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宇佐八幡宮

1 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/25(土) 17:25:17
宇佐八幡宮について語りましょう!

2 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/25(土) 17:32:11
卑弥呼の墓って説もあします。
それが真実だったりすると、神道が根底から揺るぎますね。

3 :俺が基準 ◆DlyW/s8ibQ :2010/12/26(日) 10:15:14
石棺が神社の下から出た事実があって、詳しい調査なし。
あやしい。

4 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/26(日) 10:34:40
別に神社境内から石棺が出ても、神社や神道の理論や思想がひっくり返る事はない。
確かに死穢を忌むとはいいながら、実際には古墳の上や麓に古くから営まれた神社は沢山あって被葬者を御祭神にしてる所も珍しくない。
時代は無茶苦茶降るが、あの太宰府天満宮だって本殿の真下は管原道真の墓。
また石棺が出ても、墓誌などの金石文や記録に生前所持していたのが明らかな物が伴わないと
学界としてはほぼ確実に被葬者を特定する事は困難。証拠が無かったらあくまで仮説止まり。
神社的には卑弥呼が出て来たからといって、観光客を寄せるネタが出来てめでたいだけで発掘作業で通常業務に差し障らねばどうでもいい。

5 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/26(日) 11:12:42
>>1
単独スレの前スレ
宇佐神宮の宮司職 法廷闘争へ
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1236295433/

類縁スレ
【宇佐八幡】総本社を語る【伏見稲荷】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1286230132/
◆◆◆伊勢神宮と宇佐八幡◆◆◆
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/988978101/
【宇佐・筥崎】八幡大菩薩総合スレ【男山・鶴岡】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1220315667/

6 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/26(日) 11:19:15
>>5
支店スレ
【男山】 石清水八幡宮 【二所宗廟】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1290773457/
岐阜県 上野八幡神社 美濃市
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1284132976/
<<平塚八幡宮っていいよね>>
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1286555834/
杉並区 大宮八幡宮
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1285163113/

7 :俺が基準 ◆DlyW/s8ibQ :2010/12/27(月) 12:10:36
地元の人は、卑弥呼の墓だったらどうおもうだろう?
まさに日本の中心だったようなイメージで喜ぶか
宇佐八幡が神じゃなくなってかなしむか
どっちだろう。
とりあえず観光利益は増えて喜ぶだろうけど。

8 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/27(月) 14:09:08
先代旧事記によれば、
宇佐の地は須佐之男命(=ヤマト連合王国。フツシ大王)の九州地方経営、攻略の為の行宮。
同様に、四国、瀬戸内、山陽地方経営と近畿以東への橋頭堡で行宮が
香川県の琴平。
こちらはフツシ大王=須佐之男命の末男児(跡継ぎ)オオトシ(フル大王)=ニギハヤヒ=大甕魂大物主神=天照国照彦天火明櫛玉饒速日大御神。

9 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/27(月) 14:17:02
宇佐は本来、秦氏が祖神を祀っていた(応神天皇が屁をこいてどうした云々は後付けに過ぎない)わけで、伏見稲荷や松尾大社もそうだが、祖先の古墳の上に社を建てて祀るのは、秦氏本来の祭祀法としては常識。

10 :俺が基準 ◆DlyW/s8ibQ :2010/12/27(月) 21:08:33
>>9
秦氏に卑弥呼がいたの?

11 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/28(火) 00:12:20
だから、卑弥呼は関係ないんだってば。あれは秦氏の石棺墓。

12 :俺が基準 ◆DlyW/s8ibQ :2010/12/28(火) 00:27:11
秦氏が邪馬台国の名残では?

13 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/28(火) 00:32:22
アホか。秦氏は渡来人だ。

14 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/29(水) 08:47:25
>>12>>13
辰韓地方からの秦氏の列島への渡来時期は、記紀の記事とは異って、AD4C〜5Cと
言われているから、秦氏が邪馬台国の遺民ということは在りえないね。
秦氏が渡来人というなら、天皇家を筆頭とする弥生人も海外からの渡来人だがね。

15 :俺が基準 ◆DlyW/s8ibQ :2010/12/29(水) 22:37:09
土居岬だったかな、あそこの遺跡を見れば今の日本人のルーツが分かる。

16 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/29(水) 22:49:18
だから、邪馬台国は宇佐とは関係ないんだってば。

17 :俺が基準 ◆DlyW/s8ibQ :2010/12/30(木) 19:02:51
>>16
そんなの、奈良だって実は無関係かもよ?

18 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/30(木) 21:31:49
だから、宇佐は邪馬台国とは無関係で秦氏の祭祀場だったの。奈良はどうでもいいって。

19 :名無しさん@京都板じゃないよ:2010/12/31(金) 00:13:03
混ぜっ返す事になりますが・・・
宇佐地方は先代旧事記に依れば九州経営の拠点で行宮。(紀元前一〜二世紀〜紀元二〜三世紀頃)
どこの誰の宮殿か?と言うと出雲から興ったヤマト連合王国の(渡来亡命王族「フツ」の子息)須佐之男大王=フツシ大王。
後には世嗣のオオトシ=布留=ニギハヤヒ大王や佐田彦命等が代行。

20 :俺が基準 ◆DlyW/s8ibQ :2010/12/31(金) 09:12:58
>>19
そんなの、でっち上げかもよ?
真実の証拠なんて古代の歴史に何一つない。

21 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/16(日) 09:51:46
>>15
300体を超える弥生人骨が出土した豊北町の土井ヶ浜遺跡のことかね?
浜辺に埋葬するのは、現代日本人の風習とは違うがね。
現代日本人のルーツの主流は、弥生人でなく縄文人だがね。
土井ヶ浜遺跡 http://www.doigahama.jp/

22 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/16(日) 10:48:51
>>9
宇佐の地は、元来土着豪族宇佐国造氏が鷹居で祖先神を祀っていたのだよ。
ところが、AD527年筑紫国造磐井の乱に加担してヤマト王権に敗れた為、逼塞。
その間隙に北方に集住していた秦氏の一派辛島勝氏が宇佐に南進したのだよ。

23 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/16(日) 10:52:30
秦氏やるじゃん

24 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/16(日) 12:12:44
>>10
魏志の記す卑弥呼は、紀景行天皇段の記す豊前の地京都郡の女酋長「神夏磯媛」か?
http://www.geocities.jp/ojyaru_24/keikoi.html

25 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/16(日) 23:25:44
なんで歴史かたるやつは、こういう説がある〜じゃなくて
〜なんだよ。
と断定なんだろうねw
証拠もなにもなかろうに。

26 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/23(日) 06:01:53
>>22
中世以前の社家主流大神氏の出所は、何所?

27 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/23(日) 21:12:46
到津さんが宮司でない宇佐なんて、鰯水と同じレベルのウンコタレだ

28 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/28(金) 07:44:44
>>22
宇佐国造氏は、須佐之男の後裔なの?
79 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/25(火) 23:37:16
・・・八幡神は須佐之男命(八千矛大神?)と応神天皇のコラボレーションではないか?と言う向きも
宇佐の地が須佐之男命の九州経営の拠点(行宮)だったとも・・・・
神道の謎
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1288933097/79

29 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/29(土) 18:37:45
>>26
大神氏の初代大神比義は、大和国大神神社社家出身だったと思う。

30 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/30(日) 11:41:01
>>23
傀儡の徒が信奉すると聞く百太夫神社は、宇佐宮の近所なのでしょうか?

31 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/01/30(日) 13:30:58
>>30
まつろわず征伐された隼人族の慰霊のため造立された百太夫殿の後身とされる
『百体神社』のことでしたら、勅使街道沿いにありますね。

32 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/02/07(月) 21:06:17
>>31
720年の大隈隼人叛乱征伐戦では、豊後国からの討伐軍により隼人族が1400余人も
成敗されたらしいですね。そして、その慰霊行事が宇佐社の放生会の始原らしい。
坂上田村麻呂による東北蝦夷殺戮と同様の異民族征討が九州でもあったのですね。

33 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/02/13(日) 19:23:52
>>12
秦氏は、4世紀後半から5世紀にかけて、加羅・伽耶地方から日本列島に
渡海渡来してきた人々の総称だよ。擬似的な血縁氏族だよ。

34 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/03/08(火) 19:12:44.00
また行きたい

35 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/03/18(金) 08:01:00.71
>>32
成敗された隼人族から切り取られた耳だか鼻だかを集めて埋めた塚は、
市内の何処でしたっっけ?討伐軍って、野蛮獰猛な集団だったんやな。

36 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/03/18(金) 08:08:42.22
ウサギ・・・宇佐伎・・・宇佐の男・・・宇佐に坐す大王?

37 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/03/25(金) 11:43:54.69
>>36
古事記の記す「稲羽の素兎」こと兎神のことですね。彼は隠岐島在住なので、
宇佐君氏とは無縁でしょうね?
”稲羽の素兎と表記されています。私の考えでは、兎すなわちウサギは「うさ・ぎ」と
分解します。「うさ」は宇佐です。「ぎ」は神という意味・・・・”
八俣の大蛇と稲羽の素兎
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/1da68fc2e7cf45fa19037bfebe28e758

38 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/04/03(日) 20:08:46.19
素兎・・・すうさ・ぎ・・・すさ・ぎ・・・須佐之男命?!

39 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/04/07(木) 04:08:17.88
>>2
境内の墓は、卑弥呼を葬った古墳なの?御祭神のオキナガタラシヒメでなく?
180 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/04/06(水) 10:34:05.17
>>176
・・・宇佐八幡にも境内か近隣に古墳らしきものがあったのではなかったか?
諸国一宮
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1284125975/176-180

40 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/04/07(木) 08:48:21.04
卑弥呼は中国人が日本使節から聞いた女王『ヒミコ」=(日御子、日皇女、日巫女、日霊女)に差別的表現の卑字を充てた表記。
ヒミコは個人名では無く、(大王や天皇などと同様に)その特別な地位を表す一般名詞。
ナノで、ヒミコは複数坐す。

41 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/04/09(土) 21:49:42.17
>>24
豊前国の前身豊国発祥の地は、現在の福岡県行橋市の長峡(ながお)川流域で
あっていますか?
豊国国造宇那足尼の本拠地が、あった筈なのですが。

42 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/04/09(土) 23:14:55.38
2011年04月09日
日本再生
地球創世の時、神ははじめに山と海を創られたり。
なれば山も海も神の御意図篭められたる必要不可欠なものなり。
今、山も海も元ある姿にあらず。
人間の我欲と知恵は地形さえも変えんとす。
地形には意味あり。役割あり。
本来自然は人を守り育まん。
なれど姿変えられし土地にては人を守れず。
日本は世界の要なり。
今、あるべき姿に戻りて役割果たさんと活動せん。
さなる時代に生を受けること、そもまた宿命なり。
人も元ある姿を今こそ取り戻さねばならぬ。
日本は美しき国なり。
日本民族は神に最も近しき民族ならん。
その誇りと団結力を今取り戻すべけれ。
--------------------------------------------------------------------------------


43 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/04/10(日) 14:01:59.78
>>41
国前臣氏の祖とされる国前国造菟名手と同一人物と言われる宇那足尼ですね?
宇那足尼は、宇佐国造宇佐氏の始祖宇佐津彦とも同族なのかな?

44 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/04/17(日) 10:10:15.05
>>40
>ヒミコは個人名では無く・・・・一般名詞・・・・
籠神社社家海部氏系図に初代天香語山命9世孫に「日女命」の名があります。
ヒミコ[日巫女]は、人名にも使われておりますね。
籠名神宮祝部氏系図 http://www2.plala.or.jp/cygnus/k1.html

45 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/05/28(土) 13:19:02.55
>>43
宇佐氏の祖が宇佐津彦で、辛島氏の祖が宇豆彦?
29 : 名無しさん@chs 2008/08/16(土) 08:04:02 ID:0+YhIfd+
宇佐の祭祀を司った辛島氏の系譜によれば、素盞嗚尊ー五十猛命ーの末端に 
宇豆彦が出て・・・・
和珥氏:海人族
http://www1.atchs.jp/test/read.cgi/tokyoblog/76/29-29

46 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/05/28(土) 21:03:05.39
一説に(脳内妄想)・・・
紀元前一〜二世紀頃、朝鮮半島の根元の小国、弗琉国(・・・韓流時代劇の朱蒙と同時代)の亡国の王族、父君フツ(布津御魂大神)と共に戦乱を避けて亡命、西出雲に渡来し周囲から慕われやがて近隣を従えて国を建て、
全国統一の大業に就いた大倭国初代大王(我が国の始祖王)。フツシ(布津斯御魂大神)=須佐之男命の九州経営の行宮跡。

ここから横路(脳内妄想は広がって)・・・
また、伊予一宮。大山祇神社は須佐之男命の瀬戸内海地方経営の行宮跡とか。
(大山祇神社の祝家=宮司家は須佐之男命の子孫を名乗り、その長大な家系図を公開)

・・・・・・・・・・
筑紫にも行宮が有った模様。
ひょっとしたら遥の朝廷(とおのみかど)と言われた大宰府や筥崎宮などの辺りかも


時代がやや下って、ここから須佐之男命と奇稲田比売命の三男。大歳命=ニギハヤヒ大王が父君の遺命を奉じて全国統一の大業の途につき、
宇佐で軍船兵馬を整え、いよいよ瀬戸内海に大挙して繰り出して東征を開始。
・・・伊予(道後温泉はこの過程でハケン!)
―讃岐の事平(琴平/金比羅宮は近畿攻略の前哨基地と四国瀬戸内一円を経営の行宮)
―播磨(生石神社(石宝殿)、播磨一宮、伊和神社(行宮?)。播磨は大歳神社が大変多い土地柄)
―摂津(有馬温泉もハケン!)
―やっと河内国入りし最後の根回しも完了して
いよいよ斑鳩岳を越えて念願の葦原中国=日の本国に東遷座。在地の豪族達を従えて日の本国大王に即位し大歳改め、ニギハヤヒ大王と号す。
崩御の後、三室山(=三輪山)を稜所として磐座を建て、
天照国照彦天火明櫛玉饒速日命の最大最高級の尊崇を表す神号を追号。

古語(朝鮮古語)でナラとは大きな国を表す言葉だとか。


47 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/06/11(土) 17:32:24.44
>>46
>紀元前一〜二世紀頃・・・・戦乱を避けて亡命、西出雲に渡来・・・・・
BC1〜AD2Cの大陸極東地域の戦乱とは、何?北方遊牧民の南進ですか?
凶作のための食料争奪騒乱ですか?

48 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/06/30(木) 06:41:31.50
>>46
>宇佐で軍船兵馬を整え、いよいよ瀬戸内海に大挙して繰り出し・・・・・・
宇佐って、古代では近畿と九州との交通の要地だったの?
ニギハヤヒを首領とする筑紫の八十物部たちは、船体をどこから調達したの?
宇佐近辺に、船材木材の産地や船大工の邑なんてあったっけ?

49 : 忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2011/06/30(木) 06:52:10.37


50 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/06/30(木) 07:02:51.01


51 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/07/29(金) 16:07:08.27
>>45
明治時代以前には、朝廷は伊勢神宮には参詣せずとも宇佐神宮に参詣した歴史が
あるということは、天皇家の宗廟は伊勢でなく、宇佐ということか?
天皇家の始祖は、天照大神でなく北部九州出身とみられる応神と認識されていた?

52 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/07/29(金) 16:19:32.29
>>51
宝賀寿男氏によれば、応神は、宇佐国造氏の祖でもある建緒組命の後裔で、
崇神系の女の婿になり、王権を簒奪し王位に就いたのは、AD390年頃らしい。

53 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/07/31(日) 22:34:58.69
ご分霊/ご文祠の石清水八幡宮が二所宗廟と言われる所以は・・・?
八幡の八は出雲大倭王権の証とか。(島根県だけでなく最大版図は九州〜東日本にまで及ぶ広大な領域)
主神の八は出雲(大倭)の氏神で我が国の始祖王〜最高神を暗示?。(ケチョンケチョンにこき下ろされたのに「尊」と尊称されるあの御方?)
武神と言われる所以も八千矛神(八が付く)とも言われるあの御方からかと。
八幡は数多の旗=大軍団を表し、それらを統率したと言う事かと。

中世、全国の延喜式の由緒ある古社、大社を押しのけ、すり替え、遷座さしてその土地の最高の風水の場所に後から坐してもお咎めの無い不可解な裏事情を勘ぐれば最高神、始祖神ゆえか?


54 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/02(金) 14:58:36.63
>>24
紀景行天皇段の記す熊襲征討途中に平定したとかいう豊地方駅館川・山国川の上流域の
残賊鼻垂族・耳垂族というのは、ツチグモと蔑視表現されているから竪穴式住居に
棲息した縄文系原住民だったのかな?
『残賊あり。一を鼻垂と曰ふ・・・・菟狭の川上に屯結めり。二を耳垂と曰ふ・・・・是れ、
御木の川上に居る。・・・』(日本書紀、景行天皇紀)・・・・・・
豊前平野・歴史散歩 (復刻版)
http://www.geocities.jp/hakodatereports/miya1-6.htm

55 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/02(金) 18:54:56.01
鼻垂・・・ハナタレ・・・ハタレ=穢れたモノと言う蔑称の一つ。

鼻水を垂らす、耳から膿を垂らす。などをイメージ・・・汚くみすぼらしい者の蔑称に外ならず。

鼻垂・・・ハナ足彦?
耳垂・・・ミミ足彦?

56 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/04(日) 20:41:29.54
>>55
景行天皇紀では、九州北部で討伐した異民族名は、鼻垂・耳垂の後は以下です。
「鼻垂・・・耳垂・・・麻剥・・・土折猪折・・・青・・・白・・・打猿・・・」
通覧すれば鼻垂・耳垂だけ蔑称というのは、合点がいきません。
鼻垂・耳垂は、外見の特徴を捉えた名前===アフリカの某部族のように、
鼻輪鼻飾り・耳飾りで装身した部族だったのでは?
縄文人・弥生人ともに、西洋人と違い耳輪・指輪等の装身具には無関心でしたから、
別系統の部族だったのでしょうか?

57 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/08(木) 22:26:58.79
宇佐八幡宮

古代渡来系氏族秦氏が建造した神社で、秦氏の神である3つの八幡神(ヤハタ)を祀っていた。



58 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/09(金) 12:13:06.73
>>57
秦氏が創祀したのは、豊前国田河郡の辛国息長大姫大目神社だろ?

59 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/10(土) 23:26:10.07
初めて宇佐神宮にお参りさせていただいて感激した!
やはり八幡さまの総本宮! 「厳か」の一言に尽きる。チャラチャラしてない。

60 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/18(日) 21:02:32.63
>>56
この敵対した耳垂族ですね。
耳垂の話 http://www.dai3gen.net/mimitari.htm

61 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/20(火) 20:55:05.51
>>57
豊前国綾幡郷(築上郡築上町)の矢幡八幡宮が八幡社発祥地というからには、
八幡=綾幡=安耶秦即ち秦氏の祭神なのかな?

62 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/20(火) 21:25:50.94
八幡神社と稲荷神社といえば、日本の隅々まで勧請されてる神社だし、
真言密教は日本仏教に大きな影響を与えた。これらに全部秦氏が関わってる。

さらに秦河勝は、644年に駿河国富士川周辺で、大生部多を中心とした
「常世神」を崇める集団(宗教)を追討したともいう。

秦氏は日本最古の財閥と云われているけど、どうやら日本の霊的ネットワークにも
深く関わっているようだね。今も秦氏の子孫は、神社の社家として生き残ってるのかな?

63 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/22(木) 11:20:07.74
>>58
「豊前國風土記」には、田川郡香春郷に新羅の神が祀られてあったと
記されておったようですね。
宇佐神宮 http://inoues.net/ruins/usajingu.html

64 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/22(木) 14:13:24.52
皆さん来歴にお詳しいですねえ。

65 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/22(木) 16:38:19.58
道鏡騒動の時、伊勢神宮でなくこっちに神託を求めた理由がよくわからん。

66 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/22(木) 18:32:51.94
>>65
井沢元彦がそれを根拠に、宇佐神宮が本当の皇室の祖廟であろうと言ってるね。

67 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/22(木) 18:39:07.48
>>66

高木彬光さんも同じ意見だった。

宇佐にあった邪馬台国が東遷して大和朝廷になったという説。

68 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/24(土) 22:22:49.58
>>65
自明のこと。記紀の記事と違い、伊勢神宮の天照大神は天武皇統家の氏神ではない。
8世紀当時の宇佐社の主祭神が、天武皇統家の氏神ということ。家の継嗣に他家の
人物を据えてよいかは、おのが先祖にきくのが常道。天武の父は誰なのだろ?

69 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/25(日) 06:57:22.31
天武帝=大海人皇子はフツーに尾張国造家出身でしょう。

70 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/25(日) 07:00:49.84
>>68

天武の父=高向王 という説があるな。

71 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/25(日) 07:13:56.40
>>68
ただ、伊勢神宮を最高の神社とする道筋を付けたのは、天武天皇なんだよな。

伊勢地方で祭られていた太陽神(猿田彦大神か?)を、
皇室が祀っていた神と習合させて「天照大御神」を創作したのも天武天皇だとか。

72 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/25(日) 08:32:49.78
伊勢神宮を篤くまつったのは
政治的理由なのか?宗教的理由なのか?
が判然としない。


伊勢神宮に行ったことある人は知ってるだろうが、あそこは霊気を感じる。

73 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/25(日) 08:44:40.78
>>72
政治的理由・宗教的理由の両方じゃないのかな?

壬申の乱のときに、天武天皇は伊勢神宮を遥拝して勝利を祈願したというし、
実質的に斎王の制度をはじめたのも天武天皇という説がある。

74 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/26(月) 04:36:15.45
>>71
>>73
あのさ、テキトーな事喚いて分かったつもりでいるなよ。
アホ作家がテキトーに書いた事を得意気に猿真似するなよ。
馬鹿かオメーは。


75 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/26(月) 05:22:27.05
>>74
はぁ?歴史学の世界ではよく言われてることだろ。
誰だよ?その作家ってのはw

76 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/26(月) 23:06:16.73
八幡神社のもとは、愛媛県八幡浜市の八幡神社だよ、養老元年8月に建てられた、宇佐八幡は奉遷し、豊後、日向、肥後の各地を回り8年の後
風光明媚な宇佐町亀山のちに鎮座されたと、官幣大社宇佐神宮明細帳、宇佐八幡基、県社奈多神社明細帳、八幡宇佐御託宣集、八幡奈多宮縁起などに
書かれている。
 称徳天皇が僧の道鏡に天皇の位を与えようとしてならなかったとき、宇佐八幡のご神体を 伊予の宇和領矢野郷神山の八幡神社に遷し、8年間清められて、元の宇佐へ
戻したとある。

77 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/27(火) 02:08:48.51
>>76
>称徳天皇が僧の道鏡に天皇の位を与えようとしてならなかったとき、
>宇佐八幡のご神体を 伊予の宇和領矢野郷神山の八幡神社に遷し、
>8年間清められて、元の宇佐へ戻したとある。

何故、宇佐八幡宮の御神体が清められなければならなかったの?

78 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/27(火) 08:18:58.71
>>76

>愛媛県八幡浜市の八幡神社


ここは伝承なんかでも皇室とのつながりはあまりなさそうだが。なにがあったのだろうね?

79 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/27(火) 08:29:10.65
>>77
これは宇佐八幡御信託事件として、昔は高校の教科書にも載ってるくらい有名だから、wikなどを見れば事件の内容はわかるけど、
 宇佐八幡の御信託で道鏡に皇位を譲ろうとしたわけで、それが和気清麻呂の活躍で、それが誤りであったとわかり皇位を譲ることを撤回した、
誤った御信託が出たのは、ご神体が穢れたからと考え、ご神体を清める必要があるとしたんだろうね。



80 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/27(火) 08:41:36.91
和気清麻呂を改名して流罪にしたのと同様に
宇佐八幡の神霊も流罪にしたとの見方もある。

81 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/27(火) 11:40:50.36
>>75
馬鹿が得意げだ(笑)

82 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/27(火) 11:52:50.37
と、アポウが曰う。

83 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/27(火) 12:30:43.29
>>78
八幡浜(やわたはま)の地名は八幡大神の鎮座する浜という意味で、神功皇后が三韓征討を行ったとき、皇妹の豊媛命がここで
兵士を集め、軍旅を整えたとある。
 平安期には大納言平頼盛の荘園となり、平忠光が地頭となり後白河法皇により忠光寺を建立させたとある、ここは廃寺となったが
梅の堂というお堂に阿弥陀三尊仏が残っており国の重要文化財となっている。本当は五尊仏で、2体は奈良の国立博物館に所蔵されている。
 石高五千石ほどの小さな町だけど、意外に中央の大物とかかわりがある。

84 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/27(火) 12:31:14.24
>>81
反論できない馬鹿が居座ってる(笑

85 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/29(木) 06:22:48.96
>>83
>皇妹の豊媛命がここで兵士を集め、軍旅を整えたとある・・・・・
のは、何という文献にですか?皇妹とは天皇の妹を言い、皇后のそれは言わないが。
伊予国八幡浜の地は、八幡神信仰流布以前は何という名だったの?

86 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/29(木) 06:49:39.39
>>85

>皇妹とは天皇の妹を言い、皇后のそれは言わないが。


「飯豊天皇」と同様に、神功皇后は事実上の天皇扱いなんでしょ。


87 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/29(木) 06:54:25.98
明治時代から昭和20年までには「歴代天皇の代数には含めないが、天皇の尊号を贈り奉る」としていた。
現在も宮内庁では「履中天皇々孫女 飯豊天皇」と称している。
これは不即位天皇としての扱いである。

88 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/29(木) 12:14:26.21
>>76
伊予八幡浜の八幡神社が宇佐神宮の元宮というのは、史実なの?
”宇佐神宮は、当矢野神山八幡宮より御奉遷し、豊後水道を渡り
大分県奈多浜に御上陸・・・・・・・”
八幡神社 八幡浜市かみやま510
http://ehime-jinjacyo.jp/?p=8302

89 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/29(木) 12:47:12.86
それにしてもみなさんよくごそんじですね。
良スレで、たいへん勉強になります。

90 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/29(木) 14:12:17.00
>>85
八幡浜という名が文章に初めて出てきたのは、1341年に安寧天皇から磯津彦の命、中原氏の系譜をひく摂津氏が
この地に領主としてやってきたときに表れている。摂津氏は九州の大友氏と同族、同じ杏葉紋を家紋としている。
 それ以前は、矢野郷と呼ばれ矢野保ともいわれることもあり、平頼盛の荘園時には矢野領と呼ばれた。
魏志倭人伝で、九州説をとったとしたら、海を渡った東方にも倭人あり、刺青をし魚介類をとって生活をしているとある、倭人は長弓
を使うともあるから、矢野という地名は、弓矢に使うシノ竹が豊富にとれたからついたのかもしれない。
 >>88
で愛媛県神社本庁のホームページを紹介しているので、ついでに八尺神社(神山王子森天王宮祇園八尺神社)のほうも見てほしい、八幡神社
より古くはこちらのほうが信仰を集めていたとされる。


91 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/29(木) 17:00:51.42
>>84
反論出来ない高卒が居座っている藁
高卒の低脳だからネットで勉強乙



92 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/29(木) 21:09:14.82
>>91
何にも言えなくなったので、もう悪口しか言えなくなった馬鹿がまだ居座ってる。

反論できないことがそんなに悔しいの?wwwww


93 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/30(金) 05:45:03.47
>>92
お前、凄く頭悪そうだな。文章が正に馬鹿丸出しだ(笑)。
高卒の知的水準まる出しだ。
2chで勉強したい意欲は誉めてやろう(笑)。

94 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/30(金) 09:04:19.67
>>93
お前、恐ろしく頭悪そうだな。
なーんにも具体的な反論が出来ず、
いまだに悪口しか言えないのだからなww

これだけ自分の馬鹿さ加減を晒しても、
ずっと居座り続ける神経の図太さだけは誉めてやろうwww

95 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/09/30(金) 13:05:10.19
>>52
>応神は、宇佐国造氏の祖でもある建緒組命の後裔・・・・・・
応神天皇が、肥前武雄の土着氏族建緒組の子孫?
宇佐国造氏の祖も、建緒組でなく菟狭津彦だろ?

96 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/01(土) 04:36:54.66
>>94
高卒は本当に頭悪そうだな(笑)
猿真似しか出来ない文章がいかにも高卒らしい。
あと、wwwを書く所が低脳の証明。
高卒と言われて図星らしいな(笑)。


97 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/01(土) 04:40:16.73
そうだ高卒のお前に質問してやろう(笑)。
宇佐国造の祖先は何だ?
拾って来た答え書くなよ(笑)高卒レベルの知能晒すなよ(笑)。


98 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/01(土) 06:05:21.88
>>96>>97
お前は、頭が悪いというより気違いだなw
具体的な反論が出来ないからといって、ひたすらただ悪口を並べ立てるなど、
とても正常な思考の持ち主が出来ることではない。
また、(笑)と書けば知能が高いと思っている所が、なんとも救いようがないww

俺に質問だと?
その前に俺に対して具体的な反論から始めろよ。それが筋ってもんだろう。
まぁ、物事の筋がわからない気違いには何の事かわからないかもしれないがwww

99 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/01(土) 08:59:28.91
>>96,>>98
おまえらいい加減にしろ!

不毛な罵り合いでスレを浪費するな。

100 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/01(土) 09:48:05.73
昔の神仏板は節度を持った連中が多かったが、
最近は平気で口汚く相手を罵るタチの悪いヤツが多いよな。
信仰心などまるで持ち合わせていないような奴等が増えたと思う。

いい意味での過疎板だった頃が懐かしいな。

101 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/01(土) 20:51:48.92
>>98
何だ、高卒だから何も分からないのか(笑)。
実社会でもそうやって逃げて生きているのだろう。
高卒の派遣か(笑)。
ほれ、まともな論議につきやってやると言っているのに逃げるなよ、
低脳高卒よ。
まともな文章かけないのか?

102 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/01(土) 20:57:58.36
猿真似しか出来ない低脳高卒の>>98は、
>>97の質問に答える事。
二チャンでも逃げる位なら、お前みたいな低脳馬鹿は自殺した方が良いな(笑)。


103 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/01(土) 22:28:33.83
>>101>>102
なんだ、気違いがまた発作を起こしたのかw
実社会では誰からも相手にされないので、家に引き籠って
2ちゃんで悪口を言うくらいしかやることがないのだろう。
収入源は俺達国民の税金か?
おまえみたいなクズを食わしてやってると思うとやりきれんわw

まともな議論だと?
その前にちゃんと反論してみろよ。
それとも悪口以外の文章は書けないのか?www

104 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/01(土) 22:41:13.12
気違い自宅警備員の>>102は、人に質問をする前に、
まず人が言ったことに対して正面から反論をすること。

ここまで言っても反論せず悪口を並べるだけなら、お前はもう気違い以下だ。

105 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/01(土) 22:53:03.86
そうだな、気違い自宅警備員の>>102には、
「具体的」が何を意味するのかわからないだろうから、
お前が書くべきことを指摘しておいてやろう。

@アホ作家とは誰か?
Aどこが適当なのか?
BAが適当だとする根拠

この三点をきちんと書くこと。
人がここまで親切に指摘してやってるのだから、
また悪口だけ書いて逃げるなよwww

106 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/08(土) 14:16:02.54
>>88
伊予八幡浜と豊後宇佐って、船だと何時間の距離なの?
双方の地域の遺跡出土品に、移民・交流の跡が見られるの?

107 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/08(土) 16:14:11.57
 >>106
 大分と八幡浜とは、1日20往復ほどのフェリー便があり八幡浜ー別府で2時間50分、八幡浜―臼杵間で1時間30分で行ける。
南予地域と大分宮崎地域は昔から交流が盛んで、別府温泉を開いたのも南予出身者、大分宮崎の農業や商業で南予の人が多く活躍し、60パーセントが南予出身者という地域のある。
 松山と南予地域で国道整備が進んでいなかったとき、八幡浜港の出荷額が高松港を上回っていたこともある。
大分ー南予間での交流を示す遺跡などはほとんどない、大分から流れ着いたであろうご神体をもとに祭られた神社や祠が数社ある。
 戦国時代には、大友氏が摂津氏に援軍をよこしたこともあり、その言われによってはじめられた柱祭りは、京都の広河原などで行われる「松上げ」と
よく似ている。
 なお八幡浜市には菊池姓が多く役15パーセントから20パーセントを占める。

108 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/10(月) 15:19:21.17
皇太子妃雅子さまの服の色は赤・青・黄・白・緑の五色です。緑は創価の学会歌、緑の栄冠の緑です。ちなみに大白蓮華は創価の広報誌です。雅子の服のいろの由来は赤・青・黄の創価学会三色旗と白、緑は創価の五色です。 (正式には仏教旗)


109 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/12(水) 01:13:34.00
>>107
八幡浜−臼杵は2時間20分だよ。三崎−佐賀関が1時間10分ね。
八幡浜−臼杵が1時間30分なら三崎−佐賀関は自分使わないわ。

宇佐神宮、駐車場のトイレを直してくれないのかなぁ。

110 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/10/20(木) 14:02:33.47
>>109
ご指摘すみません、八幡浜ー臼杵間は2時間20分です。

111 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/06(日) 13:26:13.87
>>109
手水舎手前のトイレ、新築中12月下旬に完成のようです。

112 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/13(日) 15:54:32.13
そんなトコで用足しすんな

便所は境内につくってはいかん!

113 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/13(日) 16:20:53.04
手水舎はいわば神域(至聖所)に入る手前で心身を清める場所(禊場所)。
そこへ至る手前のご不浄(トイレ)はギリギリでセーフとの見解かと。

114 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/13(日) 20:01:02.76
とにかく聖域で用足しするな!

済ませてから来い

115 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/13(日) 21:04:56.91
ドキュメント20min.「神を操り 神を継ぐ」
2011年11月13日(日) NHK総合 24時40分〜25時00分

今夜放送予定(地域によってはやらないかも)の番組

奇妙な人形で、「神々が相撲を取る」―― ってやつだ。
これは、宇佐神宮と関係があるのか。


116 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/14(月) 17:41:07.11
http://www.youtube.com/watch?v=t9G-smFdP_A&feature=feedf

117 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/14(月) 23:40:48.70
伊勢が最高位に据えられる前は、宇佐が最高位の社だったんだよな

日本民族たる者、宇佐神宮をいちばんに崇敬すべきなのかも

118 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/15(火) 13:27:23.14
宮司問題は片付いたの

119 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/11/16(水) 07:06:31.39
これからも紛糾するに決まってる

120 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/12/01(木) 00:14:48.51
全国に4万以上ある八幡宮の総本宮、宇佐神宮(大分県宇佐市)の宮司職をめぐり、
神社本庁(東京都渋谷区)側に就任を認められなかった「世襲家」の女性らが、
宮司の地位確認などを求めた訴訟の控訴審判決が29日、福岡高裁であった。
犬飼真二裁判長は訴えを退けた一審判決を支持し、原告側控訴を棄却した。
原告側は判決を不服として上告した。

判決によると、2008年7月に先代宮司が病気で退職(その後死亡)したことに伴い、
同神宮の役員会は権宮司だった女性を後継とするよう神社本庁に意見。
本庁側はこれを認めず、09年2月に現宮司を派遣した。

原告側は、「宮司は自分の家が世襲してきた」と主張したが、
大分地裁中津支部は昨年12月、
「同神宮の規則では、本庁の任命行為を宮司就任の要件としている」
として訴えを棄却。

犬飼裁判長も、特定の家柄から宮司を選ぶとの規定がある太宰府天満宮(福岡県)や
出雲大社(島根県)などの例と比較した上で、
「原告の家のものを宮司に選ぶ慣習があるとは認められず、
神社本庁は役員会の意見に拘束されるとは言い難い」と退けた。

宇佐神宮の話
当然の判決。粛々と祭事を執り行うだけだ。

http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201111290092.html



121 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/12/01(木) 18:26:43.89
許せない

122 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/12/01(木) 19:23:11.27
乗っ取り成功wwww








反吐が出る

123 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/12/08(木) 01:00:53.46
昔から宮司職を争ってきた歴史がるじゃん

124 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/12/08(木) 11:00:03.82
古事記、日本書紀にある、神武が日向から攻め上がってくる課程で、
一定期間宇佐に滞在し、宇沙都比古、宇沙都比売に一柱騰宮を作らせ、
これと宇佐神宮との関係が昔から取りざたされているけど、
宇佐の方が皇室の祖廟だというのが本当だとすれば、この辺りの話と関係あるんだろうか?

125 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/12/08(木) 19:07:29.59
>>124

あるだろうな。

邪馬台国九州説の中にはここが卑弥呼の本拠地だったという人もいる。

邪馬台国東遷説だな。

126 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/12/08(木) 20:27:32.07
神武東征時は祭祀の場所というより、要塞というか、軍事的な拠点だったんじゃないだろうか。

127 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/12/09(金) 02:04:43.67

双葉山の出身地に近いんだよな

128 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/12/10(土) 09:51:21.48
>>125
邪馬台国の話はさんざん上の方で出て否定されてるし、もういいだろう。
邪馬台国とは切り離して、古事記、日本書紀に出てきた神武東征の記述を
元にした考察の方がいいと思うんだけど。

129 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/12/10(土) 13:31:23.93
妄想、蒙昧、与太話です・・・

磐余彦尊=狭野命は須佐之男命(布都斯/神祖(カムロギ)熊野大神櫛御食野尊)を祖とする
同族の原大和(三輪)王権へ日向王朝から婿入りし禅譲を受けて大王(大国主)に践祚。
統一大和朝廷がこれにより成立。(非常に不都合な真実)
・・・須佐之男命(出雲帝国大国主)の死後分裂していた元大出雲帝国の版図を実質上回復。
・・・この大統一劇(国生み)では高倉下=天香山命(三輪側)と猿田彦(出雲と日向側)が折衝調整役として東奔西走して活躍。
・・・須佐之男命の死後、分裂〜実質上崩壊していた出雲帝国の第二代大国主、大己貴命の処遇が問題となり
結局、統治能力を問われその地位と権力を剥奪のうえ日向に蟄居。幽閉。(コレが崇神天皇ほかに祟ると言われる根底か?)

磐余彦尊は軍団を率いた東征ではなく日向に妻子を置き去りにして少数の供回り(五十人程度)だけをつれた東遷。(情けなくも勇ましくもない不都合な真実)
この際に既定路線の磐余彦の婿入り=大王即位により権力基盤の危機を感じた原大和大王のナガスネヒコ(元々の近畿(在地)の大王家)が強硬に反対。磐余彦一行の大和入りを拒み追い返します。
やむなく南下して紀伊国より上陸。出迎えた高倉下(ニギハヤヒの二男。天香山命。サルタヒコやヤタガラスにも比定)が伝国の宝剣を奉って、先導。吉野から大和入り。
その間に摂政のウマシマジ命(ニギハヤヒの大和での長子)が伯父にあたるナガスネヒコを排除。
磐余彦尊を受け入れ全権を禅譲。



130 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/12/10(土) 13:42:52.24
>>128
記紀の神武東遷記述を元にって、東遷途上に宇佐に立ち寄り、滞在後に
瀬戸内海方面に出立したという記事から、何が考察できるというの?

131 :名無しさん@京都板じゃないよ:2011/12/10(土) 13:47:03.47
だって文献史料はそれだけしか無いんだろ?
それを使う以外に何がある?

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