れられ、戦場で最も危険な任務を割り当てられた。彼らはブハーリー
と並ぶアラウィー朝の主要な軍事力であった。
 それから、改宗するとその証として割礼を受けさせられ、女奴隷を妻としてあてがわれた。その「女奴隷」というのは、海賊に捕えら
れてきたヨーロッパ人もいれば、サハラの南から買われてきた黒人女性もいた。イスマーイールは色々な人種の奴隷を交配させて、
どんな色の子供が生まれるかに強い興味を示した。もちろんイスマーイールのハーレムに入れられる女奴隷もいた。


なんかアメリカの奴隷どこじゃない気がするんですが・・・・

632 :<ヽ`∀´> ◆NIDA/olocc :2011/10/29(土) 14:50:10.80 0
薄汚いトルコ男に毎日犯されるスラブ娘が可愛そう。
そういえば、アップルのジョブスの母方だっけ、アルメニア人でトルコの
圧政からアメリカに逃げ出したとか?

633 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 15:18:51.59 0
>>631
努力と才覚次第で出世の機会があったと書いてあるだろ。
キリシタン弾圧なら日本でさんざんやってるよ。”みの踊り”とか調べてみの。
女奴隷をあてがわれたとあるが要は妻帯させたのだろ。
その記述は文章表現の問題だろ。

新大陸の黒人奴隷は運搬の段階で横積みの階層積みで
下の方は着く前に死んでいた。

634 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 15:48:19.89 0
>>629
この頃のオスマンは強かったよ。コンスタンティノープル落として地中海制圧してウィーン包囲してと
オスマンが強く無かったら大航海時代ってものは無かった

635 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 16:06:43.10 0
信玄はとても買えないような値段で売りに出して後は金山で働かせてたらしいけど
昔の鉱山労働者って酷かったらしいね

636 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 16:26:33.79 0
タコ部屋だって風俗店だって
今でもいっぱいあるわ。

637 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 17:54:22.42 0
ポルトガルは自国の女があまりにもブサイク過ぎたから
渡海してレイプするしか無かったんだよ

638 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 18:48:17.69 0
世間知らずの童貞君は何もわかっちゃいないな
ポルトガルもスペインもエキゾチック美人の宝庫だよ
しかし連中は美人を眺めて満足する草食系じゃなかった
帆船も手に入れて行動範囲は全世界に広がった

639 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 19:35:35.74 0
今考えると風任せの航海とか凄いもんだよな
当時の航海日誌とか見ると「〜に到着、風を待つ」とか・・・
そりゃ時間かかるわ

640 :世界@名無史さん:2011/10/29(土) 23:56:54.00 O
日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!=連載=亜国に残る裁判書類=1596年に売られた日本人
http://www.nikkeyshimbun.com.br/090409-61colonia.html
 
「アルゼンチンのコルドバ市の歴史古文書館には、日本人奴隷を売買した公正証書がのこされている」という具体的な内容も記されている。
 さっそく『アルゼンチン日本人移民史』(第一巻戦前編、在亜日系団体連合会、〇二年)を調べてみると、
確かにある。
 同国の古都コルドバ市の歴史古文書館で発見された最初の書類では、

一五九六年七月六日、日本人青年が奴隷として、奴隷商人ディエゴ・ロッペス・デ・リスボアからミゲル・ヘローニモ・デ・ポーラスという神父に八百ペソで売られたことになっている。

 その日本人青年の属性として「日本州出身の日本人種、フランシスコ・ハポン(21歳)、
戦利品(捕虜)で担保なし、人頭税なしの奴隷を八百ペソで売る」とある。残念ながら、
日本名は記されていない。
 

641 :世界@名無史さん:2011/10/30(日) 10:07:05.57 0
>>639
停泊に適した湾に入るのにも出るのにも、風が適していないとうまくいかないからね。
外海なら向かい風でもジグザグに間切って進めるけど、湾内や湾口では左右に動ける余地が少ないし、
とくにまだ測深が行き届いていない所では、無理に動き回って暗礁に乗り上げてもつまんないし。

原住民とプレゼント交換してお別れの挨拶をしたあと、風が変わってなかなか出発できず、なんだか
間が悪いことになったりしてね。

642 :世界@名無史さん:2011/11/02(水) 01:03:38.02 0
「XXXX島を10日間探検、その後出港」
という内容も、
XXXX島の探検に10日間かかったのか、
1日で探検は終わったけど、風が吹き出したのが10日後だったのか
わからないよね。


帆船時代の航海日誌とか、記録は、こういったところを注意しないといけないねw

643 :世界@名無史さん:2011/11/02(水) 01:14:39.95 0
幾人かによる同一航海日誌の訳を見ると明らかに異なる解釈がされてたりするね

644 :世界@名無史さん:2011/11/02(水) 01:33:27.50 0
大航海時代の航海日誌とか古語みたいなもんか

645 :世界@名無史さん:2011/11/02(水) 09:07:15.88 0
みたいじゃなくて、まんま古語で書いてあるんじゃないの?

646 :世界@名無史さん:2011/11/02(水) 14:21:24.42 0
>>1
ドイツ人は第三帝国崩壊までフン族と逆方向に進むユーラシア志向だったが、
イベリアや北欧やブリテン、オランダはどの道、海に出るしかないじゃないか。
ポルトガル艦隊はオマーンに敗北してるし、別に19世紀まで圧倒的に強かった訳ではない。
19世紀後半のオランダとアチェーの戦争でも文字通り死闘である。
同時期のドイツのナミビア占領でも本国に援軍を頼まないと全滅する状態だったのだ。
先住民の戦いでは北米でも南アフリカでも白人も結構全滅してますやん。

647 :世界@名無史さん:2011/11/02(水) 15:43:05.60 0
世界史板に来て、未だに「白人すげーよ史観」の人がけっこういると分かって意外だった。

648 :世界@名無史さん:2011/11/02(水) 18:14:45.83 0
文明に影響を与えた人種

白人(セム語族含む)>>黄色人(主に中国人)>>>黒人

649 :世界@名無史さん:2011/11/02(水) 20:45:52.06 0
文明って何?
マヤとか、テオティワカンとか、トルテカとか、サポテカとか、インカとか、アステカとか、オルメカとか、アンデスとか、ミシュテカとか、、、
そういうのは入らないわけ?

650 :世界@名無史さん:2011/11/02(水) 21:18:39.81 0
ルフィやチョッパーのフィギアや クレーンゲーム用ぬいぐるみ全盛の時代を大航海時代という

651 :世界@名無史さん:2011/11/02(水) 22:32:31.21 0
>>649
ワロタw
むしろその類しか思いつかない。前近代というより古代。

652 :世界@名無史さん:2011/11/02(水) 22:32:41.60 0
そもそも白人すげーよ史観ってのが良く分らん
大航海時代に限れば動機はオスマンに凹られてたわけだから全然凄くないけど
世界中を視野に広げて交易したって意味ではすげーのかな
ただ技術力とか軍事力って意味じゃむしろイスラム圏や東アジアの方が進んでたからのう

653 :世界@名無史さん:2011/11/02(水) 23:16:46.92 0
>>651
古代以外の文明って?

654 :世界@名無史さん:2011/11/02(水) 23:44:13.56 0
>>653
西洋文明知らないの?

655 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 00:19:05.75 0
現代世界は全て西洋文明の亜流に過ぎんからな
日本は独自の幕府体制を潰し中国は独自の皇帝制を潰し
それぞれ西洋由来の議会制・マルクス思想などに染まってしまった

656 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 00:38:23.18 0
18世紀19世紀あたりの西欧のブーストがやばいんだよね。思想にしても科学にしても産業にしても
それまでは完全に後進国だったのに
大航海時代は人類が初めて地球を一周したわけだし、球体だと言うことを実感出来たと言う大きな意義があると思う

657 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 01:13:03.16 0
欧米制というが合議制なら昔の日本にもあるよ。
大体、西欧々々というがイギリスなんていまだに憲法もないのに。
立憲君主制じゃないじゃん。絶対王制だ。

658 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 01:28:37.43 0
>>657
合議制と議会制はまるで別物だしイギリスが絶対王政ってでかい釣りだなおい
日本なんてまさに西欧化を推し進めた国だと思うけど。30年そこそこで吸収したのは凄いけど明治の頃はやりすぎぐらいにやってたじゃない。
一方大航海時代の頃に覇者だったトルコは近代化が上手く行かず瀕死の病人と言われるようになった

659 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 01:32:54.09 0
>>658
入れ札とかで代表決めたりしてただろ。選挙じゃん。
トルコは勝ち組だっただけに変革が遅れたんだろ。スペインも一緒。

660 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 09:23:52.07 0
>>631
>奴隷たちは王宮の建設現場で1日15時間前後働かされた。せっかく造った城壁をイスマーイールの命令で粉々に破壊し、
>そのうえで全く同じ物を造り直すような無意味な苦役を強いられることもあった。支給される食事は1日あたり黒パン400グラム
>と油30グラムだけ、たまに腐りかけの肉が手に入った。労働意欲をあげるためのブランデーが支給されることもあった。
>責め折檻は日常的なもので、逆さ吊りにして足の裏を40〜50回叩くのが一般的であった。キリスト教諸国から拉致されてくる人
>たちは当然キリスト教徒であるから、これを無理矢理イスラム教に改宗させるための拷問がよく行われた。キリスト教を守っている
>限り母国に助け出してもらえる(身代金を払ってもらえる)可能性があるのだが、改宗したらもう終わりである。

こんな旧日本軍や今のアメリカの理不尽なイメージも吹っ飛ぶ基地害と付き合う自信は俺にはない。
ただ、こういう外道にキリスト教同胞を売り飛ばす外道もいたんだよな。
あ、ユダヤ教徒か。じゃあ全然同情しない訳だ。奴等の心の中「キリスト教徒ざまあw」
「ユダヤ教徒ざまあw」「イスラム教徒ざまあw」一神教はだましあい。お互い奴隷にしようと企んでいる。

661 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 10:43:22.01 0
別にイスラムが外道ってわけじゃなくて
今の感覚で言うと外道なことが東西問わずどこでも行われてたわけだからな
500年も前の話だからしゃーない

662 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 19:44:26.17 0
アフリカ黒人を搾取・奴隷化した先駆けは他ならぬイスラム世界

663 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 21:41:19.70 0
>>660
それにしてでかい釣り針だなぁ

664 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 21:56:20.21 0
>>654
ああ、あの余所からのパクリばっかりの癖に、何でもかんでも自分たちが発明したと主張して
挙げ句の果てには日本のことを猿真似とか言ってる厚かましい連中の事ね。

665 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 22:29:15.19 0
あんな半島イラネ

666 :世界@名無史さん:2011/11/03(木) 23:12:42.08 0
嫌韓もイラネ

667 :世界@名無史さん:2011/11/04(金) 21:37:32.57 0
>>640
逆に1613年の記録でリマに在住の日本人男性が奴隷の女性を
解放して結婚したという記録もあるよ

668 :世界@名無史さん:2011/11/04(金) 22:21:27.50 0
>>666
嫌韓じゃないよ

669 :世界@名無史さん:2011/11/04(金) 23:08:54.82 0
>>667
ええはなしや

670 :世界@名無史さん:2011/11/05(土) 23:26:26.09 0
>>640
ハポン姓の日本人といえばスペインにもいることがテレビで紹介されてたね。
こちらは奴隷というわけじゃなく、慶長遣欧使節団の関係者でスペインに残った者が
居るかも?という話らしいが。

http://web1.kcn.jp/y-asa/apellido.htm
http://blogs.dion.ne.jp/honmarukaikan/archives/7372099.html

671 :世界@名無史さん:2011/11/06(日) 04:14:24.14 O
>>625
倭人伝とかにもあるだろ
「生口〇〇人贈った」って古代から主力輸出品だったんだろ

672 :世界@名無史さん:2011/11/06(日) 16:00:25.27 O
>>670

文句なしに奴隷の子孫でしょう。



673 :世界@名無史さん:2011/11/06(日) 16:29:17.67 0
イタリアにも朝鮮出兵の時の奴隷のコリア性が居るらしいね
こっちは文献が残ってる

674 :世界@名無史さん:2011/11/06(日) 18:36:58.66 0
>>656
さすがに後進国ってことはないだろ。
12世紀以後は普通にイスラムより上だし、15世紀になると中国やインドにも十分対抗できる

675 :世界@名無史さん:2011/11/06(日) 19:28:28.06 0
>>666
それを言うなら嫌欧だ

676 :世界@名無史さん:2011/11/06(日) 19:43:28.17 0
嫌欧使節団

677 :世界@名無史さん:2011/11/06(日) 19:58:21.88 0
嫌欧少年施設

678 :世界@名無史さん:2011/11/07(月) 02:04:38.11 0
>>674
>12世紀以後は普通にイスラムより上

15世紀から18世紀まで、ヴェネツィアの勢力圏は
一方的にオスマン帝国に削られっ放しでしたが何か?

679 :世界@名無史さん:2011/11/07(月) 02:39:06.93 0
中国もかなり航海技術持っていたのになぜ島国日本が航海技術が育たなかったのか
必要無かったからってのがでかいか
ヨーロッパはろくなもんがないから交易しないとやってけなかったんだろうな

680 :世界@名無史さん:2011/11/07(月) 21:57:42.97 0
>なぜ島国日本が航海技術が育たなかったのか

造船のための材料に恵まれてなかったから。

681 :世界@名無史さん:2011/11/07(月) 22:23:29.74 0
>>680
具体的には何の材料が足りていないという見解?


682 :世界@名無史さん:2011/11/07(月) 22:32:20.29 0
軽くて硬くて腐食しにくい木材、ロープ用の麻、帆の材料等

683 :世界@名無史さん:2011/11/08(火) 21:17:16.99 0
帆船の材料になるオーク(楢)は日本でも普通にあるんじゃね?麻も。


684 :世界@名無史さん:2011/11/08(火) 22:08:03.38 0
ロープ用の麻は、マニラ麻じゃないと駄目なんじゃなかったっけ?

685 :世界@名無史さん:2011/11/11(金) 22:36:37.92 0
ザビエルはユダヤ人じゃなくてバスク人なわけだが

686 :世界@名無史さん:2011/11/11(金) 23:16:22.98 0
最近ゲームで海賊王国コロンブスなんてCMが出てるが
コロンブスは海賊だったとする解釈か
偉大な探検家から新大陸を侵略した海賊へとか

687 :世界@名無史さん:2011/11/11(金) 23:34:31.57 0
ユダヤ系バスク人ってのがいても不思議では無いけどな

688 :世界@名無史さん:2011/11/12(土) 09:31:56.25 0
ググって分ったけどそのコピペはザビエルはユダヤ人ってのところだけ消してるのもすげー多い
貼ってる連中もおかしいって気付いたんだろ
つーか500年も前の事をトンデモ本ソースで被害者意識煽るとか半島の連中とやってること大差ないんで恥ずかしすぎるわ

689 :世界@名無史さん:2011/11/12(土) 16:22:00.61 0
>>682
伊達とか国産ガレオン作ってるから作れないってことは無いと思う
戦国は内戦が続いてたし近海が中心だったんだろう


690 :世界@名無史さん:2011/11/12(土) 17:03:46.08 0
ザビエルはナバラの貴族だよ。

691 :世界@名無史さん:2011/11/12(土) 20:41:34.65 0
>>689
>戦国は内戦が続いてたし近海が中心だったんだろう

近海中心は江戸時代やろ
戦国時代は東南アジアまで行ってたし

692 :世界@名無史さん:2011/11/17(木) 14:49:00.36 0
日本の航海技術が上がらなかったのは、
ある程度以上は上げる必要がなかったからだと思う

最終的に航海技術が高い欧州は日本(というか「東インド」)に比べれば土地は痩せてるし、たいした特産もない
そりゃ豊かなアジアに行きたいと思って航海技術も自然と上がるだろう
だが逆に良質な土地に、豊かな産物がある日本はそもそも遠出する必要がない。せいぜい仏教関連でインドまで行きたいと思う程度
欲しいものは基本的に中国か東南アジアにあるし、欧州人しか持ってないようなものは勝手に持ってくる(実際は中国との仲介してただけだし)

こう考えればそもそも作る必要がないってわかるだろ

693 :世界@名無史さん:2011/11/17(木) 19:20:17.43 O
>>614

ひでえ話だな

694 :世界@名無史さん:2011/11/17(木) 22:52:55.23 0
>>693
ひでぇーも糞も日本は昔から棄民で外貨稼ぐのが十八番だろ

695 :世界@名無史さん:2011/11/17(木) 23:14:56.75 0
国内棄民の自演乙

696 :世界@名無史さん:2011/11/18(金) 00:02:21.27 0
>>692
>だが逆に良質な土地に、豊かな産物がある日本はそもそも

どこがだよ

697 :世界@名無史さん:2011/11/18(金) 00:27:38.81 0
日本の船材は杉の木だが、これって長期航海用の船の材木に向いていないのか?

鎖国前の日本が建造した「朱印船」は、南蛮の船乗りにも性能を認められるほどの船だったと聞いたが。


698 :世界@名無史さん:2011/11/18(金) 00:34:41.10 0
>鎖国前の日本が建造した「朱印船」は、南蛮の船乗りにも性能を認められるほどの船だったと聞いたが。

ソースは?

699 :世界@名無史さん:2011/11/18(金) 00:39:00.48 0
>>698

10年ほど前の「世界ふしぎ発見!」

700 :世界@名無史さん:2011/11/18(金) 13:31:51.04 O
>>697
和船は楠がメインだよ。部品ごとに細かい指定はあるけどね。

701 :世界@名無史さん:2011/11/18(金) 13:54:30.86 0
>>699
脳内妄想と同レベルだな

702 :世界@名無史さん:2011/11/18(金) 15:55:05.87 0
>>696
量的に「豊か」なんじゃなくて、
土壌とか鉱物・織物みたいな産物なんかが「豊か」なんじゃない?

703 :世界@名無史さん:2011/11/18(金) 22:59:39.78 0
>>701
ヒドイなぁw そういやモグタンとかで見た話とかってそれ以外で見ないからTBSの番組は
案外そういうもんかなとも思ったがそういやNHKでコショウは同じ重さの金と取引されたという
みたいなことを言ってたのを数回見たがこのソースって見当たらないんだよなあ。
せいぜい同じ重さの銀とってのはあったような気もするが

704 :世界@名無史さん:2011/11/18(金) 23:04:27.50 0
金と同じってのは、胡椒じゃなくてクローブじゃなかったっけ?

705 :世界@名無史さん:2011/11/18(金) 23:07:18.70 0
>>697>>703
いや、多分間違いでも無いんだろうけど、不思議発見は基本的に一般受けしやすい番組作りだから
ソースにはならないだろうね。
もうちょっと堅い造りの番組じゃないと。

706 :世界@名無史さん:2011/11/19(土) 11:58:23.79 0
胡椒が金と等価交換って話、日本語版のウィキペディアにも書かれてる・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6

707 :世界@名無史さん:2011/11/19(土) 12:50:28.71 0
>>678
オスマンは文明不毛の地じゃないか。学問的貢献は皆無
軍事経済でも、15世紀以降はオスマンあたりじゃ西欧の発展についていけてないよ。
中国やインドでさえそう。

708 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/19(土) 16:34:19.33 0
>>707
学問に関してはその通りだけど軍事と経済に関しては15世紀以降も普通に西欧と、
並んでたでしょ。そうじゃなければフランスも同盟組んだりしないし、スペインだって、
オスマン帝国と戦って負けてるからね。経済面も15世紀じゃ、まだレヴァント貿易が、
衰えてないと思うし。まぁ大航海時代に入ると地中海の重要性も徐々に下がるけど。

709 :世界@名無史さん:2011/11/19(土) 20:56:12.52 0
ほい(´・д・`)つ■コジカソース

710 :モー娘。中国ファンのスレ(日本語版):2011/11/22(火) 00:02:30.46 0
モー娘。中国ファンのスレ(日本語版)

711 :世界@名無史さん:2011/11/23(水) 05:48:45.22 0
>>686
南米のインデオ達からすれば、侵略者だ。
現にコロンブスのアメリカ大陸発見500周年の際にインデオ達のデモがあった。
発見したのが悪いんじゃなく、当時の西洋人達が自国利益のために現地人を
搾取弾圧したから、後で禍根を残すことになった。
というか、植民地政策なんてやらなくても当時の西洋人達が貧しくても
慎ましい生活を送るようにしてれば、非白人系民族の悲劇はなかっただろう。
やられる方が悪いと言う意見もあるが、それは強者の横暴を認めてるだけに
過ぎない。

712 :世界@名無史さん:2011/11/24(木) 06:43:38.83 0
>>703
このスレ出入りしているんだからまずは朱印船と末次船の違いぐらいしっとけよ
末次船はそもそもシャム船などガレオン、キャラックの技術をいれた東洋船のスタイルの一つ
というかガレオンの仕様のひとつ程度の船だ
艤装が日本風で東洋船お得意の水密障壁構造持っているだけだからそりゃ性能的に文句は出ない

713 :世界@名無史さん:2011/11/24(木) 23:12:36.75 0
>>706
英語版にはないみたい

714 :世界@名無史さん:2011/11/26(土) 20:29:05.49 0
>>713
たとえば「大航海時代とルネサンス」というサイトに引用されている大航海時代叢書の記述によると
「1499年ヴェネツィアで1キンタル(46キログラム)の胡椒は80ドゥカード」とある。
http://www.geocities.jp/yamada_1817/oversea/se/se_1490/1498_p.html

ドゥカート金貨は重さ約3.5グラムでほとんど純金なので
胡椒46000グラム≒金280グラムとなり、
同重量の胡椒は金の約160分の1価値ってことになる

特定の国と時代で胡椒の価格が2倍とか3倍とか暴騰することはあったかもしれないが、
とても金と等価まではいかないだろう。


715 :世界@名無史さん:2011/11/26(土) 22:49:19.95 0
やっぱり金と同等だったのはクローブぐらいかな

716 :世界@名無史さん:2011/11/27(日) 15:47:28.90 0
>>715
こうなるとクローブも金と同じか怪しいな。信用できるソースはある?


717 :世界@名無史さん:2011/11/27(日) 20:19:50.61 0
資料によってはクローブだったりナツメグだったりするからめんどうだよね

718 :世界@名無史さん:2011/11/27(日) 21:23:41.35 0
いずれにしても、非常に高価だったのはモルッカ諸島でしか産出しないスパイスだったってことだろうな。
胡椒はインドで取れるんだから、そこまで高くはならないだろう。

719 :世界@名無史さん:2011/11/28(月) 20:13:12.59 0
「同じ重さの金と同じ価値」という言い方はよくあるよね。
重要人物などの形容でも使う。
経済的に正しくなくても、すっごく高いんだぜ! という意味合いで金と同価値などと言われたんじゃないの?

720 :世界@名無史さん:2011/11/28(月) 23:18:27.40 0
Wiki基準でなんだが、だとしたら日本人はそれを真に受け、イギリス人は真に受けなかったってことか。
さすが日本人、エイプリールフールのジョークが通じず真に受けた伝説をもつだけのことはある

721 :世界@名無史さん:2011/11/29(火) 19:57:41.79 0
真面目なのさ、日本人ってのはね。    きっと。

722 :世界@名無史さん:2011/11/30(水) 00:56:48.61 0
>>719
英語版のウィキペディアでも
「17〜18世紀のイギリスでクローブは金以上の価値があった」と書いてあって、
それに何年も「要出典」タグが付いたまま放置されている。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Clove

よく聞く話だが根拠不明のままで通用している話は洋の東西を問わず沢山ある。


723 :世界@名無史さん:2011/11/30(水) 04:18:25.43 0
いつの間にか生まれていて出展の探しようが無い話なのかもしれないけどね

724 :世界@名無史さん:2011/11/30(水) 09:16:04.65 0
万里の長城が月から見える、と同じような話かもね。
冷静に計算して見ると、おかしいんだけど、例えがいかにもそれっぽいので
なんとなくすんなり受け入れられていたって

725 :世界@名無史さん:2011/11/30(水) 22:53:09.27 0
こういう言いだしっぺが分からない話の発生にはいろいろパターンがありそうだな

1.勘違いが事実と思われるようになった
2.喩え話が事実と思われるようになった
3.極端な例外が一般的な事実と思われるようになった
4.単なる印象論が事実そのものと思われるようになった
などなど

726 :世界@名無史さん:2011/12/01(木) 23:44:57.33 0
ヨーロッパの船員の2倍の背丈があったというパタゴニアの巨人族とか、
誇張にしてもひどすぎる。

しかし誇張が極端なほど話としては面白く伝えられやすいのだろうな。

727 :世界@名無史さん:2011/12/02(金) 00:12:16.32 0
それでも、首が無くて胸に顔がついている人間よりは、常識的描写だろう

728 :世界@名無史さん:2011/12/02(金) 00:32:05.10 0
ジャミラ

729 :世界@名無史さん:2011/12/02(金) 01:26:13.92 0
そうして吹かしたほうが飯の種にもなったろうしね

730 :世界@名無史さん:2011/12/04(日) 11:16:39.96 0
マゼランの世界一周航海に同行したピガフェッタがその著書
「マガリャンイス最初の世界一周航海」でパタゴニアに巨人族がいると
書いたのが最初だけど、本自体は航海の記録をけっこう詳細かつ真面目に
記述してるのに、巨人パタゴンの身長のことが突如現実離れしてる。

今の価値観だとトンデモ情報が混ざった本は却って売れなくなりそうだけど。


731 :世界@名無史さん:2011/12/04(日) 11:49:00.78 0
当時からするとどれもこれもトンデモレベルだから見わけ付かなそうだな。

732 :世界@名無史さん:2011/12/04(日) 14:31:39.49 0
長崎には唐船が入港していたが、
日本人はジャンクの構造を学ばなかったのかね。
ジャンクは船室を幾つにも細分した構造ゆえ、
一箇所から浸水してもそこだけで水を止めることができる。


733 :世界@名無史さん:2011/12/04(日) 14:51:32.75 0
日本の場合は、平氏政権の日宋貿易の頃が原点だからな。
そこで一応、外洋仕様の船は確立していて、江戸時代までに大型化。

古い時代の遣唐使船は、黄海経由の仕様の船でむちゃやって
寧波とか直に行き、帰りにかなり行方不明になって日本へ帰還してない。
インベーションは平氏政権の頃におこり、それ以後はガラパゴス化。
安宅船において、西洋の技法をとりいれた折衷船ができ、九鬼水軍は
このタイプを揃えていた。

戎克(ジャンク)は、この安宅船とは違う系統で、竜骨がない。
縦の材木は、隔壁同士をつなぐ用途であり、構造材としての竜骨ではない。

734 :世界@名無史さん:2011/12/04(日) 15:53:07.11 0
>>732
和船って船室自体がなかったんじゃ?

735 :世界@名無史さん:2011/12/04(日) 15:57:02.76 0
江戸時代中期の弁財船には、船室があるよ

736 :世界@名無史さん:2011/12/04(日) 15:57:41.94 0
それが最初?

737 :世界@名無史さん:2011/12/04(日) 16:00:43.99 0
弁財船より前って、保存船の現物が見られないよなw

738 :世界@名無史さん:2011/12/04(日) 19:28:22.02 O
>>737
瀬戸内のどっかの自治体が安宅船を作って、大河ドラマにも出したけど、維持費が大変で数年で解体したそうな。

739 :世界@名無史さん:2011/12/04(日) 20:25:08.79 0
>>732
長崎の船大工は技術を習得していて、唐船を修繕したり時には新造し、
清国商人が購入して帰ることもあった。
隔壁がなぜ和船に取り入れられなかったのかは不明。
ただ、ジャンクの隔壁は水密目的よりも、船体の構造材としての
役割が重視されているという説もある。(隔壁の一部が切り取られ
ビルジの通り道となっているとか。。。)

740 :世界@名無史さん:2011/12/04(日) 23:30:53.80 0
北東航路は綿密な計画であっさり成功したのに比べて、北西航路の酷いこと。

741 :世界@名無史さん:2011/12/04(日) 23:32:34.78 0
現在でもそうだが基本的に国内需要で経済が十分に成り立ち、近距離貿易で旨みもあったから、船強度より積載量を採ったのかな?

742 :世界@名無史さん:2011/12/05(月) 19:38:16.91 0
そういう風習だった
コピー船は作ってもそれをオリジナル和船に生かそうとすると親方に許されなかった

743 :世界@名無史さん:2011/12/05(月) 23:02:30.36 0
航海術・造船技術の発展とか、航海法の歴史
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1323000695/l50

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